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フォールチェイサー(3)

「しっかし、キョウのヤツはいつも勝手やな〜……。今冷静に考えるとなんでワイがあいつの代わりにバイトしてたんや……」


 響がファストフード店を出て行ってから早くも一時間ほどの時間が経過しようとしていた。相変わらず三人でだらだらと店内に居る藤原、氷室、神崎の三人。自分たちに向けられている“早く帰れ”という店員の視線を気にする事はない。

 藤原がストローを噛みながらそんな独り言を漏らしたが、神崎も氷室も同時に“今更何言ってんだこいつ”とだけ思っていた。


「しかし神埼、お前は心当たりがないと言ったな」


「しつこいなぁ……。エリスはいじめなんかしないもん。する意味ないもん」


「どうしてだ?」


「そんな事しなくたってエリス可愛いし、お金持ちだし、そりゃ〜勉強はニガテだけど? スポーツは結構得意だし?」


 ようやく食欲が出てきたのかエリスは追加注文したフィッシュバーガーを齧りながらそんな事を語る。勿論それは全て的確な言葉だったが、自称するのはどうかと思われる。

 しかし氷室と藤原は顔を見合わせた。確かに神崎の言う通りである。別にイジメなんてやらなくても神崎は充分顔も良く、金も持っていて、特に何かをやらずともワガママなら通ってしまうのだ。わざわざ執拗に一人の人間をいじめる必要性などない。

 だがそもそもいじめに理由などあるのだろうか。氷室は考える。いじめの理由は闘争の理由にも酷似している。“自分たちとは違う”から……。或いは、“正面から向き合えないから”である。

 毛色が違えば叩かれる。出る杭のようなものだ。そこにあるから叩くのは自然の摂理、人間にとっては呼吸をするのと同等だと氷室は考える。正直な所、氷室にとっていじめという行為は悪ではない。“生理現象”――“はしか”みたいなものなのだろう。

 いつまで経っても、大人になっても、時間をいくら費やしてもそれが止められない人間というのは居るのだ。その理由が憎しみであればまだ良い。だが、本能ならば致し方のないことだ。

 氷室本人もその対象であった事があった。まだ幼かった頃、外国人との“混じり”であるだけに、目立つ外見である事は言うまでもなく。語るまでもなく、ただそれだけの理由でいじめられた事があった。

 そうして“こっちとあっちは違うんだ”とコミュニティを作るのは自衛にも良く似ている。そうする事で子供たちは纏まっているように見えた。スケープゴートなど、効能ははっきりと過去より証明されている。

 氷室は結局それをなんとも思わなかった。子供らしからぬ大人びた視線が彼らを見下していた。小学生にして既にあれは自衛なのだと割り切り、むしろ哀れみの視線を向ける。“一人では自分の身さえ守れない”のだと。

 思考を本題に戻す。神崎はどうだ? そもそも榛原陽子が苦にして自殺するほどのイジメ、それをやる理由はどこにあったのか? 神埼エリスという人間とこうして正面から向かい合うのは今回が初めてである。当然、今まで彼女との関わりはなかった。だからこその先入観のようなものは存在する。

 エリスは隣のクラスで顔を利かせ、あちこちに強い影響力と支配力を持つ――そんな噂めいたものを信じてしまうのは、彼女の背景にある事実だ。彼女という人間の設定を知れば知るほど、その噂は真実味を増して行く。


「では、神崎はイジメをしているという認識はないんだな?」


「何度も言わせないでよ……。ていうかさぁ、いっこ聞いていい?」


「ん?」


「イジメってさぁ、小学生の時学校の先生にやっちゃだめですよって言われたんだけど」


「ああ」


「でね、エリスね、“ああ〜じゃあイジメはダメなんだな”ってね、思ったのね?」


「あ、ああ……」


「……ヒム、こいつは何をいっとるんや」


「わからんがとりあえず頭は悪そうだ」


 二人は小さな声で耳打ちする。その間もエリスは片手の指をこめかみに当て、過去を思い返すように語る。


「エリス、結構忘れんぼさんだから怪しいんだけどさぁ、その時クラスのコはみ〜んな先生の話聞いてた気がしたんだよね? なのになんでイジメなんかするんだろうね? 逆にエリスそれがすごく不思議」


「……ヒム? ヒムー?」


「何も言うな……。こいつは……本当にイジメなんかやってないぞこれ……」


 エリスは目を丸くして小首を傾げている。二人は立ち上がり、エリスに背を向けて腕を組む。エリスの語る事はご尤もだ。全くその通りだ。だがそれを真顔で言えるやつはそう多くはないだろう。ここまで生きていればいくら子供でも何故イジメがなくならないのかなど検討はつくだろう。エリスは単純にイジメがなぜ起きるのか、ダメだといわれている事が何故起こるのか、それが理解出来ないのだ。

 頭が悪い、抜けている、天然……そうした言葉を頭の中に浮かべる。二人は席に戻り、ふてくされているエリスに視線を向けた。


「なになに? なんで内緒話すんの?」


「いや……とりあえずワイら、神崎がイジメてないのは信じる事にしたんや」


「え、今更〜……? ずーっとそう言ってんじゃん。頭悪いなあ」


 お前にだけは言われたくない――。二人はその言葉を必至で飲み込んだ。


「せやけどヒム、だったら榛原が自殺した理由ってなんやねん。神崎がイジメてないんやったら、自殺する理由なんかないやん」


「虐めて居ないのが“神崎だけ”なら話は別だ。逆に、神崎が最後まで殺されずにこうして残っている理由を考えてみろ」


「神崎が殺されへん理由? まあ確かに、張本人やっちゅーなら真っ先に殺して当然のはずやけど……」


「単純な話だ。神崎、お前の取り巻きについてお前はどう思ってる?」


「え? 友達だよ」


 あっけらかんと答える神埼。その表情を見てようやく藤原もその可能性に気付いた。

 

「皆がね、エリスと友達になりたいっていうの。だからみーんなエリスの友達だよ。学校の先生も言ってたじゃん、みーんな友達だ〜って。百人友達出来るかな〜って、エリス昔から数えてるんだけどね」


「ヒム!! ヒム、こいつアホやっ!!」


 思わず立ち上がり叫ぶ藤原。指を向けられたエリスは目を丸くし、それから不機嫌そうに立ち上がった。


「アホじゃないもん!! アホっていう方がアホじゃん!」


「つまり神崎は……自分の周りに取り巻きを置いているという認識さえないんだ」


「じゃあ、イジメをやっとったんは神崎の名を借りていた取り巻きの方っちゅー事かいな!」


「死ぬ順番、神崎が殺されて居ない理由を考えれば自然とそうなる。だが、これは彼女達を殺したのが榛原の亡霊ならば、という話が前提だから全ての予測が狂っているとも言えるがな」


「せやけどなあ……。なら、逆になんでや?」


 何故、全く関係のなかった神崎が命を狙われているのか――?

 仮に神埼がイジメに関与していなかったのであれば、神崎は全くの部外者のはず。それが何故命を狙われる事に発展するのか。

 榛原はそれを知っていたのだろうか? 藤原や氷室がイメージで神崎を語っていたように、神崎の名を語る人間からイメージを汲み取っていたとしたら――。


「もしかしたら神崎……お前はただ巻き込まれただけなのかもしれんな」


「なになに、どーいう事? エリスにも判るように言ってよ! 意地悪意地悪!」


 二人が自分に判らない話を続けている事に腹が立って来たエリスは両手を振ってそんな事を叫ぶ。二人の男はお互いに反笑いを浮かべたままその様子を見詰めていた。



フォールチェイサー(3)



「陽子とは……それこそ、本当に物心ついた時からの付き合いでした。幼馴染で、親友で……私は陽子の事が大好きだった」


 公園での話を終え、二人は街を歩き始めた。目的は勿論、アンビバレッジを見つけ出す事――。

 響には“何となく”、けれども確信めいた予感があった。アンビバレッジは神崎を殺そうとはして居ない――そんな予感である。

 思えば神崎を殺すだけならば昨日一連の流れの中で何度もチャンスはあった。たた神崎を殺す――それが目的なのではない。そんな気がする。

 アンビバレッジは矛先を神崎以外のものに向けてしまった。仮に、アンビバレッジのマスターが死んだ榛原陽子だったとしよう。自分を自殺においやった神埼たちを殺したいと願うのならば、それはある意味では正当な復讐としての形を成すのだと響は考えていた。

 しかし、アンビバレッジがそれ以外のものに矛先を向けてしまった今、それがどこまで拡大するのかは全く予想出来ない。そもそも死んでしまった人間のVSだけがうろつくものなのだろうか。そんな不確かなものをほうっておくわけには当然行かないのだ。

 ならば街の何処にアンビバレッジがいるだろう。手掛かりは榛原陽子を詳しく知っているこの少女だけである。二人は榛原の実家や榛原の好きだった場所を巡った。そうしている間、鶫は自分と親友との想い出を少しずつ語った。


「陽子は明るい性格で、私とは正反対でした。いつでも人の輪の中心に居るような子で、正義感が強くて真面目で……でも、ちょっと冗談めいていて。すごく素敵な子だったんです」


「榛原は、神崎たちにイジメられてたんだろ?」


「……私、神崎さんの事は良く判りません。でも、神崎さんの周りに居る人たちは嫌いでした。陽子は優しくて真面目だから……神崎さんにはきっと嫌われてたんだと思います」


「まあ、そういうヤツは目立つからな。良い意味でも悪い意味でも……。それじゃあ、それで榛原は?」


「初めは、一生懸命話をしようとしていたんです。でもあの人たちは話なんて通じなかった。嫌がらせがどんどんエスカレートして、毎日あの人たちはそれを見て楽しそうに笑うんです。陽子は疲れた様子で、それでも頑張って私には笑ってくれました。でも――」


 鶫が足を止める。遊歩道の中、並木の傍らに立ち止まり少女は一歩も動こうとはしなかった。振り返った響が傍に歩み寄り、その肩を叩く。


「私は今でも、陽子が死んだなんて信じられないんです……。私、駄目なんです。陽子がいなきゃ何も出来ないんです。陽子がいなくなったのに私、あの人たちに文句を言う事さえ出来なくて……」


「それは別にお前が悪いんじゃないだろ」


「陽子の傍にいつも居たのは私です。私が誰より彼女を見ていた……。なのに彼女は死んだんです。だから私は……本当にどうしようもない、だからきっと桜井君の役にも立てない、きっと神崎さんを救う事も……」


「ああもう、だからいちいちそうやって後ろ向きに考えるな!! あのな、そうやってウジウジしてもどうしようもねーの! なんら事態は好転しないんだよ!」


 顔を上げる鶫の前で身振り手振り響は語る。そうして一息で叫んだ後、小さく息をついて片手を差し伸べる。


「あの、これは?」


「握手だ。仮に榛原が奴らを殺しているとしても、それをお前が止められなかったとしても、全部もう済んじまった事だ。もうどうしようもない。でも、お前にはまだこれから出来る事がある。こうして俺を手伝ってくれてるじゃねえか」


「……櫻井君」


「本当に榛原をどうにかしてやりたかったんなら、今どうにかしろ。これ以上人を殺させるな。殺しても何も戻らないんだ。過去は……変えられないんだ」


 どこか寂しげにそう語る響の視線は恐らく自分を見て居ないのだと鶫は悟る。しかしその差し伸べられた手は決して偽者などではない。

 そっと手を伸ばし、触れる指先。自分の手より大きな手が握り返してくる感触。誰かの手に触れたという事実……。様々な思いを噛み締め、鶫は頷く。


「でも……それが本当に正しいんでしょうか。私はあの人たちが死んでしまってもいいと思っている。陽子にそんなことして欲しくないとも思ってる……そんな私が、桜井君みたいないい人と一緒にいていいのかな」


「それを決めるのはお前じゃない。判断を下すのは俺だ。俺がいいんだから、お前もいいんだよ」


 明るく笑う響の様子に釣られ、鶫も小さく微笑む。二人はそうして再び歩き出した。

 街中を歩き回り、日が暮れて行く。それも気にせず二人は歩き続けた。どこにでも榛原の痕跡はあり、どこにもないとも言える。死んでしまった人間の残滓は街のどこかに消え、それはもはや目には見えない。

 世界は日々巡って行く。時の流れの中で徐々に重いでは風化して行くだろう。その流れを遮る事は出来ず、留まる事も出来ない。事実、最初は親友の死に何一つ考えられない程にまで追い詰められていた鶫は響という存在の出現によりどこか掬われたような気持ちを胸に抱くようになった。

 だがそれが鶫は不安だったのだ。響が自分に触れれば触れるほど、言葉を交わせば交わすほど、その分自分の中に注ぎ込まれていく思い出の中で榛原との記憶が加速度的に風化して行くのを感じる。

 携帯電話にぶら下がる瑠璃の石を見詰め、それを握り締める。響はあちこちを見渡しながら狭い路地の前に立っている。その背後、少し離れた場所で鶫は眉を潜めていた。


「皆瀬! こっちだ!」


 響の呼び声に頷いて裏路地へと入って行く。その先、立ち入り禁止の規制線が張られたエリアがあった。そこはつい数日前、一人の少女が落ちて死んだ場所――。

 遠巻きに事件現場を眺め、響はどこか複雑そうな表情で空を見上げていた。鶫はその傍らに立ち、人の死の痕跡をじっと見詰める。そこには確かに一人、あれだけ死ねばいいと恨んだ人間が朽ち果てたという残滓が残っている――。

 自然と口元が緩むのを感じた。小さく笑みを浮かべている自分の醜い姿を知りたくないと思った。響には振り返らないで欲しい。きっと彼は、自分を嫌いになるだろうから――。


「やっぱりここにも居ないか……。皆瀬、そろそろ引き返そう。時間が時間だしな」


「あ……はい」


 手にしていた携帯電話を覗き込む。時刻は十九時を指そうとしていた。

 二人でモール街に出て足を止める。響は振り返り、溜息と共に腕を組んだ。


「駄目か……。やっぱりそう簡単には見つからないよな……」


「……相手は、鏡の中を飛び交っているんですよね? ごめんなさい、役に立てなくて」


「いや、“目”は一つより二つの方が助かる。とりあえず今日はもう遅いから帰った方が良い。俺はもう少し辺りを見回ってみる」


「一人で探し続けるつもりなんですか……?」


「話しただろ? 俺はこの間人が死ぬのを目の当たりにした。今日もそれを見た。多分ありゃ死体を吊るして落としただけなんだろうが、それでも見たんだ。目の届く範囲でそういう事が起きた。俺の手は多分、“そこまで届いた”ハズなんだ」


 響は目を瞑り、それから拳を握り締める。ぎゅっと掴もうとするのは何か――ふとそんな事を鶫は考える。


「世界の全てを守れるとは思ってねえし、他人事なのは事実だ。でも、自分の手の届く事、目の届く範囲くらいは守りたい……。自分にそう出来るんなら、やっておきたいんだ。そうでなきゃ、後悔する事に成る」


「後悔……」


「生憎見ての通り、素行は悪いしついでに言えば頭も悪い。家に帰っても勉強とか有意義な時間の使い方をするつもりはねーしな。このまま朝までブラつくさ」


「あ、朝まで……? そこまでして……守りたいんですか? 見ず知らずの……顔も知らないような、どこかの誰かを……」


 鶫の言葉に響はあっさりと頷いた。そこに迷いや考えのようなものはないように見える。ただ出来るからやる。守れるから守る。ただそれだけだった。

 余りにも単純な、しかし確固たる意思……。鶫は響の瞳を気づけばじっと見詰めていた。誰かの目を見るのは苦手だった。でも――響はとても透き通った目をしている。


「……私、一緒に居てもいいですか?」


「は?」


 響は一瞬彼女が何を言い出したのか理解出来なかった。しかし彼女はもう一度、今度は声を大きくして言い直す。


「一緒に行きたいです。私……邪魔じゃ、ないなら、だけど」


「そりゃ、目は多いほうが助かるけど……参ったな。お前自覚してるか? お前は女子、俺は男子なんだぞ」


「え? それが……どうかしたんですか?」


「どうかしたっていうか……あのな、あんまり夜中まで二人でブラブラしててみろ。変な噂が立ったら困るのはそっちだぜ」


「変な噂……? 私、別に困りません。何の事かは、良く判らないけど……大抵の事なら、気にならないから」


 自分の置かれている環境を思えばその程度なんの事はない。痛くても辛くても悲しくても、少し我慢すれば直ぐに終わる――。

 響は困った顔で頭を掻いていた。鶫は真っ直ぐに響を見詰める。断られるかもしれない。断られて当然だ――そう思えば思うほど緊張し、変な汗を掻いてしまった。


「……いや、待て。やっぱり駄目だ。危ないだろ、普通に。学生服のまま、ウロウロするつもりか? 駄目だ駄目だ! そこまで責任は取れねえ!」


「でも私……今日は家に帰りたくない気分なんです」


「は?」


「文字通りの意味です。家に、帰りたくないんです。今日は私、不謹慎だけど楽しかったんです……。久しぶりに私の話、聞いてくれたから……。桜井君が、聞いてくれたのが嬉しくて。今日が終わってしまうのが勿体無いって、そう思うんです」


「別に明日からでも話なんかいくらでも出来んだろうが」


「え? あ、明日も話を聞いてくれるんですか!?」


「お、おう……? え、何? そんな驚く事?」


「おぉおお、おどろ……驚いてませんよう!」


 首を横にぶんぶん振り回し、鶫は否定する。しかしそれが肯定しているように見えてならない。響はその様子に苦笑を浮かべ、それから溜息を漏らし。


「……お前、変なやつだなあ」


「変……かな? そう…………なのかな」


 照れた様子で視線を落とし、前髪を弄りながら俯く。響はその肩を叩き、笑顔で言う。


「でも駄目だ。兎に角駄目だ。家に帰りたくないって、そんな子供みたいな事を言うなよな」


「……駄目?」


「駄目だ」


「じゃあ、こうしませんか? 私、桜井君の家で待ってます。それなら私、危なくないですよね」


「ああ、そりゃま危なくな――――ハアッ!? ちょ、待て! なんでそーなる!? 意味がわからんっ!! 日本語でOK!?」


「家に帰りたくないんです!」


「だからっ! 帰れって!!」


「帰りたく、ないんですっ!!!!」


 二人して大きな声を出すと、周囲を行き交う人々の視線が突き刺さる。二人して口を押さえ、次の瞬間には笑っていた。


「はあ……判ったよ、そんなに帰りたくないなら泊まってけ。生憎何もねー家だけどな」


「ほんと? でも……ご家族とかは?」


「ああ、俺の両親は死んでていねーし、今は色々あって一人暮らし――って、なんてツラしてんだお前……」


 申し訳無さそうに俯きながら泣き出しそうな顔をする鶫。眼鏡を外し、目尻に浮かんだ涙を拭って頭を下げた。


「ごめんなさい、変なこと聞いちゃって……」


「いや、気にしてねーし……むしろそういう反応されるのには飽き飽きしてるんだ。気を使うなら、出来るだけ普通にしててくれ」


「そ、そうだよね……。ごめんね……。気をつけるね……」


 何度もぺこぺこ頭を下げ、それから鶫は顔を上げた。その顔には眼鏡がない。見れば眼鏡は鶫のワイシャツの胸ポケットにぶら下がっていた。


「あれ? 眼鏡はいらないのか?」


「はい。これ、伊達なんです」


「え……あ、そうなんだ……。じゃあ、メガネちゃんじゃなくなったな……」


「鶫、でいいですよ」


「あ、そう? じゃあ鶫――って、だからなんてツラしてんだよ……」


「い、行き成り呼ばれるとは思ってなかったので心の準備が……っ」


 顔を紅くしながら胸に手を当てる鶫。心拍数急上昇をなだめるために深呼吸を繰り返す。

 そんなこんなで二人は一路響の家へ向かって歩き出した。夜の闇の中、二人のシルエットは付かず離れず言葉を交わしながら進んで行く。

 二人の影の向こう、ビルの屋上に立つアンビバレッジの姿があった。巨大な蜘蛛の怪物は街を見下ろし、眼下を歩く二人の姿を見つめていた。

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