KYO(1)
足元に倒れている響をじっと見詰めるライダーの視線……それはどこか煮え切らない様子であった。
少なくとも彼に対して何らか特別な思いがあることは明らかであり。あろうことか、ベロニカを持っている張本人である響の隣を素通りして少女は走り出す。
ビルとビルの狭間、壁と壁を連続で蹴りあがり、一瞬で数十メートルの距離を駆け上がる。ビルの屋上に上ったライダーは剣を構え、何もない空間目掛けて無作為に刃を揮った。
一件それは何の意味もない行為のようにも見える。しかし次の瞬間、“切り裂かれた”糸が姿を現し意味を成す。ライダーには最早直感的に“糸”の存在が感じ取れるようになっていた。
そもそもアンビバレッジの糸の不可視は完全ではない。月明かりに照らされ、ほんの一瞬だけ僅かに輝く時があるのだ。その一瞬で糸の位置を全て把握する事は難しいが、それを少女はまるで呼吸するかのようにやってのけただけの事。
こんなところにまで既に糸を仕掛けているのか――。少女は顔を上げる。ディアブロス、ジュブナイル――二機のVSは単純に強力な力を持っている。だが最初に倒さなければならないと判断したのはアンビバレッジであった。
何故ならば、あの中では“あのVSが一番強い”と判断したから。そしてそれは間違いではない。他二機のVSのレベルと比べ、アンビバレッジは数段上を行っている。それに何より――その能力は厄介。
張り巡らされたトラップを切り裂きながら進んで行く。屋上から跳躍し、対岸のビルの屋上へ。着地と同時に黒いブーツの底が削れた。それを何度か繰り返し、少女は夜の街の中へと飛び降りて行く。
落下直前に剣を大地に向けて出現させてその衝撃を相殺する。くるりと身体を反転させながら大地へ降り立ち弾かれるように駆け出した。あっという間に追いついた視界の果て、鶫を背負って逃げる舞の姿がある。
少女は追跡を再開する。人気の無い場所へと逃げ込んでいるのは舞が他人を巻き込むまいと考えているからだろう。自分をただの殺人鬼か何かと勘違いしている証拠……それは腹正しい事だ。
だが実際問題としてその評価は的を射ているとも言える。ライダーは路地に入り込み――そこで信じられない物を見た。
思わず足を止めたその理由は正面に舞が待ち受けていたから。振り返り、逃げながらではなく。足を止め、完全にライダーへと向かい合っている。
その背中には鶫の姿が無かった。気絶した少女をどこかに隠した――? どちらにせよ“あれは対象”ではないのだ、逃げられたところで問題はない。
しかし妙なのは舞の余裕の態度である。確かに昨晩はダメージを与えたはずであり、その手ごたえは確かに残っている。妙な邪魔さえ入らなければあのまま止めを刺す事が出来たはずなのだ。
だがしかし今の舞はまるで勝算があるかのようにライダーを見詰めている。それが奇妙であり、不気味であった。一振りの剣を両手で構え、正面の舞目掛けて走り出す。
低い大勢から繰り出す斬り上げる攻撃――。今の舞ではそれを避ける事は叶わないはず。しかし舞はきちんと回避に成功していた。身体を背後に捻り、紙一重で斬撃を回避する。
「――――うそっ!?」
そう呟いたのはライダーではなく舞であった。自分で避けたのだというのに、まるで避けられないと考えていたかのように今は驚きを隠せない。。それが更に奇妙であり――ライダーは防御の姿勢をとった。
それは幸いした。舞が反撃で繰り出した蹴りを刀身で受ける事に成功する。しかし仮に防御していなかったならば直撃を受けていたに違いない。何故ならそれは――怪我をしたはずの脇腹を捻って繰り出されたのだから。
出るはずが無いと思っていた攻撃に思わずたじろぐ。次の瞬間、硝子の割れるような音と共に再びディアブロスが姿を現していた。
何故? どうして? 理解の出来ない状況が続く。ディアブロスは拳を振り上げ、ライダーを叩き潰すように大地目掛けて振り下ろす。その一撃を後方に跳んで回避し、ライダーは停止する。
「どうして動けるのか判らないって顔してるわね? まあそれも無理ないわ。だってあたしだって何で動けるのか良く判ってないんだもの……!」
余計に訳がわからなくなる。舞が叫ぶと同時にディアブロスが両手を胸の前で合わせた。直後、ライダーの背筋に悪寒が走る。“嫌な予感がする”。
「相手が女の子でも手加減は出来ないって良く判ったわ……! 悪いけど――死んじゃっても恨みっこ無しよ……ッ!! ディアブロスッ!!!!」
月下、獣が吼える。夜空に響き渡る轟音――。胸の前で合わせた手を開いた瞬間、そこには黒く光る球体が姿を現していた。
「捻れ潰し圧し折る――ッ!! 咆哮――」
ディアブロスの右手の中に収まった小さな球体を振りかざす。まるでピッチャーのような構えを取る舞の動作にあわせディアブロスも構えを取る。二つの存在の影が完全に重なった時、“ボールは放たれた”。
「魔球――――ッ!!!!」
轟音、暴風――。放たれた弾丸は甲高い音を立ててライダー目掛け一直線に飛んで行く。それは周囲の壁を、大地を、全て滅茶苦茶に叩き割り、すり潰し、捻じ伏せて突っ切って行く。
球が触れたわけではない。球そのものには攻撃能力など存在しない。だが球の周囲には特殊な“力”が働いていた。
それは物を押しつぶそうとする力――。“重力”。ディアブロスの能力のうちの一つ、重力を弾丸にして放った一撃。それは直線通路の全てを破壊しながらライダーに命中する。勿論防御はした。しかし――その剣をぐしゃりと歪め、直後球体は破裂する。
眩い光が狭い通路を覆う。遅れて衝撃――。舞はディアブロスを消し、息を切らしながらその場に膝を付いた。
「手加減はしたけど……死んでないわよね……?」
額の汗を拭い、舞は視線を凝らす。また剣が飛んで来るのでは――そんな懸念もあった。しかし生身にディアブロスの必殺技を受け、少女は完全に沈黙していた。大地の上に仰向けに倒れ、ぴくりとも動かない。
やりすぎたか――? そんな考えが脳裏を過ぎった。しかし舞も最早一歩も動く事はままならなかった。立ち上がることに失敗し、そのままうつ伏せに倒れる。そうして舞も動かなくなり、通路に動く人影は一つもなくなってしまったのであった。
KYO(1)
「単刀直入に申し上げて、そのような事実関係は一切存在しません」
そう断言したのが当の本人、氷室 美琴の実の父親である氷室 雅隆の言葉である以上、それを信じないというのもおかしな話である。
ジェネシスビル内、応接間……。鳴海と新庄がそこに通されてから雅隆がやってくるまでの時差はほんの数分であった。氷室 雅隆――、ジェネシスの副社長であり失踪した氷室美琴の父親でもあるその人物は眼鏡越しに二人を見詰め、足を組んだままそう答えた。
広々とした応接室の中、三人の間に沈黙が走る。例の電子ドラッグ、“ムーンドロップ”に関わりがあるかもしれないと見られていた副社長の娘、美琴の失踪事件……。しかし、それはどうやらあっさりと空振りと相成ったようである。
一面大理石で埋め尽くされた部屋の中、高級感溢れる革のソファの上で雅隆は微笑んでいる。その様子は二人が突拍子も無い事を言い出したのだという事実を肯定する笑顔……。当然の事である。まるで巨大な陰謀説のようなものを振りかざしているのだ。常人なら笑い飛ばす所であろう。
「で、ですよね〜! そんな事、そうそうあるわけないッスよねえ!? ね、鳴海さん!」
「本当に脅されていて答えられない……なんて事ではないんですよね?」
「な、鳴海さんっ!」
新庄が冷や汗を流しながら身を乗り出す。それを片手で制して鳴海は話を継続。
「美琴さんは既に二週間も学校を欠席していますね。その理由を貴方はご存知で?」
「ええ、勿論です。娘の事ですからね」
「……お聞かせ願っても宜しいでしょうか?」
「それは出来ません」
あっさりと、雅隆はそう答える。両手を開き、困ったように眉を潜めて。
「あれは今とても気難しい時期でしてね。あまりプライベートな話題については控えさせて頂きたい。ただでさえ氷室の娘として否応無く目立つ人生ですから、せめて親の私くらいはあれを擁護してあげなければ」
「成る程。年頃の娘さんを持つと色々と大変でしょう。お察し致します」
事務的な笑顔を浮かべ鳴海は出されたコーヒーの注がれたマグカップを口元に運ぶ。新庄は会話がどのような成り行きを迎えるのか落ち着かない様子で二人の間、視線を彷徨わせていた。
「では、我々の思い違いという事でしょう。突拍子も無い話に貴重なお時間をありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、その“ムーンドロップ”……でしたか? 情報を洗いなおしてみましょう。何か判りましたらご一報を」
「ありがとうございます。それじゃ――帰るわよ、新庄君」
「は、はいッス!」
漸くこの異質な空間から開放される――。喜んで新庄は立ち上がった。鳴海と雅隆はお互いに笑顔を交わし、それから鳴海は新庄を連れて応接間を後にした。
地上へと下りて行くエレベータの中、鳴海は壁を背に腕を組みながら目を瞑っていた。どうにもその様子は納得が行かないように見える。しかし新庄はそんな事よりもようやくこの巨大なビルから脱出できるという事実の方がありがたかった。
「……鳴海さん、なんか引っかかってるんスか?」
「そうねえ」
「たは……っ! 氷室さん、良い人だったじゃないすか! コーヒー美味しかったし……。多分あれすごく高い奴ッスよ」
「でしょうねえ」
どこか他人事というか、心ここに在らずな態度をとる鳴海。そんな鳴海の様子に新庄が溜息を漏らした頃、丁度二人を乗せたエレベータが地上に到着した。
二人は真っ直ぐにエントランスを横切ってビルの外に出る。途端、太陽の日差しがじりじりと照りつけてくる。ビルの内部は冷暖房完備であり、この蒸し暑ささえ忘れてしまっていた為それは不意打ちそのものであった。
「やっぱり、ムーンドロップとジェネシスは関係ないんスかねえ〜」
「……どうかしら。まだ判らないわよ」
「何がわかんないんすか? 実の父親が否定してるんスから、例の氷室美琴ちゃんの失踪だって本当に失踪か怪しいもんじゃないッスか。そもそもその根拠といえば、あのわけわかんない子供の一言なんですし……」
ネクタイを緩めながらそう漏らす新庄。確かにその通り、何の根拠も無い途方も無い話であることに違いはない。単純に幾つかの事件を自分の中でこじつけてしまっているだけ……そう考える方がスマートだろう。
しかし鳴海はやはり納得が行かなかった。ジェネシスビルに入る前よりも今、今よりも恐らく明日の方がジェネシスに対する疑念は増幅しているだろう。眉を潜め、振り返る。文字通りの摩天楼、この街の象徴は太陽の光を弾いて輝いていた。
「なんていうか……怪しいのよねえ〜」
「それ、根拠はあるんスか?」
「ないわ。強いて言えば女の勘よ」
「そんなんで事件が解決したら誰も苦労しないッスよ……いてっ」
溜息を漏らす新庄の頭を小突き、鳴海は自らの車に向かって歩いて行く。失踪した氷室美琴。謎の電子ドラッグ、“ムーンドロップ”。ユグドラシルネットワークと、その管理会社ジェネシス……。全てはまだ繋がっているわけではない。ただ、無関係とも思えない。それが鳴海の――そう、“女の勘”であった。
「――――で?」
日が暮れ、鳴海の仕事が終了した後。深夜を迎えようとする響の部屋の中、何故か舞、鶫、響、そして――彼らとつい先程まで交戦していた“ライダー”が全員床の上に正座させられていた。
その奇妙な光景が形成されるのには幾つかの偶然が重なり合う必要があった。が、兎に角深夜、鳴海が響の部屋を訪れた事から全ての混乱が始まったのである。
勿論響の部屋を訪れたのには理由がある。氷室 美琴についての調査の途中、氷室 雅隆にはもう一人子供が居る事が判明したのである。名を氷室 真琴と言い、彼もまた清明学園に通う高校生であった。
その氷室 真琴の情報を知る事こそ鳴海の目的であった。同い年である響ならば真琴について何か知っているかもしれないという、調査としては根拠のおざなrな“ついで”に他ならなかった。実際目的の割合として氷室 真琴の調査など三割程度であり、残り七割は可愛い弟が何をしているのかと様子を身に来たという意味を持つ。
訪れた時間が深夜という事もあり、もしかしたら寝ているかもしれないとそっと扉を開けてみたところ、在ろう子とか真夜中だというのに弟は不在であった。勿論その頃弟はビルの屋上に向かって一生懸命外付けに階段を登っていたのは言うまでも無い。
仕方が無く鳴海は部屋で弟の帰宅を待つ事にした。この時点で既に鳴海はおかんむりである。帰ってきたら弟の深夜徘徊を注意するつもりであった。しかし勿論、その頃弟は毎晩深夜徘徊している“ライダー”にハイキックを受けて気絶していたのは言うまでも無い。
余りにも帰ってこないので段々と不安になってきて部屋の中をウロウロとし始めた頃。ようやく待ち人来たり、弟が部屋に帰って来たのである。が、何故か弟は少女を三人も連れており、そして全員が何故か傷だらけであった。
当然その場で鳴海は全員を強制的に正座させ、仁王立ちで四人を見下ろしている。四人は既にフラフラであり抵抗する気力さえなく、何故か奇妙なことに大人しく四人とも正座するという状況が成立してしまったのである。
「一体これはどういう事なの!?」
「……いや、だからこれは……」
「鶫ちゃん一人だけなら兎も角、他に二人も女の子を連れ込むって響あんたねえ……! しかも四人揃ってボロボロで、外で何してきたのよ!?」
「いや、待ってくれ鳴海……。こっち見覚えないか? ほら、昔近所に住んでた……」
響が話題をそらす意味も込めて舞を指差す。しかし鳴海の性格を理解している舞は青ざめた表情で愛想笑いを浮かべる事しか出来なかった。
「あれ、舞ちゃん? どうして響と一緒に?」
「お、お久しぶりです……鳴海姉さん」
「あらーほんと可愛くなったわね〜。最近はメールくらいしかしてなかったし、なんだかすごく久しぶりだわ〜でもそれとこれとは別よね〜」
「……ですよねー」
舞が涙を流しながら頭を垂れる。あの強気な舞が完全にへこたれてしまっている様子に鶫も最早何も言えず黙り込むしかなかった。
「まあ、そっちの二人は兎も角――この子は誰よ?」
不審気な鳴海の視線の先、大人しく正座している少女の姿がある。長い黒髪、スレンダーな体系の少女は正座したままウトウトしていた。その様子には鳴海のみならず残りの三人も驚愕を隠せなかった。
彼女をここまで連れてきたのには勿論様々な理由があるわけだが最早今はそんな状況ではなくなってしまった。が、このままずっと正座しているわけにも本当の事を話すわけにも行かない。響は暫く考えた挙句、徐に立ち上がった。
「鳴海!!」
「うん?」
「こいつらは……その……あれだ……。なんていうか、ホラ……」
VS使用、更に真夜中という事もあり響は猛烈な眠気に襲われていた。普段からあまり回る気配の無い頭が更に回転速度を緩めている。懸命に考えた末、鶫の肩を叩き、
「こいつなんつーか、家出中なんだよ。だからウチに泊める。で――こっちはホームレス」
寝ぼけている様子のライダーを指差して在ろう事かそんな言葉を口にする。最後に舞の肩を叩き、
「……まあつまりなんていうか……全員ウチに泊めるッ!!」
最早考える事が面倒くさくなったのか、響はそう断言した。背後で鶫と舞が青ざめた表情を浮かべ――ライダーは響の叫びで目が覚めた様子だった。
「……まさか……ハーレムルートって事……?」
「あ? ああ……なんかよくわからんが、そうだ……。ハーレムルートだ……」
「成る程……判ったわ。じゃあアタシもって事……なのね……」
「ああ? あー……まあそういうことだ……何が?」
かみ合わない二人の会話が続く。暫くした後、不意にライダーがくしゃみをした。四人ともボロボロのドロドロであり、見るに耐えない状況いなっている。ライダーのくしゃみでそれを思い出したのか、鳴海は眉を潜めて肩を竦めた、
「――ま、いいわ。とりあえずアンタたち、今日のところはお風呂に入ってちゃんと休みなさい。響、とりあえずその野望は認めるけど、ちゃんと十八歳になってからにする事! いいわね?」
「十八歳……? ああ、判った。もう、いいか?」
「ええ。それじゃあアタシは明日出直すから、明日は夜中出かけずに大人しくしている事! それじゃあね」
明るく元気良く、鳴海は去って行った。途端、四人は同時にその場に倒れこんだ。
「ぜはー……っ! あ、あっぶねえ……バレるかと思ったぜ……ッ!!」
振り返った響の視線の先、鶫がユニフォンを片手に疲れた笑顔を浮かべていた。目には見えなかった糸が姿を現し、完全にライダーの体を拘束している事実が明らかになる。
疲れた状況下、そんな事をしていたのだから最も疲労していたのは鶫であった。ふらふらした様子でどこか遠いところを眺めている鶫の肩を揺さぶり、舞が顔を叩く。
「嵐は去ったわよ! しっかりしなさい!」
「はあ……。普通今来るか……? ったく……」
どっと疲れた空気の中、響は視線をライダーに向ける。相変わらず大人しく正座したままであり、暴れ出すような様子は一切見られなかった。
ライダーを舞がディアブロスの能力で気絶させて、ここまでつれてきたのは当然尋問の為である。一先ずその場で彼女のユニフォンは奪った物の、命を奪う事もユニフォンを破壊する事もしていない。
ベロニカを狙っているのかもしれないという理由も奏の関係者を襲っていると言う可能性も全ては憶測に過ぎない。まずはそれらを現実の物とすることで漸く全てのスタートラインに立つ事が出来る――そんな気がしていた。
「しかし……どういう事なんだろうな」
響は自らのポケットからベロニカを取り出す。それは全く動かず、うんともすんとも言わなかった。そして――“もう片方のポケットからベロニカを取り出した”。
彼の掌の中には二つのベロニカが存在していた。何の反応も無く、沈黙を守っているユニフォンが二つ――その片方は、気絶した追跡者より奪った物だった。
単純に考えて、このベロニカは彼女が使用していたユニフォンという事になる。それは一体どういう事なのか? 響が視線を向けると少女は大人しくしたまま響を見詰め返した。
綺麗な紫の瞳が光を吸い込んで輝いている。真っ直ぐで純粋な眼差し――思わず見詰め合う事に耐え切れず響は視線を反らした。
「舞、とりあえず何かでこいつをふん縛っちまおう。鶫ももうアンビバレッジを発動しているのは限界だ」
「そうね……。もうちょっとだけ我慢してね、お嬢さん」
鶫はグッタリした様子で小さく頷く。適当な物が見つからなかったので、少女の手足をTシャツで結ぶ事にした。ユニフォンが手元に無い以上、特殊な能力は使えない。ただの少女を縛り付けるだけであれば、それだけでも効果は十分であった。
床の上に転がった少女を確認し、鶫はアンビバレッジの発動を解除する。能力が消滅し、どっと疲労が襲い掛かった。滝のように汗を流しながら床に突っ伏している鶫の傍ら、響は少女に問い掛ける。
「――お前、なんなんだ? どうして舞を狙っていた? なんでお前が“ベロニカ”を持っている?」
少女は答えない。しかし響は少女を痛めつけて秘密を吐かせようなんて気にはなれなかった。が、傍らの舞はゴールデンルールに法りそれを開始するつもりであり、疲労と苛立ちも手伝って乱暴な様子で腕を鳴らし始めていた。
さりげなく舞の暴走を阻止するように手を翳し、響は再び問い掛ける。真っ直ぐに少女の目を見詰め、ゆっくりと。
「お前の、名前は?」
紫色の視線が見詰め返してくる。そうしてゆっくりと小さな唇が動き――少女は己の名を口にした。
「サクライ キョウ」
誰もが予想しなかった名前に沈黙が訪れる。冗談か何か――? その考えを打ち砕くように、少女はもう一度。今度ははっきりと事実を口にする。
「わたしの名前は、サクライ キョウ」
二つのベロニカが響の掌の中に収められている。二人のキョウが見詰めあい――そして、再び場を沈黙が支配しようとしていた。