第四夜 農家ノ娘 之夢2
鳶丸父に別れを告げ、頭を打ったことを考慮されてチヨは家に帰ることになる。
夢の正体が読導の能力であると思い、肩の荷が下りて気が楽になったチヨに対して、今度は鳶丸がその荷を担いだような表情をしていた。
何故か家を出た時からずっと繋いでる手は力が込められている。手を繋ぐことはよくあることで気にしていないが、ずっと無言なのは気になるところ。しかし、鳶丸の思い悩む顔を見て口を閉ざし、空いているもう片方の手で道端の長草をむしり取り、振り回す。
「な、なあ、チヨ」
「なに?」
拳が決意を込めたようにぐっと力が入ったかと思うと、鳶丸がチヨを振り返る。
「み、都に行きたい、とか思ってねぇよな……?」
「……はあ?」
突拍子もない言葉に、予想外の問いかけに思わず間抜け顔になってしまう。
「思う訳ないじゃん。あいつらごーまんだし、あたしらのこと貧乏人ってバカにするし、都に行ってしたいこともないし」
「で、でも、お前本当に読導の才能あったら、貴族の養子になって、楽な暮らしできるぞ? そもそも神子の資格があるんだし……」
「じょーだん! 前に鳶丸から聞いた話じゃあ、貴族ってめちゃくちゃ窮屈なんだって? そんな生活まっぴらごめん! あたしはこの村で一生を終過ごすほうがいい!」
「そ、そっか、ならいいんだ……」
「そーだよ。何考えてんだか」
「わ、バカ、止めろ! くすぐってーって!」
安堵して笑う鳶丸の顔を長草で撫で繰り回す。いつもの調子で笑う少年にチヨも笑顔で答えた。
チヨの家に向かう途中の田んぼで作業している村人たちが二人の姿を見かけると、手を止めて声を掛けてくる。
「おんやあ、チヨに鳶。今日は随分と仲がいいでねぇか」
「なんだべなんだべ、鳶、とうとうチヨを嫁さんにする気になったんかい」
「ち、ちっげーよ! こいつが木から落ちて頭ぶつけたから念のため繋いでやってんだよ!」
「ええ? チヨがかい? そんなこともあるんだねぇ」
「まさに猿も木から落ちるってやつだね!」
「違いない。はっはっはっは!」
「いやはっはっはっはじゃないし! 少しはあたしの心配してよ村の衆!」
「いや、だってチヨだし」
微塵も心配する様子の無い村の衆。確かに、喧嘩するわ怪我しても次の日には走り回るわ病気したことないわ畑を荒らす害獣を仕留めるわ赤ん坊の頃に高所から落ちても傷一つ負わなかったなど数々の伝説を創り出しているチヨには、もう長い付き合いの村人たちにはチヨになにがあっても驚かない。寧ろない方が驚くような連中だ。
村の衆の冷やかしを背に田圃を抜けると、今度は畑の区画に入る。そこにいた一組の夫婦が二人の姿に気付くとあ、と声を上げた。
「チヨ!」
「母ちゃん! ……いっでええええええ!!」
おんぶ紐で赤子を背負った女に、鳶丸の手から離れて駆け寄る。途端に振ってくる拳骨。脳天に直撃したそれは先ほど打ち付けた後頭部をも刺激し何倍もの痛みになって襲ってくる。その場に蹲ったチヨに、女は仁王立ちで見下ろす。
「こんのバカ娘! キクスケの世話頼んだのに逃げやがって!!」
「お、おばさん待って待って! チヨ、さっき木から落ちて頭ぶつけてんだ! それ以上殴ったら更に馬鹿になっちゃう!!」
慌てて駆けよった鳶丸がチヨの頭を庇う。
そう言えば昨晩弟のキクスケの子守りを頼まれていたが、一晩寝たらすっかり忘れて、朝飯を食べて速攻で家を飛び出したことを思い出した。
「なに、あんた木から落ちたって? 猿も木から落ちるだね」
「か、母ちゃんまで……。あたし、母ちゃんから生まれたんだよね……?」
「流石に生んだ覚えがあるね。でも、あんたなら木の又から生まれたと言ってもおかしくはないだろうよ。どれ、見せてごらん」
「うう……母ちゃんひどい……」
「……ああ、確かにでっかいたんこぶ出来てるね。まだ痛いかい?」
「さっきの母ちゃんの拳骨で更に痛くなった」
「それは自業自得だよ。ほら、キクスケのこと頼んだよ!」
ずいっと差し出されたのは、おんぶ紐付きの弟。えー、と一度文句を言い掛けたが、すやすやと眠るあどけない寝顔を見て口を噤む。
「……ん」
キクスケを受け取り、背に負う。高い体温がチヨの背にじんわりと伝わってくる。
まだ生後半年経ったばかりの小さい赤ん坊。差し出すのは気は強いが家族思いの優しい母。背後で親子の様子を見て笑う逞しく快活な父。
夢の中の恵まれない神女の少女の生い立ちと、自分の恵まれた環境を比べて、ぞんざいにに扱ってはいけないという思いが過った。
その日以降、チヨはあまり外に遊びに出なくなった。
「かーちゃん、水汲み終わったよ! 次なにやる?」
「ああ、ありがとよ。今日はもういいから、外で遊んできな」
「え、いいよ。じゃあ父ちゃんとこ行ってくる」
「お待ち。ねえ、チヨ。あんたどうしたんだ? 前は遊んでばっかだったのに……鳶丸たちと喧嘩したのかい?」
「んーん。なんもないよ!」
「医者に見せた方がいいのかねぇ……。本当に遊びに行って構わないんだよ?」
「いーの! あたし、母ちゃんと父ちゃんの側にいたいの!」
「……そうかい」
進んでキクスケの世話を買って出て、両親の言いつけを守り、また手伝いも進んで行う。その様子には両親も怪訝そうだが、聞き分けの良い所以外はいつもの元気なチヨなのだ。自分たちも農作業で忙しいし、本人がいいと言っているのだからそれ以上は何も言わない。
「チヨ」
「あ、鳶丸。やっほー」
弟は家の事をしている母が世話をしてくれている。故に父の力仕事の手伝いに向かおうとしていたチヨの前に鳶丸が現れる。眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな友人に、チヨはあっけらかんとした顔で迎えた。
「やっほーじゃねぇよ。最近遊びにこねーで何やってんだよ」
「手伝いに決まってんでしょーが」
「……どうしちまったんだよ。前は言いつけられても放り出してたくせに」
「うっさい。弟も出来たし、ちゃんとしようと思っただけだし」
「なんだよ、それ。……なあ、もしかしてだけどさ、前に話した夢が関係してんのか?」
「え……」
「……やっぱりな」
ずばりと言い当てられて言葉を失うと、鳶丸の顔が曇る。
「チヨが今代の神女の可能性がある」
二人だけで話があると手を引かれた先は、チヨ家の近くにある川の畔。今は二人しかいないその場所で告げられた言葉に、チヨは驚愕と困惑が入り混じった複雑な顔をして友人の顔を見た。
「またその話? 鳶丸だってあり得ないってバカにしたじゃん」
「あの時はそう思ったし、今もそう思ってる。でも、可能性は捨てきれないんだ」
「??? 意味がわかんないんだけど……」
「前にも言ったけど、オレ一応緑の一族の末端貴族だったんだ。もう廃れかけてたけど、亡き母上が再興を夢見て、オレに教育熱心だったんだ。その甲斐あって、オレ緑の一族の知識だけは豊富だ」
読導が読むのは夢だけではなく、自然の出来事であったり、日常の些細なことであったりと様々。その中でも、雑念なく無意識の状態である夢から与えられた情報は正しく神託を表しているとされ、読導の中でも最も神秘的で重要視されていた。
しかし、それらは全てが比喩であり、例えるなら玉兎の姉・卯の花が視た夢のような内容である。これまでの歴史の中で、読導が直接神女が出てくる夢を見たことが無い。
だというのに、チヨは神女の夢を見た。
「チヨは神女の夢を見て、知らなかった歴代の神女の情報を知った。それが意味することを読導の才能として片づけることを、オレはできなかった。その考えが捨てきれない内にチヨは親の手伝いばかりして全然オレらと遊ばなくなった。みんな、人が変わったようだなんて言うし、父上に相談したけど『本人が気にしていないのなら深く気にするな』と言われるだけだし……。もうどうしたらいいかわかんなくなっちまって……」
チヨからすれば、本当に自分は読導の才能があると信じていただけに、自分が本当に神女の可能性があると聞かされて心臓が飛び上がらんばかりに驚いている。両親の手伝いを始めたのは、玉兎と呼ばれていた少女の境遇が哀れになり、今の恵まれた家族を大事にしたいと思ってのこと。大切にしなければ罰が当たりそうだったから。
鳶丸をそこまで不安にさせてしまったのを申し訳なく思う反面、なんで彼がそこまで思い悩む必要があるのだろうかと疑問が過る。
「えっと……なんとなく、あたしが神女かもしれないって鳶丸が思っているのはわかった。でも、なんで鳶丸が不安になんの?」
「うっ!! そ、それは……ほら! オレとお前は拳で語り合った大事な友達だろ? そんな大事な友をどこの馬の骨とも知らないやつに持ってかれるのはごめんだからな!」
「どこの馬の骨って、国で一番えらい人なんでしょーに」
「え、あ、いや、まあ、そうなんだけど……」
「おっちゃんの言う通り、鳶丸の気にしすぎだよ。もしそうだったとしても、ここは外界なわけで、外界嫌いの都の連中がここまでは来ないんじゃない?」
「でも、歴代の神女には狩人の娘だっているって言ってたし……」
「ああ、そう言えばそうだっけ。でもあれって、狩人の父子が貴族に獲物を献上するために都に行ったとき見つかっただけで、外界に居れば大丈夫なんじゃないかな」
「そ、そうなのか……? え、っていうか、その話聞いたことないんけど。お前、その話って」
「……今は聞かなかったことにして」
不安を解消させようとした何気ない一言だったが、それは誰も知らない神女の生い立ちだ。逆に不安を駆り立ててしまったようで、鳶丸の顔が泣きそうに歪み、そっぽを向かれる。
聞こえてくるのは川のせせらぎと鳥の鳴き声だけ。気まずく、重い沈黙が流れる。
はっきり言って、チヨには自分が帝の次期后になる立場なのかどうかわからない。
しかし鳶丸に言われて初めて、今まで見た夢の内容は全て覚えていること、その時々の神女の生い立ちも、好みも、性格も、当の本人しか知らないであろう出来事も知っていることに気付く。それらは後から知り得たというよりは、初めからチヨの知識の中にあったものだ。そこで感じた、愛情、憎悪、恐怖、悲哀、様々な感情も覚えている。しかしそれらは何処か他人事のような感覚が否めないでいるのも確かだ。
自分のようで自分ではない。神女のようで神女か定かではない。
はっきりしないふわふわした感覚がどうにも気持ちが悪く、不愉快な面持ちで水面を睨みつけた。
「……な、なあ、チヨ」
「……なに」
お互い顔を合わせないまま言葉を交わす。
「お前、本当に都に行きたくないのか? 一生この村で過ごすのか?」
「それ、前にも言ったじゃん。あたしは都も貴族も嫌い。一生、父ちゃんと母ちゃんとキクスケのいるこの村で過ごすって決めてるから」
「本当か?」
「本当」
「本当に本当か?」
「本当に本当」
「本当に本当の本当か?」
「しつっこいなぁ、本当! 大真面目! 本気だってば!」
あまりのしつこさに振り返れば、そこには間近に迫っていたた鳶丸の赤く染まった顔。思わず身を引いた瞬間、両手を取られ、鳶丸の手に包まれる。
「なら、オレもずっとこの村にいるから!」
「は?」
「チヨはオレが守るから! 都になんか絶対行かせないからな!」
「え、ちょ、鳶丸、何を」
「ん! げほんげほんげほ!」
突然の展開に付いて行けず目を白黒させていた二人の背後から第三者の咳払いが響き、同時に振り返る。
そこにいたのはチヨの両親。咳ばらいをしたのは仁王立ちしている父親で、母親は背後でキクスケを両腕に抱きながら呆れた顔で夫を見ていた。
「うおおおお!? と、父ちゃん!? 母ちゃんも!?」
「あでっ!?」
驚きのあまり鳶丸の手を払い除け、ついでに突き飛ばす。走り寄ってきたチヨの父は、鬼気迫る顔で幼い娘の両肩をガシッと掴む。
「チヨ、お前はまだ十二歳だ! 嫁に行くのはまだ早い!!」
「……はいい?」
「鳶丸、確かにうちの娘は最高に可愛い。だがまさかこんな幼い内に手を出すとは流石の俺も思わなかったぞ!」
「あ、いえ、いや、その、おじさん、ちが」
「違う!? お前、うちの娘に求婚しておきながら今更違ってえのか?! チヨはすっかりその気なのに!!」
「球根? ……きゅーこん……求婚?!」
幾度かの文字変換を繰り返し、鳶丸の言動と重ね合わせた結果一つの答えに辿り着く。瞬間、チヨの顔は着火されたように真っ赤に染まった。
「ば、違うって! 今そういう話じゃない!!」
「チヨ、安心しろ! お前が年頃になるまでは手を出されないようにちゃんと父ちゃんが守ってやるからイッデェ!!」
「あんたちょっと黙って引っ込んでな」
「しかし、お前ぇ……」
「情けない声出すんじゃない」
「うう……父ちゃんまだお前を嫁に出したくないぃ……」
「まだ先の話だろう。はいはい、あんたはキクスケの世話頼むよ」
「うう……キクスケ……お前もお姉ちゃんいなくなるの嫌だよな?」
「だー」
真っ赤になった娘を抱き上げて、大人げなくも鳶丸から引き離す姿勢を取る父の後頭部を、母が拳でぶん殴る。体格は明らかに父の方が上だが、惚れた弱みなのだろう、父は母に弱い。言われた通り素直にチヨを下ろし、キクスケを抱き上げるが、どちらがあやされているのかわからない状況になっている。
そんな二人を尻目に、チヨの母はチヨと鳶丸に向き直る。
「か、母ちゃん……あ、あの、これはそうじゃなくて」
「安心おし。鳶丸があんたを嫁にしたいってところしか聞いてないから」
両親がどこから立ち聞きしていたのか不安に思ったが、尋ねる前に告げられほっとする。母はチヨの前に膝を折ると、チヨの頭を優しく撫で、頬を両手で包む。
「チヨ、あんたが何を思い悩んでるかあたしらにはわからないけど、ずっとあたしらの側で、根を詰めて手伝いをしてくれなくてもいいんだよ」
「母ちゃん、あたし、無理してるわけじゃないよ。あたしは本当に母ちゃんと父ちゃんの役に立ちたいんだ」
「その気持ちは嬉しいし、助かるのは確かだけどね。でも、子供でいられるのはちょっとだけなんだから。時が来たら、もっと厳しく嫁入り準備させてあげるからね。それまで沢山遊んでな。子供は外で元気に遊んできてくれる方があたしは嬉しいよ」
「……うん、わかった。……ん? なんの準備って?」
にっこりと微笑む母の優しさに、再び胸の奥が温かくなって、涙を誤魔化すように頷く。しかし、不可思議な言葉を聞き逃した気がして顔を上げた時には悪戯な笑顔を浮かべる母は既に立ち上がり、鳶丸を見ていた。
「そういうわけだ、鳶丸。一先ず、さっきの話は保留だよ。まずはあたしらが認められるかどうかだからね」
「へ……? あ、は、はいっ! 頑張ります!」
「え? あの、二人とも? 何の話?」
「あんたにはまだ早いよ。さ、それよりもそろそろ昼餉の刻よ。鳶丸も食べてくかい?」
「は、はい! ありがとうございます! 頂きます!」
「え、鳶丸なんか気持ち悪」
「きも!? おま、この状況でそれは酷くね!?」
「あらあら」
「俺は、俺は認めないからな……! な、キクスケ……」
「だー」
川辺を四人並んで和気あいあいとしながら歩く。それは一つの幸せの形。
玉兎と呼ばれた神女の得られなかった幸せを享受できることに、チヨは無意識に感謝していた。