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ポラリス市街地戦 上

不出来な小説ですが、良かったら、処女小説の第一章も読んでください。


「ゴトウの野郎、殺されちまったんだとよ。」

雅号剛士は水掛望人に話しかけた。雅号は高身長の青年で身なりからフェイスまでシュッとしているスタイリッシュな男だ。意識高めなのか、髪は短く刈り上げられており、清潔感がある。鍛えられた身体に自信があるのか無駄に肌の露出が多い。

「知ってる。トリアングルムからの撤退命令のちょっと前の話らしいな、殺されたのは。」

水掛はそう答えた。水掛は無個性な男と言うのが一番の特徴だろう。痩せ型ではあるが、身長は人並みである。髪にクセがあり、無造作にセットされており、前髪も長い。不潔と受け取られるかオシャレと受け取られるかギリギリの線を行っている。

「個人的にはあんなクソ野郎がどうなろうと知ったこっちゃないんだけどな。むしろ、死んで清々してるくらいだよ。水掛、お前だってそんなナリと控えめな性格だから、結構しごかれたクチだろ?」

「過去の事だ、興味ない。」

「カッコつけるなよ。あんな奴は地獄に堕ちて当然の奴さ。ただ、ノリちゃんの親父じゃなきゃな?」

「それ以上、俺の耳に余計なことを吹き込んでくれるなよ。聞きたくないし、関わりたくもない。」

「あんな女やめとけとか、ノリちゃんの容姿のことに触れようものなら、即座に気合い

入れてたとこだけど、流石に教場一の優等生。その辺のことは弁えてるな。」

「昔のノリを知ってたら、そんなことは一切考えないよ。学内一のマドンナだからな。

日陰者の俺じゃ、近づけもしないよ。しかも、あのゴトウの娘だって言うなら尚更だ。」

「ノリちゃん泣いてたよ。あんなクソ親父でも殺されたとあっちゃ、やっぱり悲しいも

のなのかな?」

「親を殺された人にしか、その気持ちは分からないさ。」

「指令が出たんだ。魔術士殺しの暗殺命令らしい。頭目の葬い合戦の前哨戦だとよ。俺

は喜んで志願したぜ。全てはノリちゃんのためだからよ」。

歓楽街レグルスの昼下がりである。小洒落たカフェの奥まった席に二人は向かい合って座っている。レグルスは都市国家ポラリス内にある若者で賑わう時代の最先端を行く洒落た繁華街である。頭目とは先のトリアングルムの戦いで皇若葉こと小春うさぎが倒した捕食者(プレデター)の一種シャドウ「阻む者」のことである。

「もう一度言う、俺を巻き込むな。俺は技官として、この街に来たんだ。この暑苦しい

喧騒がただでさえ性に合わないと言うのに。」

「お前みたいな天才が何くすぶってるんだよ。お前が得意の諜報分野以外のあらゆる

選考で手を抜いてたのを俺は知ってるぞ。ゴトウの野郎はアホだから気が付かなかった

みたいだけどな。」

「今は亡き、恩師であり、愛しのノリ姫のお父上様に対して、何だ、その口振りは?不

敬だぞ。お前も本当は気が進まないなら、断れば良いだろうに。」

「ノリちゃんの容態があんまり良くないんだ。」

「治療は効いてないのか?」

「ああ、頭目が引き受けるのを拒んだくらいな厄介な呪いだぜ。向こうの陣営には呪いそのものの存在である頭目を始末したツールがある。」

「頭目の死後に発動するはずの様々な災厄のトラップが発動した形跡が1つもない。発動しようものなら、街一つ沈んだっておかしくないはずなのによ。

確かに、そんな話は聞かないな。呪いごと消されたってことか?」

「Lnじゃ、そう言う見解だ。魔力の集中だとか言ってたな。トリアングルム攻略の

戦略タームに大きな変更が起きたのもその魔力の集中とかのせいらしい。」

「ほうっ・・・」

水掛は興味を隠さなかった。捕食者達にも当然コミュニティは存在する。捕食対象のらアバターより捕食したシャドウの自我が大幅に上回った時、元のアバターの自我は損なわれる。そうした捕食者達は魔術士からの迫害を逃れるため、協調し、コミュニティを作る。これは捕食者の生きる術であり、生態である。雅号と水掛は元々別々のコミュニティの出身であったが、捕食者達が自らのコミュニティを発展、進化させるために作り上げた教育機関ジャーナルネットワークの同窓生として、苦楽を共にしてきた仲であった。雅号の交際相手である後藤紀もまた、二人と同じジャーナルネットワークの同窓生であった。現在、雅号は捕食者の軍隊の陸軍作戦将校としての道を歩み始めたばかりであり、水掛は雅号と同じ軍隊の将校として、事務方である諜報技官の道を選んだ。

「お前、諜報が専門だろうに、全然詳しくないんだな。トリアングルムの事を色々聞きたかったんだけどな。」

「俺が今やってる仕事はトリアングルムと直接関係してないからな。あれはもう、軍事

行動になってるレベルの話だろう?実働部隊があれだけ大掛かりに動いているのに余所

者が関与する余地なんてないさ。この国でどれくらいの侵攻が出来るか試金石となるケ

ースだったことは間違いない。出鼻をくじかれた格好になってしまったな。今後はアバ

ターの警戒がものすごいことになりそうだ。圧倒的な数的有利なアバター相手に、捕食

は一度きり、計画的な繁殖が出来ない我々に勝ち目はないだろうよ。頭目も一体何を考

えてたんだろうな。」

「勝算がなければやらないだろうさ。実際、トリアングルムでは相当数のアバターの捕

食には成功してる。それなりの犠牲もあったが、こちらに容易に手を出させない牽制に

はなったはずだ。」

「予言に踊らされ過ぎたのさ。物事に絶対なんてない。それだから、俺の様な木っ端役

人が諜報と称して、コソコソ嗅ぎ回って情報を集めてるんだから。頭目が操っていた暗殺ギルドなんて、お前達陸軍御用達のお抱え機関みたいなものだろう?そんなものに近づいて、命を落としたくないからな。」

「今回の作戦はごくごく小さなものさ。頭目の葬い合戦で、数人の魔術士を始末する。

頭目と釣り合いの取れる相手に仕掛けるわけじゃない。短期間で小規模にやるんだ。上

から補助を一人付けてよいと言われたんだ。申し訳ないが、俺はお前の名前を出したよ。」

「勝手なことを!」

「その内、指令が落ちてくるさ。俺の補助を宜しく頼むぞ。」

「条件がある。プレディクトの予言のデータをありったけ、寄越してくれ。アバターが

行なっている情報収集の傾向と技術レベルを推し量る貴重な資料になる。今のままでは

我々の諜報水準と情報解析能力ではアバターを上回ることはまず、あり得ない。

我々の敵は魔術士だけではない。任務を遂行するに当たり、先ずは敵を知ることから始めるんだ。



本日は歌声喫茶夕焼けのリニューアルオープンの日である。スバル市街での戦闘から一月が経つ。夕焼けは店主のマヤとその娘アニャンの親子魔女と移り気ジョニーとの死闘の末、建物の上物部分が全焼してしまったものの、魔女の工房である地下階部分は損傷することなく、きれいに焼け残った。

移り気ジョニーに取り憑かれた選令門の魔術士、真仲介慈は選令門監察局の監察官からの厳しい取調べの結果、無罪放免となった。折原鶴とアズマル、そしてマヤを失ったアニャンの証言がプレデターの介入が原因であると裏付けたからである。それがなければ、真仲は生涯、拘束されてもおかしくない程の咎を負うはずであった。真仲介慈は釈放されると虚数魔法を惜しむことなく使い、夕焼け跡地に急ピッチで五階建のビルを建てた。

夕焼けは会員制の小洒落た二フロアのバルへとリニューアルし、三階はアニャンの経営するアンティークショップ、四階と五階は住居となっていた。

「本当に申し訳ありませんでした・・・お詫びの言葉も思い付きません。お母様のことも何と言ったら、良いのか・・・

許してもらえるとは思ってません。私が自己満足のためにしたことと思われても仕方ありません。貴方を傷つけてしまいました。一生かけて償うつもりでいます。」

真仲は頭をひたすら下げ続けた。涙で床が濡れている。

「あたしこそ、こんなにきれいな店に改修してもらっちゃって、本当に申し訳ない。先生のせいなんかじゃないって、分かってるから、行為に甘えさせてもらったんだよ。

うさぎもこの店に来てくれたし。見舞金や賠償金も一生遊んで暮らせるほどもらっちゃって。」

「必要があれば、何でも言ってください。アニャンさんの助けになることで私は救われるんです」。

「本当にもう良いんだけどなぁ・・・分かりました!強いて言うなら、また、呪いの治療をお願いします。先生の言う通り、うさぎの傍にいた方が良いってのは本当だったよ。

うさぎの傍にいれば、あの姿にはならなくなったから。若葉に呪いを断ち切ってもらおうと思ったけど、あれっきり出てこないしね。先生の言うとおり、きっとうさぎ自体に呪いを遠ざける力があるんでしょう。あたしはその御利益にあやからせてもらってる。

あの子が選令門に通ってる間は店でずっと昼寝してますから。店主ってのは名ばかりで、毎日遊んで暮らしてます。」

「呪いはきっと解けます。呪いを掛けた相手の場所さえ分かれば・・・あなたを呪った相手を命に代えても探し出します。」

「本当に気にしないで良いですから。婆様のことだって、婆様が自ら選んでああいう結果になったわけだし。うさぎがあのシャドウを斬らなければ、先生こそ、一生目と耳が使い物にならなくなるところだったんだ。そこはお互い様だから。あたし達は予言に導かれるままに戦ってただけ、くよくよしてたら、長い人生損しちまう。先生も頭を上げてこれから先のことを考えて良いんだよ。」

真仲はそれでも頭を上げなかった。

「この人、本当にあたしの言ってることを聞いてるのかしら。」


「ただいま!」

うさぎが帰って来た。うさぎは選令門の高等部の修習生として、特別編入された。うさぎは魔法に関する知識は皆無に等しいにも関わらず、スポンジのように魔法知識を吸収し、修得してしまう。学内では既に神童と呼ばれていた。

うさぎは真仲が教鞭をとるゼミを選択していた。鶴に強硬に勧められたからだ。うさぎは今後も変わりなく鶴が先生との接点を少しでも多く持つつもりで、うさぎをゼミに押し込んだと思っていた。

「先生、学校ぶりですね!忙しいのにありがとうございます!よく、こんな短期間でリニューアルオープンにこぎ着けるなんて、やっぱり先生の魔法はすごいです!

「アニャンさんの記憶を基に復元したら、もっと時間が掛かっていたと思う。想い出の店を再現する資格は僕にはないよ。新しいものなら、幾らでも・・・小春君、君も僕に何でも自由に頼んでくれて構わない。君は私にとって、命の恩人だ。」

「じゃあ、お願いなんですけど、虚数魔法以外の魔法を教えてもらえますか?

私、あんな難しい魔法、正直言ってムリです…あれだけ長いスペルを丸暗記して詠唱

してるなんて・・・先生とか鶴さんはどんな頭の構造してるのかと・・・私の人生ドタバタしてて、勢いだけでやってきたんだなぁと・・・私なんて若葉のアシストが無くなったら、無能そのものですよ。」

「確かに、今の段階では小春君には虚数魔法は向かないかもしれない。君の絶大な魔力で虚数魔法を展開したら、下手をすると、『別世界の萌芽』を作り出してしまうほどの規模になってしまう恐れがある。」

「別世界の萌芽って何ですか?」

「言葉のとおりだよ。この世界とは別の世界の素を作ってしまうかもしれない。新しく

創り出された世界からしたら、君は主と同じ存在だ。捕食者Pはそこまで念頭において

いたかは分からない。

加害者の私が言うのも何だが、君を手中にしようとしたことには深い理由があるのだと思う。あの『阻む者』と言うシャドウの闇の力はそれは巨大で恐ろしいものだった。

呪いを啜って長ずる悪魔さ。小春君が呪いごと斬って破らなければ、おそらくあのシャドウ自体が掛けた呪いがあそこにいた者達全員に返っていたかもしれない。シャドウと人間を切り離す力、呪いそのものを打ち消す力、奴にとって、君は脅威そのものでしかなかったはずだ。」

「先生が思う、私に向いてる魔法ってなんですか?適性って言うのかな・・・」

うさぎは素朴な疑問を真仲にぶつけてみた。思い返してれば、君は英雄だ、念ずれば通じると尻を叩かれ、信じる者は救われるの精神で非常時を駆け抜けて来ただけだった。今は色々なことを考える余裕がある。魔法世界に身を置いたばかりのうさぎがあれこれ悩んでしまうのは当然のことなのだ。

「君に向いている魔法か・・・魔力換装が向いているのは当然として、他の魔法のことだよね?あの名刀を上手く扱えるようにしたらいいんじゃないかな?」

「若葉の扱いについては今後について当然考えてます。アニャンさんにも色々教えてもらってるし。けど、あんまりって感じなんですよ」。

うさぎはちらりとアニャンを見た。

「あたしは剣術は専門外なんだよ。私の戦闘スタイル自体がそもそも無手勝流って感じだろう?だから、剣技に特化した戦い方ってのはちょっと合わないと言うか・・・格闘の常識的なことは教えてあげられるけど・・・うさぎは正直言って、センスはあんまりないね。私からするとあんたの長所は爆発力、これに尽きると思うよ。あんたはいざとなったら、若葉の力でどうにでもなっちゃうでしょ?」

「それじゃ、困るんです。ムラがない力が欲しいと言うか。いつでも上手に好きな時に操れる魔法を覚えたいんです。学校の授業も正直、さっぱり意味がわからないし。けど、

テストとか実力考査の時だけは無駄によくできるんです!変に冴えると言うか・・・

「贅沢な悩みだねぇ。他の学生にそれ、絶対言っちゃダメだよ。そう言うカマトトぶってる奴は真っ先に嫌われるからね!言っとくけど、あたしがあんたを買ってるのだって、その末恐ろしい才能があるからだよ。自分のことなんだから、自分で考えな。」

「はぁ・・・」

うさぎはため息をついた。

「小春君に向いている魔法か・・・一つ思いついたんだけど。身体変異術ってのはどうかな?」

「身体の構造を変える魔法ですか?」

「うん、先ずはアバターとしての自分の身体機能を魔力を介在させることで自由自在に使って潜在能力を高めること。次に身体の構造を変えることに挑戦するんだ。例えば、男性に変身してみたりとかね?」

「そんなことできるんですか!?」

「小春君がイメージ出来るのなら、出来ると思うよ。 男に変身したら、腕力や持久力もその時点で簡単に向上するだろうね。今の若い子のことだ、どうせ、運動神経抜群のイケメンの侍でもイメージするんだろうから。」

アニャンは二人のやり取りを見て、その脇で笑っている。

「先生、さすがだよ。あたしじゃ、そんなこと考えもつかなかった。剣豪のイメージって言うのは誰にでもあるからね。イデアと言うか・・・うさぎの場合は強い実体験があるんだから、簡単に出来るようになると思うけど。」

「それができないから困ってるんですよ!」

「これは一例に過ぎないから。魔力を身体の一部分や武器に集中させることから、始めるといい、それだけでも、全然違うから。究極的には、剣豪に変身してみるのもそうなんだけど、厳しい自然環境に則した姿に変わってみたり、この辺は翠玉君が詳しいから聞いてみたらどうかな?それぞれの魔法が得意な者に変身したら、苦手な魔法も使える様になると思う。例えば、君の仲の良い、アニャンさんや折原君になりきるみたいな。」

「そんなこと本当にできるんですか!?」

「極論だよ、極論。それだけ、君に伸び代があると言うこと。気長にやることだよ。」

「何だか、私やる気が出て来ました!」

身体変異術を試しにやってみることになった。真仲は右手の掌をうさぎに向けた。

「私の指先に自分の指先を合わせるようにして、手を合わせてごらん?」

うさぎは言われてた通りに手を合わせた。

「人差し指が固くて熱い?」

「そのとおり、じゃあ、これは?」

「今度は中指が全く同じように固くて熱い?」

「人差し指はどうだい?」

何も感じません。あっ、今度は薬指!最初の魔力が動いてるんですか?」

「確かにそのとおりなんだが、指と指の間の空間を魔力が飛んで移動してるのではなくて、指の付け根と掌まで魔力は戻りながら、次の指へと移動している。最初は大きく動かしながら、次は小さく動かしながら繰り返すと、魔力の大きさを調節しながら、身体中の至る所に魔力をイメージしたとおりに動かせるようになる。次の私の講義の時までたくさん練習して来て欲しい。君は普通の魔術士のように意識して魔力を練らなくても、自然と魔力を一か所に集められるはずだよ。レクチャーしたことが出来るようになったら、それを一か所に集めるように訓練するんだ。指先なら爪の先端に、握り拳なら拳全体にと言った具合に。オススメは両脚だね。早く歩けたり、高く跳べるようになると進歩を実感しやすいから。イメージとおりに身体が動くとどんどんと先へ進めるようになる。しばらく続けたら、今度は魔力をイメージとおりに練ることが出来るようになる。それが出来れば、おそらく、若葉も自由に扱えるようになると思う。訓練は継続すればするほど良い。休憩なんていらない。エネルギーは外へ出ていないのだから。心がけ次第でいくらでも強くなれるよ。」

うさぎは真面目で凝り性な生活であることから、愚直に訓練を続けていた。夕焼けのリニューアルオープンの催しが始まる前に真仲は退店した。

店から三十メートルほど離れた路地裏から店の出入口を雅号が見張っている。


「あれが選令門の魔術士と覚醒した少女と魔女か・・・魔術士と女は相当な手練れだ。隙がない、分断しないと危険だ。水掛の読みどおりだった。

魔法は絶対に使うなと言われたが、納得だ。あっという間にこちらの位置を探知さ

れてしまうだろう。この店でも、それなりの数の刺客がやられてる。ゴトウの子飼いの

連中の中でも腕利きの部類に入るスズキがやられてることを考えるとまとまってるところを襲撃するのはヤバ過ぎる。

あの中の一人を始末するとしたら、間違いなくあのガキなんだろうが、頭目が返り討ちに遭うほどの遣い手だとすると、真っ先に対象から外すのはこのガキだな。水掛の指示とおりに慎重に動いて他の対象も見た方が良い。この指令、一筋縄ではいかない。」



鶴はカスタムメイドしたスポーツバイクに後ろに翠玉を乗せ、トリアングルムから選令門の本部のある首都ポラリスへ片側三車線の国道上をタンデム走行していた。二人は背中越しに話している。

「どう?たまにはバイクも気持ちいいでしょ?風を切って走るこの感覚、翠玉なら好き

かなと思って!」

「風がとっても気持ちいいよ!私はこういう刺激的な体験は普段あまりしないから。今日はありがとう!」

「久しぶりに麺々亭の辛味ラーメン食べに行こうよ!極辛にしよ!極辛!」

「う〜ん・・・私は普通のでいいよ、って言うかパスタランチとかの方が良いかな?並ぶの嫌だし。」

「え〜〜、極辛がいいよ〜、今日の私は刺激を猛烈に求めてる!」

「次の機会にね。それにちょっと気になることがあるんだ。鶴はオフってこともあるし、

バイクを運転してるから気づかないのかもしれないけど、多分なんだけど、私達、今、後をつけられてる。」

「えっ!?後ろ!?」

「後ろを見ちゃダメ!気付かれる。この先のカーブで左のサイドミラーで確認して。」

鶴はサイドミラーで後続の車両を確認する。後方に一人乗りのスポーツバイクが走っている。

「あれ?けど、どうして分かったの?」

「風の精霊、すれ違いざまにお前つけられてるぞって忠告してくれた。速そうなバイクに乗ってるのに、二人乗りで安全運転のこっちのバイクを抜いていかないし。」

「翠玉の勘を信じる。多分、その勘は当たってる。もし、失敗したら、ちょっとやばいことになるかもしれないけど、虚数魔法で如何様にでもごまかせるから、私のワガママに付き合って。」

「言い出したのは私だから、責任取るよ。」

鶴は直線道路で左側に若干車線変更し、後続のバイクと車線をずらすと急に減速した。二台のバイクが並走しようとする瞬間、後続のバイクの追手が二人に向けて左手をかざした。

「ビンゴ!!」

鶴はさらに減速し、直進し続ける並走車とすれ違う瞬間、追手の左腕を右手で把み、道路に引きずり降ろそうとした。並走車はバランスを崩し、転倒、道路を滑って行く。追手はとっさに体勢を整え、また、左手から魔法を放とうとしている。鶴のバイクは追手の後方三十メートルに位置して、止まっている。

「鶴ちゃん、そのまま突っ込んで!久し振りにあれやってみよっか?」

「うん!あの野郎、人の貴重な休暇を台無しにしやがって、踏み殺してやる・・・

駆けよ!旋風号!」

翠玉が声を掛けると鶴のバイクが一頭の巨躯の黒毛の馬へ姿を変えた。鶴と翠玉の合体魔法旋風である。馬は銀色の甲冑を着ている。翠玉は身の丈の倍はあろう長さの意匠を凝らした槍を手にしている。鶴のバイク、翠玉の子供の頃からの習い事の乗馬、二つの特技を組み合わせて、学生時代に面白半分に作った魔法である。

「曲者め!成敗してくれるわ!串刺しにされるのと首を刎ねられるの、どちらを選んでもいいぞ!」

翠玉は馬上の人となると人格が豹変する。

旋風は追手に向かって猛スピードで突進した。旋風が追手にたどり着く直前、追手はしゃがみ込み、両手を地につけた。すると追手の目の前でアスファルトの道路が垂直に折り曲がり、大きな壁となった。旋風はバランスを崩し、翠玉は落馬した。

「痛てててっ・・・、ちょっと調子に乗りすぎたね・・・」

翠玉は反省した様子で鶴に話しかけた。

「うん、やり過ぎたね。もう、いないし・・・これ、どうやって報告しよう・・・二人で休日出勤だね・・・」

追手は壁に隠れると既に姿を消していたのだった。



「殺されるところだったぞ!」

雅号は水掛に向かって声を荒げた。先日のカフェの中である。

「気を付けろと忠告したはずだ。後ろをつけただけで何故、殺し合いになるんだ。」

「こっちが聞きたいわ!!他の二人もでたらめに強いぞ!いきなり、人をバイクかろ引きずり降ろそうとするは、挙句の果てに馬に乗って槍を振り回しながら、襲いかかって来たんだぞ!」

雅号は苛立って、興奮している。

「ちょっと、言ってる意味が分からないんだが、落ち着いて話してくれないか?」

「馬鹿野郎!こっちはありのままを話してるんだ!!」

「バイクの追跡を感知するとはなかなかやるな。敵は常日頃、戦いの中に身を置いているか、そうでなくてもかなり高い察知能力を持っている。」

雅号は少しだけ落ち着いたようだ。

「やっぱり、あのガキを殺った方がいいのかもな。セオリー通りで行くなら、間違いないぜ。頭目の直接の仇でもある。成功したら大手柄だ」。

「ゴトウを殺した奴じゃないとノリ的には敵討ちにならないんじゃないか?それじゃあ、

意味がないだろう?」

「こっちがミイラ取りのミイラになってもしょうがないだろ?ノリちゃんから、お父さ

んの仇をとって!って直接言われたわけでもないしな。」

「そんな、いい加減な動機で俺を巻き込んだのか・・・」

「いいだろう?まだ、大したことしてないんだし。俺なんて、死にかけたんだぞ。」

「それは、お前が勝手に下手打っただけの話だろう。」

「悪かったよ、今回の指令はお前のサポートがなきゃ、命が幾つあっても足りない。お前がこの迷彩マントを貸してくれなければ、多分、あそこであの女共に串刺しにされるか首を刎ねられてたと思う。」

「随分と軽くあしらわれたな。分かった、今度は俺が手を貸す。けど、何をしても文句を言うなよ。」

 水掛はグラスに残ったアイスコーヒーを飲み干すと、雅号との密談を続けた。



「翠玉さん、電話繋がらないなぁ・・・」

「うさぎ、またその人に電話してるの?その人、久坂司祭の娘さんって人でしょ?選令門のキャリアなんでしょ?こんな時間に電話しても、忙しくて繋がらないんじゃない?」

うさぎに意見したのは、うさぎの選令門魔法修習生高等部で級友の音聞加奈である。加奈はうさぎとは真逆のベクトルの人間性を持っている。活発で運動神経抜群、日に焼けて褐色の肌をしたかわいらしい女の子である。顔は逆三角形型で黒目の大きいぱっちりとした目をしている。普段から可愛く見せようと意識しているのかいつも、口角yを上げて笑っている。身長はうさぎと同じくらいの高さしかないが、運動習慣のある彼女は、痩せてはいるが、しなやかな筋肉のついた健康的な少女である。

二人は放課後の学校帰り、近くのファーストフードでお茶の最中である。うさぎは翠玉に会って、身体変質術のコツを直接聞こうとしたのである。

「ねぇ、うさぎぃ〜、あんたの周りって無駄にカッコいい人ばっかりいるよね?アニャンさんとか、あの人何者なの!?話してると、もう・・・なんか惚れるわ。何であの人が魔女とかやってんの!?魔術士なんてただでさえ、むさ苦しそうなのが男、女関わらずあふれかえってるってのに。自社ビルに小洒落たバルとアンティークショップのオーナー!?あの歳で!?もう、チート以外のなにものでもないでしょ!?本当は有名モデルとか、うなるほど金持ってる実業家のマダムとかなんじゃないの?片手間に事業やってます的なさ!」

「彼女はまだ独身だよ。彼氏もいないし。」

「うそだ〜、あんた私がアニャンさんに近づかないように嘘言ってるでしょ?」

「嘘なんかついてないよ。加奈、外はこんなに暑いのに・・・ちょっとうるさいよ、暑苦しい!

「ごめんごめん、けど、キャリアのお姉さんに振られたのをかわいそうと思って、午後の紅茶にお付き合いしてあげてるでしょ?」

「はい、はい、分かりましたよ。」


「いらっしゃいませ!」

店の入口のガラス張りの自動ドアが開くと、店員の挨拶が聞こえた。

「うさぎちゃん、鶴ちゃんとうさぎちゃんが大変なんだ!」

アズマルが興奮した様子で店内に入ってきた。

「今度は、イケメンか・・・」

加奈は独り言ちた。

「鶴ちゃんと翠玉君が襲われたんだ!」

何の捻りもない、言葉のとおりである。アズマルは本当に手短に事情を説明した。

「無駄にイケメンだなぁ・・・見た目は『草食男子です!』って勝手に自己紹介してくれそうな爽やか青年そのものなんだけどなぁ・・・」

話に取り残されている加奈は一人でアズマルのイメージについてぼうっと考えていた。

「翠玉君は落馬して、ちょっとだけ怪我したそうだけど、大したことないってさ!安心したよ。この間の一件があったばっかりだろう?もし、うさぎちゃんにも何かあったりでもしたらと思ってさ。けど、大丈夫そうで良かった・・・」

「何者かに襲われて落馬?」

うさぎはアズマルの説明が腑に落ちなかったが、誠実な対応を心掛けている翠玉と連絡が取れないことには合点がいった。

「アズマルさんも襲われたりしたんですか?」

「僕の方は変わったことはないよ」。

「それと、何で私がここにいるの分かったんですか?

電話してくれればそれで済んだのに。」

「うさぎ!あんた心配して来てくれたのに、そんな言い方ないよ!アズマルさんに謝んなよ!」

加奈はうさぎを叱りつけた。

「この店は高等部の子達の溜まり場だからね、僕も学生の頃は良く来てたし。」

「そうだったんですか。すみませんでした。」

「いいよ。今日は僕が店まで送って行くよ。一緒に帰ろう。」

うさぎは加奈と別れ、アズマルと二人で帰路についた。

うさぎはアズマルとしばらく歩いた。うさぎは矢張り腑に落ちないようだ。早歩きになりア

ズマルと距離を取ると、振り返り、声を掛けた。

「あなた、本当にアズマルさん?見た目や声、話し方とかすごくそっくりだけど、アズマルさんはこっちが聞かなくても良いようなことをもっと勝手にベラベラ話すから。

あなたは話の要旨しか説明していない、本当に簡潔に。不要に何か喋ってボロが出ないようにしてるのね?」

アズマルは立ち止まって両手の人差し指と中指でこめかみ辺りをグリグリと押し始めた。

すると、アズマルの顔を模したマスクが剥がれ、素顔が露わになった。変装していたのは雅号であった。

「見かけによらず、鋭い勘してやがる。頭目を殺ったのはお前だろ?

すぐに楽にしてやる。」

雅号はうさぎに飛びかかった。



あの馴染みのカフェで水掛は雅号にうさぎを襲撃するための手筈を指南していた。


「絶対に手を抜くなよ。相手がどう見ても格下に見えてもだ。あと、これを使え。」

水掛は雅号に精巧にコピーされたマスクを手渡した。

「これはミタを殺った男の顔のコピーだ。相当腕の立つガンナーらしい。スバル市内でもLnの構成員がやられている。その時に得られた情報を元に作成したマスクだ。音声データも二つの現場から採取して、再生できるようにしてある。言葉遣いなんかはちゃんと練習しておけよ。お前の背格好なら、ちょっとの時間相手を騙して時間を稼ぐことくらい出来るだろう。」

通称Ln、正式名称ラストネーム、姓の呼び名のことである。ゴトウらの暗殺ギルドの名称である。ゴトウのチームの他にもいくつか存在すると言われており、捕食者のコミュニティは非公式にこうした暗殺ギルドを抱えている。

「どこで、こんな情報を?」

「あの特異シャドウの潰した工房や憑依してた魔術士からさ。頭目をやった連中を絞り込むのに少し時間が掛かったけどな。このアズマルって男が一番隙だらけだった。情報もいっぱい転がってたしな。それに、本丸のあの少女にもかなり近い距離にいる。魔力に目覚めたばかりの初心な子供なら、こちらの策に気付かずに上手いこと騙されてくれる可能性もあるからな。」

「あんな素人みたいな子を騙すのか?」

「その素人に頭目は殺されたんだ。今回は俺も付き添うし、ノリも連れて行く。異論は認めない。」

「何で、ノリちゃんまで連れて行くんだよ!」

「これは、あの子の復讐だからだよ。しっかりとこの目で結果を見てもらう。俺たちはたった一つしかない命を張ってこの指令に臨むんだ。当然、彼女にも協力してもらう。

 彼女も立派な戦力だからな。」

「ノリちゃんを出すまでもない、俺一人でやってのけるさ。」

「それで済めば良いけどな。」

雅号はうさぎの顔を手拳で殴ろうとするフェイントをかけつつ、うさぎの後頭部を狙ってハイキックした。うさぎは両腕を合わせて全力でガードしたが、蹴られた勢いで弾き飛ばされた。

雅号は跳び上がり、前蹴りでうさぎの上半身を執拗に狙うがうさぎは両腕でガードし続けた。うさぎは今自分ができることを懸命にやっていた。身体変質術の基礎である。

「両腕に魔力を集中させる!」

「フェイントを誘ってるんだろ?バレバレだぞ!」

雅号は執拗にガードしている両腕を狙い続ける。

雅号が渾身で打った右ストレートがついにうさぎのガードをこじ開けた。うさぎの両腕がだらりと下がる。雅号の前蹴りがうさぎの胸を突こうとしたその瞬間、うさぎはめいいっぱい腰を落とした。うさぎが雅号の前蹴りをギリギリでかわしたその瞬間、うさぎは魔力を集中させた左のつま先でめいいっぱい雅号の軸足を払った・・・かに見えたが、雅号の軸足があり得ない方向に曲がっている。

「惜しかったな。起死回生の一発に賭ける・・・嫌いじゃないが、格上に使おうとするから見え見えなんだよ。


しまった!脚が曲がったのは魔法のせいだ!


うさぎは後悔した瞬間、雅号の右の手拳で後頭部をめいいっぱい殴られ、昏倒した。

雅号の後ろから、一定の距離を保ったまま近づいていた水掛が追いついた。

「水掛、こんな年端もいかない女の子を殺すのか?俺はやっぱりこう言う曲がったやり方は気に入らないな。」

「その子はお前の変装も見抜いてた。さっきお前から速歩きで距離を取ろうとした時も

ごく短い時間で携帯をいじってたぞ。どうせ、隙を見て助けでも呼んだんだろう。やるなら、今しかない。早くするんだ。」

「お前がこう言うのを戦略とか言うのは分かるんだけどよ。けど、やっぱり納得が・・・」

「感傷は捨てろ、この子も魔女だと言う事を忘れるな。女子供には甘い、お前の弱点だ。」

「お前だって仲間には甘いじゃないか?それがお前にとっての弱さであって強さだ。せ

めて生け捕りで手を打ってくれ、頼む!」

「私もその子は殺さない方がいいと思う。この子がお父さんを殺したわけじゃないし。

多分、殺意を持って、相手をしたら、私達にとってとても悪いことが起きる気がする。水掛君ほど賢い人がそれを感じてないわけない。」

水掛の影に隠れていた後藤紀が姿を現した。フードを被り、目元を除いた顔の全てをマスクや前髪で隠している。

「分かった。人目につかない内にすぐ、拘束するんだ。」

雅号と水掛はうさぎが魔法を使えないように、手足に魔法の鎖をかけた。

「これで、目を覚ましても何も出来ない。車まで運ぶんだ。」

水掛がそう言いかけた時、息を荒げながら、一人の男が駆け寄って来た。

「そこで何をしている!その子を離すんだ!」

助けに来たのは真仲介慈であった。


「こいつ、あの店にいた魔術士か!何で、こんな近くにいたんだ!?」

雅号は瞬時に身構えた。真仲は落ち着き払っている。

「この子を守るためにあの店にはいろいろと仕掛けがあってな。トリアングルム内でまだまだ絶対数の少ないお前達Pが活動するには悪目立ちが過ぎる。

 『巨視の窓』と言う魔法がある。お前が偵察していた店の半径三十メートルに以内に一定量を超える魔力を持つものが侵入すると私の元に通知が来るようになっている。お前達も捕食対象に印を付けたりして、捕食前に狙った対象を観察しているだろう。私もこの子に悪い虫がつかないように、同じことをしていたんだよ。夕焼けで付いた印はずっと注視していたが、気が付けば、彼女と接触しているじゃないか?ここは、選令門からはかなり近い場所にある。バックドアなど使わずとも走って簡単に辿り着いたわけだ。

 敵はいずれ侵攻してくるだろうとは思っていたが、思っていたよりも、随分と早くその時がやって来たようだ。」

 諜報任務の経験がいくらかある雅号は夕焼けの監視に抜かりはないと慢心していた。だが、敵は更にその上を行っている。雅号は手の内を知られ、焦っていた。

「お前達、俺を置いて、先へ行け!」

「カッコつけるなよ、ここは三人でじっくりやる。色々調べたが、地味に一番ヤバいのはこいつだよ。選令門の魔術士で虚数魔法と爆炎魔法を使う。こいつにはスバル市街で口封じのために同朋が殺されてる。遠慮はいらない、俺達全員で気兼ねなく殺してしまおう。」

「彼女が眠っていてくれて良かった。お前達みたいな小僧に上等な虚数魔法を使うまでもない。現実を弄るのはお前らを始末した後の話だ。」

真仲は他の誰にも見せたことのない凶悪な目つきで雅号と水掛を睨みつけた。

水掛は咄嗟にうさぎを抱き寄せ、人質とした。雅号は真仲とうさぎの直線上に突進し、襲い掛かった。

「私に爆炎魔法を使わせない気だな?小春君、目を覚ませ!

リズベリャアレ(目覚めよ)!そして私を見ろ!」

真仲は大きな声を上げてうさぎに声を掛けた。気付け効果のある魔法を詠唱したのであった。うさぎは魔法の効果で目を覚ました。

「先生!来てくれたんですね!」

「ああ、よく間に合ったと我ながら感心したよ。こんなに全速力で走らされたのは十数年振りだ。両腕を怪我しているところを見ると身体変質術を使ってこの場を凌ごうとしたんだね。君の時間稼ぎは成功した。これから君に身体変質術の真髄をお見せしよう。よく、その目で見るんだ。我が魔法、悪魔の演奏者

グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ!」

雅号が真仲の目の前に迫った!

雅号の背中から真仲の十本の手の指が飛び出した。真仲の十指による鋭い突きが、雅号の背中を突き破ったのである。全ての指が血塗られているが、指が黒く変色し、指先にかけて白と黒の縦線が入っているのが分かった。

「我がクラヴィーア(弦楽器)が貴様を逃がさんぞ!」

真仲はそう言うと、更に指を伸ばし、第二関節から指を曲げ、刺さった指が抜けないよう、固定した。雅号の口から血が噴き出す。

水掛は何やら小声で魔法を詠唱している。

真仲は今度は指をしならせると全ての指を鞭のようにして、遠心力を使って雅号を遠くまで放り投げた。

「残り二匹。」

「圧殺魔獄!」

水掛が詠唱すると真仲に凄まじい重力が掛かり、真仲は跪かされた。

「だから、どうしたと?」

真仲の伸びた指が第二関節を中心にコンパスの様に円を描き、

十もの複雑な魔方陣を描き始めた。

水掛は頷き、向かいにいる紀に合図を送ると両手で耳を塞いだ。

「先生!危ない!後ろ!」

うさぎも慌てて耳を塞ぐ。真仲は重力のせいで身体の自由がうまく効かない。

紀がマスクをずらし、大きな声で奇声をあげた。周囲に大音量で不快な金属音が響き渡り、その衝撃で付近の建物のガラス窓が割れ、建物に小さなヒビが入った。

真仲は目と耳から出血し、地べたに倒れた。

「俺はこのまま、魔法でこの男の足留めをする。君がこの男にとどめを刺すんだ!」

水掛が紀を促す。

「ノリちゃん、ダメだ!!一度手を汚せば、戻れなくなる!諦めよう!あんな父親の復讐のために君がそこまですることない!お願いだ!止めてくれ!」

雅号が遠くから紀を制止する。

「今、私がやらなきゃみんなが死んじゃう。私、雅号君も水掛君も二人とも大好きだから、死んで欲しくない。」

紀はフードを取って素顔を見せた。

「ねぇ、私のこの顔を見てどう思う?」

紀はうさぎに向かって話しかけた。

紀の素顔はとても美しい造りをしているが、顔全体が痣のように紫色に変色し、両頬に顔が付いている。

うさぎは紀の顔をはっきりと見た。

「驚かないんだね?私は普通の女の子なんかじゃないんだ。この顔を見たからには死んでもらうから。」

「間に合った!」

真仲はそう言った瞬間、雅号と紀の足元に魔方陣が浮かび上がると、地面に穴が空いた。穴の中には数字が浮かび上がった空間が広がっている。

雅号は穴に落ちそうになると、穴の淵に必死にしがみついた。紀は穴の上に魔方陣を張り、宙に浮いている。

「私に虚数魔法は効かない。私もあなたと同じ神域に棲まう者だから。」

紀はうさぎに向かってそう告げた。

うさぎの手足に掛けられた鎖はいつの間にか、ちぎれていた。

うさぎから、眩いほどの桃色のカラーが放出されると、うさぎは若葉へと姿を変えた。水掛の魔法は既に破られ、手足の拘束が解かれている。

若葉は持っていた刀の柄で、瞬時に水掛の水月をみぞおちを突くと、水掛はあまりの痛みに膝を屈した。若葉は刀を抜いた。圧倒的な威圧感がその場を支配しようとしていた。

「ノリ、ここまでだ。終わりにしよう。頭目がやられたわけが今、はっきりと分かった。このまま戦えば、雅号と俺は真っ先に殺されるだろう。俺も雅号もそんな結果は望んでいない。俺達は触れてはいけないものに触れたんだ。」

水掛が紀を諭した。

紀の右頬の男面が目を開いた。


「禍根は断たねばならぬ。荒ぶる神に畏れはない。」


紀の右面はそう告げると、実体を持って紀の顔から飛び出すと、右手に大きな金の輪を取り出し、若葉に向かって投げつけた。

輪は猛スピードで若葉の元へ飛んで行く、若葉は左手で抜刀すると右手で刀の切っ先の峰を抑えると金の輪を刀で受け止めた。輪は高速で回転し、力押しで若葉の胴体を狙っている。

「輪切りにしてやる。」

若葉は腰を落とし、左脚を後ろへ下げ、輪の衝撃を真っ向から受け止めている。

「限界だ・・・」

虚数魔法によってできた穴に引きずり降ろされそうになっていた雅号は手を離そうとした瞬間、紀の集中が途切れた。

紀の左半身から白い影が飛び出し、雅号を穴の淵から拾い上げた。すると金の輪は回転を止め、若葉によって弾き返された。

益荒男(ますらお)よ、ここは退きましょう。憑代が、壊れてしまう。」

白い影が紀に向かって言った。

手弱女(たおやめ)よ、手出しは無用!」

紀の右面が言い返すと、白い影は短く詠唱した。すると、紀、水掛、雅号は姿を消した。

「我らは未だ貴公に斬られる訳にはゆかぬ。」

そう告げると何処かへ姿を消した。



「先生がこんなに手酷くやられるなんて、よっぽど出来る相手だったんだろうね。しかも一緒なのはうさぎじゃなくて若葉様とは・・・」

真仲はあの場から転送魔法によって、夕焼けへ退避してきた。アニャンは驚いて、二人を迎え入れた。

「私の怪我は後回しで構いません!皇様、彼女の呪いを今すぐに絶って頂きたい!お願いします!」

真仲は若葉が消えない内に若葉の力でアニャンの呪いを断ち切ってしまおうと言う一念で魔法を使って転送して来たのだ。

「此の方、呪いが消えることを望んでおらぬようだが、それでも構わぬのか?」

「えっ!?若葉さん、そんなことは・・・ないんですよ・・・呪いのことはまた別の機会に。」

アニャンは焦った様子で答えた。

「此の方、そなたと繋がりが消えることを望んでおらぬ。ただ、呪いは本来掛けられた者の命を蝕むもの、そのままの状態で呪いを残せば、そなたに悪影響を及ぼし続ける。提案なのだが、呪いの形は残し、術の円環を断ち切ってみてはどうだろうか。」

   「呪いの形は残すとはどういうことですか?」

 真仲は若葉から会話を引き継いだ。

「呪いにそもそも込められた悪意だけを取り払うということです。呪った相手への制約を取り払う、簡単に言うと猫に変身する能力だけは残すということです。」

「そんなこと可能なんですか?」

「呪術自体がとても手間暇かかった魔術だからこそできるんですよ。呪術を成立させるためには多数の触媒を必要としたり、呪術師自身が代償に呪いを被ることもある。なかなか打ち消せないからこそ呪いとして成立するんです。ただ、皇様の愛刀若葉ならば、物体でないものも斬ることができる。だからこそ、名刀若葉の能力に限定的に発生する物理法則のような形、言ってしまえば真解が発生して、呪いを斬って解除する効果が表れるわけです。ただ、名刀若葉の能力はその先を行く、呪いの中に組み込まれた悪意が及ぼす効果や呪った対象への制約のみを選別して切断することもできるということです。

 猫自体はとても霊力の高い動物ですし、人には見えないものを見ることができたり、様々な変異を直感で感知すると言います。アニャンさんが望むなら、猫に変化する力のみを残してもよいのではないですか?」

「若葉様と先生がそう言うのなら・・・それでお願いします。」

「貴方よこちらへ」。

若葉は猫の姿のアニャンを呼び寄せた。若葉は左手の親指と人差し指で円を作り、アニャンの額に手を置くと、右手で手刀を作り、左手の上でそれを切る仕草を見せた。その後、刀を抜き、アニャンの頭上で一振りした。すると、アニャンは元の姿に戻った。

「えっ!?ウソ!?やった!!」

アニャンは喜びで跳び上がった。

真仲も安堵の表情である。

「ありがとうございます!」

二人は低姿勢になり、若葉に頭を下げた。

「あの、今度から貴方じゃなくて、アニャンって呼んでください!何かちょっとしっくりこないので・・・」

「承知した。それではアニャン、猫になろうと意識してみよ。」

「はい、やってみます!猫になれ〜〜」

アニャンは猫の姿に戻った!

「戻った!あの〜当然ながら人間にも戻れますよね?好きな時に・・・」

「当然である。そなたの変身は呪いではなく、一つの術式に形を変えた。お主、猫でいるのも満更でもなかったようだな。」

「分かっちゃいました?昼間、働かないで、寝て遊んでるだけでいいし。けど、夜しか

遊び歩けないのはどうかなぁとか、思ってたんですよ。猫だなんて誰にも言えないから。

あの、お茶もお出ししませんで、失礼しました!見るからに、やっぱり緑茶の熱いやつとかですか?そこの壁のメニューに書いてあるやつなら、何でもいけますけど?」

若葉はメニューをじっと見つめると、

「外は暑いからな…うむ、それではタピオカ入りメロンソーダを頼む。」

と飲み物を注文した。アニャンは不思議そうな眼差しで若葉を見た。



ここは、首都ポラリスにある選令門の図書館内である。鶴と翠玉はアズマルに追手の正体について調査を依頼していた。

「変形魔法の使い手ねぇ・・・確かに珍しい魔法ではあるけど、聞いたことないなぁ?」

「本当にちゃんと調べてくれた!?」

「ちゃんと調べたさ、選令門にある各種魔法の集積データを隈なく調べれば、ある程度の情報は調べられると思ったんだけどね。鶴ちゃんの読みでは変形魔法を使う魔術士が捕食されたんじゃないかってことだろ?」

「相手は魔術士殺しの連中に間違いない。見た限り、相当な訓練を受けてる。どの魔術

士が捕食されてるか分かれば対策が幾らでも出来るって話!」

相変わらず、鶴とアズマルは噛み合わない。先日の移り気ジョニーのような上級種のシャドウであれば捕食したアバターの能力を自由に使うことができる。ただ、捕食者にとって、魔術士は天敵であるが故にそうした状況が起きにくいのである。レアケースとしてアズマルの調査で追手の正体がすぐに浮上するものと考えていたのだ。翠玉が会話に参加した。

「私と鶴は敵の能力を直接見たから、個人的な心象からするとおそらく、自力で体得した能力じゃないかな?既存の理論や知識、技能で習得した魔法ではなく、オリジナルで編み出した魔法と言うか。」

データが浮上しない以上、翠玉が想定した状況も充分に考えられる。

「あの道路の壁は物体の性質を損なわず、物体の変形だけを促す魔法だった気がする。

宙に反り立つ壁と言うよりは、相手を攻撃した私達が対象の敵ではなく、地面そのも

のを攻撃させられてるような感じがしたの。旋風が混乱したのも仕方がないわ。」

「翠玉の考え方だと、私達は壁を攻撃したんじゃなく、道路を攻撃してたってこと?あ

の瞬間だけ、都合よく道路の概念そのものを維持していたから、あの壁を破壊は出来な

かったということ?」

「確信は持てないけど、仮にあの壁が地面そのものの性質を持つ道路としたら、壁に与

えた衝撃はほぼ無限大に放射状に広がっていたと思う。貫通させることなんてほぼ不可能だと思う。虚数魔法に似通ってる魔法だけど、虚数魔法ではないと言うか、多分、変形に特化してるのよ。例えば、この輪の状態になって揚げられた洋菓子を私達はドーナツとしか思えないでしょ?これは加工されたからドーナツなんであって、加工される前の生地を揚げれば、全く別の洋菓子に見えるわけで。」

「輪っかじゃないドーナツもあるけどね?」

「茶々入れないでよ、分かりにくくなるじゃない!翠玉が言いたいことは既存の物質や

材質をただ加工して変形してるのではなく、用途や性質までも新しいものを付加して変

形させてるってことでしょう?」

「そのとおり!あそこには道路を変形させた壁がただあったのではなく、垂直にカーブした道路があったのよ。もし、オリジナルでこんな複雑且つ高度な術式を組める魔術士だとしたら、絶対に油断出来ない相手だと思う。」

その時、アズマルの携帯がコールした。

「アニャンさんからだ!もしもし・・・襲われたから、今すぐ来い!?

はい、こっちには鶴ちゃんと翠玉君がいます。実はこちらも敵から襲撃を受けたんで

す!全員無事です!分かりました!今すぐ行きます!」

アズマルは手短かに概要を聞き、電話を切った。

「うさぎちゃんと、先生が襲われた。怪我もしてるって・・・」

場に不穏な空気が漂い始めた。夕焼けに選令門の魔術士達が集った。一同に会するのは今日が初めてである。若葉は消え、うさぎに戻っていた。真仲介慈の治療には鶴と翠玉とうさぎが当たった。

「やっぱりうさぎちゃんはヒーラーをやっても良いと思う。翠玉君の再生魔法とものすごく相性が良い。鶴ちゃんの虚数魔法で痛みや傷そのものの痕跡を消すってのもすごい芸当だな。」

アズマルは三人の治療の手際の良さに感心していた。

「先生にこれだけの手傷を負わせるなんて・・・私達を襲った連中も含めて、一体何者なんですか?」

鶴は真仲に敵の詳細について尋ねた。

「敵は君達と同じ年頃の三人組だ。アズマル君に化けて、小春君を襲おうとした、背の

高い男、こいつは小春君の話のとおりならおそらく、身体や物体の構造を変える能力を持っている。」

「それって、もしかして、私達を襲った男と同じ?」

鶴は翠玉に問いかけると翠玉は頷いて同意した。

「あとは、重力をかける魔法を使う男。この男がリーダーと言う感じがした。最後に体内に高位の霊体を二体宿す少女。その力は未知数だが、下手をすると皇公に匹敵するかもしれない。おそらく三人ともヒューマンで、話の内容から敵は魔術士殺しの一派で、言動から見るに目的は仇討ちだろう。」

真仲は冷静に襲撃者について、冷静に分析していた。

鶴は翠玉と共に襲われたことや、アズマルを含めて敵の能力について分析したことを話した。

「きっと、久坂君の予想とおりだろう。小春君の話だと、アズマル君に化けた男と組み合う最中、敵の軸足に小春君の蹴りは間違いなく、当たったそうだ。」

「蹴りが当たった瞬間、衝撃を逃すように脚が曲がったんです。印象としては、打撃し

た場所から少し上の部分に関節が出来て折れ曲がったみたいな感じでした。当たった瞬

間、身体の構造が変わったみたいな・・・」

うさぎは偽アズマルとの戦闘の最後の部分を鮮明に覚えていた。

「一番の脅威なのは少女の能力だよ。好戦的で威厳を持つ男の霊体と人命を優先するような慈愛と冷静さを持ち合わす女の霊体、それにそれを宿す少女、彼女自身もどうやら魔法を使うようだ。大音量の声で私の耳を壊したのも彼女の魔法だ。つがいの霊体・・・益荒男(ますらお)手弱女(たおやめ)と言ったかな、それぞれ、男性的、女性的と言った意味を表す言葉であるのは間違いないが、正直言って、あれだけ特徴ある力なのに聞いたことはなかった。神域のものを呼び寄せる召喚魔法かと思ったんだがね。」

真仲は敵側の能力の詳細について、説明と独自の見解を続けた。

「その女の子は初めは顔を隠していたんです。顔を晒すと顔全体が紫色の痣が広がって

いるような感じで、右頬に男の顔が、左頬に女の顔が付いていました。その子は顔を見られたからには殺すと言ってたけど、私的には不快感や嫌悪感のイメージよりも純粋に神々しく感じました。女の白い影が先生の魔法で追い込まれた偽アズマルさんを助けに行くと、左頬の顔は消えました。敵の能力の謎を解く参考になればいいんですけど・・・

 あと、先生の身体変質術すごかったです!あのピアノをイメージした能力!」

うさぎは真仲の身体変質術悪魔の演奏者には相当感心したらしい。何か閃いた気がするとも話した。

「変形魔法と言い、人格が憑依する能力と言い、私達が知らないだけで捕食者特有の能力なのかもしれない。」

鶴は皆には話さなかったが、個人的には思うところがあった。自分も凶鳥を操る捕食者特有の能力を持っていたからだ。

その後、翠玉も皆に独自の見解を披露した。

「捕食者の性質と呪いは親和性が高いので、その辺と関係があるのかも知れません。う

さぎちゃんは呪いを無効化する力を持っているから。」

「そうそう、アニャンさん、昼間なのに人の姿をしてるんですね?うさぎちゃんの傍に

いると呪いの効力が弱まるってのは本当だったんですね?」

「そうそう、みんなが襲撃されたことの方がよっぽど大事でみんなに話しそびれちゃっ

た。実はあたし、猫になる呪いをあの若葉さんに解いてもらったのよ!けど、粋な計ら

いで呪いの円環を切っただかなんだかで、これからも好きな時に猫に変身できるんだっ

て!本当!主があんた達を引き寄せてくれたんだよ!婆様がここにいないのは正直残念

だけど、新しい店も建ててもらったし、人生悪いもんじゃないなぁと・・・」

アニャン心の澱がなくなって、感極まったのか、人目もはばからず泣いた。鶴とうさぎもそれにつられて泣いていた。皆に取って油断ならない日が続くが、幸せな時が来たことを実感していた。


10


捕食者の支配領域にある丘陵地帯にひっそりと瀟洒で古びた洋館がそびえ立っている。古い歴史ではこの洋館を根城にして捕食者達がコミュニティを形成していたらしい。襲撃に失敗した三人はこの洋館に身を潜めていた。

「ここは?」

水掛は二人と白い影に聞いた。

「お父さんが管理していた別荘。地理的には幽玄山脈の中。コミュニティが所有してる

らしいけど、お父さんは自分のものとして使ってた。ここへは小さい時に何度か来たこ

とがあるんだ。」

紀が潜伏先について、説明した。

「幽玄山脈って、ほぼ未開の地じゃないか?」

「多くの影の生まれ故郷でもある。森林の多くの影から、我々は生まれ出ずる。分を弁えさえすれば、我々は何にも脅かされず、悠久の時を過ごすことができる。かつては影は肉体を持たず、平穏な時代を生きていた。この地にあの魔導師達が訪れるまでは・・・」

白い影は過去を回想している。

「東方の三賢者、魔術士達は伝説として、そう呼ぶそうですね。世界の端に至り、調和

をもたらした者として。」

水掛は白い影に声を掛けた。

「敵の中にアズマルと言う名の者がいるのか?」

紀の右頬から声が聞こえた。

「それは憎っくき、仇が内の一人の末裔に違いあるまい。我々を斯様な姿にしたのも魔

術師行王の掛けた呪いによるものよ・・・立ち還り、一矢報いてやろうぞ!」

紀を取り込む男面は豪気をあげた。

雅号のスマートフォンがコールした。雅号は手短に話を終えると電話を切った。

「誰からだ?」

水掛は雅号に電話の相手について質した。

「司令部からだよ。任務の継続は困難と判断、早急に帰還しろだとさ。出頭したら、ノリちゃんを差し出さない訳にはいかないだろうな。ノリの能力は戦局を一変させる可能性のある特筆すべき能力だからな。渡したら最後、俺たちは任務失敗の責任を間違いなく取らされる。大本営は弔い合戦だと表向きは気勢を上げているように見えるが、実際のところ後ろを向いている。アバター側は自軍の近代兵器を使えば、物量の圧倒的な差で我々捕食者を撃滅することなど容易い。あの少女、噂に聞いていた魔力の集中と言う現象だろう。トリアングルムの敗戦はあの少女が原因だ。あの侍の霊体はノリと同じ魔神カテゴリーの類のものさ。」

「魔神カテゴリーって、ノリに宿る英霊と同じ旧人類のことか?」

「間違いない、主に近しい我々捕食者が生まれるより更に以前、人類の退化が訪れる前の力だ。アバターは魔術士も捕食者も両方を天秤に掛けている。両方が調和を乱す行動をしないように・・・

雅号、お前は知らされてないかもしれないが、諜報活動を主体とする特命作戦の本分はここにあるんだよ。今、出頭すれば、立ち回り方次第では命までは取られまい。司令部はゴトウや頭目がノリの能力を秘していたことを問題にしているのだろう?」

水掛は雅号に問いかけた。

「ダメだ、ノリちゃんは渡さない。」

「軍部の技術ではノリの力を制御することは難しい。二人の英霊が拒絶したら、それま

でだ。俺たちの思い通りに事は進まない。ノリの延命を最優先で考えるんだ。俺やお前も含め、全体の利益を選んでくれ。」

「「司令部は信用ならない。俺が一番それを知ってる。ノリちゃんを奴らに渡せば帰ってくることは絶対ない!」

雅号は断固として譲らない。

「投降しよう。」

紀は雅号にそう言った。

「何言ってるんだ!?全員殺されるに決まってる!」

雅号は紀の提案を断固として拒否した。

「雅号君、違うよ・・・投降先は選令門、あの魔術士達に保護してもらおう。司令部ではなく選令門に保護してもらうのよ。潜入作戦の体で、敵の本陣に入る。それには条件がある。私は敵の手へ、雅号君と水掛君はこちらに残る。二人には司令部を翻弄して欲しいの。あの魔神カテゴリーの女の子を選令門へ潜入させて始末すると作戦決行直後に司令部に進言してくれるかな?司令部の様子を見て、私はここへ戻るか本当に選令門に投降するかを決める。」

紀は作戦の主旨を二人に告げた。

「無理だよ、騙せっこない。魔術士の捕食者への拒否反応は並々ならないものだ。向こ

うでどんな目に遭うか知れたものじゃない。」

雅号は相変わらず、反対の姿勢を貫いている。

「可能かどうかは司令部に進言するタイミングに全てかかっている。ノリ、俺達、ひい

ては司令部に分かるように信号を出せるか?出来れば、ノリの位置が分かるようになる

信号のようなものが良い。敵にも比較的簡単に発見されるようなもので。」

 少し間が開くと、紀が口を開いた。

「私はエンゲージリングの魔法がいいと思う。雅号君と私の薬指に見えない魔法の赤い糸を繋ぐの。選令門本部のあるポラリスの範囲内で魔法を発動させれば、魔法の効果は射程範囲外へ出て切れることはないと思う。もし、糸が切れても魔術士に露見されて切られたものと司令部も考えると思う。」

「魔法のおまじないか・・・本来は相手がどこで何をしているかいつでも分かるようにお互いを束縛し合う魔法。確かに偶然を装うには良いかもしれない。雅号、上手いこと繋がれて良かったな。これで、二人とも死んでも本望だろう。」

水掛は雅号をからかった。雅号は照れ臭そうにしている。

「確かに赤い糸で繋がれるのはすげぇ嬉しいけどよ。本当に大丈夫なのかよ?そんな、上手いこといくもんかな?」

「雅号君と戦ったあの子のカラー覚えてる?私はあんなに慈愛に満ちたカラーを生まれて一度も見たことない。私の顔を見ても表情一つ変えなかった。非日常のものに慣れてるからそうなったわけじゃないと感じた。変装に気付いたのもおそらく真実を見抜く力に長けてるからだと思う。私の死にたくない、助かりたい、助けてって言う本当の気持ちにあの子はすぐに気付くと思う。だって嘘じゃなくて、本当の気持ちだから。騙すのはあくまでも司令部。上手くいかなかったら鹵獲された後、相手を皆殺しにして、逃げ出しても良い。あの子も父を殺した魔術士も全員殺す。非人道的なことをされそうになった場合もそう。私に害をなすものは益荒男と手弱女が全て消し去ってくれる。」

紀は終始冷静であった。決意の意志を二人に示した。

「俺は紀の意見に賛成だ。あの魔術士達をおびき寄せるんだ。」

「ノリちゃん、お互いに死なないって約束だ。」

雅号は左手の薬指をノリの前に見せた。


11



その夜、雅号は洋館の上階のバルコニーで一息付いていた。

「誘導はどうやら失敗したようだな。」

雅号は仮面を付けた正装の男と対峙している。

「月光卿、呆れましたよ。本当に我々の事をずっと監視しているんですね。こんな辺境の地までは流石に来るまいと思ってましたが。」

雅号は仮面の男の登場に観念した。

「あの水掛と言う諜報部の男を身近に置いたのは我々への細やかな抵抗と受け取ってもよいのかな?こちらで調査したが、些か独断的な行動や特殊な思考傾向にあると言うことで極めて優秀にも関わらず、司令部も上級将校としての幹部候補生の人選からは外したそうだ。」

「あいつは俺みたいに組織で飼い慣らせるような犬じゃないですよ。一体何を考えてるんだか。あいつを補助として選んだのは、魔神カテゴリーをこちらで誘導出来るようにするためです。後藤紀は昔から俺の言うことなんて聞きませんからね。彼女は水掛望人と言う男の人格や思考には並々ならぬ信頼を寄せている。」

雅号は仮面の男に皮肉って見せた。

「その左手の薬指の魔術、効きそうもないな。」

仮面の男は下を向き、苦笑しているようだ。小さな笑い声だけが聞こえる。

「後藤紀は軍部ではなく、必ず、我々の元に連れ帰るのだ。さもあれば、貴公らの身の安全は保証しよう。我々は同郷の好みと言うこともある。悪いようにはしない。安心したまえ。」

「何が同郷の好みですか?俺達みたいな小者は貴族の中でも取り分け上等な部類に入るあなたの様なお偉方と本来なら一生交わることのないような卑しい身分ですよ。けど、約束して下さいよ。司令部への背信行為なんて命知らずなことを柄にもなくやってるんですから。」

「くれぐれも私の期待を裏切らないでくれ給え。貴公と少女、若き夫婦の無事を祈って待つとしよう。」

そう言うと、仮面の男は姿を消した。

「くそったれが・・・分かってるさ、俺に自由な意志なんてないことくらい。」

雅号は心の中で独り言ちた。


12


夕焼けはリニューアルオープン後、その言葉の意味通り、「サンセット」と名前を変えている。ランチの営業時間を終え、現在は準備中である。夕方からのオープン前の時間に鶴と翠玉はアニャンから連絡を受け、店へとやって来た。店にはアニャンとうさぎもいる。二人は夜の営業の開店前の準備で席を外している。

「これを見て。」

鶴は翠玉に一通の封書を差し出した。

「この店に届いたものよ。」

便箋が一枚だけ入っている。便箋には

「明日、馬の刻選令門正門にて」

とだけ書かれている。

「これ、アニャンさん宛に届いたものでしょう?敵は私達のことを調べ尽くしてる。こ

の意味って・・・」

翠玉は便箋の左隅を指差した。

「白地の便箋の左隅を黒く塗り潰すってこれ、投降するって意味でしょう?」

「うん、この世界ではどこに行っても通じる符号よ。頭を下げるって意味。そこから投

降する意思表示の時に使われる。ここにこれが届いたってことは相手は私達と直接接触

したがってるのかなぁと思って。詳細は信用出来る人間に会って話すってことなんだろ

うけど、どうしてそれが私達なんだろう。選令門に内通者でもいるのかな?」

「多分私がヒューマンだって気づいたんだと思う。分からないように気を遣ってるつもりではいるんだけど、同族だからこそ判別できる方法を持ってるのだと思う。」

「仲間割れをしてるってことはないかな?うさぎちゃんの話だと好戦的な男、これは私達を襲った者と同じとして。他の二人、若い男と女。確か男の方はうさぎちゃんの力を見て、逃走の意思を示したみたいなこと言ってなかった?」

「うん、うさぎの話ではそんな感じだったかな。女の父親の復讐がどうとか。そうだとすると先生の動きを魔法で止めた男が投降するつもりなのかもしれない。推測でしかないけど。」

「鶴、私は今回の襲撃の一件、腑に落ちないことがいくつかあるんだ。個人的な私怨が発端にしては、要人暗殺みたいな用意周到さもあれば杜撰な行動も多い。確かに鶴みたいな腕利きの魔術士を殺そうって言うなら、それ相応の準備や刺客の人選も相当慎重にやらないといけないんだろうけど、それならば、あんな若い連中寄越すかな?ごく小規模で動いているような・・・こうして簡単に離反する者が早い段階で現れるって言うのもおかしいと言えばおかしいし。」

「私も軍事的な行動ではない気がする。けど、巧妙な変装や追跡行為、うさぎの力や私達の情報についてもそれなりに持っていると考えると色々矛盾するのも確かね。」

翠玉はアニャンが出したアイスティの入ったグラスの中の氷をいたずらにストローでかき回しながら、鶴に話を向けた。

「先生はあんな一件があったばっかりだし、私と鶴の二人だけで、予定の場所に行こう。紅玉も連れて行くか迷ったけど、余計な心配掛けるのも嫌だし。お父さんも最近、またうるさいんだ。」

「全部、筒抜けなんでしょ?私の本当の姿についても。翠玉、無理しないで、この間のこともあるし。」

「私は大丈夫、先生と皇公と同等の強さを持つ連中相手に一人なんて無謀よ。」

「あんた達、随分と面白そうな話してるじゃん?今回はあたしはずっと蚊帳の外だからね。毎日、退屈してるんだ。仲間に入れておくれよ。」

猫に化けていたアニャンはそう言うと鶴の膝の上に乗った。

「アニャンさん、お店忙しそうにやってるじゃないですか?二階のお店も若いお客さんいっぱい来てるみたいだし。」

鶴はアニャンの背中を撫でた。

「これでも一応魔女の端くれとして、ちゃんとまじないに手間を掛けたものを扱ってるからね。」

そう言うとアニャンは鶴の膝の上から降り、元の姿へ戻った。

「そうだ、翠玉、これ持って行きな。この間、店の中で物欲しそうに見てただろ?」

アニャンはどこから出したのか、ミサンガの様なブレスレットをテーブルの上に置いた。

「女の子は本当にこう言うの好きだよね。願い事が叶うみたいなさ。あたしは正直言っ

て、意外だったんだよ。恋愛成就の赤い糸にそれに慎重と平静さをもたらす緑色、これはあんたと同じカラーだろう?それに、安らぎを意味する黄色の三色カラーさ。信号と同じ組み合わせなんだけど、赤白青のトリコロールカラーの次に人気のある組み合わせでさ。」

「黄色ってまさかアズマルと同じカラーじゃ・・・」

「別に深い意味はないです・・・」

鶴が翠玉を見ると、翠玉は顔を真っ赤にして、俯いていた。


13


選令門の正門前である。選令門の設立は今から遡ること二百数十余年のことである。アバターが真解システムを体系化し、魔法を実用化、オカルト的なものではなく、現実的な文明の技術として頒布するのに多大な貢献をした。選令門は魔法世界にあっては最高峰の権威である。

首都ポラリスにある大正門は魔法文明発祥の地とも言われ、東方の三賢者が選令門開闢の地として、地脈の通門と開放を行ったこともあり、世界でも知る人ぞ知る歴史的文化遺産であった。鶴と翠玉は正門近く設置された三賢者の銅像の前から大正門を見張っていた。まもなく、指示のあった時刻である。大正門の前に後藤紀が姿を現した。

「投稿したのはあの少女だけ?」

鶴は他に該当するものがいないか四方を見回したが、他の二人の姿は見えない。鶴と翠玉は

少女に接触した。

「ここに来たのはあなただけ?」

鶴は紀に確認した。

「はい、私一人です。私は身に宿した呪いの力のせいで、命の危機に瀕しています。放

っておけば、あと数ヶ月の命です。選令門の高度な魔術でこの呪いを解いてもらいたいのです。この呪いのせいで幼い頃からずっと軍部の監視下に置かれていました。ここ最近、魔術士殺しの任務の戦力の一端として、軟禁状態を一時的に解かれていました。私は逃げ出す隙をずっと窺っていました。いつになるかは分かりませんが、そう遠くない未来にこの街であなた達は彼らによって命を失うことになるでしょう。私はそれを知らせにここへ来たのです。」

紀は真剣な眼差しを鶴へ向けた。

「鶴、この子の左手の薬指を見て!位置がバレてる!あなた、これはどう言うこと?理

由を手短に説明して!でなければ、あなたを保護することなんかできない。」

エンゲージリングの魔法に早速気付いた翠玉は紀に詰め寄った。

「この指輪のことですか?私と一緒にいた男達の一人に以前に無理矢理付けさせられた

ものなんです。素直に俺の言うことを聞けと言われて、仕方なく。逆らうことなんて、

出来ません・・・この指輪がどうしたんですか?位置がバレてるって。あなた達も見たと思いますけど、私はこの呪いのせいで、魔力回路の制御もままならないんです。だから、この指輪に何の意味があるかも分からない。それに私の精神や肉体についても主従関係はこの二人の方が上です。」

後藤紀はマスクを外して、素顔を晒した。瞳の色が赤くなり、瞳孔が開いている。鶴と翠玉を睨めつけている。

白地にパイソン柄の強烈で禍禍しいカラーが湧き始めた。鶴と翠玉は後藤紀の主人格が手弱女に入れ替わったことを察知した。

「今回は私が主導したのよ。」

手弱女が鶴と翠玉に補足説明を始めた。

「この後藤紀と言う名の憑代は幼い頃から捕食者によって囚われの身となっている。そ

こで、様々な実験の被験者とされたり、説明するのもおぞましい虐待も沢山受けてきた。この指輪はその証の一つよ。憑代には消耗品としての期限がある。このまま、放っておけば、この子は間も無く死ぬ。新しい憑代がなくなれば、我々も強制的に運命を共にされることになる。この呪いはこの子にとっても悪しき呪いなのかもしれないけど、本来は太古の昔に私達夫婦に掛けられた邪悪な制約なの。私達夫婦は主の不興を買った。そのせいで、自分達だけの肉体を永久に持つことが出来ず、長い間、生き続けてきた。

私達の存在を嗅ぎつけたアバターや魔術士、捕食者達が私達を取り込み、戦争の道具として利用してきた。この呪いは本当に恐ろしいもので、肉体すら失った我々は魂さえも失えば、引き離され、それこそ地獄のような世界を永遠に彷徨い続けなければならない。私達夫婦はあなた達よりも遥かに高位の存在、あなた達では感じることのない様々な感覚を持っている、だからこそ、魂の行き着く先がどんなところか分かりもする。」

手弱女は自身の呪いについて明かした。

「プレディクトの予言について捕食者達に入知恵したのはあなたなの?あなた達は神の存在証明、無銘の存在を知っていて、自身の呪いを引き離すために私達に近づいたのね。」

鶴は手弱女に詰め寄る。

「本来なら、あの少女と虚数魔法の遣い手の男はあの場で殺されるはずだった。

皇一族の介入に気付いた私が止めたのよ。益荒男はこの子の親友の水掛と言う男が集めた資料からそのお嬢さんとアズマルと言うあなた達の仲間の一人が行王の末裔と知っていたから、二人を捕らえて仲間の居場所を全て白状させようとしたはず。気性の激しい益荒男のことだから、あなた達は用が済めば間違いなく殺されていたことでしょう。

激情したら、私でも彼を止められない。あなた達全員を殺すことくらい私達にとっては造作もないことなのよ。あなた達が非協力的と分かれば、こちらにも考えがある。保護と言っても対等な立場で行われる取引よ。私達の呪いを断ち切ってくれたなら、礼として、あなた達には危害は加えない。私が彼を諌め、何処へでも消え去るわ。敵も我々に間も無く辿り着く。」

手弱女は鶴に決断を迫った。


14


「で、どうなんだよ。他に敵はいないのかい?暑いんだから、早くしておくれよ。」


アニャンは大正門近くにある飲食店の屋外スペースから気長に炭酸水を飲みながら、鶴達を監視している。アニャンは鶴と翠玉に内緒でアズマルに助っ人を頼んだのだ。

「アニャンさん、僕が何でも言うこと聞くと思ってません?今日だって普通に仕事だっ

たんですからね。ここは職場からも近いし、アニャンさんとお茶してるところを職場の連中に見られでもしたら、なんて言い訳したら良いんですか、全く。」

アズマルは拗ねた様子だ。

「へぇ、お前さ、自分の親友が危険にさらされてても平気なのかい?しかも、あんなに

可愛らしい女の子二人。両手に花の状態が当たり前になってるから、感覚がバカになってて気づかないんだろ?いけ好かない野郎だよ。若い頃ってのはあんたみたいな、いかにもいい人感出してて、シュッとした外見の男に漠然とした好感を持ってるからね。それを恋愛感情と勘違いしやすいって言うか。あたしからしたら、お前なんてただの軟弱者のお坊ちゃんなんだけどさ。こんなのの、一体どこがいいんだかね?」

「アニャンさん、何のことですか、それ?」

「何が何のことですかだよ、この馬鹿野郎。いい大人なんだからどうせ薄々、気付いてるんだろ?お前もいいとこの家のお坊っちゃまだから、今の翠玉がどれだけバイアス掛かってるかぐらい分かるだろう?

あの子は本来ならこんな危険で泥臭いことして生きていくような子じゃない。久坂司祭は鶴の正体についても、当然知ってる。二人は近い内に父親の忖度で遠ざけられちまうだろうさ。翠玉からしたら、鶴は自分の命を張れるほどの仲間なんだよ。あんたにとっても掛け替えのない大事な仲間なんだろ?アズマル、前にも言ったけど、男のお前が二人を守るんだよ。」

そう言うと、アニャンはアズマルの背中を叩いた。

「そんなことくらい、嫌ってほど分かってますよ。」

アズマルの右手首には翠玉の願いが込められたブレスレットが付いていた。


「とにかく、この魔法の糸を切ろう。」

翠玉は魔術回路の切断を試みたが、上手くいかない。

「指輪を破壊するしかないのかな。結び付きがすごく強い。他者の魔力の介入を強く拒絶している。相手の逃がさないって気持ちがすごく強いのよ。相手だけじゃない、あなたも約束した相手のことを強く信頼している。やっぱり、罠かもしれない。

鶴、この子の話、全て鵜呑みにしてはダメよ。」

翠玉は全く油断などしていない様子だ。

「当たり前じゃない、この子は契約を交わした男に全てを委ね、家族同然に過ごしてきたのよ。外の世界を知らない籠の中の小鳥、命の危機に瀕したからこそ、私の提案にのったのよ。時間がない、早くこの糸を切って!」

手弱女は鶴に糸を切るよう促した。

「私がやる。」

鶴は懐剣を取り出した。

「この子の指ごと切り落とす。逃げないようにこの子を押さえていて。」

「そんなことは無茶よ!応援を呼ぼう。アニャンさんに助言を求めるべきよ。」

「アニャンさんだって、同じ状況に遭遇するは、この子の覚悟を試すためにきっと同じ

ことをする。指は私の魔法で元のとおりに戻してあげる。私の魔法を使えば、傷一つない以前と全く同じ状態に戻せるわ。

問題はあなたが私のことを信じるかどうかよ。私のことも調べて知ってるんでしょう?私の虚数魔法はこの指の傷をなかったことに出来る。あなたが絶望しながら生きてきた人生も同じようにね。全部忘れさせてあげる。私を信じて!」

鶴が紀を諭すと、紀は覚悟を決めたのか左手を差し出し、目を瞑った。

鶴が切断するそぶりを見せた瞬間、大正門前の銅像の一部に迷彩マントで擬態していた雅号が飛び出した。


「アニャンさん、あれ!?」

アズマルは雅号の側頭部を狙って、左手の実銃を撃ち、弾丸は雅号の下顎の左側面に当たり、反対側まで貫いた。アズマルは刺客を一発で仕留めるために頭部を狙って撃ったのである。

「アズマル行くよ。慎重に狙うんだ!不意打ちはもう通じない。あの男、変形魔法で跳

弾で鶴と翠玉を狙い撃ちにするかもしれない。

アズマル、もう一人の男が現れたら、お前がそっちの相手をするんだ。あたしはあのカメレオン男をやる!」

二人は銅像に向かって駆け出した。50メートル近く距離がある。

雅号は迷彩マントを剥がし、鶴に襲い掛かろうとしたその瞬間、アズマルの撃った弾丸が雅号の下顎を撃ち抜いた。雅号はそのままの勢いで右手に握ったハンマーで鶴を殴りつけようとしている!ハンマーが鶴の頭上に迫ったのとほぼ同時、アズマルの銃口が更に火を噴き、雅号のハンマーに着弾し、雅号は身体のバランスを崩した。

「よくやった!」

アニャンはパンツのベルト通しの上から巻き付けてあった装飾の付いた細いチェーンを先端を握ると、チェーンは瞬時に数倍の長さになり、緩んで腰から離れた。

アニャンはハンマーを握った雅号の右手に向かってチェーンを投じた。チェーンは猛スピードで雅号の腕に巻き付いた。雅号は態勢を整えるとチェーンが巻き付いたままハンマーで鶴に襲い掛かった。鶴も懐剣で応戦しようとする。

アニャンは素早くチェーンを引っ張るとチェーンに引っ張られ、雅号はその場から引き摺り出された。

「悪いけど、この戒めの鎖がお前を捕らえている間はお得意の変形魔法は使わせないよ。この鎖は捕らえた相手の魔力に反応し、餌として更に巻き付く。先端の蠍の尻尾を模した楔がお前の右手を釘付けにしているだろう。鎖の原動力はあたしからお前に移ったんだ。けど、お前はこの鎖を制御することは出来ない。この鎖は私の所有物であって、私の支配下にあるからね。」

アニャンは勝ち誇った顔で雅号を睨んだ。

「アニャンさん!後ろ!」

アズマルが叫ぶとほぼ、同時にアニャンの背後に張られた銅像とは別の位置の迷彩マントが剥がれるとマントの影に潜んでいた水掛が至近距離からアニャンに向かって突進した。水掛は左手に短剣を手にしている。アズマルは水掛に向かって二丁拳銃で一発ずつ発射したが、アニャンが射線上にいるため、上手く狙って撃つことが出来ない。

水掛の短剣がアニャンの背中に突き立てられそうになったその時、水掛の手から短剣が消えた。アニャンはその隙を見逃さなかった。戒めの鎖は素早く動き、水掛の左手首にも絡みついた。水掛の短刀は鶴の左手に移動していた。

鶴が機転を利かせて、水掛の左手に握られた短剣を得意の虚数魔法で鶴の左手へと移したのである。

「まさか、略式詠唱!?虚数魔法をこんな短時間で発動させただと!?」

アニャンを確実に仕留めたと思っていた水掛は驚きを隠せない。

「危ない危ない。もう一人がこんな近くにいたとは。悪いけど、頭数が揃ったら、実力

差はこんなもんさ。こっちの小僧は重力の魔法を使うんだろう?試しにやってみな?面

白いことが起きるから。

アニャンが言い切る前に水掛は以前に見せた重力魔法を使って反撃を試みた。

「ぐぁぁ!詠唱を止めろ!」

雅号が離れた場所で悶絶している。

「戒めの鎖は捕らえた相手に自戒の促す魔法でね。魔法の効力は反対側の相手にそのま

ま伝達する。」

「良いことを聞いた!水掛、頼んだぞ!」

雅号は鎖を通じ、水掛に魔力を送った。雅号の物質を変質させる能力によって、水掛の左腕が戒めの鎖と同化、鎖へと変形し、鎖となった右手がアニャンの腰に巻き付き、鎖の先端の楔と化した右手の人差し指がアニャンの左脇腹に刺さった。

「圧殺魔獄!」

水掛の魔法は鎖と化した自身の身体を経由し、アニャンの身体へ直接伝達すると、魔法の効果により、アニャンに重力がのしかかかり始めた。

「まずい!」

鶴は雅号の胸部を目掛けて水掛の短剣を投擲した。短剣は雅号の胸部に突き刺さったかに見えたが、雅号の胸部も鎖に変化し、短剣を弾き返した。

「おばさん、楔の先端を外せば良いんだろう?鎖を使ったのが仇となったな・・・この鎖、上手いこと使わせてもらうぜ、形勢逆転だ・・・潰れて死んじまいな。」

下顎を撃ち抜かれたせいで、雅号はうまく話すことが出来ず、呂律が回っていない。翠玉がアニャンの元へ駆け寄る。

「こっちへ来ちゃダメだ!あんたも重力の餌食になっちまう!」

翠玉は素早くアニャンの左脇腹から楔を引き抜くと自身の右手に突き刺し、詠唱を始めた。重力の影響で翠玉の鼻から一筋の血が垂れ出した。

「万物に避け得ぬ滅びの諚よ、我に味方せよ。主の導きにより、朽ち果て給え・・・

滅び(プロセス)の(トゥ)工程(ラスト)。」

戒めの鎖が錆び始め、鎖と化した水掛にもその効果が及び始めると水掛は急いで変形を解除し、重力魔法の効果も消え去った。

「何で、こんな馬鹿なことを!下手したら、死んじまうじゃないか!

アニャンは翠玉を叱りつけた。

「私だって、一応魔女です。みんなの力にだってなれますから。」

翠玉は右手で鼻血を拭うと毅然とした態度でそう言った。

水掛は地面に倒れ、失神している。右手から肩口にかけて腐蝕し、その損傷は著しく、失神したのもその激痛のためである。雅号も戒めの鎖によって雁字搦めにされ、そのまま捕縛され、鎖は鶴によって握られている。

「あんたらのことナメてたよ。正直、危なかった。あんたら、全員生け捕りにするつもりでいたからね。ここまで手を焼かされるとは・・・」

「やっぱり、こいつの変形魔法が一番曲者だったよ。」

アニャンは息を切らせながら、雅号に向かって言った。騒動を聞きつけ、出動してきた選令門の衛兵達が駆けつけて来た。

「あなた達全員を連行する。きっと全員に法の処罰が下されるでしょう。けど、あなたについては取り敢えず生命の保証を約束するわ。」

鶴は紀に向かって今後の処遇について、説明した。

「鶴、あれ見て。様子が変だわ。」

翠玉が雅号が隠れていた銅像とは別の銅像近くに黒色のドアが設置され、ドアがうっすらと開いていることに気づいた。

「転送魔法!?」

鶴が声を上げると雅号の近くにいつの間にかあの仮面の男が立っていた。

「いつの間に!?気をつけて!こいつ虚数魔法を使う!」

鶴達は動き出そうとしたが、身体が全く動かない。

仮面の男は右手の人差し指を左右に振り、懐から小さなクリスタルを取り出した。

「流石に優秀な選令門の魔女だ。しかしこの魔法は完全な虚数魔法ではない。正しくは扉を作る転送魔法、扉の前から私の座標を動かしたのが虚数魔法、そして、今、ここにいる全員の動きを封じているのが、そこに瀕死の状態で倒れている水掛君が使うのと同じ重力魔法さ。

雅号君、やはり、君達の力ではこの辺が限界のようだね。だが、君は救われた。その神秘の少女によって。

お初にお目にかかります、手弱女殿。少女の意思を操ってエンゲージリングの魔法を掛けさせるとは。

延命のためならどんなことでする、貴女も悪い淑女だ。

雅号君、このタリスマンを使い給え。後藤紀と婚姻関係を魔術で結ばれた君ならば、君は呪いの半分を肩代わりすることができる。君が二柱の内一柱をうけいれれば、彼女の命は幾らか伸ばす事もできよう。

君が命と同価値である心臓を益荒男殿に捧げれば、このタリスマンを経由し、君の変形魔法をもって君に益荒男殿を受肉させることができる。

後藤紀を救うのだろう?今、この時を逃せば、次の機会はあるまい?君達夫婦は神話として生き続けるのだ!」

仮面の男は高らかに言い放った。


「アズマル・・・頼む、気付いてくれ・・・あのクリスタルを・・・」

身動きの取れなくなったアニャンは仮面の男の持つクリスタルに視線を移すとアイコンタクトでアズマルに合図を送る。両目で瞬き一回はイエスのサイン、両目を瞑ればノーのサイン。傭兵稼業ではありきたりな簡単なサインである。気付かぬアズマルでは決してない。アズマルはイエスの合図を送ったものの、身動きが全く取れない。

「アニャンさん、無茶言うなって・・・頭を働かせろ!」

二人のやりとりに真っ先に気付いたのは鶴であった。

「今、この状況を変えられるのは私しかいない!」

鶴は仮面の男にバレぬように、戒めの鎖の先端の楔を自分の右の掌に打ち込むと、身体の縛りを打ち消さんと声を上げると、戒めの鎖にありったけの魔力を注ぎ込んだ。

簡単な原理の念動力である。鎖は雅号の首まで伸び、雅号を絞め殺さんと締め付け始めた。

「油断も隙もない!」

仮面の男はほんの一瞬だけ、重力魔法を止め、雅号を助けに行こうとした。アズマルはその瞬間を見逃さなかった。

アズマルは左手の実銃でクリスタルを狙い撃ちした。

弾丸はクリスタルを捉えたかに見えたが、弾丸はクリスタルの残像をすり抜け仮面の男の左肩に着弾すると、激しい金属音が鳴った。

「外した!?いや、クリスタルは手品のように移動したんだ!クリスタルはどこへ!?」

鶴は必死にクリスタルの場所を探した。

「だから、油断も隙もないと言ったのだ。雅号君、君の意思を確認する間もなかったようだ。」

仮面の男の右手には雅号の心臓が握られている。心臓は身体を離れたにも関わらず、脈打っている。

「クリスタルは新しい憑代の心臓に!?」

鶴がクリスタルの場所に気付くも後の祭りであった。益荒男は紀の身体から離れ、雅号に乗り移ると上半身にたくさん巻き付いた鎖をいとも簡単に引きちぎり、仮面の男から心臓を受け取り、心臓をタリスマンの埋まる胸に吸い込ませた。雅号は一瞬、激しく発光すると別人へ変貌していた。

「不本意な形であったが、受肉したぞ・・・この不浄の地に久方ぶりにまた、足を着ける日が来ようとはな。」

怒れる鬼神が血肉を手にし、顕現した瞬間であった。


第三章までは物語は落ち着きませんので、宜しければお付き合いください。

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