自分がラノベを読んで文学を読まない(読めない)理由
そこには悲しい理由があるのです…
皆さん、文学作品で感動したことはありますか。
私はあります。
高校の授業でとある明治の文豪の作品を先生に解説されて、初めて感動できました。
「たったこれだけの文章でこれだけ緻密な感情を表現できるのか」と。
あの時の感動は凄かったです。
文章というものに物凄い可能性を感じました。
それまではいわゆるラノベというジャンルの本しか読んだことがありませんでしたから、何故たくさんの人が地味な文学に夢中になっているのかよくわかっていませんでした。
しかも当時は高校に入っていきなり難しくなった国語に戸惑っていた時で、国語に対してどんどん苦手感情が出てきていたので、この感動のおかげでまだ苦手意識がマシになりました。
私は理系です。
理系なんです、文学を読まないんじゃありません、分からないんです。
突然何言ってんだこいつと思われたかもしれませんが、これが理由です。
よく見るのは「数学が解説されたことしか分からない人」だと思います。
でもおんなじように「国語が解説されたことしか分からない人」というのは間違いなくいます。
何故数学の方が目立ってしまうのかというと、数学ははっきり答えが出るからです。
間違いははっきり分かりますし、数学苦手な人にとっては解説された通りの問題なんて出てこないわけですから、間違えまくるでしょう。
国語は答えははっきりしていません。
ぶっちゃけ暗記以外は答え合わせをする人次第でしょう。
文章の中に答えがある?
ああ、模範解答を見たら理解できたよ。
でも模範解答がなきゃこんな意味分からん答えを書くんだよ俺は!
答えられてる場所もある?
それ授業中の先生の解説そのまんま入れただけだから。
自分で考えたわけじゃないから。
つまり解説なしではそこわかってないから。
勘違いしないでくれよな。
こういうわけです。
高校の定期テストで現代文の長文問題を授業中に扱わなかった題材にすれば、確実に平均点は下がります。
私は確信を持って言えます。
何故なら平均点を下げる人が私ですから。
さて話題を戻しましょう。
私が文学を読まない(読めない)理由は私が理系だから、文学を理解できないのでつまらない。
何故私はこの結論に至ったのかというと、文学を自分で読んだからです。
私は授業で行われた文学に(先生の解説を聞いて)感動していました。
当時、私は努力すれば何でもできると考えていたので、文学だって読めるようになるはずだと思い、ネットで調べてみると青空文庫という便利なものがあるではないですか。
早速ネットでおすすめされていた作品を一冊読んでみました。
正直に言いましょう、辛かったです。
何でこんな苦痛な思いをしながらつまらない(私にとってですよ)物語を読まなきゃならんのだ、と思っていました。
本当に辛かった。
そして何も感動は起こりませんでした。
私にとってその物語はちょっとだけ山や谷が大きい普通の人生を描いているだけに見えました。
退屈でつまらなかったです。
そして極め付けは母との会話でした。
母は自分と比べて文学とかが分かる人です。
その母に、私の先生の解説のおかげで感動した場面を話しました。
すると母は言うんです。
「ああ、あの場面はあの人があれでとっても切ないんだよね」と。
私は愕然としてしまいました。
私は母に言われて初めて気がついたんです、その場面がそう言う場面である、と。
私はその場面は私にとってはそれほど重要ではないように見えていた部分でした。
それにつながる部分がとても大事に見えていたんです。
私はここで悟りました、自分に文学や国語の才能はないなあと。
いや、なんとなーく分かってはいたんです。
だって現代文ができないんですもん。
言っておきますが、母は理系です。
うーん、国語に関しては一般的な理系以下の理解力なのか自分は、とも思ってしまいました。
そりゃ理系科目は人並み以上にできるよ?
でもさあ…あくまで人並み以上でそれより上ではないんだよね…
国語への理解力は人並み以下どころか多分最底辺でしょこれ。
ちなみに文学だけでなく、論説もできませんよ!
おめえ抽象的すぎんだよ!
もっとはっきり書けよはっきりとさぁ!
国語が数式並みにはっきりしてたらなあ…
取り敢えず高校生のトラウマは置いときましょう、はい。
さて文学を読めない理由は書いたので、ラノベを読める理由を書きましょう。
ハッキリして分かりやすいからだ!
以上!
おんなじ理由でSFも大好き