対岸のベロニカ(1)
「ねえ、どうしてこんな所にいるの?」
俺が問い掛ける先、彼女はベッドの上で困ったような表情を浮かべていた。当時の俺の身長では窓を覗き込むのも一苦労で、わざわざ使われていない椅子を持って土台にしなければならなかった。俺が窓を何度かノックするのを合図に、彼女はいつも窓を開けてくれるようになった。俺がその質問をしたのは、初めて合ってから四度目くらいの邂逅であったと思う。
「…………わたしは、良くないんだって」
「なにが?」
「そういう、病気なんだって。あんまり人が沢山居る所に行くと、良くないって」
「良くないって、どうなっちゃうの?」
「わかんない。忘れちゃうんだ、直ぐに……。昨日の事も、良く覚えてないの」
「ふーん……そうなんだ。ねえねえ、それじゃあ僕の事も忘れちゃうの?」
「ううん。きみのことは覚えてるよ。メモをね、とってるの。大事な事は書いておいて、思い出すの」
「どうして忘れちゃうの?」
「わかんない。頭の中に色々な人の気持ちが入ってきて、自分の考えてる事がわかんなくなっちゃうの。一杯人が居るとそれが良くないんだって。他にも色々あるみたいだけど……」
当時の俺には彼女が何を言っているのかは良く判らなかった。今思えば、彼女は生まれ持った超能力の所為で苦しんでいたのだと思う。そのままならばよかったのに、彼女は鳴海機関の実験で極限まで研ぎ澄まされた感覚を手にしてしまっていた。対峙するだけで他人の思考を読む事など呼吸するよりも簡単だったのだろう。それは小さな少女にとって大変な苦痛だったはずだ。
だから、先生たちはみんなその部屋に近づく事を拒否し、ちょっとでも寄ろうものならば物凄い剣幕で怒られたものだ。そんなものだからみんな余計に気になって、どうにかしてここに入ろうとする輩と止めた方がいいと考える輩の二種類に分かれていた。俺は当然、前者だった。
この花畑に来るためには森の中に入って迂回しなければならず、そんなに簡単な道程ではない。しかも俺はそこに行く為に先生たちの巡回ルートをわざわざ調べ、覚えていたものだ。今思うと何でそこまでして行きたかったのかと思うが、やっぱり秘密の部屋というのは子供心に好奇心を擽るものがあったのだろう。
それに、部屋の中に閉じ込められているのが女の子だって知って、その時俺はその子がまるで囚われのお姫様か何かなんじゃないかと本気で思っていたんだ。だから、そんな特別な存在に近づける事がただ楽しくて、嬉しかった。
「直ぐ忘れちゃうから、なんだか自分が自分じゃないみたい」
寂しそうにそう呟く京を見て、俺は直ぐに思いついた。直ぐ忘れてしまうのは、こんな部屋の中に篭っているからだって。外には色々面白い事がある。その頃何故か物凄い勢いで縄跳びが流行っていたし、森の中には遊ぶ所が沢山あった。夜になるとちょっと怖かったが、自然が沢山在るその孤児院には楽しい事が沢山あったのだ。
「だったら、楽しい事をいっぱいすればいいんだよ」
「楽しい事?」
「外に出ようよ! ほら、ここから出られるよ!」
そうして俺は手を差し伸べた。しかし京は困ったような表情を浮かべ、俺の手を取ることはなかった。寂しげに首を横に振る京を見て、俺はそれが理解出来なかった。
「何で? きみは全然元気そうなのに」
「出ちゃ駄目だって言われてるの。出たらきっといっぱい迷惑をかけちゃうから……。だから出ないって決めたの」
「なんだよ。ちょっとくらいいいじゃないか」
そういう問題ではないのだが、子供なので仕方が無い。拗ねてしまった俺が走り去っていくのを、俺は呆れながら眺めていた。過去を振り返った世界の中、俺は京と一緒に花畑の中に立っていた。京は微笑み、それから背後で手を組んで歩く。
「きみは結構、昔から無茶を言ってたね」
「そういうお前は冷静だったな……。全然子供っぽくないぜ」
「誰かに迷惑をかけるのは嫌だったから。そうしたらきっと、お姉ちゃんも悲しい顔をするだろうし。お姉ちゃんはわたしに何かあると、自分の事みたいに辛そうな顔するの。それが見たくなかった」
確かに鳴海ならきっとそうしただろう。それにしても、鳴海と京が姉妹というのはちょっと納得が行かない気もする。なんでアレの妹がコレなんだ。違いすぎるだろう。
でも、凛々しい顔立ちとか綺麗な黒髪とか、スタイルがいいところはよく似ているか。鳴海も口数がもう少し少なければ、普通に美女なんだろうけど……。
「って、お前は俺の考えが読めるんだっけ?」
「ううん。今はもう、その力は失っちゃったの。まだそれは思い出してないんだね」
「……ん? 俺が関係してるのか?」
「そう。少しずつ、順番に思い出していこう。焦らなくていいよ。時間なら、沢山あるから」
京はそう言って俺の手を握り締める。周囲の背景が書きかえられていく。いつかの夕暮れ時、森を抜けてきたのは俺ではなくて奏と志乃だった。二人は窓の下に壊れかけた椅子がおいてあるのを見て何か困ったような怒ったような表情を浮かべていた。
奏は非常に真面目なやつで、孤児院の中でも委員長みたいな立場だった。志乃はそれに続く真面目なやつだったように思う。ただ――俺は二人と直接関わった経験は少なく、人伝の情報にすぎないのだが。
「やっぱり、誰かが京に会いに来てるんだ」
奏は窓を叩く。するとカーテンが開き、京が顔を覗かせた。しかし考えていたのと違う人物が顔を覗かせたので京は首を傾げながら窓を開いた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「京! 誰かがここに来てるだろ!? 駄目じゃないか! また調子が悪くなったらどうするんだ!?」
自分を叱る小さな奏の姿を背後から眺め、大きな京は口元に手を当てて笑っていた。それから俺に向き合い、腰に手を当てて語る。
「奏は、鳴海機関の研究所に居た時から一緒だったの。奏は両親が居なくて、元々孤児だった。奏はきっと家族を欲しがってたんだね。だからわたしの事を本当の妹のように思ってくれてた。奏も高い超能力適正があって、わたしとは同じランクにカテゴリされていたから」
「ってことは、奏とは随分長い付き合いだったんだな」
「孤児院に入ってからも、お兄ちゃんはよく花とかを贈ってくれて。おやつとかも、こっそり先生に頼んでくれたりしてたんだ。わたしに会いたいけど、ずっと我慢してたんだと思う。だからこそ、勝手に会いに来ているどこかの誰かさんが許せなかったんだろうね」
実に耳が痛いお話だが、俺はそんな事は知らなかったんだから仕方がない。俺は――確かに鳴海機関に居た。だが、実際鳴海機関に居たのはほんの数日の話だった。超能力テストを受けるよりも早く、機関は解散してしまったのである。
だからこそ超能力だのなんだのという話は殆ど俺は無縁だった。普通に孤児院を転々とした……という、それくらいの認識しかなかった。木漏れ日の家に入ってからは充分に楽しかったし、幸せだったし。
「ん? じゃあ、何で俺は自分の名前がわかんねーんだ? 超能力者実験を受けてもいないのに、名前がわかんねーのかよ」
「それは……。響はね、多分わたしと同じだったんだよ。わたしと同じ……非常に高い適正を持っていた。自我が混同してしまうほどに」
「……いや、今の俺を見ればわかると思うが、一切そういう凄い力はないぞ」
「うん。それは……色々あって」
「もったいぶるなよ。別にいいだろ、教えてくれたって」
「……やだ。まだ教えてあげない」
悪戯っぽく笑う京は何故かこんな状況なのに楽しそうだった。いや――だからこそ、なんだろうか。
京にとってきっと過去を楽しく語るなんて事は一度もない事だったんだろう。他に誰も、こんな話を打ち明けられるやつはいなかったんだ。俺たちだって、中学の卒業アルバムとかを見たら懐かしい気持ちになる。思い出には沢山の優しい気持ちが詰まっているんだ。そこには悲しい事もあったけど、でもやっぱり幸せだった時間は確かにあったはずだから。
誰にだって当たり前に在る事が、きっと京には無かった。だからこいつはこんなにも楽しそうで、幸せそうなんだ。ただ俺と手を握って昔話をするだけで、京はどれだけ満たされているのだろう。そう考えると少しだけ寂しい気持ちになった。
外の世界には楽しい事があると、彼女に手を差し伸べた昔の自分の気持ちが今ならハッキリと判る。きっと、こんな気持ちだったんだろう。囚われのお姫様、か……。あながち、的外れってわけでもない。
「――――最近、少し楽しそうね」
鳴海の声が聞こえて部屋の中に視線を向ける。そこにはまだ中学生の鳴海の姿があった。それを見てビビったが、確かに京に良く似ているのだ。昔の鳴海は今より大分おしとやかな感じで、色々な意味でまともだった。
ベッドに腰掛けて京の頬を撫でる鳴海。俺たちは窓の外側に立って二人の様子を眺めていた。京は一生懸命に自分の覚えている事をメモを見ながら鳴海に放していた。鳴海はどんなくだらない事にもきちんと相槌を打って、その言葉を噛み締めるようにして頷いていた。微笑む姉の姿は温かくて、見ているこっちもなんだか和んだ気分になってくる。
「お姉ちゃんは昔からすごく優しかったんだ」
「……昔、から? 昔は、じゃなくてか……?」
「今でも優しい」
「そうかあ……?」
「優しいの」
ちょっと拗ねた様子でそう繰り返すので、仕方が無くそういう事にしといてやることにした。
「でも、お姉ちゃんはいつも悲しそうだった。自分だけ普通に暮らせる事にすごく負い目を感じていたんだと思う。だから自分は楽しいんだよって、幸せなんだよって、笑って話をした。でも……部屋から出てないから話の中身はいっつも同じ事。同じ事ばかり楽しそうに繰り返ししゃべってるわたしの姿は、多分お姉ちゃんからしてみれば悲痛だったんだろうね」
「…………そりゃな」
「子供だから、気づかなかったんだ。お姉ちゃんがわたしに会いに来るのにどれだけ覚悟が必要だったのか……。どれだけ、胸が張り裂けそうな思いだったのか」
窓辺に手を沿え、京はそう呟く。花畑から風が吹きぬけ、彼女の髪を揺らして行く。どんな気持ちで、過去の景色を眺めているのだろう。どんな気持ちで、俺の隣に居るのだろう。
「……なあ、京」
「う?」
「なんか……悪かったな」
「何が?」
「俺、お前の事ぜんっぜん覚えてなかった。もう全く欠片ほども覚えてなかった。こうして良く見れば、お前はどう見たって櫻井京なのに……」
「それは、仕方ない」
頷き、京は俺に向かい合う。それから俺の手を握り締め、首を横に振った。
「きみが悪いんじゃない。皆忘れてるだけ。誰も覚えてなんか居られなかった。響だけが悪いんじゃないよ」
「……ああ。だからせめて、ちゃんと思い出すよ。少しずつ判ってきたんだ。俺の本当の気持ち。何をしたかったのか……」
花畑の中、時間が止まっている。俺が何のために走って、何のために戦って、何のために生きようとしたのか……。その理由が見つけられれば、もう一度歩けるだろうか? こんな、世界の果てのような場所からでも。
彼女が俺の手を強く握り締める。やっぱり掌は冷たかった。でも俺は指を絡め、その手を握り返す。今は一人じゃない。彼女が一緒だから。そう思えるだけで、先へと進む勇気が生まれてくるから――。
対岸のベロニカ(1)
「まさか、貴方がこっちに出向いてくるとは思ってなかったです……。舞さん――」
夕暮れ時、太陽が水平線に沈んで行く。いつか響と鶫が戦った公園の中、向かい合う舞と鶫の姿があった。二人の髪とスカートが風に靡き、間に引かれた二メートルの距離感が互いの心境を表しているようだった。
鶫のユニフォンに舞からの連絡があったのはつい先ほどの事である。鶫は迷う事なく指定された場所までやって来た。髪をポニーテールに結んだ舞はゆっくりと顔を挙げ、鶫を見詰める。
「……来てくれないかと思った」
「私も来ない方がいいかと思いました。でも、それは違うと思うから」
「……強い、のね」
「強くなろうと決めたから」
迷いのない真っ直ぐな視線に舞は肩を落とした。ゆっくりと視線を上げ、空を見上げる。真夏が目前に迫っているというのに、街を吹き抜ける風は異様に冷たかった。舞の着込んだ紅いコートが風に揺れる。
「…………あたしは、何をやっていたのかな。なんだかみんなどんどん前に進んじゃって、取り残されてるみたい」
「舞さんは、どうしたかったんですか?」
「…………どう、したかったんだろう。今はもう、何も判らないわ……。どうしてこうなってしまったのか、理由を探そうにもそれさえ見つからない」
項垂れる舞を見詰め、鶫は歩み寄る。そうして直ぐ傍で舞の事をただ見詰め続けた。舞は顔を挙げ、悔しそうに視線を反らす。
「皆守りたかった……。何も手放したくなかった。でもそんなのは無理だってわかっていたから、本当に大切な物以外は全部捨てなきゃいけないんだって思った。でも、それも出来なくて……馬鹿みたいに何も捨てられなくて、中途半端なままで……。あたし、何やってたんだろ……」
「――確かに、全部は守れないと思います。でもやっぱり、それを諦めるのは違うんだと思うんです。櫻井君は……迷いながらも全部に手を伸ばしました。それって子供なんでしょうか? 馬鹿なんでしょうか? そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないと思うんです。だって誰にもその先のことなんて判らない。何がどうとか、意味がなんだとか、そんなのは全部結果論なんです。私たちはそうした先の事を考える前に、今目の前にある何かに全力を尽くすべきだったんですよ」
鶫の諭すような口調は正にその通りだと舞の胸に染み込んで行った。まだ、たかだか二十年も生きていないような子供である自分たちに先のことなど判るはずもない。迷って当然、間違えて当然なのだ。そうしたゆらゆらと揺れる気持ちの中で、それでも良いと思えるものを選択していく事……。何でもいいからがむしゃらに走り続ける事。それはきっと、無駄などではないのだ。
間違えても駄目でもなんだっていい。意味も理由も、そんなものは後からいくらでも付け足せる。後からどうにもならないものは、ただ後悔するしかない。ただ悔やみ、ただあの時ああしていればと嘆くしかないのだ。
もしも本当に何かを願うのならば、そこに至る道を考えるのではなく、目の前にある物へとただ只管に飛び込んで、その結果にそれがある事を祈ればいい。自分の行動に責任を持ち、それをただ受け止められるのならば、人はどんな罪だって許されているのだから。
「…………やっぱり、響は凄いよ。あの根暗だったお嬢さんを、こんなにも変えてしまったんだから」
「はい。櫻井君は素敵です。とても、すごく」
満面の笑みを浮かべる鶫を前に舞は目を瞑り、あきれたように苦笑する。そうして目を開いた時、そこには鶫の良く知る三代舞の姿があった。鋭く眩く、凛々しい瞳の舞の姿が。
「――手を貸して、お嬢さん。響をノブリス・オブリージュから開放するわ」
「それは、誰のためですか?」
鶫の質問に舞は少しだけ思案する。それから自分の胸に手を当て、ゆっくりと思いを紡ぐ。
「判らないわ。でも今そうしたいと思ったの。その気持ち、無駄にしたくないから……」
「……いいと思いますよ、そんな理由も」
「そうかしら」
「そうですよ」
そうして鶫はそっと舞に手を差し伸べた。舞もその手を握り締める。そうして二人が笑いあっていた時だった。突然、街中に大音量でアラートが流れ始める。
何事かと空を見上げる二人の視線の先、頭上を無数のヘリコプターが通り過ぎて行く。それらを見送り、鳴海は眉を潜めて呟いた。
「自衛隊……。いよいよ、政府は本気ってわけね」
「どういう事ですか?」
「この街が戦場になるって事よ。直に避難命令が下るわ。この街が無人になり、政府側とジェネシスが交戦状態に入った時がチャンスよ。混乱に乗じて一気に響を奪還するわ」
「なんだか火事場泥棒ですね」
「しょうがないでしょ! ジェネシス本社ビルにはノブリス・オブリージュがウジャウジャいるんだから……。正直、まともに飛び込めばひとたまりもないわよ」
「え!? ノブリス・オブリージュっていっぱいいるものなんですか!?」
「白いのは量産タイプなのよ――っと、そういえばエリスちゃんは? 特に外傷とかはないと思うけど……」
「今は櫻井君の家で眠ってます。戦いが始まるなら、街の外に避難させて上げないと――」
鶫がそう呟いた時だった。突然、目の前の舞が鶫を強引に突き飛ばす。あまりの勢いに派手に転んでしまい、涙目で顔を上げた鶫の目の前、舞の身体が傾いていた。
ぽたりと、血の雫が零れ落ちる。舞の身体には二本の鎖が貫通し、背後の木へと剣が突き刺さっていた。鶫が視線を向けた先、無表情にオルタナティブを放った奏の姿があった。
「――転送機能を使ったのは迂闊だったな、舞。焦っていたのは判るが、少し考えればわかる事じゃないか。転送装置はベロニカシステムの応用。気づかれないはずもないだろう?」
「…………そう、よね……。馬鹿……ね、あたし」
「舞さんっ!!」
立ち上がりVSを召喚しようとユニフォンを手に取った鶫であったが、飛来した鎖に弾かれてユニフォンが宙を舞う。砂の上に落ちたユニフォンを眺め、打たれた手首を押えながら鶫は奏を睨み付けた。
「余計な事をするな。もうお前程度に興味はないんだ、皆瀬鶫……。僕はただ、裏切り者を処理しに来ただけだからな」
“裏切り者”――。そう呼ばれた舞は悲しげに眉を潜めた。胸と腹を貫いた鎖に見る見る血が滴っていく。その口から血があふれ出し、舞はその場に両膝を着いた。
「……逃げなさい、お嬢さん……。奏は、強い……。あんた一人じゃ、勝てないわ……」
「舞さん……どうして……」
「奏……っ。奏は本当に、これで良かったの……っ? 何もかも台無しにして、それで幸せになれるの……?」
「無駄口を叩くな」
強引に鎖を引き抜き、舞の身体が揺れる。その場に両手を着いて大量の血を吐き出す舞に鶫が駆け寄った。呼吸もままならず、肩を震わせる舞を抱きしめる。その両手に大量の血が滲み、鶫は唇を噛み締めた。
「残念だよ舞。君だけは、僕を裏切らないと思っていたのに」
「……それは、あたしだって、思ってたわよ……。あたしだけは……奏の味方で居てあげようって。でも……っ! こんな奏、もう見てられないよ……! 奏だって、やりたくてやってるわけじゃないくせに!」
「これは僕の願いだ! 十年待ったんだ!! 今度こそ、僕が全てを救ってみせる……!!」
「昔の事なんて、どうでもいいよ……っ! どうして今の事を見られないの……? 今幸せになれないくせに、明日笑っていられるわけ、ないじゃないっ!!」
奏はVSを消滅させ、舞を見下ろす。その瞳は悲痛な想いに満ちていた。次の瞬間舞が呼ぶ声も聞かず、奏の姿は消えてしまった。舞は泣きながら血塗れの拳を握り締める。
「やっぱ、駄目か……。あたしじゃ、奏は助けられないや……」
「舞さん……。舞さん、しっかりしてくださいっ!! 櫻井君のマンションに居る隼人君に力を借りれば助かりますっ!!」
血塗れの舞を歯を食いしばって背負い上げる鶫。VSを使えばひとっとびなのに、そんなことも考えられないほど鶫は動転していた。舞の掌からユニフォンが零れ落ち、血の海に沈む。
「ごめんなさい、お嬢さん……。やっぱりさっきの約束……取り消しで、いい……? 一緒には、行けないから……」
「何諦めてるんですかっ!! まだ……何もしてないくせに! これからするんでしょう!? 自由に生きるんでしょうっ!!!! なのに、貴方はっ!!!!」
「そんな、怒んないでよ……。ねえ……お嬢さん。響を、助けてあげて……。そうする事がきっと、奏を救う事にもなるから……」
「そんなの……。そんなの、押し付けないで下さいよ……」
「だから、ごめんって……。それから、ありがと……。また、一緒に……。少しだけでも一緒に手を繋げて、嬉しかった……。それで…………」
舞の言葉が途切れ、鶫が足を止める。背負った舞の反応が無い。鶫は振り返る。舞はうっすらと瞳を開いたまま小さく口を開けて黙り込んでいた。全身の力が抜けてその場に膝を着く。舞は鶫の背中を離れ、砂の上に大の字に倒れた。
「舞さん……」
その口と傷口からはまだ鮮やかな真紅の血が流れ続けている。鶫は何故か無表情に立ち上がり、その舞の姿を見下ろしていた。全てに現実味が無い。まるで悪夢の中の出来事のようだった。
ふと、視線は血溜りの中の舞のユニフォンに向けられた。震える手でそれを拾い上げる。ユニフォンを操作する指が震えて画面がよく見えなかった。でもそこには確かに、舞が残してくれた情報が残っていた。
地下に続くルート。ベロニカシステムの在り処。ノブリス・オブリージュへの道――。舞がきっと、鶫に託そうとしていた物。ぎゅっと、オレンジ色のベルサスを胸に抱きしめる。
「なんで、こうなんですか……? 折角、一緒にまた戦えるのに……っ!! やっと、ちゃんと分かり合えたのに――ッ!!」
舞に駆け寄り、その身体を抱きかかえた。暖かく流れ続ける血は止まらない。舞の身体を強く抱きしめる。温もりがゆっくりと冷めてしまう前に、その記憶を刻み付けたかった。
夕焼け空を見上げ、鶫は泣いた。その叫びを掻き消すように、上空をヘリコプターが飛んで行く。夕闇が完全なる闇に包まれた時、全ての終わりが始まろうとしていた……。
〜とびだせ! ベロニカ劇場〜
*そして伝説へ*
響「なあ、サブタイが――」
氷室「うむ」
響「もう、終わる前兆じゃねえか……」
氷室「終わる前兆だなあ。本当はもうちょっと色々余計な事をする予定だったが、なんかもう終わりだ」
響「なんかもう終わりなのか……」
蓮「あとはもうネタバレラッシュとそれぞれの最終決戦だけだもんね」
響「しかし、レーヴァテインやキルシュヴァッサーと比べても短くないか?」
氷室「うむ。六十数部で終わる予定だからな」
蓮「短いね。ディアノイアなんて110部こえてたのに」
響「そんなにやっても誰も喜ばないからね――」
氷室「まあそんなわけで、もう少しで終わるわけだが」
響「そうだなあ…………」
蓮「なんか、いざ終わるとなると特に言う事もないよね」
響「うん」
氷室「……まあ、とにかく最後まで頑張ろう」