約束(1)
夕暮れの闇の空を少年の影が舞う。
二度目の七月十三日――そう、響が初めてVSと遭遇したその日。頭上から落ちてきた肉の弾ける音を合図に始まった一週間の全て――それを変える為にここに生きている。
全てが始まったあの路地裏で。全てが始まる前のビルの屋上の上で。ジュブナイルで武装した響はビルからビルへと飛び移っていた。当然、追い掛けている目標はアンビバレッジである。
蜘蛛は予想外の追跡者の存在に真っ先に逃亡を選択。そのVSの本質を考えれば非常に道理に適った的確な判断である。しかし響もここでアンビバレッジを見逃すわけには行かない。
「待て、てめえっ!! 散々戦ってんだ、動きは見えてんだよッ!!」
ビルからビルへと逃げて行くアンビバレッジを追い、響は跳躍する。空中で突然響の身体が停止し――今まで不可視化されていたアンビバレッジの糸が現れ、全身に纏わりついている事実を認識させる。
振り返ったアンビバレッジは余裕の様子で唸りを上げる。後は糸が消えてしまえば響は落下し、ダメージを受けるだろう。更にはその所為で大きくアンビバレッジから距離をとられ、見失ってしまう事になる。
しかし次の瞬間響は機械化した腕で糸を手繰り、力を込める。電撃が迸り、糸が持つ情報が“変換”されて行く――。
「逃がすかッ!!」
網は形を変え、ロープへと変化する。途端に落下を始めるより前にアンビバレッジへとロープを投げつけ、落ちると同時にロープを思い切り手繰り寄せた。
落下していく響に釣られ、アンビバレッジもまた落下を開始する。糸を手繰り寄せてアンビバレッジに空中で近づいた響はその上に乗り、大地への衝撃を軽減するクッション代わりとする。
道端に駐車してあった車の上に落下した二つのシルエット。下敷きになった車は思い切り大破し、響に上から押さえつけられたアンビバレッジはもがきながら唸り声を上げていた。
車の持ち主の男性が手元から鍵を落とした。誰もが頭上から落ちてきた響の存在に足を止めていたし、しかし声一つ上げる事は出来なかった。
「……なんだ? 見世物じゃねえぞコラ! 散れ散れ!!」
響が怒鳴ると同時に周囲の野次馬は見る見る減って行った。変換した蜘蛛の縄でアンビバレッジを縛りつけ、ずるずる引き摺って歩道に移動する。そこには剣を片手に立つライダーの姿があった。
「よお。わりーな、一人で済んじまった」
ライダーは首を横に振り、そんなことはないと答える。そう、どちらにせよアンビバレッジの逃亡に合わせてライダーが動き、挟み撃ちをする予定だったのである。
剣を解除しベロニカを収めたライダーはアンビバレッジの前に立つ。それだけでまるで萎縮するようにアンビバレッジはもがく事をやめて大人しくなってしまった。原理は理解出来なかったが、響にもそれくらいの事は判る。
「お前、つくづく何者なんだ?」
「そんな事より、まだやる事があるでしょう?」
「ああ。そうだな……。こいつ預けていいか? ちょっと行って来る」
頷き、ひらひらと手を振るライダー。響は腕を覆っていた装甲を解除し、ベルサスを弄りながら歩き始めた。
ジュブナイル、“ポジティブモード”……。その存在を響が知ったのはつい昨日の事である。ライダーの説明がなかったら永遠に知らなかったかもしれない。
VSには大きく分けて二つの種別が存在する。遠隔操作型と武装構築型である。これらは基本、所有者の性格傾向によって決定付けられている。
遠隔操作型は自分とは全く別の存在を構築し、遠距離から操作する事が出来る特性を持つ。ダメージフィードバックはあるものの、基本的にVSが破壊されたところで所有者に大きなダメージはない。安全かつ確実、デメリットの低いタイプ。
武装構築型は自らの肉体を武装化、イメージ的にはVSを纏う事になる。これにより超人的な身体能力とVS能力を得るが、ダメージは本人に直接与えられ、危険な戦いを強いられる事になる。しかしその分単純なパワーならばネガティブモードを上回る。
基本、これらの種別はVSを得た時に決定付けられ、その後も変わる事はない。所有者の性格や在り方といった物は短期間で簡単に変わるものではないからである。しかし響はネガティブとポジティブ、二つのモードを使い分ける事が可能になっていた。
それは本人にも疑問であったが、ライダー曰く“それで当然”だと言う。勿論、彼には理解の及ばない事であった。面倒くさくなり、響は考える事を止めた。
「しかし、じゃあライダーもポジティブタイプって事なのか……。俺にはポジティブの方が性に合ってるが」
ベルサスを操作し、モードを切り替えてジュブナイルを召喚する。紅いロボットは立ち上がり、響が頷くと同時にビルの硝子の中へと移動を開始した。
「でもま、こっちの方が便利な場合もあるな……。要は使い分けって事か」
ユニフォンを閉じ、ポケットに捻じ込む。あまりのんびりしている時間はない。駆け足で移動を開始する響の向かう先、それはもう昨日からずっと決まっている所であった。
全力で街を駆け抜け、辿り着いたのは皆瀬鶫の住んでいるアパートであった。既に何度か足を運んだ経験のある響ではあるが、“こちら側”で来るのは初めての事である。そもそも来る理由がない。“こっち”では鶫と面識もないのだから。
しかし容赦なく響は扉に手をかける。ドアノブを捻ってみたが開かないのでドアを思い切り蹴り飛ばした。何度かそうしてドアを蹴っていると、古かった所為もあり扉はあっさりと壊れてしまった。
倒れた扉の向こう側、鶫が目を真ん丸くしていた。その傍らには父と母の姿もある。中をぐるりと見渡す。鶫を見る。驚いている。両親を見る。驚いている。当然の事である。何が起きているのか、彼等に認識する事は不可能なのだから。
土足のまま三人に歩み寄り、響は父と母を見詰めた。どこにでもいるようなごく普通の両親に見えた。鶫を見やる。鶫は何故か下着姿で腕に包帯を巻こうとしていた。
「おい」
「な、な、なんだお前は……!? ひ、非常識にも程が――ッ!?」
「うっせえボケ! 非常識大歓迎だコラ!!」
次の瞬間、父の顎に響の拳が減り込んでいた。男の口から血が噴出し、響は男の頭を掴んで執拗に膝で顔面を強かに打ちまくった。
悲鳴を上げながら倒れる男を突き放し、次は母親を睨む。母親は怯えた様子で後退し、父も娘も見捨てて我先にと逃げ出してしまう。しかし次の瞬間、扉の前に現れたジュブナイルがその逃げ場を遮ってしまう。
目には見えない何かに逃亡を阻止され、母は完全に混乱していた。しかし何よりも訳が判らないのは鶫本人である。響は卓袱台を蹴っ飛ばし、鶫の頭にワイシャツをかけた。
「さっさと服着ろ」
「……え……? えっ?」
「いいから服を着ろつってんだよ馬鹿!! ああもう、うっぜえなあッ!!」
「ごふう!」
倒れていた父の腹部を思い切り蹴り飛ばす。特に理由は無く、ただ苛立ちをぶつけただけであった。父は口から泡を吹いて気絶してしまう。
その様子に鶫は脅えながらワイシャツに袖を通した。その様子を見て響は振り返り、出入り口の隅っこで座り込んでしまっている母を見下ろして言う。
「娘さん借りるぞ」
母は何も答えなかった。しかし響は口元に笑みを浮かべて続ける。
「ありがたく思えよ? これであんたら、生存決定だぜ」
何の事だかさっぱりわからない二人を残し、響は鶫の手首を掴んで部屋を出る。同時に事前に配置していたジュブナイルを回収し、ユニフォンを取り出してライダーへと電話をかける。
「こっちは終わったぞ。ああ。じゃあとりあえずそっちにジュブナイル向かわせっから、アンビバレッジを引き渡したら合流してくれ。人気の無いところでな。あー、了解。また連絡する」
「あ、あの……?」
「……あ? 何?」
通話を終了すると同時に再びジュブナイルを召喚し、ライダーの元へと向かわせる響。その姿は当然鶫にも見えている。何が起きているのか、鶫には少しだけ判り始めていた。
「もしかして、貴方もその力を……」
「ああ、そうだ。VSっつーんだけどな」
「VS……?」
戸惑いの視線を向ける鶫。そこにいる鶫は嘗て響が共に過ごした鶫とは全くの別人である。今やもう二人の距離は彼方ほどまで遠く、全てをやり直す事など出来はしない。
「俺はお前を誘拐しに来たんだよ、皆瀬鶫」
「ゆ、誘拐!?」
「ああ。どっかテキトーな所に拉致監禁でもしとくわ。それと、お前のユニフォンは預かっておく。さっさと出せ」
「そ、そんな……」
「い・い・か・ら・だ・せ」
肩を掴み、強引に引き寄せながら睨みつける。鶫は目尻に涙を浮かべ、叱られた子犬のように大人しくユニフォンを響へと差し出した。
響はそれを自らのポケットにしまい、鶫の手を強く握り締めた。何も話せない。でも逃げられては困る。だから放さない。沢山の気持ちを込めて鶫の指に自らの指を絡めた。
思い返すと酷く胸が痛んだ。鶫は確かに生きていたのに、それを自分は台無しにしてしまった。何も助けてあげられなかった。だから今度こそ……。もう、間違えてしまわないように。
「あの……」
遠慮がちに顔を挙げ、鶫はゆっくりと口を開く。
「貴方……どこの誰なんですか……?」
「俺は、まあ……そうだな」
鶫から視線を反らす。そう、間違えない為に……。もう傷付けてしまわない為に……。決めたのだ。今度こそ救ってみせると。
「正義の味方――かな」
約束(1)
今でも夢に見る景色がある。それは常に白い世界の中、まだ幼かった日々の事……。
白い部屋の中、カラフルなクッションが散らばっていた。やがて天井は青空が描かれ、窓が増えた。外の景色は何も変わらず、次々に沢山の人を見た。
床の上に座って少女は絵を描いていた。鳴海は問い掛ける。絵を描いている少女に。少女は顔を上げ、人懐っこい笑顔を浮かべて鳴海に答えた。
「明日の事を書いてるの」
「明日の事……?」
「うん。明日? 明日かな? ずっと先かもしれない。よく、わかんない。でも、きっと起こる事。ね――“お姉ちゃん”」
鳴海は優しく微笑み、小首を傾げる。少女はスケッチブックを床に置き、両手を広げて説明した。これから何が起こるのか。そこで自分は、何をするべきなのか……。
勿論それを鳴海は全て覚えていたわけではなかった。しかしその余りにも恐ろしい話は直ぐには忘れる事が出来ず……。彼女は予言通り、その事件に向かい合わねばならない事になった。
“アナザープレリュード事件”――。その犯人である少年が鳴海機関の関係者であった事は後に判る事であり、その時の鳴海には何一つ理解する事は出来なかった。だがしかし目の前の少女は、それらの全てを理解していたのだろうか。
だとすればそれはどんなに恐ろしい事だろうか。鳴海は膝を付き、小さな少女の身体を抱きしめた。強く、強く……。自分が守ってあげなければならない。この悪夢のような世界のルールから。ありとあらゆる未来と過去から。今だけがたった一つのリアルなのだと。小さな身体に教えてあげる為に。
「お姉ちゃん、いいにおいがする……」
黒い髪を揺らし、少女は微笑んだ。大切な人。たった一人の妹……。失われてしまった物。鳴海はゆっくりと体を放し、何度も繰り返し刻んできた夢の終わりを口ずさむ。
「アンタは絶対アタシが守る……。どんな事があっても、永遠に……。ずっとずっと、アンタの傍に居る。ここにいるよ――“京”」
言葉はいつの間にか現実に回帰していた。涙で滲んだ天井を見上げ、鳴海は深く息をついた。目を瞑り、ゆっくりと呼吸する。何度も繰り返した朝がまたやってきた。
身体を起こし、周囲を見渡す。ビジネスホテルの部屋は狭く、お世辞にも寝心地のいいベッドではなかった。しかし今は疲れている所為かどんな劣悪な環境でも気持ちよく眠れるような気がした。
額に手を当て、次に指先で涙を拭う。気持ちは暗く沈んだまま、脳裏には思い出の数々がまだ過ぎっている。また、守れなかった――。そんな思いで押しつぶされそうだった。
響は死んでしまった。妹を救えなかった自分、そして弟を救えなかった自分……。自分が大嫌いだった。消えてしまえばいいと思った。でも、そういうわけには行かない。何もしないまま諦められない。まだ、終わっていない。
服を脱ぎながら移動し、脱衣所に向かう。狭いシャワー室で熱い浴びたら少しだけ気持ちがさっぱりした。流れては吸い込まれていく雫と排水溝の闇を眺め、鳴海は胸に手を当てて自分に言い聞かせる。
「へこたれている暇はないわよ、鳴海……」
その名前を、冠している以上は。
「因縁からは、逃れられない……」
強く強く胸のうちに抱く思い。それがまだ折れないのであれば、まだもう少しだけ歩く事が出来る。痛みに折り合いを付け、悲しみから目を反らし、傷つかない為に生きる術を学んで行く事……。それが大人になるという事ならば。
もう取り乱している場合ではない。泣き喚くのは早すぎる。まだやれる。もう少しだけ。少しずつでもいい、忘れずに飲み込んでいこう。痛みも悲しみも――。
誰かが部屋の扉をノックする音で鳴海は顔を上げた。約束の時間には、まだ少し早い。しかし鳴海はシャワーを止めてタオルで頭を拭きながら脱衣所に顔を出し、声を上げた。
「早かったわね、丞――」
元々扉の鍵は開いていた。丞は扉を開け、顔を覗かせる。ひらひらと手を振る鳴海の姿を見た直後、丞は一瞬固まった。そのまま静かに扉を閉め、部屋から出て行ってしまう。
「あら?」
身体にバスタオルを巻き、入り口まで向かう。扉を開くと丞はドアの前に一人で立っていた。
「どしたの?」
「…………ッ!?」
裸体に布一枚――。濡れた頭で顔を出した鳴海の姿に丞は飛び退いた。その反応が自分の身体に対する物であると悟り、鳴海の口元が意地悪な形に歪んだ。
「あらら〜……? 結構クールなワルで決めてる癖に、女体には免疫がないみたいね〜」
丞は顔を真っ赤にして固まっている。問答無用でその手を掴んで部屋の中に引きこみ、扉を閉めて鍵をかけた。
「全くもう、何を期待しちゃってるのかしら〜? ほれほれ、これがええのか? これがええのんか?」
丞の手を自分の胸に押し当てる鳴海。次の瞬間、丞は鼻血を吹いて倒れてしまった。まさかそんな事になるとは考えて居なかった鳴海は若干引いた表情で気絶している丞を足先で蹴ってみる。しかし完全にダウンしてしまっているのか、全く反応はなかった。
仕方が無いのでそのまま部屋に引きずり込み、ベッドの上に寝かせておく。さっさと着替えを終えて長い髪を括り、丞が買って来てくれたらしい朝食が詰め込まれたビニール袋を広げ、一人で黙々とおにぎりを食べ始めた。
「しかし、鼻血吹いて気絶って……漫画でも最近無いわよね」
ここまで極端に反応されてしまうと悪い事をしたような気がしてくる。ベッドの上で死んでいる丞はぐったりしており、鳴海は溜息を漏らしながらお茶の入ったペットボトルに口をつけた。
「んー、アタシもまだまだ若い子には負けてないわねえ」
と、自分のプロポーションを眺めて一人頷く鳴海。食事を終えて立ち上がり、丞の肩を叩いて強引にひっぱり起こした。
「ほら、いつまでダウンしてんの? さっさと出かけるわよ、丞!」
「……うぅ……。お、俺は一体……」
「おっぱい揉んで気絶したのよ」
「おっぱ………………がくっ」
「こらー!! そんな事で思い出してまた気絶するな!! 男の子でしょ!? シャキっとしなさい、シャキっと!」
そんなこんなで結局丞がシャキっとしたのは、それから更に二度気絶を繰り返した後の事であった……。
丞と鳴海、二人が行っている活動は現状では違法に設置されたダイブスポットの破壊のみであった。
というよりも、他に出来る事も無いのである。ジャスティスという組織の全様を知る事は難しく、そしてその全様を少しでも削る為にはそれが最も効率的であり、確実的な攻撃でもあるのだ。
違法に設置されたダイブスポットを二人は既に六箇所破壊に成功していた。それはその分だけジャスティスの活動範囲が狭まり、権力の衰退を意味している。ジャスティスとてこれ以上二人を野放しにしておくわけもない。そうなれば確実に何らかのアクションを起こしてくるだろう。となれば、それを糸口に組織に食らいつく事も可能かもしれない。
「とは言えねえ……」
真夏の日差しを恨めしく睨みながら鳴海は汗を拭った。こうして既に三日間、丞と共に街中を巡っているが、これといった成果は無い。得られた物と言えば、街中どこにでもといっても差し支えない程あちらこちらに点在するダイブスポットの数の多さ、即ちジャスティスという組織がどれだけ街に浸透していたのか、その事実を再確認出来た事か。
とは言え相手が巨大な事は既にとっくに把握しているのだ。鳴海はちらりと装置を撤去している丞へと視線を向けた。違法ダイブスポットの種類は幾つか存在するが、最もポピュラーなのは路地裏などに有線、あるいは無線のユグドラシルネットワーク介入用端末を設置する事である。設置箇所からの遠隔ダイブが可能になり、結果違法スポットと呼ばれる違法ユーザーが集まる場所が生まれるわけである。
これらは元々は正式に認可されている家庭用、或いは業務用のダイブスポットから延長コードを使って別の場所にダイブスポットを作っているような物で、その経路は非常に複雑かつ難解であり、大本を見つけ出す事は二人には難しい事であった。それらの技術的な問題は3rdが担当する事でカバーし、二人は3rdが芋蔓式に発見してくるダイブスポットへと次々に攻撃を繰り返していた。
丞は黙々と流れる汗もそのままに黙々と仕事をこなしている。鳴海はその後姿をぼんやりと眺め、ワイシャツの胸元を只管に仰ぎ続けていた。
「ねえ、丞君」
鳴海の声に丞が振り返る。作業は中断せず、手は動いているままだ。
「ダイブスポットの撤去が確実な攻撃なのはわかるけど、もっと直接的な手段ってないの?」
「……と、言うと?」
「例えば、親玉をぶっ潰すとか……」
そもそも鳴海は地道な作業は大の苦手であった。ガンダムは好きだがプラモデルは作れない……そんな性格である。昔は鳴海が投げ出した巨大なガンダムのプラモデルを勿体無いからと惣介が作っていた事もあった。
「まあこのガンプラ云々はあんま関係ないけど……」
「ん?」
「こっちの話。兎に角、こんな事してたらいつになっても組織なんて潰せないわよ? 組織をぶっ潰すならまず頭から……将を射らんとすれば、将を射っちゃえばいいのよ」
「それで済むならそうしている……。鳴海、あんたはまだジャスティスという組織のなんたるかがわかっていないようだな」
「だって丞君、全然教えてくれないじゃない? そんなにジャスティスって組織に詳しいって、貴方一体何者なの? それに3rdって奴も信用出来るのかしら」
「ネット上に真の信頼など存在しない。3rdも俺たちを利用しているだけだろう。だったら精々利用させてもらうだけだ」
最後のコードを引き千切り、丞はそれを放り投げて作業終了とした。ユニフォンを操作し、3rdに破壊完了のメールを打つ。その間鳴海はずっと丞の横顔を眺めていた。
やがてその視線が気になったのか、丞が顔を上げた。すると鳴海は丞の傍に駆け寄り、びしりと人差し指を突き出し、
「……丞君! そんなんじゃ駄目よ!」
と、叫んだ。しかし何が駄目なのかわからず丞は眉を潜める。
「確かに丞君の言う通り、ネットの上に信頼っていうのも変な話よ。この街で誰かを信じる事も、誰かに信じられる事も結局は偽りなのかも知れない。でも、裏切られる、裏切る痛みを恐れていては何も出来はしないわ」
「……偽善だな。下らない」
「それでも人は善を装って生きて行くわ。時にその行いを人は純粋かつ崇高に感じる物よ。何故ならば人は皆己の寂しさからは目を反らせないから……。大人になるという事は人を諦める事ではないわ。信じるために、信じられるために、手を繋げるように相手と接して行くという事よ」
そう語りながら鳴海は丞の手を握り締めた。丞は肩を竦め、首を横に振る。
「説教か」
「大人は語りたがる物よ。それに付き合うのも子供のお仕事だと思わない?」
「迷惑な話だ」
「それもそうね。でも一つの事実だわ」
「だったら何だって言うんだ?」
鳴海はにっこりと微笑み、丞の頭を撫でた。突然の事に呆気に取られる丞に鳴海はウィンクして言葉を続ける。
「もう少し大人を信じなさいって事」
丞にとってそんな言葉は最も信じられない類である。信じなさい、信じろ、信じて……。そんな言葉に何の意味も無い事はよく判っている。それを信じたからこそ土の味を知り、今こうして惨めな復讐劇の登場人物へと身を窶しているのだから。
信じることなどもうしない。だから全てを利用しようと思った。鳴海も例外ではない。3rd曰く、彼女は何らかの重要な役割を持つ存在だという。であるからして仕方が無く行動を共にしているのだ。それ以上も以下も無い。
だがしかし鳴海は本当に真っ直ぐな人間だった。人ならば誰でも抱えているような卑屈な感情を一つとして表に出そうとはしない。そう、きっと彼女もまた苦悩を抱えているのだろう。しかしそれを外に出さないように努力する姿は、彼が求めた大人の理想に近い影を持っていた。
何か言おうとして、しかし口を閉じる。言葉で何かを伝えるのは苦手だった。しばらくすると鳴海のケータイが鳴り、頭を撫でていた手は離れて行った。それに心の中で小さく安堵したのは言うまでも無い。
「――新庄君? どうかしたの?」
通話を開始した鳴海を前に丞は腕を組み、背中をコンクリの壁に預けた。しばらくそうしていると、
「えっ!? それは本当なの!? ネタとかじゃなくて!? え、ええ……判ったわ。わざわざ連絡ありがとう。それじゃ」
「……どうかしたのか?」
「どうもこうも……。丞君、ちょっと付き合ってもらえる?」
丞の返事も聞かずに鳴海は手を掴んで走り出す。強引に移動を開始した鳴海を前に、丞は逆らう事も出来なかった。
小さく溜息を漏らしながら思う。本当にこの女は強引で、どうしようもない。しかし気づいているのだ。本当はそんな強引さに呆れつつも、悪くないと感じている自分がいる事に……。
「で、何があった……?」
「えーと、知り合いの探偵の事務所がね……。火事で焼け落ちたらしいのよ」
「火事?」
「そ。まあ現場に行って見れば判るわ。急ぎましょう!」
路地裏を出て、表に停めてあった鳴海の車に乗り込む。轟音と共に車は移動を開始し、二人を乗せてシルエットは遠ざかって行った。
〜とびだせ! ベロニカ劇場!〜
*七夕特別編。本編と無関係注意*
七月七日、“七夕”――。作品中とは全く異なる時系列、ノブリス・オブリージュとかベロニカシステムがどうにかなって発生した世界……。
響が見上げる視線の先、マンションの屋上には無数の笹が聳え立っていた。勿論それらは元々屋上に生えていたわけではない。全てエリスが金の力とかなんかで用意した代物であった。
「で……なんで俺のマンションの屋上で花火大会してるんだ?」
そう語りかける響の視線の先、はしゃぎまわるエリスと藤原の姿があった。花火を両手に持って走り回る二人を眺め、浴衣に着替えたメンバーたちが花火を楽しんでいる。
ぐるぐると渦巻きを描いた典型的なあの蚊取り線香が煙を巻き上げ、それを覆いつくすように花火の煙がもくもくと立ち昇っている。屋上に設置されたベンチの上に腰掛け、響はあきれた表情でそれを眺めていた。
「なかなか風流じゃないか。俺は嫌いじゃないぞ、こういうの」
「お前は浴衣が似合うからいいけどな……。俺はそうじゃねえからよ……」
細いシルエットで微笑む氷室。団扇を片手に涼しげに夜空を見上げている。天の川はとてもじゃないが見えそうにもなかった。街の明かりはまぶしすぎて、いつも小さなものを掻き消してしまう。
「きょーちゃーん!! 花火花火〜!!」
「奥義!! ∞旋風!!」
8の字状に二対の花火を振り回す藤原とそれを真似するエリス。危ないから気をつけろよーと近所のおっさんのような事を言い、響はコーラのペットボトルの蓋を開いた。
「しかし何もこんなクソ暑い中やらんでもいいのによ……」
「櫻井君も浴衣にすればいいじゃないですか?」
髪を括り、紺の浴衣を着た鶫が隣に座る。暑そうにうだっている響を団扇で扇ぎ、優しく微笑んでいた。
「浴衣は苦手なんだよ……昔からな」
「どうしてですか?」
「それは……」
いいづらそうに視線を反らす響。その先で扉が開き、両手にビニール袋を抱えた舞と鳴海、それから新庄が姿を現した。
「ただいま〜! 新庄君ほら、皆に飲み物配って!」
「な、なんで自分が……。お、おもい……っ」
「男なんだからシャキっとしなさい! あら、響……浴衣じゃないのね」
「ぎっくうっ」
冷や汗を流す響の前に鳴海と舞が歩み寄る。響はあからさまに動揺した様子で視線を反らした。
「鶫ちゃん、響ったらね、昔は女物の浴衣を着てたのよ〜」
「え? ど、どうしてですか?」
「あたしと鳴海姉さんがふざけて着せてたのよ。だってお化粧とかすると結構かわいいのよ、こいつ」
「やめろおおおおお!! 人のトラウマをさらっとバラすんじゃねええええ!!」
叫び出し、そのまま隅っこに移動して膝を抱える響。その後姿を“かわいい”と鶫がときめいていたかどうかは定かではない。
「それよりみんな〜! ほら、札買って来たから願い事を書いて吊るすわよ〜! 新庄君、配って」
「ま、また自分ッスか……。鳴海さん、自分たち仕事中なんじゃ……」
「細かい事気にしない! はい、新庄君も書いて書いて」
こうして各々自分の願いを札に書き込み、笹に吊るす事になった。隅っこで札に願い事を書き込んでいる響の背後、鶫がその様子を覗き込んだ。
「櫻井君は何て書いたんですか?」
「ああ、俺はこれだ。“早くアクセス数が明らかになりますように”」
「えっと、それは、どういう……」
「あとこれ。“感想がいっぱいつきますように”」
「だから、なんの……」
「細かい事は気にするな。それよりそっちはどうなんだ? 何て書いたんだよ?」
「それは……秘密です」
微笑む鶫は札を背後に隠した。握り締められた札には“このままずっと皆で一緒に居られますように”と記されていた。
吊るされた札は翌日には撤去されてしまう。天の川も見えない都会では願いも空に届くかどうか微妙な所である。それでも願いは願う事に意味があり、それを吊るすことは己への戒めとなる。
そう、例え読者数が見えずとも、感想がこなくとも、頑張ればいつかは報われる……。響はそう信じるのであった――。
「あっ、流れ星――」
空を指差す鶫。傍らで響は空を見上げていた。願い事三回、唱えられるほど器用ではない。だから一つ一つ、叶える為に生きて行く……。
「しょうがねえ、俺も花火すっか」
「うん!」
翌日の明け方……。
どんちゃん騒ぎが終了した笹の木に一人で背伸びをして一生懸命札を吊るすライダーの姿があった。札を吊るし、ライダーはその前で両手を合わせて願いを口にした。
「“毎日おなか一杯食べられますように”……」
それは、悲痛な願いだった――――。
〜完〜