今日を生きるのは楽しいでしょうか?
人がぎりぎりの幅ですれ違い、濁流のような中で、自分を見失わないように必死で生きている。理由はあるのかな。
私は羽田咲、高校二年生になった。私は今日もなんとなくで生きている。
いつも通り、親のいいつけで入った高校に通っている。
学校にはルールがある。それは規則ではなく生徒同士の。お互いがお互いを牽制しあっている。隙をみせればおわり。そんなの親になんてわからない。
私は今日も生きた。これ以上生きることになんの意味があるのだろうか。
そんなある日、いつもの帰り道にある、本屋さんになんとなく入ってみた。
店主はどうやらテレビに夢中のようでこちらに気づいていない。
上から下まで棚には、ぱんぱんに本が詰め込まれている。中には劣化して、変色している本も。
「まぁ、古い本屋さんだし。」とお店を少し遠く見つめる私の前に、一冊のまだ新しい本があった。
それを買って、私はお店をでた。
その後彼女は自分の人生を、人のために生きてみようと決めた。
ボランティア活動、海外での活動を
生涯辞めなかった。
彼女は人生を楽しんだのだ。