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序章 狩人ノ娘之夢


 其方はまるで月のようだ。

 確かに存在しているのに傍にいない。まるで新月のよう。

 か細く儚い繊月のように、その姿は容易に折れてしまいそうで触れられず。

 幼さが薄れ、垢抜けていく姿は眉月の如し。

 光と闇を知り、張り詰めた弦のように鋭く、しなやかな美しさを放つ其方は弦月を思わせる。

 そして今は十三夜。もうすぐ、月は満ちる。


 歌うように紡がれた言葉を、永夜子とよこは恍惚とした様子で聞いていた。


(ああ、なんと素晴らしい御言葉……! なんと美しい御方なのでしょう……!)


 内心絶賛するが、言われ慣れてるであろう美しいという言葉以外、目の前の人物を称賛するに相応しい言葉を永夜子は知らないし、言っても本人が喜ばないのは知っていた。


 月を背に坐するは、年の頃は二十代半ばのこの世のものとは思えない美しい青年だ。白く輝くような長い髪は艶やかで乱れ一つなく、動けばさらさらと耳障りの良い音を立てて揺れる。日輪のような眩さを放つ切れ長の瞳、高く通った鼻、緩く弧を描く唇、透けるような白い肌の上にあるそれらは、人類の最も美しい男を構成する絶妙な具合に配置されている。


 対して、永夜子は高価なことが一目でわかる着物と化粧を身に纏っていなければ、波打つ黒髪と夜の色の瞳を持つだけの人波に埋もれそうな凡庸な容姿の娘である。

 

 端から見れば明らかに釣り合いの取れていない二人が、誰もいない庭園で静かに逢瀬を交わしているのは不可思議なことに思える。しかしそれは二人の立場を鑑みれば、けして不思議なことではない。


 永夜子の住む常磐ノ國(ときわのくに)は、創世神である男神が帝として、千年以上もの永い国を治めている。たかだか数十年しか生きられない只人たちにとって途方もなく長い時間であり、まるで御伽噺のように突拍子もない話ではあるのだが、男神の存在は嘘や冗談などではなく紛れもない真実である。


 何故なら、永夜子の目の間にいる青年こそ、創世の男神その御方であるからだ。

その存在は太陽のように煌々と輝いているというのに、春の日差しの如き穏やかな空気を醸し出している。この國でただ一人だけが許された白を全身に身に纏い、ただそこにいるだけで、自然と膝を折り、頭を垂らさざるを得ない圧倒的な存在感と万人が気圧され魅了される美貌。何人も、彼の神を前に立つことは全く容易ではないだろう。


 だというのに、何故只人でしかない永夜子は彼の神と並び立つことができるのか。

 

 答えは簡単。永夜子は間もなく十八歳を迎える“神女(かみめ)”だからだ。


 神女とは、読んで字の如く『神の女』であり『女神』を意味する。似て異なる意味を持つ言葉だが、とどのつまりは【神の妻】になる立場の女性のことを指す。


 神女の始まりは太古の昔、まだ常磐ノ國という名も無く、大地しかなかった神話の時代に遡る。天より舞い降りた二柱の神――光明の男神と夜の女神、二柱の神々によって創世された。 

 二柱の神は人間を初め、様々なものを創り出し、後に男神は地上を司る為に大地に残り、夜の女神は空を司る為に天上に戻った。だが女神は稀に地上に戻り、男神と逢瀬を交わすとされている。

 その女神の生まれ変わりを神女と呼び、女神が生まれ変わってくることを夜の象徴でもある月と掛け【月ノ出】と呼ぶ。

 選ばれた神女の役割は、男神と祝言を挙げ、后となること。神が再び揃うことで國に新たな発展と繁栄を齎すとされており、国家を上げての神聖な儀式であった。


 つまりいずれ夫婦になる二人だ。見た目に釣り合いが取れていなくても、それは揺らがぬ事実である。


 今宵、永夜子は天子の住居である天上館てんじょうかんの庭園にて、透明と二人きりの月見会を催していた。湖を思わせるような広い池の中央に設置された東屋。用意された酒を口にするのは透明だけで、永夜子は最初の一杯のみで、専ら酌に回っている。嗜好品は好みではなかったのが理由だが、それ以前に透明を見ているだけで心も体も満たされていた。


 かつては都から遠く離れた田舎の山麓で、狩人の父とその日暮らしの生活を送っていた頃を思い返せば大出世ではないか。かつて自分を田舎の山猿だと陰で罵った人々のことを思い出し、永夜子の口元は自然と大きく緩んだ。


「何やら気分が高揚しているようだな。酔いが回ったか?」


 透明が愉快そうに目を細めて永夜子を見やる。だらしのない笑顔を見られてしまったと内心焦りつつ、礼儀作法で習った通りに小さく微笑んだ。


「いえ。このように二人で穏やかな時を過ごせることに喜びを感じ、つい気持ちが緩んでしまいました。お恥ずかしいですわ」

「そうか。それならば余と一緒であるな」


 え? と目を見開けば、透明はくっと笑って永夜子の視線から逃れるように酒盃を呷った。その動きすら優雅で、月明りを受けた所作一つ一つに光が宿っているように見える。ただでさえ吐息のような低く落ち着いた声は聞く者を甘く痺れさせるというのに、その言葉が含んだ甘さといったら言葉に出来ない。更には酒を嚥下する喉の動きと零れた吐息は見る者に興奮を覚えさせる色香を漂わせ、当てられた永夜子はぶるりと体を震わせて赤くなった顔を隠すように視線を伏せた。


「寒いのか、永夜子」


 厚い衣の下の僅かな震えに気付いたというのか、透明の眉が潜められる。季節は秋。最も月の美しい夜が続くので月見をするには良い時期なのだが、いかんせん冬が近いため夜は冷える。月見会は透明からの提案だ。天子からの有難き誘いの会で寒さを露わにするなど無礼でしかない。透明もそう思ったのだとしたら。失望させてしまったと思った永夜子は慌てて手をついて頭を下げた。


「そ、そのようなことはございません。ただ、月明りに照らされたり主上があまりに美しく、その姿をお傍で拝謁できる歓喜に打ち震えておりました……!」

「表を上げよ。其方を責めたわけではない」

「は、はい……無作法をお見せいたしました」


 思ったよりも即座に許されて顔を上げると、透明は困ったように眉を顰めて、どこか不満げに永夜子を見ていた。


「永夜子、主上という呼び方は止めるように言ったであろう」

「は、はい……いえ、しかし、作法では」

「その作法とやらは下々が勝手に作ったもので、余は関わってもいない。其方は余より他者の言葉を優先するのか?」

「そ、そのようなことは決してございません! 貴方様のお言葉は、この常磐では何によりも優先すべきもの! で、ですが、わたくしのように下賤の身から神女になった身としては、貴方様の存在はあまりに尊く、無作法でお目汚しをせぬようにと……」

「そのように言い付けられている、と。……もしや其方は、まだ怒っているのか?」

「え?」

「思えば、其方がまだ幼い頃、嫌だと泣く其方を親元から引き離したのは余だ。恨まれるのは当然だ」


 田舎の人間には都のやんごとなき人々の政など全く関係がないと思われ、自身も十三歳まで神女などという存在は知らずに育った。それが突然、『其方は神女で余の妻になり、都で暮らすのだ』と言われてもまず理解できない。父や育った村から引き離される恐怖と不安から泣き続けていた記憶が蘇って顔から火が出そうになった。


「あ、あの頃は何もわからぬ無知な子供だった故、主上に選ばれる栄誉を理解していなかったのです! 主上を恨むなど、あろうことがありません!」

「では、なにゆえその様に他人行儀なのだ」

「た、他人行儀……?」

「人は負の感情を抱いた相手とは一線を画すものだと聞いている。初めの頃、其方は無垢な笑顔と明け透けの無い物言いで余の心を弾ませていたというのに、今はどうだ。作ったような笑みと回りくどい物言いは、まるで余と距離を置きたがっているようではないか」


 勿論、誤解だ。

 毎日のように帰りたいと泣く永夜子を嫌わず、優しく抱きしめて微笑んでくれる透明に、永夜子はいつしか安らぎを覚えて恋心を抱くようになった。そうしてようやく國の統率者に望まれて妻になる事を理解し、自覚をもって后教育に励んだのだが、作法のさの字も知らない田舎娘の言動は貴族たちに認められるものではなく。


 『貴方の言動は高貴な血筋の人々の目には毒であり、后として相応しくないだけでなく貴女を選んだ天子様自身も嘲笑されてしまう』等と講師陣に毎日のように言われては、必死にならないわけがなく、寝る間も惜しみ、血の滲むような努力を重ねた。

 なんとか講師陣から及第点を貰えるようになり、これで透明と並んでも恥ずかしくない神女になれたと思っていたのだが、透明は不満を露わに、昔の自分が良いと言い出す。


 流石に七年近く掛けて必死に身に着けた作法を崩せるほど、永夜子はもう子供ではない。寧ろかつての自分に恥を覚えているのだから猶更。どうしていいかわからず、目に涙を潤ませながら、申し訳ありませぬ……と蚊の鳴くような声で謝罪するしかできなかった。


 永夜子、と呼び掛けられると同時に頬に手が添えられ、優しく顔を上げさせられる。思ったよりも間近に来ていた透明の顔は困ったように笑っていた。


 もう一度永夜子と熱の籠もった声で呼ばれると、長い腕が背に回り肩を抱かれ、引き寄せられる。鼻腔にふわりと白檀の香りが入ってくる。驚いて上げた頬に手が添えられ、思ったよりも間近にある透明の顔に驚いて固まると、透明は苦笑を浮かべた。


「困ったな。泣かせるつもりはなかったのだが、永夜子があまりにもつれない態度を取るものだから、少し意地の悪いことをしたくなったのだ。許せ」

「お、主上……」

「余の目に映る其方は何よりも眩しく、尊い。だというのに、他者があれこれ決めた物事に縛られた其方を見て嫉妬したのだ。其方を縛るのは余だけで良いといのに」

「なにを仰られますか! わたくしの身も心も、命も主上だけのもの。他の者に付け入れられる余地などありませぬ。されど、今ここに在るのも、“永夜子”として歩んできたわたくしなのでございます。どうか、どうかご容赦くださいませ……」

「ああ。どんな永夜子であろうと、永夜子は永夜子。余に必要な存在だ。見捨てないでいてくれるか?」

「勿論でございます。永夜子は、生涯主上をお慕い致します……!」


 そう答えれば、透明は嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「では、余の名を呼んでくれるか?」

「な、名を、ですか?」

「そう。透明、と」

「……す、すみあきら……様」


 この流れで断ることなどできない。観念して、ぎこちないながら名を呼ぶ。

 途端にぱあと、先程とは全く異なる満面の笑顔が花開いた。普段は物腰風雅で泰然としているというのに、なんと子供のように無邪気な笑顔か。その眩さに目が潰れるのではないかと思ったものだが、幸い網膜に焼き付いただけで視覚を失うことはなかった。


 透明は嬉しそうに永夜子の体を更に抱き寄せ、自身に寄り掛からせる。咄嗟のことに抵抗もできず、されど抵抗など必要ないと思い直し、されるがまま抱き締められた。

 一見線の細い体だが、初めて意識して触れた透明の肉体は固く逞しい。頭部に顔を埋められ、吐息の温もりを直接感じ、体中の熱は高まって心臓が破裂してしまいそうだ。


 永夜子は今、幸福の頂きに立っていた。


 明日、十八歳を迎える。それと同時に透明の妻に迎えられるのだ。約七年、長いようで短く、長い日々であった。紆余曲折を経て、いろんなことがあった。父親から引き離されて周囲を恨んで呪ったこともあるし、辛く厳しい御后教育に密かに枕を涙で濡らしたことも少なくない。それでも頑張ってこれたのは愛する透明の為。


 本人は気付いていないかもしてないが、いつも静かに微笑んでいる印象が強い透明が、時折とても寂しそうな顔をすることがある。


 天子は人々を導く存在ゆえ、誰にも代えられぬ大事な存在だ。対等な立場になる者はおらず、常に崇められ尊ばれるが、心は隔てられ、常に孤独な御方だと誰かが言っていた。唯一同じ立場になれるのは神女のみだが、それがいつ現れるのかはわからないし現れないこともあるという。


 永夜子が見つかるまで、透明は孤独だったのだろうと思う。だから初めて会う幼子だというのに透明は永夜子に心を注いだのだろう。

 透明から離され、別の場所でお后教育が行われている間、親しくなれる相手もおらず孤独を感じていた。が、永夜子には透明がいたし、村にいた時も父や友人がいた。透明には永夜子がいなかった時期の方が長く、生まれた時からずっと孤独だったのかと思うと、永夜子の心は苦しく締め付けられた。


(……これからずっとお傍にいます)


 その決意を伝えるように透明の衣を掴む。透明の温もりを全身で感じるように、大きく息を吸った時だ。 


 けほ、と永夜子の口から咳が零れた。

 

「永夜子? すまぬ、苦しかったか?」

「い、いえ……」


 そう答える間もけほ、こほ、と咳が零れる。どんどん咳も酷くなり、喉が熱くなってじくじくとした痛みを感じてくる。心配そうな顔をされながら僅かに体が離され、冷たい空気が入り込んできて喉を冷やすが痛みが治まるどころか増し、呼吸すらままならなくなってきた。目の前がちかちかと点滅を始め、臓腑が地震でも起きたかのように揺れている。

 何かが体内から込み上げてくるのを感じる。片手で口を押え、もう片方の手で透明を押しやりながら立ち上がり、後方に下がろうとする。


「永夜子? 一体どうした?」


 透明が膝を立てた。首を横に振って、近付いてはいけませんと答えようと僅かに口を開ける。


 げぼぉ! と耳障りな水音を立てながら永夜子の口から大量の液体が吹き出し、手の隙間をぬって透明の白い全身を赤く染め上げた。


「永夜子!!」


 膝から崩れ落ちた永夜子の体を透明が抱き留める。その時既に永夜子の意識は朦朧としており、透明が必死に揺らしながら呼びかける言葉は全く耳に入ってこなかった。 


 一体何が起きているのか全くわからない。何故こんなことになっているのか見当もつかない。だというのに、永夜子はどす黒い赤に染まった唇を持ち上げて笑っていた。


 ぼんやりとした視界に映る最愛の白が赤く染まっている。初めて色を付けたのが自分であるという謎の高揚感が永夜子の感情を昂らせる。


(ああ、赤い貴方様もお美しい……)


聴覚は閉ざされ、視覚も覚束ず、意識は闇に紛れる最中だというのに、的外れな考えが頭をよぎった。


 そしてそのまま、永夜子の意識は、その名の通りに夜色に染まる。

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