第98話 正義に勝る愛
……そんな日々から1年も経たない頃、エミーリアは男の子を出産する。その子にルナリオと名付け、デルマット大公の子として育て始めた。
容姿の端麗な子だ。まだ赤子でもそれがよくわかるほどルナリオは綺麗な顔立ちをしていた。
よくも悪くもヘイカー様には似ていない。
似ていないことは単純に悲しいが、似ていればデルマットの子として疑われる。それに、似ていたらあの人を思い出して辛くなってしまう……。
エミーリアより1か月ほど前にキーラキルも男の子を出産した。名前はマオルドだったか。あの子はヘイカー様に似ていたと思う。成長すれば彼によく似た青年となる気がした。
テラスのイスに座ってひとり、赤子のルナリオを腕に抱くエミーリアの心は虚しい。
キーラキルの子は今ごろヘイカー様と共に過ごしているだろうか? 父親にあやしてもらって笑っているだろうか?
……しかしこの子の側にはヘイカー様がいない。同じ男性を愛した女の子どもなのに、この子の側に父親の彼がいないのは悔しくて、妬ましかった。
妬ましい妬ましい……。
愛する彼とかわいい我が子の3人で過ごせるキーラキルが妬ましい。せめてあの女がヘイカー様の側にいなければ自分の心も健やかになれるとエミーリアは思う。
なにかヘイカー様の元からキーラキルを引き離す良い方法はないだろうか? キーラキルの悪い噂を流したところでヘイカー様は信用しないだろうし……。
「――強い嫉妬心を感じさせているのはお前か?」
「えっ?」
誰? 誰の声?
首を巡らして探すも周囲には誰もいない。しかし聞こえた。小さな子供のような声が……。
「どこを見ている下等生物の女。カカはここだ」
声のする空を見上げると……
「あっ!?」
空から降りてきた誰かが目の前にふわりと静かな着地をする。
黒いドレスを着た小さな女の子だ。年齢は10歳くらいに見えた。
「な……なにあなたは? なぜ空から……」
「うんうん」
しかし女の子は問いに答えず、自分の指に嵌められた指輪を眺めていた。
「この輝き……強い嫉妬だ。うん。これは使える」
「し、質問に答えなさいっ。あなたは……」
「カカに問う権利など下等生物のお前には無い」
「っ……」
こちらを睨んだ少女の目にエミーリアは気圧されてしまう。
小さな子供とは思えない威圧感。恐怖感。
かける言葉を間違えれば命を取られるような気さえした。
「けれどカカは寛大で偉大な存在だ。下等生物の問いを3つだけ許してやろう」
「え……あ、あなたはなに者なのですかっ?」
「カカの名はカルラカンラ。近しい者からはカカと呼ばれている。カカはお前らより上等で偉大な存在だ。本来ならばこのように対話することすら許されないぞ」
……王女の自分に対してなんて尊大な態度だろう。子供ゆえの不遜と言うには無邪気さが無く、奴隷にでも接するような態度であった。
「質問はあと2つだ。慎重に考えろ。2つ以上はなにも答えてやらないからな」
「あ、え、えっと……なにをしにここへ来たのですか?」
「うん。良い質問だ」
女の子……カルラカンラはニッと嘲るように笑う。
「カカがここへ来た目的はお前の嫉妬心を利用するためだ」
「し、嫉妬心?」
「そうだ。カカの能力を使うには嫉妬心が必要なのだ。しかし上等のカカには嫉妬心などという愚かな弱者しか持たない醜い感情は無い。だからお前らのような下等を利用するのだ」
……能力を使うのに嫉妬心が必要? なにを言っているんだろうこの子は?
しかし嫉妬心があるというのは事実だ。
それを見抜かれているのは不気味であった。
「質問はあとひとつだ。本当に知りたいことだけを問うんだぞ」
「本当に知りたいこと……」
なぜ自分に嫉妬心があると知っているのか? ……いや、それはたぶんあの指輪に秘密があると思う。どういう仕組かは知らないが、あれで人の嫉妬心を知れるのだろう。
「さあ知りたいことを聞け。カカは忙しいのだからな」
「で、ではその能力を使ってなにをする気なのですか?」
「教えてやろう」
カカの指輪に嵌められた宝石がこちらへと向けられる。と、一層に強く光り輝き、その光は線となってエミーリアの額に当てられた。
「こ、これは……」
やがて光は額の中に吸い込まれて消えていく。
「む……まさかこれほど強い嫉妬心とは。すごいぞ」
「わ、わたくしになにを……?」
「その質問には答えない。お前はすでに3つの質問を終えているからな」
「あ……」
「お前に答えてやるのはこの能力でカカがなにをするかだ」
なにをするのか……? それを聞いたところではたして意味はあるのかどうか……。
どんな能力かは知らないが、それでなにをするかは単なる興味でしかなく、あまり意味のあることとは思わなかった。
「この能力でカカはお前の望みを叶えてやるのだ」
「えっ?」
意外な答え。
願いを叶える? なぜ? なんのために?
理由には皆目、見当がつかなかった。
「わからないのか? わかるだろう?」
「いえ……」
「わかるはずだぞ。お前の嫉妬心で能力は使えるんだからな。お前の嫉妬心を満たすことを目的にしか使えない。だから結果的にはお前の願いを叶えることになる。そこへ至る過程がなんであれ、お前の嫉妬心を満たすためにカカは能力を使わなければならないのだ。どんなに遠回りをしても」
「つ、つまりその過程にあなたの望みがあると?」
「3つの質問を終えていると言ったぞ」
しかしこの子にエミーリアの願いを叶える理由はどう考えても無い。遠回りをしてもとわざわざ言ったことからも、願いに至る過程に目的があるのは明白だった。
「面倒だが最終的にお前の望みを叶えることを目的としなければ能力は使えないのだ。だからお前の嫉妬心を満たす望み……ふむ。おお、これは好都合だぞ」
「好都合?」
「お前の嫉妬心が望むのは、ヘイカーという男からキーラキルを遠ざけることだな」
「なっ……」
どうしてそれを……。
「驚くことじゃないぞ。お前の嫉妬心が望むものはこの指輪を通じてカカに伝わるからな」
「そ、そんなことが……」
まさか。だが実際に心は知られていた。
一体、何者なのだ? この不思議な子供は……?
「お前の嫉妬心が望む通り、キーラキルをヘイカーから遠ざけてやる。けど面倒だな。キーラキルを遠ざけようとすれば、ヘイカーという男が邪魔をするかもしれない。殺しては遠ざけることにはならない。望みを叶えなくては魂に埋め込んだ宝石の回収ができないのだ……」
「えっ……?」
宝石を魂に埋め込む?
言われてみれば、カルラカンラの指に嵌められた宝石が無くなっていた。
「うん。お前に役目を与えてやる」
「役目……ですか?」
「そうだ。一時的でいい。キーラキルをひとりにしろ。そうすればお前の望みは叶うぞ」
「い、一時的……って、でもどうすれば?」
「お前がカカに問えることはなにもない。自分で考えるのだ」
そう言い残し、カルラカンラはテラスから跳躍して日の光の奥へと消えていった。
「あの子は一体……」
言っていることは信じ難いことだけど……もしも本当なら。
「あの人もわたくしも共にひとりとなれる」
例え結ばれなくても、共にひとりならば心は安らぐ。
腕の中で眠るルナリオを見下ろしつつ考える。
キーラキルを一時的にでもひとりにしてヘイカー様から離す方法……。
熟考したエミーリアはひとつの手段を思いつく。卑劣だが、それしか思いつかなかった。
……
……やがてカルラカンラの言う通り、キーラキルはヘイカー様の側から姿を消した。
どのようにかはわからない。知る必要も無かった。
あの子供……カルラカンラがなにかしたのだろう。例の能力とやらを使って。
「思い出したか? 下等生物」
こちらを見下ろす女は20歳……もう少し上か。あのときの子供が10歳くらいだったとしたら、年齢は合う。
「あなたは……カルラカンラ?」
「下等が私を呼び捨てか。まあいい。上等は下等のように些細なことは気にしない」
「や、やはりあのときの子供。なにをしにここへ……?」
「お前はすでに3つの問いを終えている。忘れたか?」
「あっ……」
そういえばとエミーリアは言葉を呑む。
この、かつて子供だった女は質問を3つしか許さない。
会うのが2度目でもふたたびの問いは許さないようだった。
「……そうでしたね。けれど、あなたがわたくしのもとを訪れる理由などそうはないでしょう」
「……」
「わたくしの嫉妬心が望みなのですね。あのときと同じく」
「その通りだ」
ああ、やはり。
エミーリアはヘイカーの再婚相手に嫉妬していた。
それを見計らうようにカルラカンラが現れたということは、やはりそういうことだったのだ。
かつてと同じくカルラカンラの指に嵌められた指輪が輝き、その光がエミーリアの額へと吸い込まれていく。
「ほう。これはまた好都合だな」
「あなたにとっての好都合がなにかはわかりませんが、またヘイカー様から愛する女性を遠ざけてくれるのでしょう。これは問いではありません。わかっておりますから」
自分はなんて悪い女なのだろう。
愛する男性の側から、彼が愛する女性がいなくなることを望んでいる。それなのに愛する男性の側に自分が行けることはない。自分の立場が彼のもとへ行くことを許さないから……。
「ようやく問えぬことを覚えたか。成長したじゃないか」
エミーリアを見下ろしながら、カルラカンラは小馬鹿にしたような笑いを見せた。
「そうだ。ヘイカーから女を遠ざけてやろう。しかしお前の嫉妬心はもうひとつ望みを持っている。都合が良いのはそちらのほうだね」
「もうひとつ……?」
「お前の嫉妬心だ。わからないはずはない」
そう言われてエミーリアは考え……やがてもしやと思い当たる。
「まさか……」
「お前はヘイカーと共に過ごすことのできる自由な立場にあるその女に嫉妬している。その嫉妬心が望むのは、お前を縛る枷を破壊することだ。その枷がなにかはわかるだろう?」
「そ、それは……この国」
国があるから、自分がその国の国王の娘であるから、ヘイカー様の側へ行くことができない。その事実を恨み、自由な女性を妬む気持ちはある。
「けれど、破壊なんて……」
「ヘイカーの側にいる女が消え、この国が無くなればお前は自由の身だ。好きな男のもとへ行くことができる。お前の嫉妬心はそれを望んでいるのだよ」
「……」
なにも言えない。間違いではないから……。
「まあ、お前の嫉妬心がなにを望んでいようがどうでもいい。私は力を利用し、結果的にお前の望みを叶えることになるというだけだからね」
カルラカンラの背後に巨大な飛竜が現れる。どこからか飛来したのではない。言葉通り、そこへ突如として出現したのだ。
「さて、まずは枷のほうを破壊してやろう。盛大にな」
跳躍して飛竜の背に乗ったカルラカンラはそのまま飛び去って行く。
どこへ行ったのか? ……いや、彼女はどこへも行かないだろう。公言した通り、枷を破壊するのだ。盛大に。そしてきっと凄惨に……。
きっと多くの人が傷つき、殺される。
止めなければいけない。いけないのに……身体は動かない。きっと自分にはなにもできないから。あの女を止める力なんてないから。
「……そうじゃない」
それは言い訳。
望んでいるんだ。あの女によってこの国が滅ぼされるのを。心の奥では。
かつては国を守るために王女の身でありながら戦った自分が、今は国の滅亡を望んでいる。最高に身勝手な理由で、これから起こるだろう最悪を見過ごそうとしているのだ。
今の自分はデーモンアイの首魁だったあの女と変わらない。
なんて醜いのだ。
もはや正義は自分に無い。あるのはあの人への愛だけ。しかしそんな自分を嫌悪する気持ちは無く、むしろ愛に生きていることが心地良い。
女にとって、愛は正義に勝るもの。自分は最低最悪の人間だが、最高に女である。それを自覚するエミーリアの心は喜びに満ちており、表情には最高の笑顔があった。
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