Shadow(1)
「“ジャスティス”は、この街では容認されてきた特殊な少年たちによるグループでな。その成り立ちは少々変わっている」
ジャスティスが設立されたのは、つい二年前の事である。そのジャスティス設立より以前と以後とでは、この街の治安は大きく変化した。
所謂ユグドラシルネットワークに纏わるトラブルが密かに絶えず、この街にはシンクロニティウェブなどを利用した悪事を働く者が必ず存在していたのである。公開されっぱなしの個人情報。垂れ流される噂と悪意……。それらを規制する事は管理会社であるジェネシスは勿論、警察とて完全な対応を取る事は不可能であった。
シンクロニティウェブとユグドラシルネットワークがまだ完全にこの世界に馴染まず、この街にまだ秩序が無かった時代……。そんな時、自らの安全とより快適な生活の為にユーザーの間で設立された自主的な警務組織、それこそが後のジャスティスであった。
ジャスティスの前身となったのは数名の少年たちによるグループであり、自主的に真ウェブ、或いはYNを防衛する目的で活動を開始。警察や管理会社でも追う事の叶わなかった悪人を、彼らは次々に追い詰めて行った。
「それってつまり、ジャスティスは“違法行為”で“違法行為”を裁く組織だったって事でしょう?」
「その通り。こういう言い方をするとチープだが、所謂真ウェブ上に存在するハッカーやクラッカー、或いはそれに類似する能力を持った少年たち――つまり、違法ユーザーが違法ユーザーを取り締まるという組織だったわけだ。これにより、正規の方法では掴む事の出来なかった細かなネットワークを掌握し、管理する事に成功した」
どんなに正規の取締りが厳しくとも、それは二律背反する結果を生み出す事になる。規制が強すぎればユーザーは反発するだろう。しかし、規制を緩めれば違法ユーザーにとっては格好の餌場となってしまう。
セキュリティと管理の縫い目、そこを潜る事が出来る実力を持ったハッカー、或いはクラッカーなどそれに類似する能力を持つ人間はいまや珍しくない。その多くは大人よりも子供に割合が多く、鳴海にとっても数年前に起きた都心でのネットワークテロ事件、“アナザープレリュード”は記憶に新しい。
アナザープレリュード事件とは、都内に住む若干十歳の少年がたった一人で日本中に特殊なウィルスを流し、ネットワークを一時大混乱に陥れた事件の事を指す。少年が作成したアナザープレリュードというウィルスは単純なパーソナルコンピューターや携帯電話などだけではなく、今や当然のように街角に設置されるようになったインターネットスポット等にも魔の手を伸ばし、最終的には自動化の真っ最中にある交通機関や様々な公共施設に影響を及ぼし、その被害総額は鳴海の両目が飛び出しそうになるほどであった。
「今や子供の方がネットには詳しいものね……」
「AP事件まで行くと流石に特殊だが、兎に角ある程度の技術を持った子供というのは少なくない。彼らのタチが悪い所は、子供故に無邪気な悪意でそれを行う所だ。“皆やっているから大丈夫”とか、“これくらい平気”とかな。現実に対する認識の甘さはネットワークに混乱を齎したわけだ。特にユニフォンという世界でも類を見ない特殊なネットワークコミュニケーションツールが横行しているこの街に置いて、子供たちの悪意は肥大化し膨れ上がって行った」
「でも、それだけじゃ困る連中が居た、と。“誰もが好き勝手やってる”状況は、当然誰かにとってはデメリットを生じさせるわ」
「ジャスティスはそういう少年たちによって街の秩序を守る為に発足した。それはネットの警戒だけに収まらず、一部の武闘派は現実の街の警戒にも当たり始めた。例えば違法ダイブスポットの撤去だの、違法プログラムデータの保存された記憶媒体の回収など、な」
その一方でジャスティスは自分たちも違法行為を繰り返していた。彼らは決して正義感でそんな行いを繰り返していた訳ではないし、勿論管理会社の為でもない。あくまでも自分たちの為であり、彼らは違法行為を順当に楽しむ事が出来ればそれでよかったのである。
やがてジャスティスは違法プログラムやスポットなどを管理し、傘下に加わった違法ユーザーに許可を出す形で活動範囲と権力を肥大化させて行く。それにより突然“組織”として存在が確立され、気づけばただの違法ユーザーの集まりにも名が与えられていた。
“正義”――。彼らが許可する事こそこの街の善であり、彼らが規制するものは悪である。許可された存在こそ正義の代弁者であり、自由にネットの海を蹂躙する権利を持つ……。気づけば子供たちの間にはそんな常識が暗黙の了解として確立されつつあった。
「まるでギャングね」
「それでも街の秩序を守っている間は良かった。だがつい最近、このジャスティスは急に方向転換を開始した。今までは“あまりにも目立つ”、確実に警察に付けねらわれるような悪事には手を染めていなかったんだが……ああ、これは暗黙の了解でもあってな。だからこそ警察も放置を決め込んでいたんだろうが……兎も角、彼らは暴力的で違法的な集団ではあったが、それでも元々は守るべき秩序は守っていた」
「でも、そのタブーが破られてしまった……。例の――“ムーンドロップ”で」
「ムーンドロップが果たしてどのような効果を持つドラッグなのかはわからんが、それで甚大な精神的ダメージを負う事は間違いないらしい。総合病院には既にかなりの数の患者が担ぎこまれている」
そう言いながらリストを取り出す惣介。リストに目を通した鳴海は思わず溜息を漏らさずには居られなかった。そこには秘匿すべき被害者たちの個人情報が完全に網羅されていたのである。
「これ、捕まるわよ」
「お前に捕まるなら悪くないさ……いてて、怒るなって冗談だ……」
「次はつねる程度じゃ済ませないわよ……」
鼻息を荒くしながら鳴海は惣介にそう言い渡す。肩を竦める惣介を睨みながらソファに深く身体を沈め、それからリストを再確認する。
人数はざっと見ただけでも最早数十人単位で広がっている。被害者の数が三桁になる日はそう遠くはない……そんな予感が得られた。リストのページを捲りながら黙り込んでいた鳴海だが、突然あるページに視線が釘付けになった。
「どうかしたのか?」
「……いえ、何でもないわ。それよりもありがたい情報だわ。そういうのどこで仕入れてくるのかしらね」
「企業秘密だ。アウトローにはアウトローのやり方がある……そういう意味では俺はジャスティスを否定しないな」
煙草をふかしながらあっけらかんとそんな事を言う惣介。隣で蓮がドーナツを殆ど一人で食べ終え、満足そうにお茶を啜る。
「鳴海って確か公安なんだよね?」
「うん? ええ、そうよ。それがどうかしたの?」
「公安なのに、殆ど情報が流れてないってなんか変だな〜と思って。公安警察っていうのは、国家の危機に動く警察なんでしょ? それなのに、殆ど一人で捜査してるのってなんでなのかな」
惣介が食べようとしていたドーナツを横取りし、頬張る蓮。惣介が一人で落ち込んでいる傍ら、鳴海は少しだけ蓮の言葉の意味を考えていた。
確かに、今回の仕事は色々な意味で妙な部分が多すぎる。一人で捜査に当たるのは別に珍しい事ではない。だが、もう少しくらい警察が協力的でもいいと思うし、それ以前に公安が動くべき事態であるという判断が下されている割にはその事件の全容は不透明である。
その事実に気づいてしまうと色々と引っかかってしまう気がした。果たして自分は何の為にこの街にやってきたのか……。もしかしたら、仕事ではなく何か別の意味をもってこの場所に導かれたのかも知れない。それは或いは――運命などと呼ばれる形で。
鳴海は視線を被害者のリストに向ける。そうして一人で眉を潜め、複雑な表情を浮かべた。そこには彼女の弟の名前――“櫻井 奏”の名前が記されていた。
Shadow(1)
「……誰だあれ」
というのが俺の第一声であった。
ビーチサイドにて行われていた撮影はどうやらTVCMだったらしく、水際で数人の役者により撮影が続けられていた。当然周囲には規制線が張り巡らせられ立ち入る事は出来ないが、音声に関してはアフレコなのか、周囲でざわついていても怒られる事はなかった。
先に人ごみの中に特攻し道を切り開いていたエリスたちに続き、俺も進んで行く。道を邪魔する連中にはガンを飛ばし強制的にどかす。そんな事を繰り返していたらあっという間に先頭部に辿り着く事が出来た。
「なんや響、自分もミーハーなやっちゃなあ〜! 見物客が引いとるでぇ」
「ウザいんだよどいつもこいつも……。それより藤原、誰だあいつ」
「えーっ!? 響ちゃん知らないのぉ? おっくれってるうー!」
「おっくれってる〜!」
藤原とエリスが人差し指を俺に向けて妙なポーズを取る。腹が立って思わず二人ともぶっ飛ばそうかと思ったが、背後で一生懸命鶫が俺のシャツの裾を引っ張って抑えようとしていたので我慢する事にした。
「まあ、響が知らずとも仕方あるまい。西浦 志乃……。現役高校生のアイドル、同時に所謂イケメン俳優ってやつだな」
隣で氷室がそう解説してくれる。成る程、集まっているのは主に女性……。皆の熱い視線の先に立っているのは爽やかな笑顔を浮かべた一人の少年だ。背は高め、髪の毛はさらさら、茶髪の少年は額に汗を浮かべながらスタッフらしき人物と言葉を交わしていた。成る程、きゃあきゃあ騒がれるのもしょうがないルックスだ。だが……あんまりああいう輩は好きじゃねえんだよな。ナヨっとしてるっていうか……。
「な〜んか、かっこいいのは顔だけってカンジねえ」
舞も同意見なのか退屈そうに喧騒の中に身を委ねている。エリスと藤原はもう芸能人というだけで満足なのか、目をキラキラさせて撮影風景を眺めていた。
「しかし、名前もそうだが顔も女みたいな奴だな……」
「居る物だな、ああいう男も。歌って踊れるイケメン俳優とくれば、人気は出ない方がおかしな話だ。最近ドラマやらバラエティやらで良く見る」
「そうなのか? 俺はTVとかあんまりみねえからなー……」
「――だろうな。お前にしては珍しいな、しかし。こんな所に顔を出すとは」
さすが氷室、鋭い意見である。その通り、俺はこういう人ごみ見たいなのは御免被る性格だ。が、あの中にVSユーザーがいるっていうんだから仕方が無い。
振り返り、視線だけで鶫に合図する。鶫はユニフォンを片手にじっと撮影メンバーを見詰めていた。仮に反応があるとすれば、これだけの至近距離なのだ、判らないはずも無い。
特定に時間はかからなかった。鶫は若干戸惑いを浮かべた瞳で俺に目配せする。そうしてそれから真ん中に立つ――西浦志乃を指差した。
「……これはこれは」
というのは舞の言葉である。が、俺の気持ちでもあった。また凄いのがVSユーザーをやっているもんだな……。しかし、アイドルでVSユーザーっていうのはどういうんだろうか。まあそういう奴も居るんだろうが……。
「氷室、西浦志乃ってのはこの街に住んでるのか?」
「ああ。交通の便も良いしな。西浦志乃の通っている高校も特定されている。興味があるのか?」
「いんや。だがまあ――少し、訊きたい事が出来た」
まだるっこしい事は嫌いだ。このまま突っ込んでいって首根っこ捕まえてヤツのユニフォンを奪い取ってやる――そう考えて一歩前進すると、背後から鶫と舞が俺の両腕を取ってそれを制止してきた。
「桜井君、正面突破はちょっと……!」
「あんたねえ……まあそう来るだろうとは思ってたけど、ここじゃ人目につきすぎるわよ」
「…………むう。じゃあ、どうするんだ? 言っておくが、撮影が終わるまで悠長にここで待ってるつもりはないぜ?」
それは彼女達だってそうだろう。三人でどうするべきか悩んでいると、何故か周囲がざわつき始めた。何となく視線を西浦志乃に向ける。彼は何故かギャラリーである俺たちの方に歩いてきていた。
ファンサービスか何かだろうか。そう考えて三人で志乃を見詰める。志乃はどんどん近づいてくる。やがて違和感を覚えた。志乃がなんか、こっちを見ている気がしたのである。まさかこいつ――いや、そうか。当然の事だ。
思わず身構える。鶫と舞を庇うように前に出た。こっちの探知に引っかかるって事は、あっちにもこちらが引っかかっているはずだ。とすれば、あいつが鶫に向かってきてもおかしい事はない。
志乃が駆け寄ってくる。が、何故か楽しそうに微笑んでいる。なんだか妙だ。そんな事を考えていると――。
「響! 響じゃないか! 久しぶりだなあ!」
と、言いながら志乃はこちらに突っ込んできた。そのまま俺の前で立ち止まり、両手を握り締めてにっこりと微笑んだではないか。
俺は全く理解不能であり、ただ首を傾げるしかない。慌てて周りをみやると、誰もが俺を見て完全に固まってしまっていた。まあそらそうだが……。
「すごい偶然だね! 施設を出て以来だから……八年ぶりくらいかな? ボクの事覚えてないかな? よく奏とも一緒に遊んだじゃないか」
「……か……? いっ? 待ってくれ……。いや、えーと……」
「あ……流石に覚えてないか。まあ、色々あったから仕方ないよ。響、そんな所で見てないでこっちにおいでよ。ここじゃちゃんと話も出来ない」
「あ、おい、ちょ――っ!?」
志乃に連れられて俺は規制線の内側に引っ張り込まれてしまった。背後で色々な声が聞こえたがしょうがない。連れて行かれたのは撮影現場の一角にあるパラソルの下で、志乃はそこにあった椅子の上に俺を座らせるとスタッフから受け取ったジュースを俺に差し出した。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう……ゴザイマス?」
「敬語なんていいよ、同い年だし。それよりまだボクの事思い出せない?“木漏れ日の家”の事とか」
木漏れ日の家……それには俺も勿論覚えがある。それは俺たちが入れられていた孤児院の名前だ。元々森の中にあった教会を改装して作られた施設で、結構規律の厳しい孤児院だった。俺と奏はそこで暮らしていて、他にも俺たちのような行き場のない連中が何人かいたっけ。
その名前は決して有名なはずではなく。つまりそれを知っているということは――たった一つのシンプルな答えを示唆している。
「お前もあそこの出身なのか!?」
「そうそう。名前は変わっちゃったけどね。今は、西浦志乃って名乗ってる」
「ああ、知ってるよ」
「ほんとかい!? 嬉しいなあ、やっぱり芸能人やってて良かったよ! お陰でまたこうして友達に会えたんだから!」
突然正面から俺に抱きついてきた志乃は笑顔でそんな事を言って見せる。なんというか……当初の予定と大分変わってきてるんだが、展開が……。
最悪戦闘になると思っていたくらいなだけに、どうにも腑に落ちない。こんなことってあるんだろうか……。偶然と言うには余りにも出来すぎている。
それにしても、施設の頃の人間か……。もうそんな事を思い出す事もないだろうと思っていただけに、不意を突かれた感がある。
「えっと、昔の名前はなんていうんだ? それを聞けば思い出すかもしれない」
至極当然の質問をしたつもりだった。しかし彼は表情を曇らせる。何故だか判らないが、途端に口数が少なくなってしまった。
「昔の名前は、もう捨ててしまったんだ。だからもう、ボクには昔の名前は残ってない……。でも、本当に響とは一緒に居たんだ。奏の事も覚えてるし……」
「まあ、俺と奏の事を知ってるからにはそういう事なんだろうけどな。しかしすげえ偶然もあったもんだぜ。奇跡的な確率じゃねえのか」
「うん、まさに運命の再会だね! あ、アドレス交換しようよ! 今日は忙しいけど、また今度こっちから連絡するからさ!」
といわれ、断る理由も無くあれよあれよという間に俺のアドレス帳に芸能人の名前が一つ追加されてしまった。撮影があるとの事でそのまま一旦別れたわけだが……戻ると野次馬たちの視線が痛かった。
「響ちゃん、響ちゃん!! すごいよ、志乃と知り合いなんだ!!」
「え? ああ、どうもそうらしいな……。正直まだ思い出せないんだが、昔の友達みたいだ」
「響ちゃん、すっごーい!! カッコイイよお〜!! 芸能人だよおお〜!!」
いや別に芸能人じゃねえけどな。一般人だけどな。
「くう〜……なんで響ばっかり美少女やら芸能人やらとの出会いがあるんや……。ワイは……ワイはあ――ッ!!」
盛り上がっている連中の中から逃げ出すようにして立ち去る。カフェまで戻った俺の後に続きやってきた鶫と舞の二人と共に席に着いた。
「桜井君って……色々凄いんですね」
「芸能人と友達だったってだけで凄いわけじゃないだろ。それよりアドレスは確保したぞ」
「あら、響にしてはちゃんと仕事してるじゃない」
まあ向こうから一方的にされただけなんだが――とは言わない事にした。何はともあれ新たな所有者――西浦志乃との接点が持てたのだ。今はとりあえず、それでいいだろう――。
夕暮れ闇の中、剣で武装したライダーがビルからビルへと飛び移っていた。夕闇の光を浴び、風に髪を揺らす。響たちとの戦闘で破壊されてしまったヘルメットは今や意味を持たず、故に彼女はそれを手放していた。
ライダーと対峙する正面には一人の少女の姿があった。黒地に赤をアクセントとしたゴシックドレスを身に纏い、その手には花柄模様のユニフォンを手にしている。
ウェイブした金の長髪を括り、真紅の瞳を輝かせて微笑むその姿は優雅――しかし様相からして現実離れしている。まるで幻想の中、時代錯誤を生きるかのような外見の少女と相対し、ライダーは無表情に剣を両手で構えていた。
「こんな所まで少女を追い掛け回すなんて何て躾けのなってない犬なのかしら。飼い主はどこのどなた?」
余裕を持ったその口調と微笑みは幼い少女の外見にはつりあわない。しかし少女はかねてよりその性格、外見、生き方で構成されてきた。故にその微笑を浮かべる赤い唇も、柔らかく細めたアイラインも、全ては嘘ではなく真実で出来ている。
ライダーは返答せずに剣を構える。そうして一息に駆け出すと、低い姿勢から一気に少女へと斬りかかる。少女は自らのユニフォンを翳し、踊るようにその場でクルリとターンを決めて見せた。
少女の周囲に漆黒の風が渦巻き、ライダーの剣は弾き飛ばされる。直後に風の中から飛び出してきた黒い腕がライダーの身体を殴り飛ばした。距離を離され、ライダーは改めて剣を構えなおす。正面には少女が召喚したVSが翼を広げている。
漆黒の天使――いや、それは悪魔と表現した方が正解に近いだろう。黒い甲冑に覆われた胸、しかしそのラインは女性の物である。額は頑丈な兜で覆われ、長い黒髪が風に靡いている。
胸から下――腹部の部分には肉がなく、脊髄だけが下半身をぶら下げていた。手足は骨、異形の死を模ったVSは漆黒の翼を広げ、主を守るように背後から長い腕で抱きしめる。
「おいでませ、“サマリエル”――。わたくしを守って。思う存分、敵を討ち滅ぼして……?」
悪魔が空に吼える。主の側面から飛び出し、奇妙なうめき声を上げながら猛然と突撃するサマリエル。ライダーは剣でそれに襲い掛かろうとするが、何故か両足が動かずに体勢を崩しそうになる。足元に視線を向けると、そこには白い骨の腕が自分の足を掴んでいる光景があった。
サマリエルの能力の一端、まるで怨念を操るかのような力が完全にライダーを拘束していた。音も気配もなく、突然やってきた。それにはそもそも生き物としての気配が無く――故にライダーの対応は後手に回る。
『ぃ……ぃ……ぎ……』
「あ」
ライダーが間抜けな声を上げた時、正面に立った異形が両腕を低く構えていた。
『ぃ――ぃいいいいいいいいいいイイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアアッッ!!!!』
壮絶な叫び声と同時に次々に拳が叩き込まれる。ライダーの顔へ、腹部へ、足へ、腕へ、肩へ――。凄まじい勢いで攻撃が叩き込まれ、しかしライダーは怯む事も出来ない。両足にまとわりついた腕が彼女の身体をサンドバッグとするために懸命に支えているのだ。
剣も吹き飛ばされ、ライダーはまるで人形にように蠢く。嵐のような連打を前に成す術はなく、ただ只管に暴力の前に捻じ伏せられているだけのようにも見えた。しかし天使の主は異変に気づき、サマリエルを後退させる。
骨の手足を引っ込めたサマリエルの脇腹を“何か”が素通りした。それは真っ直ぐに少女目掛けて突き進んで行く。ドレスの少女は片手を軽く翳し、足元から骨の腕を出して飛来した剣を弾き飛ばすも、ドレスの裾が僅かに切れて布の破片が空に舞う。
ライダーは無傷であった。あれだけ滅茶苦茶に拳を打ち付けられ、しかし傷一つ存在しない。軽く両足を振るうようにして足元の骨を砕き、ベロニカより大剣を取り出して手に取る。首を鳴らし、欠伸をしてライダーは前進。
「素敵な反則性能ね、貴方。良くってよ、もっとおいでませ――。実に恍惚的でしてよ」
ライダーは剣を構え、サマリエルへと襲い掛かる。サマリエルに振り下ろした刃は硬い骨の腕で防がれてしまう。
「……きもい」
しかしその刃先に体重を乗せ、剣を支点に身体を浮かす。空中で剣を解除し、新たに二つ作った剣を空中で蹴り飛ばし、サマリエルの両肩に突き刺した。
「……うざい」
大地に片手を着き着地。身体を捻り、回転するようにして剣を蹴り飛ばす。身体に突き刺さった剣を弾かれて天使の身体がよろめいた。
両足を着き、片手に剣を再び構築する。その光の収束は今までの比ではない。現れた純白の聖剣を手に、ライダーは身体を横に捻るようにして斬撃を繰り出す。
「なにより、うるさい――」
「――っ! サマリエル! かわしなさい!」
大気に轟音が鳴り響いた。攻撃はサマリエルへと命中せず、空を切っただけである。だというのにまるで鉄と鉄とがぶつかり合ったような甲高い音が鳴り響いた。次の瞬間、遅れて発生した衝撃にサマリエルは弾き飛ばされる。
何が起きたのかはわからなかった。ただその白い剣は空を斬り――そしてその空間を“弾いた”というだけの事。よろめいたサマリエルの背後、完全に無防備になった少女目掛けてライダーは剣を振り上げる。
「共鳴の――聖剣……!」
光を纏い、純白の剣が振り下ろされる。しかし次の瞬間少女の身体は真横に移動していた。倒れかけたサマリエルが少女の胴体を掴み、引っ張ったのである。
そのまま骨の天使はビルから飛び降りて行く。空中で翼を広げ、どこか遠くの空へと飛んで行くシルエットを見送りライダーは剣を解除する。そうしてベルサスを手に取り、耳に当てて静かに空を見上げた。
「……わかってる。必ず間に合わせるから……」
その視線の先には零れ落ちて消えて行く夕日の姿がある。まるで摩天楼に吸い込まれていく赤い涙の雫のようなそれを前に、ライダーはその場に座り込んで少しだけ休憩を取る事にした……。