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第二夜 遊女ノ娘 之夢2


「お許しください!!」


 石畳の上で暴れる年嵩の巫女を、入ったばかりの巫女が数人がかりで押さえつけている。その内の一人は大きな糸切りばさみを持って青い顔で立っていた。 


 神女の命とはいえ、訳も分からないまま自分たちより位の高い巫女の着物を剥ぎ、薄い襦袢だけにして力任せに押さえつけ、雪の積もる石畳の上に座らせている。若い彼女たちは恐怖と困惑の色が滲んでいた。これはまるで罪人を扱うようではないかとは思っているのだが、入ったばかりの彼女たちに永夜子の命令に背ける勇者はいない。


 庭には神女に仕えている巫女たちが集められており、みな一様に青い顔をして震えている。それは決して寒さからくるものではなかった。

 

 赤い着物を纏った永夜子は庭に面した建物の中で肘掛けにもたれかかり、煙管を燻らせてその暴れる様を冷めた眼差しで見ている。煙管を咥え、大きく吸って、吐く。背後には傍仕えの巫女が血の気を失っていた。


「この中で、この女と親しい者は誰?」


 年嵩の巫女だけが騒ぐ中、冷え切った永夜子の声がその場に響き渡る。誰も反応しない。皆、誰とも目を合わせないように地面を見つめている。ふうん、ともう一度煙管を燻らせる。


「そう。じゃあ、質問を変えるわ。この中で、この女を助けたいと思っている者はいる?」


 その問いかけにも誰も反応しなかった。当たり前だ。助けたいと思うということは、年嵩の巫女と親しくしていると言っているようなものだ。おそらく助けたいと思っている者がいないわけではなかった。が、ここでそれを願い出て、永夜子に何をされるかわからない。その恐怖から声を上げるものは誰もいなかった。それを承知で、永夜子は年嵩の巫女に嘲笑をむける。


「誰もいないの。長く勤めていた割に、慕われていないのね、あんた」

「お許しください、永夜子様! 私へ決して、決してあなたを愚弄したわけではないのです!!」

「あの言葉をあたしに向かって言い放った。それだけで神女のあたしを馬鹿にしたのよ。それ相応の罰を受けてもらわなきゃね」


 にっこり笑って、鋏を持った巫女に視線を向ける。


「その女の、髪を切れ」


 年嵩の巫女の絶叫が大きくなった。しかし、ここで逃げられては永夜子からどんな仕置きを受けるかわからない巫女たちも必死に年嵩の巫女を押さえつけ、年嵩の巫女は石畳に這いつくばされた。


 あの言葉――娼婦の娘。


 永夜子が永夜子と呼ばれる以前は、都の外れに位置する下級遊郭に住む遊女の娘だった。夜の女神の眷属の証を持っている黒髪・黒目。故にそれを売りにして、時期が来れば店に出すために遊郭ぐるみで隠ぺいされ、黒髪を隠すためいつもカミソリで髪を剃られ、引き取られるまで自分の髪が何色なのか知らずに育ったものだ。


 女神の眷属がその証である髪を切ることや剃ることが女神に対しての侮辱であり非難される行為なのだと、その時、知った。


「早くなさい。それとも、あんたも切られたいの」


 冷酷にそう告げると、若い巫女はびくりと肩を揺らしながら頷き、お許しください、お許しくださいと震える手で年嵩の巫女の髪を一房掴んだ。最早言葉にならない耳障りな金切りが年嵩の巫女から溢れ出ている。


「ああ、指先の長さだけは残してね。そうした方が、巫女が髪を切ったとわかるでしょ」


 残酷な指示を、無垢な笑顔で告げる。巫女は頷くしかなかった。


 ざきん、ざきん、ざきん。


 無慈悲な音が響き渡る度に、断末魔にも似た叫びが上がる。周りの巫女たちは今にも失神しそうだというのに、喜劇を見ているかのようにけたたましい笑い声を上げている永夜子は、まるで狂った女のようであった。


佳宵の方(かよいのかた)様」


 そう呼びかけたのは、この場には似つかわしくない静かな男の声。ぴたりと笑いを収めてそちらを見やると無骨な男が一人、地面に膝を付いて頭を下げている。誰かは知らないが、背格好から門番の一人だという事は永夜子にもわかった。


 佳宵とは月の美しい夜を意味する。透明や巫女以外の男性や位の無い者が直接名を呼び掛けることは不敬に当たるので、公ではこの名前が適用されていた。


「なに? 今忙しいんだけど」

「帝の御来訪です。もう間もな」

「透明様が!」


 言葉を遮り、途端にばっと笑顔を見せて立ち上がる。


「こんなことをしている暇じゃあないわ! すぐに迎え入れる準備をなさい! あ、それは透明様のお目が穢れてしまうから裏から捨てておいて! 愚図愚図してんじゃあないわよ!!」


 その号令に、呪縛から解放されたかのように巫女達が動き出す。男のように髪を短く切られた年嵩の巫女は死んだように動かない。若い神子たちはだらりと下がる両腕を抱えて引きずるようにして裏門へと運んでいき、鋏を持っていた巫女は泣きながら散らばった髪を集めていた。


 その光景を一瞥することなく自室に戻って化粧や乱れた髪を直させ、そわそわしながら待ち人の到着を待つ。


 暫くして、戸が開いた。

 目元から鼻にかけて白い面を被った、白い長髪を高い位置で結い上げた男が入室してくる。

 その姿を見た瞬間、永夜子はすくっと立ち上がって彼の人物に向かって飛びついた。


「透明様!!」

「おっと」


 急に飛びつかれたのにもかかわらず、男は口元に笑みを浮かべて永夜子を抱き留める。


「ふふふ。息災で何よりだ、永夜子」

「はい! 透明様、お会いできて嬉しいです!」


 真上から注がれる囁かれるような甘い声に腰が砕けそうになる。男は上座に上がり、御簾を下げる。用意された分厚い座布団の上に膝を折り、永夜子を膝に乗せたまま胡坐をかそうしてからようやく面を外した。

そこから出てきた優しい眼差しを向けてくる美しい顔に、永夜子は頬を赤らめてうっとりと見つめていた。


 この世界で唯一永夜子の名を敬称無く紡ぐことを許された男、常磐ノ國天子・透明。

 天子の尊顔を見てはいけない、見たら目が潰れると言われている。故に天子は外出の際は目元を覆う仮面を着用し、唯一妻となる神女だけがその顔を拝むことが出来た。


(潰れないのにね、ばっかみたい)


自分しか見ることの出来ない優越感と目が潰れるなどという戯れ言を信じている人々への浅はかさに抑えきれない笑みが零れる。


「突然すまない。急に永夜子に会いたくなったのだ」

「構いません! あたしも透明様にお会いしたかったので嬉しいです!! 今日は何をして遊びます?」

「永夜子がしたいことなら何でも構わない」

「でしたら、双六をしませんか!? 商人から新しいのを買ったんです! あ、囲碁の続きもやりましょう! 今度は負けませんから!」

「ああ。永夜子の望むままに」


 行李の中から嬉々として娯楽品を並べていく永夜子を、透明は微笑ましそうに見つめる。その温かみを帯びた瞳は、初めて出会った頃と何ら変わりない。


 永夜子が透明と出会ったのは九歳の頃だ。

 廓の奥深く、格子と鍵のつけられた部屋で育てられた幼子は、自身の境遇になんの疑問も持たず育って成長した。出入りするのは身の回りの世話をしてくれる老女が殆どで、あとはたまに廓の主が様子を見に来るだけ。冷たい視線を投げかける老女から禿かむろが学ぶような教育を受けながら、本当に限られた世界で永夜子は生きていた。


 胸が膨らんでくると髪は剃られなくなったが、代わりに格子の向こうに知らない男たちが顔を見せるようになった。身なりはよいが、皆嘗め回すように幼子を見て、下卑た笑い声を上げていく。『いずれ』『高値で』『楽しみだ』と聞こえてくる声に、全身に鳥肌が立つような不快感は日に日に強くなっていくが、その理由や正体は無知な子供には見当もつかなかった。


 それが不安や恐怖というものだと知らないまま、一体これから何が起きるのかと体を震わせる日々が続き、髪が小指の長さまで伸びたある日。

 

 廓全体が慌ただしくなったかと思うと、格子扉の向こうから”太陽”が現れた。


 本当に、“太陽”だと思った。

 高い位置にある格子窓から入ってくる白光がなんなのか聞いた時に、太陽の光であると老女から教えられていたからだ。扉に現れたこの人物は、明かりの少ない室内だというのに全身から白い輝きを放っていて、太陽が現れたのだと本気で思ったのだ。


『永夜子』


 誰とも知らぬ名を囁きながら膝を折り、仮面を取った顔は信じられない程美しかった。勿論、美しいという言葉も知らない幼子は、男の顔を見て顔に集まる熱を感じながら固まるしかできなかったが。


『遅くなってすまない、永夜子』


伸ばされた手を思わず取ろうとして、止める。男が呼びかける名は自分の名ではないことに気付いたからだ。


『……とよこ、しらない』

『君のことだよ。君は永夜子。僕の大事な存在になる人だ』

『だいじ? あたし?』

『うん。僕の大事な大事な人。君は僕の永夜子になるんだよ。おいで。こんなところから出よう』


意味が分からなかった。だけど、この太陽の側にいたいと思った。気づいた時には、幼子は男に抱きかかえられて外に出ていた。


 あれからまだ五年しか経っていない。廓の奥深くに閉じ込められ見世物になっていた幼子は今、多くの巫女を傅かせて永夜子になっている。

 下級遊郭の遊女がどういった経緯で産むことを許されたのか、産んだ母は誰なのか。調べようと思えば知ることができたが、永夜子は今でもそれを知らない。透明の傍にいられれば、他のことはどうでもよかった。


 だがその願いもまだ聞き届けられていない。

 何故なら永夜子はまだ帝宮ていぐうに入ったことが無ければ、透明の屋敷――天上館てんじょうかんに入ったこともない。かんが駄目でもせめて宮中に上げてほしいのだが、透明は断固として許してくれない。

 

「透明様、どうしてあたしは透明様のお傍にいられないんですか?」


 突然の問いかけに透明は目を丸くした後、永夜子を宥めるような笑みを浮かべ、頭を撫でる。


「すまない。だが、これも永夜子の為なんだ。宮中は恐ろしい。どこに毒が含まれてるかわかったものじゃない」

「そんなもの、あたしは大丈夫です! 透明様のお側にいたいです!」

「大丈夫じゃない。悪いがこればかりは譲れん。だが、十八になったら必ず館に迎えよう。約束する」

「十八……祝言を挙げるとき、ですか?」

「ああ、そうともいうな」

「透明様はこの世で一番偉いんですよね? それでもダメなんですか?」

「ああ。余より、もっと偉い人がそう決めたんだ」


 女子は十八で成人し、祝言を挙げられる。そう決めたのは夜の女神。


「神女はあたしなのに……」

「膨れる永夜子も可愛いな」

「まぁ、あたしがふくよかになったと仰りたいのですか?」

「ん? 言われてみれば、少し柔らかかくなったかな?」

「えっ!?」


 慌てて膝の上から飛び退き、自分の顔や体に触れる。冗談で言ったつもりなのに。

 言われて見れば前より顔肉がついて大きくなった気がしなくもない。寒いと動くのも怠いし、いつもよりお腹が空くし、お菓子ばかり食べている……心当たりがありすぎる。こんな醜い太った体で透明の膝に乗っていたのかと申し訳ないやら恥ずかしいやらで顔が熱くなる。


「と、透明様は太った女はお嫌いですか……?」

「いや? 永夜子だったらどちらでもいい」


 恐る恐る尋ねた質問は間もなく答えられる。勢いよく上げた視線の先には、苦笑している透明。


「本当……?」

「本当さ」

「重くない……?」

「重くないよ。ほら、戻っておいで」

「はい!」


 ぽんぽんと膝を叩かれた膝へ戻って丸くなる。そんな猫のような娘を、透明は割れ物でも触れるように指先で撫ぜた。


 それから二人は双六で一喜一憂し、囲碁に頭を悩ませ、物語を読み聞かせ、楽しい時間はあっという間に過ぎる。


「……ああ、もう日暮れが近い。戻らねば」

「……もう、帰っちゃうんですか……」

「すまん」


 流石の永夜子も我儘を言って引き留めることもできない。


 見送る為、玄関まで向かう。仮面をつけた透明の見送りの為、広い玄関には沢山の巫女が並び、頭を垂れている。


「そう言えば、いつもいた年嵩の巫女がいないようだけど、どうかしたのかい?」

「ああ、あの者なら辞めさせました!」

「辞めさせた?」

「酷いんですよ! あたしのことを遊び女の娘って言ったんです!」


 巫女達が僅かに反応を示す。帝が任命した古参の巫女を解雇したなどという勝手を窘められればいいと誰しも思った。だが、当ては外れる。


「それは酷いね。永夜子は永夜子以外何でも無いのに。新しい巫女を手配しないとね」

「まあ、それは楽しみです!!」


 巫女たちの目論見は外れる。神女の言葉を盲目的に信じる帝に、巫女達は静かに落胆していた。新たに赴任してくることになる巫女に同情し、自分たちに降りかかる火の粉が少しでも少なくなることを望んだ。

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