表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/58

同盟(1)


「…………な、何が起きたんだ?」


 響はゆっくりと体を起こした。その瞬間まで自分が倒れているという事実にも気づく事は無く、一体何がどうなったのか、さっぱり理解出来ていなかった。

 体を起こすとそこは例の倉庫街であった。周囲には確かに無事な倉庫たちが並んでいる。隣に倒れているライダーと隼人を起こし、響は立ち上がった。

 確か、白いうさぎとの戦闘を強いられ、そこに鶫が飛び込んできて……全員で移動を開始したところだったはず。突然地鳴りが起こり、眩暈に倒れてしまった……そこまでは記憶している。だがその後何があったのかさっぱりわからない。

 そもそも何故移動したはずなのにこの倉庫に戻ってきてしまっているのか。頭を掻きながらユニフォンの日付を見る。すると、段々と状況が把握出来てきた。

 ベロニカの画面に随時表示されていたシステムの稼動時間が停止し、ベロニカシステム停止の文字が浮かんでいる。となるとつまり、システムが止まったという事は――。


「戻ってきたのか?」


 そのような感覚はない。もっと凄まじい時限の狭間を通過するとか、そういうイベントがあってもいいように思う。だが対岸へ行く瞬間とて同じだった。気づいたら当たり前のように対岸に立っていた。泳いだ記憶は、存在しない。

 だがその時と空間の壁を越えたという実感は実際その壁を越えた存在には認識出来ない事である。そういう物なのだろうと割り切り、響は頭を振った。まだ少し、思考がぼやけている。


「う……。ここ、は……?」


「よお。立てるか?」


「櫻井さん……? は、はい」


 響の手を借り、立ち上がる隼人。二人の視線は当然、未だに床の上に寝転がっているライダーへと向けられたのだが……。少女は口元から涎を垂らし、すやすやと気持ち良さそうに眠っていた。何故こんな硬いアスファルトの上で眠る事が出来るのか些か二人には疑問だったが、彼女が普段から寝ている場所を考えればそう不自然な事でもない。

 起こすのは気が引ける程幸せそうな様子だったが、そうも行かない。この面子の中でベロニカに最も詳しいのはライダーなのだ。二人は一生懸命ライダーの体を揺すり、何とか起こす事に成功した。


「……戻ってきた」


「らしいな」


「え、戻ってきたんですか? 気絶した所までしか覚えていないんですが……」


「システムは止まってるし、戻ってきたとしか思えないが……。いや、不安だな……。そんな顔すんなよ、俺だって時を越える少年体験は初めてなんだからわかんねーって」


「……確かめに行けばいい」


 腕を組み、ライダーが頷く。確かにその通りである。本当に過去が変えられたのならば――。確定してしまった現実を改変出来たのならば。その成否を確かめる術はわかりきっている。


「……そうか、あの人の所に行けば」


「ああ。鶫の家に行ってみよう。それで白黒ハッキリするだろ」


 三人は頷き合い、移動を開始した。時刻はそろそろ昼近く。対岸に渡った日からは数日が経過していたが、特に体に異常はない。そんな事を確認しながら歩く事数十分、三人は鶫のアパートの前に立っていた。

 遠巻きにそこを眺め、隼人は眉を潜める。そこから先に進むのはとても勇気の必要な行為だった。それは響も同じ事である。もしもそこに鶫が居なかったら――。全ては無意味になる。あの、やっと見る事が出来た鶫の笑顔さえも。

 そんな男二人の背後、ライダーは長い髪を揺らし先に進んで行く。結果的にそれに釣られる形で二人も移動を開始した。だが、結果は直ぐに見えた。部屋には――警察が引いた規制線が存在していなかった。


「それじゃあ……つまり」


「鶫の両親は死んでねーって事か!」


 と、響と隼人が向き合った時だった。部屋の中から皿の割れる音が聞こえてきた。途端、二人は同時に顔色を変える。冷めた笑いを浮かべながら響が部屋の中に入ろうと歩き出した時、扉が開いて鶫が飛び出してきた。

 鶫の頬は腫れていた。しかしその傷とは対照的に、鶫は決して悲しげな表情は浮かべていなかった。四人がばったりと向き合い、鶫は慌てて走り出した。三人はそれに続き、一緒に移動する。

 辿り着いたのは近場の公園だった。そこで鶫は漸く振り返り、それからきちんと笑っていた。その笑顔には以前のような陰は差していない。


「櫻井君、久しぶりだね」


「……ああ。でも、お前……大丈夫か?」


「はい。右の頬を殴られたから、左の頬を殴り返してやりました。ちょっと叩かれるとヘコんじゃうですよ、あの人。股間蹴ったら泣いちゃうし……。大した物持ってるわけでもないのに」


 笑いながらそう語る鶫に響は冷や汗を流しながら苦笑していた。隼人もまた、どこか遠い所を眺めながら目を細めている。


「…………えっと、じゃあ……俺たちは、お前を助けられたのか?」


「それは正直良く判らないですけど……。あの日皆が居なくなってから私、自分でも戦おうって決めたんです。泣いたり嘆いたりしているだけじゃ何も変わらないから。イジメっ子だってやっつけちゃいました。死ぬ気でやれば、何でも出来るんですね」


 拳を握り締め、そう微笑む鶫。響はその顔をじっと見詰めていた。余りにも長く見詰めたまま黙り込んでいるので鶫は愚かライダーも隼人も何事かと響へ視線を向ける。

 それでも響は黙っていた。やがて目を瞑り、それから眉を潜ませながら笑う。そうしてゆっくりと目を開き、手を伸ばして鶫の頭を撫でた。


「良く頑張ったな……。やりゃあ出来るじゃねえか。くだらない連中なんてぶっ飛ばしちまえ。イジメられたら俺に言えよ。番長が変わりにぶっ飛ばしてやっから」


「……えへへ、そうですね。こわーい番長さんが味方だから、もうへっちゃらです」


 わしわしと、響は両手で鶫を撫でる。それから突然目が潤みだした。突然過ぎて全員驚く。そんな中、響は鶫の体を思い切り抱きしめた。ライダーが目を丸くし、隼人は両手で目を覆っていた。


「ごめんな……。俺、お前を助けられなかったよ……。俺……っ」


「……さ、櫻井君……?」


「助けたかったんだ。なのに、助けられなかった……。結局俺は何も出来なかった。俺は……」


「――――そんな事、ないです。櫻井君が居たから……私、戦おうって思えた。ほんのちょっぴりの勇気が、ほんの僅かな出会いが……人を変える事って、あると思うんです。だからきっと何もかも誰かが悪いわけじゃなくて……だから、そういう痛みを皆で分け合っていけたらいいなって……今はそう思うんです」


 鶫は優しく微笑み、逆に響を抱きしめるように背中に腕を伸ばした。二人は目を瞑り、暫くそうして抱き合っていた。だが途中で鶫の顔が真っ赤になり、呼吸が出来ないかのように口をパクパクし始めた頃。


「……いつまで抱き合ってるんだ」


 と、ライダーが横から割り込んで二人を強引に引き離した。不機嫌そうに腕を組み、ライダーは背を向ける。響は涙を拭い、それから白い歯を見せて明るく微笑んだ。


「よし、お前ホントなんかあったら俺に言えよな! マジで約束だ! 何かあったらぜってー助ける! 何でも頼れ! 家に帰りたくない時は泊まってっていいからさ!」


「で、でも流石にそれは拙いのでは……」


「いや、黙ってたけど俺の家すげえ金持ちなんだよ。マンションの空き室とか自由に使えるから、一部屋貸そうか? 安くしとくぜ。もう住んじゃえば?」


「……それは、いいかもしれないですね。その……櫻井君の、傍に居られるなら」


 最後の部分は意図的に小さく呟き、その所為で響には聞こえなかった。響がハイテンションで一人盛り上がり、鶫が顔を紅くしている中、再び割り込んだライダーが剣を片手に響に迫っていた。


「わたしの時は、住んでいいって言わなかった……」


「いや、だってお前敵か味方かわかんなかったし……」


「家なき子なのに……ひもじい思いをしているのに……」


「いや、だからさ……とりあえず剣をしまえ、剣をっ! その剣あんまいい思い出ねーんだよ俺はっ!!」


 三人のそんな様子を見て隼人は笑っていた。彼等と一緒に居る間は何故か自然に笑えたような気がする。そう、ずっと胸のうちに憎しみを抱いていた頃とは違うのだ。今の自分はきっと、素直な気持ちになれているから。

 しかし、やはりここには居られない。自分の目的と、その価値を失ってしまうから。ここでこうして笑っていれば、きっと自分は彼女を許せるのだと思う。だけど――それでいいのかどうか、判らなかった。

 本当は誰だって復讐なんてしたくないのだ。出来れば全てをやり直したい。失ったものを取り戻す事など出来はしない。だがその奇跡が起きてしまった。自分の目的は、消滅してしまった。

 行く当てを失ったような、胸にぽっかりと穴が空いたような奇妙な感覚だった。あれほど強く望んだ事も、叶ってしまえばなんてことも無い。この気持ちも、思いも……現実が変えられたこの世界では、全て無意味なのだから。


「隼人」


 響の声に顔を上げる。三人は全員隼人を見ていた。思わず身構えてしまう。つい忘れがちだが、どちらにせよVSの所有者として自分たちは敵同士なのだ。

 だが響はいつもの真っ直ぐな笑顔で言う。隼人の前に立ち、両手をポケットに突っ込んで。


「お前、これからどうするんだ?」


「どうする、って……」


「まさか、お前も帰る場所がないなんて言い出すんじゃないだろうな」


「帰る、場所……」


 考える。帰る場所? 帰る場所とはなんなのだろう。家の事だろうか。学校の事だろうか。日常の事だろうか。だとしたらもう帰れる場所なんてない。そもそもおかしいのは自分ではなく、響たちの方なのだ。何故こんな運命に巻き込まれ、そんなに平然としていられるのか……少年には疑問で仕方が無かった。


「お前、鶫を狙ってたんだろ? 理由は良くわかんねーけど」


「……はい」


「今はどうだ? まだ、殺したいか?」


「…………それは」


「つーか待て、止めよう。遠回りにこういう事言うのは性に合わないらしい。俺、馬鹿だからよ。もうハッキリ言うわ」


 片手で頭を掻きながら、響は苦笑する。そして真剣な表情で隼人と向き合った。それは響が隼人を一人の男と認めている証でもあった。


「殺しなんて止めろ。誰かを殺せばそいつの分まで何かを背負わなきゃならなくなる。いい事なんて一つもない。それは、鶫を見て判っただろ」


「…………」


「お前は多分、そんな頭の悪いガキじゃねえはずだ。本当は判ってんだろ? どうしたらいいのか」


「…………それでも、どう接すればいいのか判らないんです。僕は……」


「――そんなに、急がなくてもいいんじゃないのかな」


 顔を上げた鶫がそう語る。隼人は響から鶫へと視線を移し、瞳を覗き込んだ。鶫は優しく穏やかに、しかし迷いながら……それでもきちんと思いを紡ぐ。


「直ぐには、きっと判らないよ。時間を重ねて、傷を重ねて……痛い事も気持ちいい事も、全部ひっくるめて人だと思うから。辛い事だけが全てじゃないよ。お互いを理解しあうって事は、そういう事だと思う」


「…………僕は」


「だから、そう難しく考えるなよお前等は。いいんだよ、テキトーで」


 二人の肩をに同時に腕を回し、引っ張り寄せる。そうして響はにっこりと笑った。


「全ての事に意味も理由も必要ねえんだ。一緒に居て楽しいなら笑えばいい。ムカついたら怒ればいい。ケンカして仲直りして、それでいいじゃねえか。傷つかない生き方なんかねえよ。それはただ、臆病なだけだ」


「……櫻井さん」


「櫻井君と一緒に居ると、色々考えてるのが馬鹿らしくなってくるよね」


「それは、遠まわしに俺を馬鹿だと言ってるのか……?」


「ち、違うよ……いたたたっ! 櫻井君、頭ぐりぐりしないでください!」


「うるせー馬鹿! てめーなんぞこれくらいの扱いで丁度いいんだよっ!!」


 背後から鶫を固め、頭を拳でぐりぐりする響。ライダーはそんな二人を片目で見詰めていた。隼人も……気づけば笑ってそこにいる。

 だからそれでいいのかもしれない。理由や意味を求めなくてもいい。笑っていられれば、それがいい。きっとそうなのだ。それこそが、本当の気持ちだから。



同盟(1)



「――――――きょ……ッ!?」


「お、おう……鳴海、久しぶりだな……。どうした、固まって」


 響のマンション。蓮の立っていた廊下は響の部屋がある階であり、ぞろぞろと四人で部屋に移動している最中蓮と遭遇したのが全ての始まりだった。一応仮住まいとは言え引っ越してきたので蓮が恭しく挨拶を始めたのである。なんと、お隣さんであった。当然響もそれに応える形になる。そうして話し込んでいると、部屋から鳴海が顔を覗かせたのである。響を見た瞬間、鳴海は目を丸くして青ざめた表情を浮かべた。その理由が響には判らなかった。


「アンタ、なんで、生きてんの……!? ゆ、幽霊?」


「いや、なんでって――おいっ、ライダー!?」


 意味に気づき、響が振り返る。ライダーは眉を潜め、それから首を横に振った。


「変化した現実情報に関しては“当事者”と“観測者”以外には認識不可能なはず」


「だ、よな……? あれ? 鳴海、俺が死んだ事知ってるのか?」


「知らないわけないでしょ馬鹿っ!! あんた火葬されたんじゃなかったの!?」


「あ、俺燃えたんだ……。なんかやだな……」


「やだなじゃないわよ、だからなんでここにいるのかって聞いてんのよっ!! ねえ、蓮ちゃん!?」


「え? この人、鳴海の弟さんだよね? 火葬って……何?」


 蓮が小首を傾げる。そこで鳴海の表情はより一層険しくなった。下着姿のまま廊下を走り隣の部屋へ。中から惣介の叫び声が聞こえてきたがしばらくするとおとなしくなった。飛び出してきた鳴海は響の襟首を掴み上げ、殺意に満ちた表情で詰めよる。


「どういう事……? 惣介に何をしたの?」


「違う、俺がしたんじゃなくて、だから、その一連の流れは“なかったこと”になってんだよっ!!」


「何わけわかんないこと言ってんのよっ!! この偽者! 死んだ響の顔で出てくるなんて……響……ぐすっ」


「だから、本物……うおっ、マジ泣きしとるがな!? お、おいライダー!」


「無理。助けられない。めんどうくさいから、部屋に行ってる」


 そう呟き隼人と鶫を連れて響の部屋に入って行く。それを見送りながら響は“薄情者”と絶叫したが、ライダーは愚か鶫も隼人も戻ってくることはなかった。


「だからちょっと説明させてくれよ! れ、蓮とか言ったか!? 助けてくれ!」


「えーと……? 響は響の偽者なの?」


「違う、本物!」


「パチもん?」


「違う本物っつってんだろが!! ああもう、泣くな鳴海!」


「――――これは随分とカオスな状況に足を踏み入れてしまったようだな」


 声に三人が視線を向けると、廊下にはケイト・フラジールの姿があった。鳴海が泣きながら顔を上げ、ケイトに駆け寄って行く。下着姿のままの鳴海にぎょっとしたケイトだったが、本人が泣く泣く一生懸命説明しているのを無下にも出来ず、仕方なく最後まで聞くことにした。


「驚いたな……。鳴海、貴方には改変現実情報を認識する事が出来るのか」


「え? どういう事?」


「つーかちょっと待て、あんたもベロニカシステムの現実改竄能力を認識しているのか!?」


「そうだと言ったらどうする?」


「当事者か観測者……ライダーはそう言っていたな。あんたは俺たちを見ていたという事か。だったら敵、だろ」


「えーと、蓮は置いてきぼりなんだけど」


「ちょっと響! ケイトは敵じゃないわ!」


「ていうかちょっと待て、鳴海は何で……そいつと知り合いなんだ?」


「一緒にジャスティスと戦ったからに決まっている」


「ジャスティスって何?」


「ねえねえ、蓮にも説明してよー!」


「ジャスティスはジャスティス……この街に存在する組織の事だ」


「でも、昨日の夜……」


「ちょっと待て、鳴海も一緒に居たのか!? あんた、VS所有者なんだろ!?」


「如何にも」


「待ちなさい響! アンタ、まさかVS所有者なの!?」


「いや、だからそれは……え? 鳴海、VSを知っているのか!?」


「当然だ。鳴海はVSと既に何度か遭遇しているのだからね」


「何!?」


「ねーねー、蓮にも判りやすく教えてよー」


「それより響、死んだってどういう事なの!? じゃああれは偽者だったって事!?」


「それは、ベロニカシステムがだな……」



「お前たち、何をやってるんだ……?」



 全員同時に声に振り返った。そこには腕を組み煙草を咥え、あきれた表情を浮かべる惣介の姿があった。惣介の登場にまたそれぞれ別のリアクションを取ろうとしたが、それを惣介は一喝して阻止する。


「もう少し落ち着いて話をしろ! 部屋の中で話そう。響君、君の連れも一緒の方がいいだろう。手間が省ける。それから鳴海! 服を着なさい!」


「別にいいじゃない、減るもんじゃないし」


「羞恥心が減るんだ普通は……。兎に角服を着ろ。蓮君は人数分お茶を入れてくれ」


 こうして全員が一つの部屋に集まる事になった。場所は惣介と蓮の部屋……どの部屋でも同じ構造であり、特に理由はなかった。強いてあげるとすれば、お茶とお茶菓子があったからか。

 会話の中心となるのは響と鳴海である。惣介がその間に入り、会話を纏める事になった。とりあえず四人は判っている事、お互いの身に起きた事を話し合った。

 口を挟まなかったものの、他のメンバーも驚きの事実の連続にただただ唖然とするしかなかった。それぞれの思いが交錯する中、話は一端中断となる。開始から二時間、ようやくお互いの情報が簡単にだが交換出来た状態にまで漕ぎ着ける事が出来た。


「……なんだか、この街じゃ信じられない事が起こりまくってるのね」


「ベロニカシステムについて、そっちはよく判ってないらしいな」


「……ええ。でも、そっちはノブリス・オブリージュと遭遇していないのね」


 お互いに知らない事があり、お互いに知っている事がある。かみ合わなかった穴を埋め合わせるように知識を補えば、二人にもこの町で起きている事の全容が徐々に見えてきた。


「……なんか、とんでもない事になってるな。それに何より――あの、クソ兄貴」


 机の上に頬杖をつき、眉間に皺を寄せる響。行方不明になっていたはずの櫻井奏――ノブリス・オブリージュとの関係。そして、奏と共に現れた舞。


「確かに舞とは最近別行動だった。居なくなった奏を見つけ出して行動を共にしてたとすれば辻褄は合う。だが……」


「ええ。何故奏は失踪したのか……。そしてノブリス・オブリージュ。あれは一体なんなのか――」


 姉弟は同時に黙り込み、考え込んだ。そんな二人の沈黙を破ったのは惣介がある封筒を取り出した音だった。テーブルの上に出されたそれを見て響は目を丸くした。


「勝手にすまない。響君、君の部屋から拝借したものだ。放置しておけば誰かに奪われる可能性もあったのでね……。それと君、部屋の鍵は閉めた方がいい。少々無用心だ」


「それは、兄貴が俺に託した……って、あんた!」


「そう、俺はこの封筒を奏から直接預かった張本人でもある。君はまだ、中には目を通していないね?」


 頷く響。状況が飲み込めず他のメンバーは首を傾げていた。そんな中、惣介が封筒の中身を取り出そうと手を伸ばした時であった。横から腕を伸ばし、ライダーがその行動を阻止していた。その視線には殺意に近い物さえ感じ取れる。


「ライダー?」


「……駄目。見ちゃ駄目」


「何でだよ? 何か、兄貴から俺へのメッセージが詰まってるはずだ」


「兎に角、駄目……。見ちゃ、駄目なの……」


 響は立ち上がり、ライダーの手首を握る。ライダーはそれでも封筒を放そうとしなかった。響は眉を潜める。惣介はにらみ合う二人の間、困ったように溜息を漏らした。


「確かに、これを開封する権利は響君にしかないのだろう。だったらこれは俺が解き放つべきではない。君に委ねるよ。彼が残した物を」


 封筒は響の手へと渡された。ライダーは泣き出しそうな顔で上目遣いに響を見ている。哀願するような視線を振り切るように響は目を瞑り、それから封筒の中身に手を伸ばした。

 諦めたようにライダーが目を伏せる。誰もがその中身に注目した。取り出した封筒の中身、重なり合った書類をテーブルの上に広げる。そこにあった物。それは――。


「“オペレーション・ベロニカ”……? なんだ、これ……」


「恐らく奏がずっと調べていた物だろう。俺も、多少協力した事だ。だがその全様を知っているわけではない。俺も、初耳だよ」


 響はそのページを捲る。オペレーション・ベロニカ。奏が調べ上げたそのデータは基本パソコンで纏められていたが、中には手書きのメモのような形式の物も混じっている。一見すると意味不明にも見えるグラフ、名簿……。その中に紛れ、メモに走り書きで記されていた物。

 それを手に取り、響はじっと見詰める。記されていた文字、それは明らかに響へ向けたメッセージだった。


「“孤児院での約束を果たす。もう一度全てをゼロからやり直す”……? なんだ、これ。どういう意味だ?」


「奏の文字ね……。響、思い当たる事はないの?」


「……って言われても、俺孤児院時代の事良く覚えてねーしな……。それとこのオペレーション・ベロニカってのと、この名簿……なんか関係があるのか?」


 膨大な資料を前に一見しただけでは意味も中身も理解は出来なかった。全員でそれを見た結果、腕を組んだままケイトが口を開く。


「恐らくオペレーション・ベロニカの関係資料なのだろう。メモが走り書きである事を含め、かなり急いでいたようだ。完成度は中途半端だな。よければ私と――そこの探偵さんとで詳しく調べてみるが?」


「確かに、それがいいだろうな。俺の方でも手に入れてある情報もある。ハッキリしないまま動くのは早計とも言えるな。判断は響君、君に任せるが?」


「お、俺かよ」


「どうやらこの集まり、この物語……君はその核心に近い場所に居るようだ。そもそもこの資料は君の物だ。解析するのならば請け負うよ」


 響は殆どノータイムで頷いた。自分で考えるには意味不明すぎる。それと同時に思い出したようにベロニカを取り出し、それをテーブルの上に置いた。


「あんたらユニフォンに詳しいか? ついでにこの、ベロニカってユニフォンも調べて欲しいんだが」


「響……」


 ライダーが背後から響のシャツを摘む。しかしそれで押し留まるわけには行かなかった。ベロニカを直接惣介に手渡し、響は椅子に腰を下ろす。


「調べてくれ。中に兄貴から預かったメモリーカードが入ってる。さっき説明したように、多分このユニフォンがベロニカシステムってやつに繋がってるはずだ。あっち側の仕組みについても判るかも知れない」


「ユニフォンに関する事ならば私が請け負おう。本分だからな」


 ベロニカは惣介の手からケイトへと手渡された。全員が連絡先を交換し、この日は一度解散となった。ケイトと惣介は調査の為に部屋を後にし、残されたのは鳴海と響一行だけとなった。


「それにしても、何で鳴海には改竄された現実を認識出来たんだ?」


「さあ……? にしても、本当に突拍子もない話ばかりね」


「それはこっちの台詞だ。さて――俺も出かけるから、皆テキトーに解散してくれ」


「え? 櫻井さん、どこか行くんですか?」


「ああ……。ちょっと、な」


 そう呟く響の表情は芳しくはなかった。拳を強く握り締め、眉を潜める。彼が何を考えているのか、その場にいる誰もが判ってしまった。


「……わたしも一緒に行く」


 立ち上がり、ライダーが頷く。勿論全員が付いて行くと言い出した。しかし、響はそれを拒んだ。元々何かあてがあるわけではない。ただ、気分転換に少し歩きたいだけでもある。

 響は部屋を後にし、ライダーを連れて歩き出した。地上へ向かうエレベータの中、拳を握り締める。奏と舞、二人がまた一緒にいて、何かをしようとしている。その事実が今は何より響を苛立たせていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちらのアンケートは終了しました。さり気無く結果公開中。
うさぎ小屋目安箱
第一回対岸のベロニカアンケート中
対岸のアンケート〜序〜
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ