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第三夜 貴族ノ娘 之夢2


 緑の一族の娘、玉兎。

 かつてはそう名乗ることを許され、父と母、姉、そして自分という家族の中にいて、女神の眷族としてそれに相応しい教育を受けていた時期はあったが、最早過去のこと。落ち零れは要らぬと罵られながら外に放り出された時は勿論悲しかったが、しかしそれ以上に安堵した。

 捨てられても、馬鹿にされても、辛くても、苦しくても、あの屋敷にいて数多の視線がに囲まれるよりは良い。それほど他人からの視線は玉兎にとっては毒であり、脅威であった。


 離れに着くと、真っ直ぐに自室に向かう。荷を下ろし、ふと窓辺に目をやると何か置いている。近付いてみれば、掌大の笊の中に赤い実が山のように入っていた。


「キイチゴ……」


 籠を手に取って外を見る。鬱蒼と草木が生い茂っており、人影も人が通った跡も見当たらない。


 こういった贈り物は初めてではない。

 玉兎の不在の折、窓辺に何かしらの贈り物が置かれることはよくあった。それは食べ物だったり衣類だったりと様々。贈り物は月に一度か二度の割合で未だに窓辺に置かれている。この屋敷で玉兎に優しくしてくれる者などいない。外部からの可能性も考えたが、玉兎の存在を知ってはいても親しくしている者はいない。大体卯の花の陰に隠されて、存在は忘れられる。


「ふふ……すっぱい……」


 瑞々しい木苺は口に入れると酸味とほのかな甘みが広がった。初めの頃はカナと思って何も考えず口にしていたが、後から毒入りの可能性も考えて焦ったものだ。

 窓から覗く太陽の光を浴びながら、きっとこれは光明の神が自分を憐れんで贈ってくれたものに違いない。

 一つ、二つと味わいながらゆっくりと食べて、残りはまた後で食べようと脇に起き、早速仕事をしようかと箱を開けた。


 気が付くと、窓から入る日の光が移動していた。

 俄かに外が騒がしくなる。珍しいことだが、どうせ自分には関係のないことだ。構わず繕い物を続ける。だが、外の喧騒は一段と喧しくなり、心なしか段々と近くなっているような気さえする。


 いや、気のせいではない。喧噪はやがてはっきりと玉兎の耳に届くようになる。「お待ちください!」「そこには誰もおりませぬ!」「ただの物置です!」そう言っているのは母と姉の声に似ているが、こんな慌てたような声は聴いたことが無いので確証は持てない。

 声だけではない。やがて沢山の足音が聞こえてくる。同時に、不安と恐怖が押し寄せてくる。


 ぴしゃん! と勢いよく扉が開いたのはそんな時だ。大きく体を跳ねて振り向く。


「か、カナ……? い、一体どうしたの……?」


 相変わらず無表情……いや、眉間に皺を寄せたカナが玉兎を見下ろす。面倒なことになったと不機嫌さを募らせた視線に射貫かれ、玉兎は身を竦ませて持っていた着物を盾にする。


 故に、問い掛けても答えが返って来るわけでも無い。カナは無作法にもずかずかと入室し戸を閉めると、箱から繕い物を全部取り出す。そして、玉兎を持ち上げて空になったそこに放り込んだ。

そして蓋をしたかと思えば、持ち上げて部屋の隅に移動された。


「か、カナ!? なに!? なん」


 突然の出来事に目を白黒させながら蓋を持ち上げようとすると、ドン!! と上から思い切り拳を叩きつけられる。その音に驚いて静かにする。外の音がぼんやりと聞こえ辛くなるが、それでも騒々しい物音は聞こえてきた。


 急に胸が締め付けられるような感情が押し寄せる。

 くる。くる。何かが、来る。

 何かは分からないが、玉兎にとって来て欲しくないものが近付いて来ている。

 それなのに、心の何処かではむず痒く、箱から飛び出したくなる気持ちも湧き出ていた。

 相反する感情に訳が分からず、混乱しながら息を殺す。

 心臓がドクドクと喧しい程脈打った。

 

 建物の中に人が入ってくる音がする。廊下を進む音がする。近付いてくる足音がする。繕い物を握りしめ、持っていたままだったことを思い出し繕い物を頭から被る。


 からり、と部屋の戸が開いた。


「……ーーここにいた」


 ぶわりと入り込んでくる太陽の香りと暖かな熱。

 心底安堵したような、熱の籠った声は酷く耳に馴染ゆ。底知れぬ安心感と包み込むような優しい声に泣きたくなり、鼻につんときたが必死に堪える。


 ここにいた、と声の主であろう男は言った。今室内にいるのはカナだけの筈。だからその言葉はカナに向けられたと思うのが妥当だ。だというのに、違う、と頭の中で声がする。


 違う。貴方が探してる私はここにいる。


 そう言って飛び出しそうになる口と体を抑え、箱の中で丸くなる。出て行きたい、でも、出るのは怖い。


「ーー退け」


 箱の近くで声がした。


「もう一度言う。()()()()()()()()、退け」


 何が起きているのだろう? 疑問が過ぎったが、すぐに大きな物音が響き、転がるような音が聞こえてくる。何事だと思うのと同時に、箱はゆっくりと静かに開けられた。


「いた。永夜子」


 とよこ。

 知らない名前だというのに何故か聞き覚えがある。つい最近、どこかで聞いたはず。


 そうだ、夢の中で。

 そう気付いた瞬間、違和感を覚える。前も、こんなことがあったような。

 そう思ったが、ただ、布を隔てた向こうから注がれる視線の熱が温かいのに恐ろしくて、考えることを止めて被った布を固く握り、身を翻して蹲る。


「どうしたんだい、永夜子」


 指先が触れた途端、体が飛ぶように跳ねた。相手が狼狽えた様子が伝わってくる。それでもなお視線が逸れてくれない。


 当然だ、視線が怖いなど家族も知らないこと。この誰ともわからない相手がそれを知っているわけもない。頭のおかしい子供だと思ってさっさとどこかに行ってほしい。しかしその願いも叶わない。


「……君は、私が嫌いになったのか?」


 悲壮感が漂う声に、胸が苦しくなる。気付けば思い切り首を横に振っていた。振ってから、どうして初対面の男を好きか嫌いか判断できるのか混乱する。だが、玉兎にはどうしてもこの男が嫌いだとは思えなかった。


「……め……」

「め?」

「……目が……怖い……」


 震える声でようやくそう告げる。


「……そうか。では、そのままで聞いてくれ。君は永夜子。私の大事な神女だ」

「か……かみ、め……? ……わ、わたし、が……?」


 問い返したが、心の内ではストンと納得する。

 この人は言った。『私の神女』だと。そうなるとこの声の主が誰なのか自然と理解する。

 常磐ノ國を統べる、唯一無二の御方。光明の男神の末。名は知られておらず、人々はただ彼の御方を帝、天子、主上と呼び、畏怖し慕っている。

 

 無意識に怯えが薄れる。それに気付いたのだろう、帝は布に包まれたままの玉兎を優しく抱き上げ、胸の内に収めた。


「ひっ……!?」

「驚かせてすまない。だが、君が私の永夜子なのは確かだ。人の目が怖いというのなら私の館に行こう。そうすれば誰の目にもさらされなくなるよ」


 頭に掛けていた布が剥がされる。そこでようやく視界を合わせた。

 短いが輝くばかりの白虹の髪、きめ細かな白い肌、全てを見通すような白銀の瞳。

 その容貌は夢の中で見た人と同じ。慈しみ、歓喜の色を浮かべた瞳は細められ、形の良い唇は三日月のように弧を描く。


「さぁ、帰ろう、永夜子」

「主上!」


 帝は目元を覆う白い仮面を掛け直し、離れを出る。感情が高ぶったような声を上げたのは卯の花た。外では待ち構えていたように母、姉に続き父の姿。視線が集中したと思った瞬間、帝に布が掛けられて足下しか見えなくなった。


 帝のその行動に心底驚く。あの僅かな出会いで自分の恐怖を理解してくれたというのか。初めての出来事に目が潤む。


「……誰の許しがあって私の前に立っている?」


 頭上から降ってきた帝の声で、その場にいた誰もが地面に平伏した。視線が一気に消える。


「さあ、行こう。永夜子」

「お待ちください!!」


 今度は甲高い声が引き止める。母だ。平伏したまま声を上げているので地面に必死な声が反射して響く。


「その者は誠に神女なのでございましょうか! 頭を患い、学も芸術も解することができず、帝の傍に置けるような娘ではございませぬ!」

(……おかあさま……)


 今更、落ち込むことでもない筈だった。それでも悲しくなるのは、確かにこの人の胸に抱かれていた時期があったのを覚えているから。


「お連れするのであれば、何卒この卯の花をお連れくださいませ!! どこに出しても恥ずかしくないように育てました! 緑の一族でも特に秀でた夢見の力がございます! 必ず、必ずや帝のお役に立ちましょう!!」


 名を呼ばれた卯の花が僅かに身を持ち上げた。上目遣いに帝を見て、頬を赤く染める。初めて恋を知ったような純朴な乙女の姿は玉兎ですら愛らしいと思った程だ。普通の男なら、間違いなく卯の花を選ぶであろう。普通の男なら。


「……其方は私が神女を間違えていると、そう申しているのか? それとも、神女以外の娘を傍におけと、そう私に申しているのか?」

「! そ、そうでは……」


 帝は卯の花を一瞥もせずに氷のように冷たい感情を母の後頭部に注ぐ。一気に低下した周辺の気温に誰もが震えた。


「妻が無礼を申し上げてしまい、申し訳ございませぬ」


 一人、父が静かに声を上げた。


「妻にはよく言い聞かせておきますのでお許しを。しかし、妻の言葉も半分は正しいのです。その子は少々頭が弱く、また人前に出ることを得意としません。故に人前に出る事のない人生を送らせようと、離れに住まいを作らせ、人目を避けるような生活を送らせてきました。しかし、神女に選ばれてしまったのであればもうそんなことは言っていられません。今までの遅れを取り戻させるため、我が屋敷で再度教養を身に付けさせたく存じます

「其方が永夜子をこのような粗末な離れに追いやっていたのは、永夜子が人目に晒されるのを守っていたからと、そう申したいのか」

「はい、不器用な親心を何卒理解していただければ……」

「親心……」


 何を、言っているのだろうか?


 玉兎は進み出てきた父であった男の言葉が理解できなかった。離れに送り出した時には出来損ない、落ち零れ、目障りなど散々言い放ち、今の今まで存在すら無視されていたと言うのに。身を案ずるような優しさをここ数年掛けられた覚えが無い。

 これが実父として身に秘めた気持ちであるなどど、どうしても思えない。

 だって、仄暗く淀んだ眼差しがそう言っていたから。


 それでも帝は何か思うことがあったのだろう。父の言葉を繰り返し、思案する。静かな沈黙が不安を呼び、玉兎は白い衣を掴んだ。

  

「永夜子」


 コツンと頭部に帝の額が当たる。申し訳無さそうな、切なげな吐息が耳に掛かると全身に熱が走った。


「出来る事なら、私は君を館に連れ帰りたい。しかし、君の父がこう申している。子のいない私には親心というものは全く理解できぬが、血の繋がりというものを試してみたい。だが、必ず其方に会いに来よう。寂しい思いは決してさせぬ」


 布越しに感じる嫉妬、驚愕、恥、憎悪、欲望、そして殺意。

 ここにいても良い事は絶対無い。だというのに、帝の傍にいって幸せになれるとは何故か思えなかった。

 とはいえ、帝の中では既に決定していることを覆せる勇気など玉兎にはない。

 

 こうして、玉兎は永夜子になった。


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