Dark Matter(2)
昔からずっと、何かを信じて突っ走ってきた。でもその結果、俺は何かを成し遂げられたんだろうか。
俺の中身はいつもカラッポで、満たされる事はなかった。そんな自分から目を反らし、いつも遠い所ばかりを見てきた。今の自分から、逃げ出したかった。
生きてりゃいつかはいい事あるって、鳴海だって言ってた。一緒に行こうって舞も言ってくれた。奏だって――何も言わず、勉強を教えてくれて。料理を教えてくれて。いつも突っかかる俺に困ったような笑顔を浮かべながら。それでも俺を守ってくれていた。
沢山の人に守られて俺は生きている。だからそういう人たちを守りたかった。俺の世界を守りたかった。この世界がどうなるとか、そういうのは正直よく判らない。判る必要もないんだ。だからいつも、自分の手の届く範囲で何かと戦ってきた。
友達が出来て。仲間が出来て。辛い事もあったけどそれでよかったなって、後でみんなで笑えると思ってた。でも……どうしてなんだろう。こんなにも俺の中には何も無い。その理由に少しずつ気づいてしまった。俺はきっと、偽者だから。
「――響」
声にゆっくりと顔を上げる。俺一人だけのはずだった古びた礼拝堂の中にはもう一つの人影の姿があった。立っていたのはライダーだった。彼女は優しく微笑み、俺の隣に腰を降ろす。
ライダーはどうしてここにいるんだろう? 俺の中に、ライダーがいる……。俺の手に自らの手を重ね、少女は微笑んでいた。俺は目を瞑り、指を絡めた。
「俺は……ツギハギだらけだ。間違ってばかりだった。少しだけそれを正せたつもりになってみても、やっぱり間違いには違いないんだ」
「間違いなんて無いよ。響は、ちゃんと自分の気持ちに従ってる」
「でも気持ちだけじゃ何も出来ないんだ……! 大切な人を守れない……。いや、いいのか……もう。俺はきっともう、ここからは出られない」
何となく判るんだ。教会は閉鎖されていて、俺の心の中に閉ざされたイメージを作っている。俺の心はここで始まって、ここで消えて行くんだろう。ここが俺の旅路の果て……。この先なんてもう無いんだ。
なんだよ。判ってたんじゃないか。そうさ、俺は舞とは戦えない。奏とも戦えない。何で戦わなきゃならないんだ? そんな必要なんてないのに。俺はそんなの望んでいないのに。
望んでいない方向にばかり世界が動いていく。どうして思い通りにならないんだって叫びたくなる。なのにそれさえも出来なかった。他人にどんなに偉そうな態度を取ったって、俺は結局中身が薄っぺらいから直ぐに足が止まる。
それでも騙し騙し最後まで走れればいいかなってそう考えてたんだ。でもそれさえも出来なくなった。もう、どこにも行けない……。ここが、終わり。
「響は…………わたしを助けてくれたよ」
「いつ……? 俺が何したってんだ。助けられてたのはいつだって俺の方だった。俺は……京の助けになんかなれなかった」
「きみが居たから、わたしはここにいる。きみがわたしに手を伸ばしてくれたから、わたしはここにいられた。どんなに僅かな間だけでも、それでよかったんだって思えるのは、差し伸べられた手を自分の意思で選び取ったから。もう、理由も意味も要らないんだよ。ただそれだけでいい。きみの事を信じて、きみの事を……愛したから」
ライダーは少し照れくさそうにそう呟いた。それから立ち上がり、降り注ぐ優しい光の中に躍り出る。俺はライダーに続いて立ち上がった。二人で光の中見詰めあう。
「――ねえ、わたしたちは一つになった。もうどこにも行かなくてもいい。ずっと、ここに居てもいい……。でもね、沢山伝えたい事があるんだ。全部を伝えられるか、自信は無いけど……。一生懸命話すから――聞いて欲しいな」
京が俺を見ている。俺は頷いた。ああ、そうだ。どうせもう、どこにも行かなくていいんだ。ずっとここで、傷つかない場所に居ていい。だから京の話を聞こうと思う。彼女の言葉一つが胸にしみこむ度に、俺は少しだけ自分を取り戻す。
「――始まりは、この場所からだった」
京が両手を広げる。俺は彼女が語る物語に耳を澄ませた。今はそれだけが世界の全て。俺の中の、全てだったから。
Dark Matter(2)
その夜、街中に供給されていた電力が五分間に渡り原因不明の停電――。まるでその光を失う前と後とで世界が反転してしまったかのように、翌日から東京メガフロートには異様な空気が漂い始めた。
真夏の世界に降り注ぐ白い雪。荒れ狂う風と、それとは正反対に訪れる凪。まるで世界が安定を失いふらふらと彷徨っているかの様。窓の外のそんな景色を眺めながら、皆瀬鶫は静かに拳を握り締めた。
あの戦いの結果は散々な物だった。まるで全て予定調和どおりといわんばかりに相手のペースに巻き込まれ、手も足も出せなかった。櫻井響という自分たちの中心人物を失い、同盟は緩やかに崩壊を始めていた。圧倒的過ぎる存在を前に、彼女たちはとても無力だった。
戦いの目的であった神崎エリスの奪還と第二、第四電波搭施設の破壊には成功した。だが、最悪の敵を生み出すことでその結果は相殺されてしまった。結局また、振り出しに戻った。途方も無い障害を前に。
「――じゃ、アタシはちょっと出かけてくるわ」
突然立ち上がった鳴海がそう宣言し、全員が驚いて振り返る。黒きノブリス・オブリージュの出現により発生した世界の歪に巻き込まれ、ケイトと隼人は重傷を負った。何とか目を覚ましたケイトから現状を聞いた鳴海はその前から胸の中で決めていた事を実行に移す事にした。
「出かけてくるって……ど、どこにですか?」
「響と奏が居た孤児院――“木漏れ日の家”よ。そしてそこは、アタシの妹が居た場所でもある……」
「え……?」
「奏は言ってたわ。みんな忘れているって。だからそれを思い出す事で、この状況を打開するヒントが得られるかもしれない……。惣介と蓮ちゃんは本土に避難するそうだから、丁度いいと思ってね」
蓮はたまたまこの街に来ていただけに過ぎない。本土に戻る事を強く推したのは鳴海である。勿論そこには惣介の意思もあった。この街では何か大変な事が起ころうとしている。関係のある鳴海やVS所有者は兎も角、蓮や惣介は態々危険だとわかっているこの街に滞在する必要も無い。
鶫もそれには同意したし、知っていた事だ。重傷を負った隼人がまだ目覚めず、それを志乃が治療中の今、自由に動く事が出来るのは鶫と鳴海だけである。鳴海は装備のチェックをし、支度をしながら鶫を見詰める。
「響を助ける方法を見つけ出して、必ず戻ってくる。だからそれまで、鶫ちゃんには耐えてもらう事になるけど……大丈夫?」
「――はい。私は、一緒に行っても多分力になれないでしょうし……。今自分に出来る事、精一杯頑張ります」
「そう……。ありがとうね、鶫ちゃん。貴方にだって、色々あるのに」
「いいんです。そんな事気にしないで下さい。鳴海さんの事、待ってます。必ず助けましょう。櫻井君を」
真っ直ぐに頷くその鶫の眼差しに鳴海は何故か響の面影を重ねていた。そんな自分が馬鹿らしくなり――以前見た、おどおどした鶫の様子を思い出す。彼女は変わった。強くなった。きっとだからこそ、響を助けたいという気持ちは本物なのだろうと。
鳴海は鶫の傍に歩み寄り、その小さな身体を強く抱きしめた。僅か数秒間の温もりを残し、名残惜しそうに鳴海は身体を離す。そんな鳴海を鶫は驚いた様子で見詰めていた。
「本当はこんな事、子供がすることじゃないのよ。大人が守ってあげなきゃいけないのに……」
「……鳴海さん、いいにおいがしますね」
照れくさそうに笑い、鶫は頷く。
「大丈夫です。もう、守られているだけじゃ嫌なんです。大切な物は、自分で手を伸ばして守る事に決めたから……。鳴海さんだって、そうですよね?」
そういわれてしまっては鳴海も何も反論は出来なかった。上着を羽織り、黒いシルエットに包まれて鳴海は鶫に最後微笑みかけ、玄関へと向かう。そんな鳴海の前に立っていたのはケイトと志乃の二人であった。
「……あの場所に行くんだろう? 鳴海」
「ケイト!? ちょっと、大丈夫なの!?」
「完治はしていないが、歩けるさ……。多少、痛々しい状態なのは目を瞑ってもらうしかないけれどね」
体中に包帯を巻いたケイトは志乃の肩を借りてやっと歩いているような状態だった。それでも微笑を浮かべ、鳴海を見詰める。
「私も一緒に行こう。一人より、得る物はあるはずだ」
「無茶よ! そんな状態で!!」
「ボクも同行します。それなら大丈夫でしょう? 何かあれば、ボクが彼女の面倒を見ますから」
「志乃君まで……。それに、志乃君が居なくなったら隼人君はどうするのよ?」
「彼の同意は得ています。彼の能力は便利ですね。意識を取り戻しまして、ドッペルゲンガーでボクの能力を再現すれば自力で回復が可能だそうです。勿論傍に居た方がいいのは当たり前なんですが、多分ボクも一緒に行くべきなんだと思うので」
それは確かにその通りである。鳴海は腕を組み、思案した。この行動は文字通り最後のカウンターに他ならない。もうこれで何も手がなければ、響を救う手段は恐らく永遠に失われてしまうだろう。
いや、それまでの間世界がまだ存続しているのかどうか――。自分たちがまだ、自分たちで居られるのかどうか。世界を書き変える力を持つベロニカは既に完成間際であり、それは今ジェネシスの手の中にある。問答無用で全てを台無しにするその力がいつ世界を変えてしまうのかも判らない。
だからこそ急がねばならないのだ。待っている暇などない。例え傷だらけだろうと、ケイトを引き摺ってでもあの場所に向かうのが確かに正しいのだろう。その判断を下す事に戸惑う鳴海の肩を叩き、ケイトが笑う。
「別に、君が負い目を感じる必要はないよ。たとえ君が響と奏、今私たちの目の前に立ち塞がっている強大な障害の兄だとしても。鳴海の名を冠する最後の生き残りだとしても……。私も知りたいんだ。忘れている事を思い出したい。ただ、それだけさ」
「ボクも同じ気持ちです。自分でそれを知りたいと願うから、確かめに行きたいんです。だからもう、鳴海さんが許可してくれなくても、ついていくつもりですよ」
「二人とも……しょうがないわねえ。ホント、皆子供なんだから」
アタシも含め、ね――。鳴海が最後に付け加えた言葉。それは誰の耳にも届く事はなかった。三人が部屋から出て行くのを見送り、鶫は一人で息をつく。静かになってしまった部屋の中。数日前までは、あんなにも賑やかで皆の気持ちが一つだったのに――。響がいないだけで、こんなにも世界はカラッポだ。
一人で振り返る。この街で響と出会い、響と共に駆け抜けてきた時間はたったの三週間程度だった。ただ、それだけの事……。それだけなのに今でもきらきらと輝いて、思い出の中でも一番の光を放っている。沢山沢山、これからも時間を重ねて行きたかった。でもそれはもう、叶わないのかもしれない。
矛盾した現実は今この瞬間も鶫の身体を蝕んで居る。例えこのまま生き残れたとしても、きっと自分は全て忘れてしまうだろう。そうなってしまう前に、響に伝えなければならない事がある。助けなきゃいけないのは響のためだ。でもやっぱり、自分がそうしたいから。
一人でソファの上に腰を下ろし、静かに目を瞑る。怖い夜だって響が一緒だったから乗り越えて来られた。今まで起こった全てのこと、全部無意味だったなんて思いたくない。やっぱり最後は、笑って欲しいから。
人を殺めた罪は永遠に消え去る事はないだろう。だからきっともう、幸せになんて生きられない。でもそれは自分だけでいい。響まで背負わなくてもいい。だからその痛みを少し、背負ってあげたい。
「今度こそ、頑張らなきゃ……。絶対に助けなきゃ……。櫻井君――」
「――――やだやだやだっ!! 蓮も最後まで皆と一緒にいるっ!!!!」
本土へと向かうモノレールの駅前、駄々をこねる蓮の姿があった。本土に戻るべきだという判断は、当然大人の都合である。蓮がそれを承諾したのかといえば、その答えは勿論否である。
蓮は最早今にも泣き出しそうなくらいに不貞腐れていた。そんな蓮の頭を撫で、鳴海が苦笑を浮かべながらその顔を覗きこんだ。堪えきれず、蓮は泣き出してしまう。大粒の涙が零れ落ち、何故か見ていた鳴海まで泣きそうになってしまった。
「蓮ちゃんには、帰る所があるの。ここに来たのは、貴方の人生のほんの寄り道よ。そこで命を賭ける必要はないの」
「わかんないよ、そんなの……。だったらどうして皆は戦うの? まだこの街に残るの!?」
「アタシには義務と責任があるの。もう繰り返してしまわない為に」
「全然わかんないよっ!!!! 皆が笑っていられる事が一番大事なんじゃないの!? 帰る場所なら、皆にだってあるよっ!! 居なくなっていい人といけない人なんてそんな区別は必要ないんだよ、鳴海!」
一生懸命にそう語る蓮であったが、何故か周囲はにこにこ笑っていた。自分は真面目に話しているつもりなのに周囲が笑っているので蓮は訳がわからず首を傾げる。
「ああ、えっと……。馬鹿にしてるわけじゃないんだよ。ボクもその通りだと思う。蓮ちゃんは、間違ってないよ」
「全くだな……。耳が痛いよ、私も」
「確かにね、アタシたちにだって帰る場所はあるわ。戦う意味も理由もある。でも一番怖い事は、大切な物を守れないことなの。失ってしまうくらいなら、蓮ちゃんにはこの街から遠ざかって欲しいと願う……。蓮ちゃんの言う通りだね。アタシたちは皆、自分の事しか考えていない」
そういうつもりで蓮が言ったのではないのだと、皆わかっていた。でも自分の浅ましさと勝手さは時々笑ってしまうくらいに矛盾を繰り返す。それでも守りたいから。助けたいのだ。“帰るべき場所”を。
本土へ向かうモノレールがやってくる。全員で何も言わず、それに乗り込んだ。モノレールの中、鳴海は遠ざかっていく街を遠巻きに眺めて目を細めた。傍ら、惣介が並んで街を見詰める。
「蓮の事は任せてくれ。必ず無事に彼女の家まで送り届ける」
「当然でしょ。蓮ちゃんに何かあったら、アンタの事一生許さないわよ」
「…………だな」
惣介はズボンのポケットに片手を突っ込み吊革に手をかける。殆ど揺れない車内の中、惣介は目を瞑る。
「なあ、鳴海」
「何?」
「…………いや、何でもない」
惣介はそれきり言葉を遮り、鳴海の傍を離れて行った。目を瞑った鳴海は小さく息を漏らし、少しだけいじけた表情を浮かべた。期待していた言葉は結局、自分のところには届きそうも無かった。
五人を乗せたモノレールが東京に到着すると、惣介がタクシーを捕まえる。駅前で蓮は振り返り、それから鳴海たちに手を振った。
「絶対、また会えるよねっ!?」
鳴海は黙って手を振った。蓮は名残惜しそうに鳴海たちの姿を見つめ、それを振り切るようにタクシーに乗り込んだ。惣介と蓮が段々と遠ざかっていくのを見送り、鳴海は腰に手を当て顔を上げる。
「さて、行きましょうか。全ての始まりの場所へ――」
東京メガフロート中央に存在する第一電波搭の最下層、シャフトの中央に拘束された黒いノブリス・オブリージュの姿があった。青い光を放つ縦穴の中、無数のケーブルに繋がれて櫻井響は眠り続けている。システムとして掌握され、既に自意識を失った響は死んでしまったと表現してもなんら差し当たり無い状況でもある。そんな響を正面から見詰め、舞は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
今まで自分の信じる事をしてきたつもりだった。だが、結果はこれだ。自分の目的を優先してきたつもりだった。自分で選んで決めてきたはずだった。それなのにどうして、こんなにも悲しいのだろう。
矛盾に満ちた世界の中、それでも奏を守りたかった。なのにこうして全ては擦れ違い、おかしな方向へとズレ始めている。奏はどこかへ姿を消し、ジェネシスの中で舞はもう一人ぼっちだった。
あの日、響と鶫が居なくなってしまって。自分は結局その両方を守れなかったのだと悔やんだ。そんな時奏に出会い、もう自分には奏しかいないのだと考えた。響も鶫ももう死んでしまったのだから、幻なのだと思い込んだ。
だが現実は舞の身体に纏わりつき、鎖のように絡み合う。本当に守りたかった物はなんだったか。本当に得たかった物はなんだったか。
「あたし……間違ってたのかな……」
黒い獣へと歩み寄り、その頬に触れる。冷たい装甲は何も答えてはくれない。魔王に相応しい様相となったその少年に、自分は何をしてしまったのだろう。奏は一体、何を望んでいたのだろう――?
「……駄目だね、あたし。強がっても頑張っても、いっつも空回りなんだ。好きだって気持ちも、奏には届かないや……。きっと奏はあたしの事なんてどうでもよかったんだよ……。なのに馬鹿だね。奏の為だって信じて、こんな事になっててさ……」
泣きながら呟く贖罪の言葉。しかしもう、引き返す事は出来ない。ここまできてしまったのだから。だからせめて願うのは、この世界が穏やかであること。この世界があの、幸せだった頃に戻る事――。
舞はその場に膝を付き、涙を流し続けた。未来を失った人々の願いはどこに消えて行くのだろうか。ノブリス・オブリージュは答えない。黒き闇が、全てを飲み干して行く――。