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Fate(3)

「ほら、もう泣かないの! 意地悪なやつらはみんなおっぱらったんだから!」


 ある日、響にそうして手を差し伸べた一人の少女が居た。男の子が相手だろうがなんだろうが、悪いと思った事には口ではなく手を出してしまうその女の子はいつでも傷だらけで、頬に張られた絆創膏が絶える事はなかった。

 泣きながらその手をぎゅっと握り締め、響は立ち上がった。口と鼻から血を流しながら女の子は笑っていた。響はそれがとても不思議な事に思えて仕方が無かった。どうして? どうして痛いのに、笑っていられるんだろう――。

 生きる意味。生きて行くという事。考えるだけでも疲れてしまう様々な世界のルール。明日の事なんかわからない。わからないから不安で、押しつぶされそうにもなる。誰も助けてなどくれない世界。誰も守ってなど、あげられない世界……。

 幼い頃、響は既に生きる目的を失い欠けていた。ただ惰性で続けられる日々。繰り返されていく悪意の連鎖――。折り重なっている世界のルール。そこから目を背けたくて、誰かと関わる事が恐ろしくて仕方なかった。

 そんな響に笑いかけ、血のついた手を差し伸べてくれた女の子……。その手は泥にまみれている。でもとても力強かった。ぎゅうっと、響の手を握り締めてくれた。それだけでその人を信じられる気がした。


「あんた、名前は?」


「……わかんない」


「なんで?」


「無いんだ、名前……。忘れちゃったんだ。思い出せないんだ……」


「でも、名前がないと不便だわ」


「だから、新しいお父さんとお母さんが、名前付けてくれたの。でも……」


 その名前に、現実味なんてなかった。失ってしまった物は遥か大きく、取り返すことは出来ない。心の中にぽっかりと空いてしまった穴――それを塞ぐ事は出来ないのだ。

 だというのに、少女は真っ直ぐに笑いかけてくる。そうして血を拭い、それからスカートの砂を叩いて腕を組む。傷だらけで笑う天使――そんな言葉が自然と響の頭の中に浮かんだ。太陽みたいに明るくて、あったかい女の子。だからその子から目を反らす事なんて忘れてしまっていた。


「名乗りなさいよ。その名前があんたの名前なら、名乗りなさいよ」


「…………」


「こんなとこでうじうじしてるよりよっぽどいいわ。名乗りなさい。自分で名乗るの。誰かに与えられたものでもね、これは自分なんだって、自分の物なんだって、自分で決めて、自分でそうするの。そうすればきっと、それはあんたのものになる。あんたはそれを誇れる」


 響はゆっくりと顔を上げた。女の子は笑っている。響が名前を言うのを待ってくれているようだった。だから、仕方が無く――それでも自分で決めたのだ。その瞬間、彼は本当に彼になった。


「――――さくらい、きょう」


「いい名前!」


「そうかな?」


「そうよ。それじゃあ、“きょう”? あんたに言って置く事が二つあるわ」


 次の瞬間、舞の拳が響の顔面に減り込んでいた。派手に吹っ飛ばされた響は何が起きたのか判らずに腫れた頬を押えながら身体を起こした。舞は心底スッキリしたという表情で響を見下ろしている。


「殴られたら殴り返しなさい! 男の子なんだから、それくらいして当然なの。ほっといたらあいつら、いつまでだってベタベタ纏わり着いてウザったいままよ」


「で、でも〜……」


「でも〜じゃないの! わかったら返事は“はい”!」


「はい……」


「そ、判ればいいの。それともう一つ」


 倒れた響に再び手を差し伸べる舞。優しい笑顔で、告げてくれる言葉。


「あたしの名前は三代舞……。今日からあんたの、友達よ」


 その手を伸ばしてくれたからこそ、響は響で居られた。その差し伸べられた手こそが、今の響を形作っている全ての根源――。

 目を覚ました響はゆっくりと身体を起こした。そこは見知らぬ部屋だった。東京メガフロートと本土とを繋ぐゲートエリアに存在する、高級ホテル、その一室である。響は自分の身体を眺めた。両手をじっと見詰める。


「ん? 両手……?」


 記憶が正しければ、自分の左腕は切断され、胴体には大穴が開いてしまったはずだった。死んで当然の重傷である。しかし、体の何処にも傷らしき物は見当たらなかった。

 あれも含めて夢だったのだろうか――? だがそんな甘い幻想に浸るわけにはいかない。痛みも、衝撃も、胸の苦しみも……全ては鮮明に思い出す事が出来るのだから。


「あ、目が覚めたんだね。よかった、無事で」


「……志乃? 俺は……?」


 部屋に入ってきたのは志乃だった。響の横になっているベッドに自らも腰掛け、柔らかく微笑む。状況が飲み込めない響に志乃はゆっくりと経緯を説明した。

 まず、あの直後志乃が響を連れ帰った事。響の家が何処なのか判らなかったので連れて行く事が出来なかった事。そして響の切断された腕と大穴をふさいだのは、自らの能力“レクレンス”であるという事。


「レクレンスの能力、“回帰リヴァイヴ”は対象を最も正常な状態に戻す力――まあ、ざっくばらんに言えば回復能力なんだ。とりあえず、手足が切れたくらいだったら直して上げられるんだ」


「……それも、“結果の変動”における能力って事か。つくづくなんでもありだな、VSってのは」


「ただ、僕のレクレンスの戦闘力は決して高くはないんだ。能力も、対象をレクレンス本体――巨大な包帯で傷の度合いに比例する時間だけ包み込む必要がある。君の傷を塞ぐのに、六時間かかってしまった」


「ってことは、もう日付が変わってるのか……」


「まだあんまり動かない方がいいよ。君の存在はまだ、“腕を失ったはず、身体に穴が開いているはず”っていう自己認識を持っているんだ。だから無闇に動くと認識の相違で体力を消耗する。傷口は、出来れば包帯で覆った方がいい」


 コンビニで治療用の道具を揃えてきた志乃はビニール袋から包帯を取り出して響の傷の無い身体に巻いて行く。それは奇妙な感覚だったが、“治ったのだ”と自分で思い込めるまでは、それはないよりはあったほうがいいのだと、響自身にも理解出来た。


「それにしても、どうなってるの? 奏はどうしてあんな事を……。君の、腕を切るなんて。君もそうだよ。どうして奏の事を殺そうとしたの?」


「それは……。仕方が無いだろ。あいつは大勢人を殺してるんだ。殺すように、ノブリス・オブリージュに命令したんだ……!」


 志乃に包帯を巻かれながら響は眉間に皺を寄せ、歯軋りした。激しく胸のうちから込み上げてくる感情の正体は判らない。ただ、許すことは出来そうにもなかった。最後に舞が自分を見た時――彼女は悲しそうだった。何故あんな顔をするのか。それが我慢ならなかった。

 奏の事は元々気に入らなかったのだ。気づいた時には大嫌いだった。あんなやついなくなればいいと心底願っていたはずだ。別に今に始まった事じゃない。そう、櫻井響はずっとずっと昔から――。


「……昔は二人とも、あんなに仲が良かったのに」


 思考が停止したのは志乃の一言が原因だった。“昔は二人とも、あんなに仲が良かったのに”……? 意味は判る。だが、理解出来ない。そんなはずはない。そんなはずは――あってはならない。


「どうしたの?」


「あ、いや……? なあ、志乃……。俺は……奏と……仲が良かったのか?」


「うん、仲良しだったよ。まるで本当の家族みたいだった。響、本当に覚えてないの……?」


 片手を頭に当てる。どういう事なのだろうか。仲が良かったどころか、昔奏と一緒に遊んだ記憶さえ一つもない。何かが引っかかる。それ以前になにか――引っかかっている事がある。


 “無いんだ、名前……”。


「――――ん?」


 何か、矛盾している気がする。名前が、ない……。新しい両親に、名前を貰った……。孤児院を出た、後に……。

 ゆっくりと考える。舞は自分の名前を自分の物にしてくれた。だからその前までは、今の名前に現実味なんてなかったのだ。そう、与えられた新しい名前に――・


「…………志乃……」


「どうしたの? そんな深刻な顔して」


「俺の名前は……なんだ?」


「え? それはえっと……どういう質問?」


「いいから……答えてくれ」


 響の目は笑っていなかった。志乃は頷き、それからその名前を口にする。孤児院時代を共にした――幼少の頃の記憶を持つ彼が。


「――――“さくらい きょう”、だよ。君の名前は――さくらい、きょう」


 響の瞳が揺れた。“さくらい きょう”――? どうしてその名前を知っているのか。何故。孤児院時代一緒だったはずの志乃が。“孤児院から出た後に与えられたはずの響の名前を知っているのか”――。


「…………誰なんだ、そいつ」


「えっ?」


「俺じゃない……。お前の知ってる“きょう”は……俺じゃないっ!!」


 ベッドから飛び起き、響は動き出す。部屋から出て行こうとする響の肩を掴み、志乃が静止した。しかし響は停止する様子もなく、志乃を振りほどこうと暴れ出した。


「ど、どこに行くんだ!? まだそんなに動いちゃ駄目だ!!」


「違うんだ、志乃……! 俺じゃないんだよ、その“きょう”はッ!! 俺じゃないんだっ!!!!」


「え!? なに、どういう事っ!? 何言ってるんだ、響!!」


「何か大事な事を忘れてるんだ……! もう少しでそれが、判りそうなんだ……!」


 志乃を振りほどき、響は部屋の外に飛び出した。直後誰かと正面衝突し、響は怯んで後退する。目の前に立っていたのは――惣介と隼人の二人であった。


「どうして二人がここに……?」


「ボクが連絡したんだよ。勝手に悪いとは思ったけど、響のユニフォンを使って連絡させてもらったんだ」


 部屋から出てきた志乃が響の背後から肩を叩く。それを確認するなり隼人が前に出て、響の手を掴んで言った。


「その所為で今、ちょっと大変な事になってるんです!」


「大変な事?」


「……連絡を受けたのは、鶫君でね」


 響のユニフォンに入っていた名前の中で、志乃が知っていたのは鶫の名前だけだった。“響が鶫を探していた”という記憶はなくなっているものの、“鶫は響の仲間”という根本的な認識は残ったままだった。結局志乃は鶫に連絡を取り、鶫は直ぐに隼人と惣介をこの場所へ向かわせた。そして――。


「一人で飛び出して行ってしまったよ。どこに行ったのか、俺たちにもわからない」


「あの人を探さないと! 櫻井さん!!」


「あ、ああ……判った。鶫を探そう」


「ボクも手伝うよ。どうやらボクの所為みたいだしね……」


 志乃の紹介は改めて別にするとして、四人は行動を開始した。鶫が居なくなってしまった理由……それがもし響の推測どおりならば、鶫が危険かもしれない。

 彼女は変わった。確かに変わったのだ。だが、根本から全てが入れ替わっただけではない。友達と呼んでくれた少女の言葉に涙を流していたほど、仲間を大切に思うのならば、きっと――。


「多分あいつは――舞のところだ!」



Fate(3)



「――お久しぶりです、舞さん」


 ベンチに腰掛けていた舞が顔を上げる。鶫は黒いワンピースを風に靡かせながら舞をじっと見詰めていた。舞もまた立ち上がり、鶫を見詰める。

 鶫から連絡があったのは二十分程前の事……。二人が待ち合わせた中央の自然公園、噴水広場で二人は向かい合っていた。時刻は深夜二時を回っており、人気はない。

 眠らない夜の街が絶え間なく世界を照らす光で公園もまた明るく照らされていた。まるで無数のビルから放たれる輝きは舞台を照らすサーチライトのよう。長く伸びる影の中、二人は無言で見詰めあう。


「…………覚えているとは、思わなかったわ」


 舞のその言葉はある意味真理である。鶫の存在は響によってゆがめられてしまっている。本来ならば在るべき形だった皆瀬鶫ではなく、櫻井響の手によって捻じ曲がった、彼が望んだ鶫の姿へと。

 一般人にそれを認識する事は出来ない。VS所有者で在れども、それは難しい事だ。ベロニカシステムの体現者たる彼女の過去を知る事は、観測者か当時者にしか出来ない事……。舞は前者であり、既に鶫の情報が改竄されている事を知っていた。

 だが、鶫はどうか? 鶫はただ過去を変えられ、あるべきはずだった道から外れた場所を進んでいるに過ぎない。当然、あの事件が存在しなくなった今、舞と接触する機会もなかったはずである。だがしかし、絶対になかったとは言い切れない。少なくとも鶫の中にある感情は、確かに舞の事を覚えていた。


「過去が変わっても、変わらなくても……貴方はどちらにせよここに居たんでしょう? 櫻井君を、裏切って」


 鶫の目が細く鋭く舞を射抜く。舞は思わず舌を巻いた。鶫はまるで別人のようだった。風の中に立つ彼女を支えるその両足は確固たる物であり、その自分の足で彼女はここまで歩いてきた。運命でも因果でもない。選んだのは、彼女自身。


「貴方には関係のないことよ、お嬢さん」


「関係ならありますよ、舞さん。貴方は私に言ったんです。櫻井君を傷付けるな、って……。貴方が言ったんです。いつか終わりは来るって。その終わりが来た時、後悔しない生き方をしろって……!」


 強く風が吹きぬけて行く。鶫の髪が揺れ、前髪の合間から覗く鋭い眼差しが舞を射抜く。まるでその少女の口ぶりは――経験し得なかった未来を知っているかのよう。

 そう、彼女は忘れてなどいなかった。己の罪も痛みの記憶も――無かった事になどならなかったのだ。彼女は自らそれを拒み、選び取った。間違いだらけでどうしようもなく穢れた、暗闇の中に留まる事を選んだのだ。


「――判っているの? 矛盾しているわ。お嬢さんの存在は」


 そう。“本来在るはずの無い記憶”彼女が辛うじて留めているのは凄まじい精神力による自己認識と、世界の中に在る上で発生する矛盾の狭間に立ち続ける恐ろしい苦痛を伴う事。

 誰も違う自分の可能性など、違う自分の未来など知ることはないだろう。鶫とて全てを記憶しているわけではない。だが、彼女は全てを忘れる必然を拒絶していた。それは世界の法則を変えるという事。世界の法則を変えるベロニカシステムに抗うという事。

 鶫が感じている不安定な己の存在に対する世界という莫大な存在からの罰……。頭がおかしくなってしまうような自分の矛盾。気が狂ってしまった方がきっと楽なのだろう。己の心の闇を、それでも抱いて行く事――。


「わかっています。それでも、忘れるくらいなら――――死んだ方がマシ」


「文字通り死ぬわよ。ベロニカシステムなしで世界の存在に干渉するような行為だもの。曖昧な自己認識と多数認識の間にすり潰されるわ」


「時間なら、あと少しだけあればいいんです……。櫻井君がくれたこのロスタイム――私は決めたんです。彼の為に――自分の為に、使うんだって!!」


 間違いだらけの世界。間違いだらけの選択。正しい未来などどこにもない。だがその間違いを受け入れ、後悔しないために戦うのならば――。

 二人が同時にユニフォンを取り出す。ディアブロスが召喚され――石畳の大地に降り立った。鶫は光を帯び、背中に瑠璃色の翼を広げる。装甲が肩から先、腕を覆って行く。やがて指先まで翼と一体化した時、鶫の開いた瞳は蒼く輝いていた。


「ポジティブエヴォリューション……!? そう……! 自分の限界を超えたのね――ッ!!」


「貴方は卑怯です、舞さん」


 鶫が手首から伸ばした光のロープ。それを片手で掴み、空を切るように鋭く振り下ろす。大地を叩いた鞭は一撃で大地を切断し、光の鞭となって鶫はそれを握り締めた。


「櫻井君の気持ちを判っているくせに、知らん振りする。ずるいですよ。貴方は……口先ばっかりです」


 鶫が羽ばたき、一瞬で超スピードにまで加速する。ディアブロス目掛けて一直線に低空飛行する翼の残像目掛け、獣は腕を振るった。しかし手ごたえはない。鶫がどこにいるのか、闇の中を劈くような翼の音でしか認識する事が出来なかった。ただ只管に、速い――。

 猛スピードで移動しながら鶫は四方八方から鞭でディアブロスを撃ちつける。何度も痛めつけられ、ディアブロスはついに膝を着いた。舞は芳しくない戦況に眉を潜める。

 鶫はそもそも、非常に高いVSに対する適正を持つ少女だった。その力は友から引き継がれ――同時に友の人格もまたVSが宿してしまっていた。それは魂が乗り移ったなどという非現実的な現象ではない。鶫が自分の記憶の中から友人だった榛原陽子の人格を生み出し、人為的にVSに人格を与えていたのである。

 それは例えるのならば二重人格に似ている。自分がやりたくない事、自分がしたくない事……。やっているのは自分じゃないのだと、言い訳したくて作り出した幻想の人格……。殺した友達になお、汚れ役を強いるという事。

 だが今は違う。別の人格を生み出すという事に使っていた無駄な労力を今彼女は己が戦う為に使っている。非常に高い能力を持っている。そう、彼女の戦闘能力は、元々非常に高かったのだ。

 風が吹きぬけると同時に舞の頬から血が噴出した。鶫は空中で回転しながら大地に着陸する。翼が炎のように揺らめき、少女は顔を上げる。舞は振り返り、ディアブロスが突進を開始する。


「あんたには判らない! あたしがどんな気持ちで響と一緒にいたのかなんてっ!!」


「その言葉……貴方にそっくりそのままお返しします」


 鶫は両腕を広げる。翼から放たれた蒼い光の矢が無数の軌跡を描き、ディアブロスに降り注ぐ。レーザーの雨を重力の結界で叩き落し、ディアブロスは空に吼えた。


「ただ櫻井君と向き合うのが怖かっただけじゃないですか。そうやって逃げて――。それで貴方は後悔しないって言えるんですか!?」


「しないわ! 後悔なんてッ!!!!」


「だったらっ!! その泣きそうな顔をいい加減止めなさいッ!!!!」


 突進してくるディアブロスが揮う拳を屈んで回避し、背中の翼を燃やす。蒼い光はエネルギーの刃となってディアブロスの両腕を切断した。その場所はつい数時間前に響によって破壊されたばかりであり、傷はほころびとなって今も残ったままだった。

 獣の両腕が吹っ飛ぶと同時に至近距離で鶫はディアブロスの胸に手を当てる。翼から腕を這うように伸びた光の矢を掌で練りこみ、七つの光を束ねて同時に放出する。

 閃光が瞬いた。胸に大きな風穴を開けたディアブロスが悶えながら後退する。それと同時に舞は膝を着き、大量の血液を口から吐き出した。


「どうして本気でやらないんですか」


「……やってる、わよ……ッ」


「嘘です。舞さん、もっと強いはずですよ。また、言い訳するんですか?」


「違う……!」


「違わないですよ」


「違うっ!! あたしはっ! あんたとは違う!! お嬢さんみたいに狂っていないし、誰かの所為にもしない!! あんたみたいに薄汚れた女なんかに、あたしの気持ちなんかわかるわけないっ!!」


 次の瞬間、鶫は舞の目の前に立っていた。襟首を掴み上げ、その頬を平手で強く打ちつける。吹き飛んだ舞を見下ろし、鶫はまるで哀れむような瞳の色で言った。


「――私は確かに薄汚れた女です。誰かの所為にばかりしてきました。頭のおかしい女かも知れません。でも、そんな私にも守りたい物があるんです。私はね、舞さん……もう、“汚れていて”いいんです」


 誰かを憎んだ記憶。誰かを手にかけた記憶。誰かを裏切った記憶……。心の闇と表現するに相応しいどす黒くてどろどろと渦巻いた暗い感情。今はそれを否定しない。それを抱えて生きて行く。大切な物を守るための力に変えて行く――。


「貴方がそうやって彼の心を傷付けるなら、私は貴方を許しません。助けてもらった恩は、返さなきゃいけないんです。例え彼が、私の事なんて見てくれなくても……。それでも私は彼の背中を守る。彼がもう、苦しまなくて済むように」


 鶫が掌を広げ、舞に向ける。ディアブロスは倒れたまま動かない。舞は口元から血を流しながら悲痛な表情で鶫を見上げていた。決着はついた――そう思われた直後であった。

 翼の影に突然白い影が現れた。鶫は振り返らず、片腕を動かすだけで迎撃する。放たれた光の雨が新手――ノブリス・オブリージュに降り注ぐ。頭上から落下する閃光を剣の翼で防ぎながら両腕の機関銃を掃射する。鶫は既に場所を変え、空に羽ばたいていた。頭上で高速移動を繰り返しながら鶫はレーザーを発射し続ける。ノブリス・オブリージュもまた大地を失踪しながら頭上に向けて銃を撃ち続けた。

 大地と空、激しい銃撃戦が続く。お互いにダメージは存在せず、手加減も無い。舞はその隙に乗じて戦域から後退した。そうでもしなければ、巻き込まれて死んでしまうのは時間の問題だった。


「これが、ノブリス・オブリージュ……。なんて悲しいロボット――!」


 鶫が両手を広げ、翼から光の紋章が浮かび上がる。直後、眩く輝く閃光が頭上よりノブリス・オブリージュを襲った。白い機械は翼を広げ、装甲と装甲の継ぎ目を開き、そこから光を放つ。


『VSジャマー、発動』


 光の粒子が迸り、次の瞬間大気が震えた。眼前まで迫っていたアンビバレッジの光線はそれだけで消滅していた――否。ノブリス・オブリージュの身体に接触した部分から次々に情報が書き換えられ、“無かった事”にされてしまう。絶対的なる防御能力、VSジャマー。それがノブリス・オブリージュの力の一つだった。

 鶫は動揺しながらも冷静に攻撃を繰り返す。しかしノブリス・オブリージュにダメージはない。白い騎士は翼の形状をした剣たちを空中に放つ。意思を持つかのように自動追尾を行う剣の飛来に鶫はその場で旋回し、猛スピードで移動して剣を振り切って行く。

 自然公園の森の中に突っ込み、剣を回避しながら蹴り飛ばし、次々に木々に突き刺して行く。一瞬の攻防で剣の半分以上を木に収め、一気に上昇する。空中で月を背に翼を広げたアンビバレッジはその両腕から光の鞭を放ち、追尾してくる剣を束ねながらノブリス・オブリージュへと突っ込んで行く。

 奪った剣を放り投げる。回転しながら突っ込んでくるその剣をノブリス・オブリージュは大地を疾走して回避。装甲の下に潜むタイヤが高速駆動し、巨躯を素早く走らせたのだ。機関銃を連射しながら頭上の鶫を迎え撃つノブリス・オブリージュ。その弾幕の中、鶫は自らの身体を翼で覆って落下する。銃弾は、身体を守る蒼い光が接触した瞬間蒸発させる。夜の闇を縦に引き裂きながら蒼い矢が落ちて行く。

 大地に衝撃が走った。ノブリス・オブリージュに体当たりをしかけた鶫の翼は片方折れ、少女は大地を激しく転がった。体中を血塗れにしながら、しかし落下点にクレーターが生まれるほどの威力を叩き込んだのである。流石のノブリス・オブリージュもそれでは無傷では居られなかった。VSジャマーを発動したノブリス・オブリージュに傷を与えた事だけでも賞賛されて然るべき事である。だが――。


「え……?」


 額から流れる血に片目を閉じながら、しかし鶫は確かに見ていた。砕けたノブリス・オブリージュの装甲の下――。細くしなやかな、少女の腕があった事。

 まるでライダースーツのような身体にフィットした服装の上、まるで植えつけられるように装甲が張り付いている。頭部を覆っていた巨大な装甲が砕け、その合間から顔が覗く。その顔を見て鶫は驚きを隠せなかった。

 ノブリス・オブリージュが銃口を向ける。鶫は足が震えて動けなかった。何故そんな事になっているのか――理解出来ない。だがそれもまた、自分の運命ならば――受け入れるべきなのだろうか。

 白い騎士の装甲から覗く顔――。それは、彼女が殺してしまった少女の顔。“神崎エリス”の――。自分を友達だと言って笑ってくれた少女の顔だった――。


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