ブレイドダンサー(2)
「鶫、学校に行くぞ!」
翌朝。部屋の隅で毛布に包まり丸まっていた鶫をたたき起こす。突然の事にぼんやりした様子で俺を見ている鶫の前でカーテンを思い切り開け放つ。
朝日が一気に差し込んでくる。よし、人間の健康な一日はこの朝日から始まるんだ。鶫も俺も、朝はこうして光を浴びてきちんと目を覚ます! そう決めた! 今!!
「……さくらい、くん……?」
「おう、桜井君だ。ほら、シャキっとしろ、シャキっとぉ!! 涎垂れてんぞ」
そう指摘すると鶫は少しだけ顔を赤らめて口元を拭った。その頭をくしゃくしゃに撫で、手を掴んで引っ張り起こす。当たり前だが鶫の格好は昨晩のままだった。
色々あった所為もあり、鶫の顔は酷い事になっていた。涎、寝ぼけ、更に泣き明かした跡がくっきりと残っている。その手を引いて脱衣所に移動し、そこでバスタオルと着替えの詰まったカバンを渡す。
「シャワー浴びて来い。朝飯、作っておくからさ」
「……桜井君、あの……私は……」
「良いから早くしろ! はいはい、ダッシュダッシュ!!」
「ふえ、はう……?」
鶫を押し込んで扉を閉める。そうして少し歩いてから俺は小さく溜息を漏らした。
気持ちが一晩でどうにかなるはずもない。まだ頭の中はぐしゃぐしゃだし心はざわざわして落ち着かない。でもだからってクヨクヨしたりナヨナヨしててもしょうがないんだ。何にも変わらない。何一つとしていい方向には転がらない。それを俺は身を持って味わっているから。
毎日を当たり前に暮らす事が自分の心に安らぎを与えてくれる。今は閉じこもるべき時じゃない。無理をしてでも、少しでも自分に普通を与えてやるべき時だ。その結果彼女の心の治り切らない痛む部分が疼いたとしても、それを超えられないのならばもう彼女に道はない。
生きるのならば生きるために出来る事をしなければならない。全てを投げ出してはならない。落ち込むのもヘコむのも泣き喚くのも悪い事じゃない。でも、次の日には全部忘れる。忘れられないなら、忘れたフリをしよう。自分を騙してでも、歩き出さなければ。そうしなければ、前には進めないから。
一人でそんな事を考え、出来るだけ明るい顔を維持するように努力する。エプロンを装着し、台所に立つ。鶫が好きな食べ物が何なのかは判らないが、とにかく朝から豪華なメシにしてやろう。足りない食材は一階のコンビニで購入済みだ。美味いの作るぞー!!
そうして一人で包丁を揮う。何気に料理は得意な方だ。まあ一人暮らしをしていれば嫌でもそれくらいは出来るようになるんだが。食材を冷蔵庫から取り出し、フライパンを暖める。すると廊下の方で何故か足音が聞こえてきた。
まさかもう鶫が出てきたんだろうか? いや、なんだかちょっと心配になってきたな。不注意にも程があるが、洗面台の所にはカミソリとかも転がってるわけだし……まさか、何かあるとは思えないが……うーん。
仕方がなく火を止めて様子を覗いに行く事にする。扉を叩き、彼女の名前を呼ぶ。返事は――なかった。
「鶫、大丈夫か?」
何が大丈夫なのかは自分でも判らない。確かに水の流れる音は聞こえてくる……が、肝心の鶫の返事がない。
何となく嫌な予感がする。扉に手をかける。向こうには一糸纏わぬ姿の鶫がいるだろう。いや、まずいよな。でも気になる。無事かどうかを確かめるだけでも――。
そうして扉の前で悩んでいたらシャワーの音が途切れた。慌てて扉から手を放す。まあ、そうだよな。いきなり自殺したりなんかしないよな……うん……。
『桜井君』
「お、おおう!? 覗いてないぞ!?」
『え? うん、それはそうだと思うけど……』
ああ、そうだよね。自分から態々宣言する事じゃないよね。
「その……」
ガラリと音を立てて扉がスライドする。顔を覗かせた鶫は身体にバスタオルを巻き、前髪から雫を零しながら申し訳無さそうな顔をしていた。
「あの……そのう」
「お、おう」
「下着……とか、ないよね?」
「ハッ?」
まあ、あったらあったで俺の人格に多少の問題が出てくるわけだが……。
「下着持ってくるの、忘れちゃった……」
あ、そうなんだ……としかいえない。なんというか……うん、ドジ?
まあ俺もちゃんと確認すればよかったんだが、女子の着替えが入ったカバンを物色してる時点で既にちゃんとしてないのでなんとも言えない。不可抗力だ、これは。
仕方が無い、どうしたものか。コンビニに下着……置いてた気がするな。女性用の下着は良く判らんが、とりあえず穿ければいいんだろう。出かける事が出来れば自分で買いにいけるだろうし。
しかし、コンビニで女性用下着を買うのか俺……。パネエ……パネエっすよ。まあ顔見知りだし、事情は察してもらうしかないが……まあいいだろう。
「じゃあ、下のコンビニで買ってくる。ちょっと待っててくれ」
「う、うん……ごめんなさい。ありがとう」
鶫を残して慌てて部屋を出る。二台あるうちの一つのエレベータで一階まで降り、コンビニに入る。店内では店長が俺を迎えてくれた。
「あら、また買いに来たの響ちゃん」
「あ、うん……いや食材じゃないんだけどさ。えーっと、女性用下着ってある?」
店の店長――本名不明――は、女口調の男だ。まあ、所謂オネエ系の人物なのだが……その性格の所為もあってか店内には女性向け商品も多い。普通に下着も売っていたわけだが、まあ常識的に考えて――。
「やっと響ちゃんも女装の道に目覚めたのねえ!」
と、なるわけだ。もはや言い返すことは何も出来ない。まあ、この店長の事だから別に言い触らしたりはしないだろうから心の中で誤解してもらってればいいよもう。
会計を済ませ――なんでこんなに高いんだ――下着を片手に溜息を漏らす。その時だった。背後から誰かが俺の肩を叩いていた。
「これはまた興味深いものを購入しているな」
「――――氷室ッ!? おまっ、なんでここに!?」
「うむ。言って居なかったか? ここは俺の通学路の途中にあるのだ。コンビニくらい寄るだろう、普通に」
な、なんてこったああああ!! 慌てて下着を隠すがもう遅い。氷室はしっかりと目撃してしまったのだから。
しかし何故かやつは満面の笑顔で俺の両肩を叩き、力強く頷く。そうして瞳を輝かせながら、
「例えお前が変態でも、俺はお前を軽蔑したりはしないさ」
「ちっげええええっ!! ったく、これは俺が穿くんじゃなくて……あ」
「……お前が穿くんじゃなくて……誰が穿くんだ?」
「いや、あの……その……」
余計に拙い事になった気がする。立ち尽くしていると背後から店長が俺の肩を叩き、俺の手にそっとコンドームの箱を握らせた。
「これはあたしからのオゴリよ。避妊はしっかりね!」
「なんでみんなそうやってコンドームオススメしてくるんだ……。なんだかもう嫌になってきた……」
こうして俺は様々な誤解を受けたまま店を出た。コンドームも貰ってしまったがとりあえず使う予定は無い。はあ……それはそれでどうなのかと思うけど。
ビニール袋を片手にエレベータに向かうと何故か氷室も着いてきた。なんで着いてくるのか疑問に思って視線を向けると氷室はエレベータを呼ぶボタンを押しながら、
「実は今日は皆でお前を朝迎えに行こうという話になってな」
「皆……?」
「藤原と神埼だ。ほら、お前昨日慌てて帰って行っただろ? あの後神崎が追い掛けるってうるさかったんだ。お前の部屋に行きたがってな。まあ、色々あって今日来ることになった」
「その色々って部分が理解出来ないけど、なんで全員で俺の部屋に来るんだ……? まあ別にいいけ……ど……」
ん。待てよ。なんかあんまりよくない気がしてきたぞ。慌てて出てきたから部屋の鍵はかかってない。藤原が一緒なら間違いなく勝手に入ってるだろう。
勝手に入られたら拙いものはないはずだ。いや、そういえば確か一つだけあった気がする。自分の顔色が青ざめて行くのを感じる……。
「どうした?」
「……いや、なんていうか……少し急ぐぞ……!」
エレベータが停止すると同時に俺は氷室の手を掴んで走り出した。何が起きているのか判らず小首を傾げる氷室と一緒に部屋の扉を開くと――そこには見慣れない靴が二足……。
「遅かった……」
「だから、どうしたっていうんだ? 何か見られては拙いものでもあったのか? エロ本とか」
「本……ならよかったんだけどな……」
なんていうかさ。“エロ”そのものっていうかさ……。どこか遠いところを眺めながら俺は乾いた笑いを浮かべる。さてどうしたものか。俺が片手に持つビニール袋には下着とコンドーム……詰んだ。
「きょ〜〜ちゃあ〜〜んんんっ!! これは一体どういう事なの〜〜ッ!?」
神崎の声が聞こえる。俺は額に手を当て、静かに溜息を漏らした。
どうでもいいけどさ……こんな調子でギャアギャアやってたら、全員遅刻するぞ――。
ブレイドダンサー(2)
――影が、追い掛けてくる。
逃げても逃げても、それは何度でも繰り返し襲い掛かってくる悪夢。絶対に覚める事は無い――そう、お互いの命が尽きるまで――。
三代舞は夜の街を走り抜けていた。桜井響と皆瀬鶫が戦いを終え、それを見送ってからの帰り道。舞はまた、繰り返す夜の狩人にその命を狙われていた。
何故――? そう考えてしまう。響は鶫と争った。しかし彼女の命を見事に救って見せた。戦うだけが全てではない……その気持ちは確かに美しく、信じたくもある。
だがこの戦いの恐ろしさを響は理解していないのだ。命の奪い合いをまだ実感していないからこそあんなに甘い事が出来る。もしそれを知っていたら……舞のように、敵は倒す物だと考えたかも知れない。
開発途中の地区を舞は只管に走っていた。背後からはまだあの気配が追い掛けてくる。振り切れる自信はない――。今日は昼間から響に会ったりした所為で寝不足だ。午後には響を救うために力を使ってしまった。
正直な話、消耗していた。息切れの激しさがそれを物語っている。能力まで使って響を助けたのだ、当然の事。今夜の舞に――昨晩までのしぶとさのようなものは存在しない。
突如、頭上より剣が迫る。降り注いできたのは三つの大剣。それは大地に突き刺さり、舞の進行方向を塞ぐ。見上げる頭上の先、月を背に下りてくる剣士の姿があった。
ライダースーツに身を包み、ヘルメットで顔を隠した謎の所有者――。空中から落下すると同時に剣を振り被り、舞へと襲い掛かる。舞はベルサスを振るいディアブロスに防御させる。しかしその防御には普段の強固さのようなものが無かった。
結果、ディアブロスはあっさりと弾き飛ばされる。黒衣の剣士は背後へと跳躍し、大地に刺さった無数の剣のうち一つの上へと留まる。片足だけで剣の上に立ち、ライダーは舞を見下ろす。
舞を護るようにディアブロスが前へ。しかし舞は完全に気圧されていた。この逃亡生活に嫌気が差したという事もある。それに何より――響に手を払い除けられたという事実が“効いて”いた。
響に否定された……それだけでこんなにも自信がもてなくなるなんて。こんなにも胸が苦しく、迷いが生まれてしまうなんて。想定外の状況に想定外の心の揺れ、精神の乱れはVSの力を制限してしまう。
「――ディアブロスッ!!」
半ばヤケになった攻撃であった。雄叫びを上げ、ディアブロスが突進する。ライダーは剣の上から飛び降りると同時に乗っていた剣を弾き、それを蹴り飛ばす。放たれた弾丸のように一直線にディアブロスへと迫る剣、それを魔獣は腕に備えた盾で弾く。
直後、制限された視界の合間にライダーの姿が過ぎる。黒衣の所有者が手にしていたのは――無数のユニフォン。それら全てを空中に放り投げると、それは月明かりを浴びて輝きながら一つ一つが剣を成す。
大地に突き刺さる無数の剣に囲まれるディアブロス。ライダーはその大地に突き刺さった剣を引き抜いては連続でディアブロスへと遅いかかる。動きは早く、そして一撃は遥かに重い――。防御の合間を縫い、剣が一振りディアブロスを貫通する。
一振りだけならばよかった。ライダーの動きはどんどん加速し、剣は次から次へとディアブロスの身体に突き刺さって行く。串刺しにされた獣が空に吼える。その壮絶な痛みは所有者である舞にもダイレクトに伝わっていた。
あまりの激痛に気を失いかける。呼吸が出来ずに死を意識する。しかし頭の中を過ぎるのは――彼女が追い掛けている一人の青年の背中。“弟を任せる”と言っていた。確かに任されたのだ。そして自分は誓った。彼を再び見つけ出すと。
口から吐き出しかけた血を飲み込み、舞は両足を踏ん張って立ち続ける。ディアブロスが拳を振るい、ライダーへと叩き付ける。しかしその脇を縫い、仮面の剣士は剣を片手に舞へと突進する。
「しま――ッ!?」
回避動作は取った。反応は充分褒められるべき速さだった。しかし、舞の脇腹を剣は薙ぐ。鋭い痛みと熱さが走り、舞はその場に倒れこみそうになった。
そこからの事は――覚えていない。必死に逃げ回り、気付いたらいつものようにライダーは追い掛けてこなくなっていた。倒れこんだ暗い路地の裏、汚れた大地の上で血を流し霞む視界で空を見る。
ゆっくりと、意識が途切れて行く。体温が下がり――死を意識する。しかし、眠ってしまうわけには行かなかった。ゆっくりと身体を起こし……力尽きて倒れてしまう。
前のめりに大地に打ち付けられる。指先からユニフォンが零れてしまう。真夏の夜なのに、酷く寒い……。深く息を吐き、舞は静かに目を閉じた。
もう、動けない……。絶望的な状況下、誰も助けに来るはずもない。誰にも見られないまま、知られないまま、ただ一人孤独に消えて行く……それだけは嫌だと、だからこそこの戦いに身を投げ出したというのに。結論はいつもあっけなく、そして無様な物だ。
意識が途切れて行く。その最中、舞は確かに聞いた。誰かの足音が近づいている。もしかしたら、止めを刺しに来たのかも知れない。助けであるはずはない。ならば――奏が迎えにでも来てくれたのだろうか。
誰かの手が自分の頬に触れる。しかし――三代舞の意識はそこで完全に途切れてしまった。
“ジェネシス”――。ユグドラシルネットワークを開発した企業の名。それは近年急速に名を上げ、市場を急激に支配し始めていた。
何よりもその会社の売りは超高性能、次世代的な能力を持った商品の数々である。ユグドラシルをはじめとする様々な機械品。ハードもソフトも両方扱っている手広さ。誰もやった事が無かった未知の領域へと踏み込んで行く精神。その全ての成功がなければ今のメガフロート計画はありえなかったとも言える。
ジェネシスはメガフロートを次世代都市のモデルケースとする上で重要な役割を持つネットワークシステムについて計画初期段階より様々な役割を担っていた。今でこそ誰もが当たり前に持っているユニフォンを製造しているのもジェネシスであり、同じくジェネシス製のユグドラシルとの高い互換性もあり、町にはジェネシスが築き上げたネットワークが確実に定着しつつあった。
様々な要素をオートメーション化することでメガフロートはまさに次世代都市の名を欲しいままにしている。前世紀人々が夢見た未来都市の在り方を今ここに夢から現実へと昇華させたその技術力は正に賞賛に値するだろう。
ユグドラシルネットワークは単純な娯楽としてだけではなく、例えば交通の管理なども行っている。信号機は車の交通量などを常時把握し、込み合い方などによって信号の切り替え時間を調節する。公共交通機関の運行などもほぼ完全にオートメーション化され、それらの座席の予約や行動パターン、関連性などはネットで確認する事が出来る。
街単位を一つのネットワークで結ぶ事により、様々な事柄を自動化する。それによりメガフロートはまさに楽園足りえる場所へと進化していったのである。
しかしジェネシスの評判もまた一枚岩ではなかった。一つの企業が一つの街全てのシステムを掌握、管理するという事実を危険視する声もあり、オートメーション化されていく街を嫌う声もある。しかしそれらがこの街の便利な実情を変えるだけの数が揃う事は無く、結果的にジェネシスはこの街の中心に君臨しているのである。
さらに、仮想空間を生み出すユグドラシルは今後は全国展開する予定もあり、国そのものが注目しているシステムでもある。それだけに不正には五月蝿く、管理は出来る限り完璧に、というのが当初の姿勢だった。しかし現状ムーンドロップを初めとする幾つかの不具合がユグドラシルに存在し、それが放置されているのも実情なのである。
「その理由が、ジェネシスが何者かに社長の娘を誘拐されて脅されているから……って事ッスか?」
「そういう可能性もあるんじゃないかって事」
「うーん……でも、だったら尚更答えてくれまスかねえ? 僕ら警察なんかに――」
そうぼやきながら新庄は頭上を見上げる。メガフロートの中心部、そこにジェネシスの本社ビルが存在する。元々は都心にあったのだが、メガフロート建設にあわせて場所を移動したのである。
地上およそ500メートル、58階――。見上げる限り天を貫く、文字通り摩天楼の様相である。ガラス張りのビルの側面が光を浴びて鏡のように美しく輝きを放っていた。
二人がジェネシス本社ビルにやってきたのは当然調査の為である。アポイントメントを取ったところ、社長から直接話は聞けそうにもなかったが副社長であり、社長の息子に該当する人物が十分間だけ面会を受け付けてくれることになったのである。
一応二人ともスーツを着ているとは言え、まさか普段は立ち入る事のない超一流企業のビルを前に若干気後れする。新庄はネクタイを直しながら情けない表情を浮かべていた。
「なんか、場違いじゃないッスか?」
「かもね……。ま、兎に角話を聞いてみましょう。もし誘拐事件だとはっきりすれば、警察も本腰を入れて捜査に乗り出せるもの」
「そうッスね……。まあ一つ張り切って行きましょうか……」
そう笑う表情は完全に強張っている。鳴海は苦笑を浮かべ、新庄に先立ち歩き出した。そんな鳴海の後をおっかなびっくり続くように、隠れながら新庄は歩いて行く……。