七話 現実は小説のようにうまくはいかないもの
九月二十三日、日曜日。
夜は丸沢と飲む約束をしているが、昼は暇だ。
よって、ちょっと出かけることにした。
午前中は散髪に行き、さっぱりする。顔や眉も剃ってもらい、平凡ながらも小綺麗な顔にはなった。
午後の行き先は、ネットで調べた風俗街だ。
店に入るつもりは一切ない。いつか風俗に行く機会があるかもしれないし、その前に一度下見をしておこうってだけだ。
下見のくせに、妙に身だしなみに気を配ったのはバカだと思う。
普段は滅多に使わないワックスで髪を整え、念入りに歯を磨いてタバコの臭いを消す。
私服がダサいと思われたくないし、わざわざスーツを着る。こっちも、消臭剤を振りかけてタバコ臭を誤魔化す。
休日にスーツなんて着るのもバカバカしいが、九月だからクールビズ期間中であり、ノーネクタイ、ノー上着で通せるのは助かる。
通勤に使っているカバンを持ち、アパートを出る。
風俗街に出発……の前に、いつものコンビニに立ち寄ってタバコを買うか。
俺が吸うためじゃなく、丸沢にあげる分だ。変な話を聞いてもらうんだし、土産を渡そう。賄賂と言い換えてもいい。
レジには美人の店員さんがいる。俺が勝手に恋人候補、脱童貞のお相手候補として考えている人だ。
名札があるので苗字だけは知っていて、三屋村さんという。
名前を知っているからって、どうにかできるわけじゃない。大人しく丸沢用のタバコを買う。
こっちはスーツだし、「日曜日なのにお仕事ですか? お疲れ様です」の言葉をかけてくれれば嬉しいが、ただの客に言うわけない。
いつもと違うタバコを買ったせいで、少し不思議そうな顔をされただけだ。
社交的な男なら、ここから会話を膨らませられるのかね。
どうでもいいことをつらつらと考えつつ、コンビニを出る。
駅から電車で移動し、電車を降りればあらかじめ下調べしてあった道を歩いて風俗店の場所まで。
駅から徒歩で七、八分くらいか。かなり近いな。
未成年も多く利用する駅からほど近い場所に、こんな店が。
けしからん。まったくもってけしからん。日本はどうなっているんだ。
自分のことを棚に上げて、そんな感想を抱いた。
今はまだ昼過ぎだが、日曜だからか人の姿もポツポツ見かける。
店の前で客引きしている男性もいて、俺も歩いていれば声をかけられた。
「お兄さん、どうですか? 写真を見るだけでも」
もちろん無視だ。下手に店に入ってしまえば、なし崩し的にそのまま、となりそうで怖い。
店の前を通り過ぎる際に、横目でチラッと確認する。
透明な自動ドア越しに見える店内は、やや狭いホテルのロビーといった様子だ。想像していたよりも綺麗な印象を持った。
そのまま歩けば、別の店の客引きが。
こちらは俺ではなく、男性二人組に声をかけていた。大学生か新卒社会人くらいの年齢の二人だ。
「どうです?」
「すんません、今行ってきたところなんスよ」
「楽しませてもらいました。さすがにもうできません」
「そうでしたか」
い、行ってきた? 楽しませてもらった?
それってつまり、風俗のお姉さんとあんなことやこんなことをしてきたばかりだと?
客引きを断るための方便かもしれないが、二人組の表情はツヤツヤしているし、満足気だ。この感じからすれば、あながち嘘でもないのだろう。
甘美な誘惑が俺を襲う。
少し勇気を出すだけで、俺は風俗店に入り、童貞を捨てられるんだ。
身だしなみを整えてきたのは、万が一の可能性を考慮したからじゃないのか? 心のどこかで期待していたからじゃないのか?
丸沢との待ち合わせまでには時間があるし、一発ヤるには十分だ。
財布の中にはそれなりの金額が入っている。おそらく足りるだろう。足りなくてもクレジットカードがある。
どうする? 入るか?
……いや、やっぱりやめておこう。
予定の変更はない。風俗は最終手段だ。
それに、フラッと立ち寄るには経験が不足し過ぎている。
きちんと下調べをし、いいお店といい女性を選び、何日も前から体調を整え。
初めてなのだから、そこまでやらなければ不安だ。
とりあえず、雰囲気はなんとなくつかめた。今日の下見は終わりでいい。
そそくさと風俗街をあとにした。
結構時間が余ったな。喫茶店にでも入って休憩するか。
九月も下旬なのに、今日は結構暑い。真夏とは比べるべくもないが、歩き回っていれば汗もかいた。
冷たいコーヒーでも飲もう。時間を潰すために本も買うか。
本屋に寄って文庫本を一冊購入し、次いで喫茶店へ。
アイスコーヒーを注文し、喫煙室で一服しつつ休憩する。
平積みされている中で、なんとなく手に取った文庫本。帯に「ネットで今年一番の人気小説!」と銘打たれているライトノベルを読む。
最強の実力を誇る主人公が、美少女ハーレムを築いて好き放題やらかす内容だ。
絶世の美少女からモテモテになる。もちろん全員処女で、美少女たちとヤりまくりの日々を過ごす。
俺の望む「若くて可愛くて処女の女の子」を、これでもかと手に入れている。しかも、女の子の方から主人公に言い寄っているし。
いいご身分だな。現実が、こんなに都合よくいくかっての。
都合よくいかないからこそ、小説の中では好きにやりたいのかもしれない。
読む気が失せて、途中でやめた。こんなのを読んでいても空しいだけだ。
俺は、決して潔癖な性格はしていない。
童貞を捨てるために、女性を品定めするような人間だ。どちらかといえば性格が悪い。
だから、この主人公みたいな生き方もありだと思う。共感もできる。
俺が魔法使いになっており、世界最強であれば、この主人公みたいな行動をしていたのではないか?
最初こそ、目立たずひっそりと魔法を使っているが、やがて感覚がマヒして欲望の赴くままに。そうやって行動していた可能性は否定し切れない。
結果として欲しい物を手に入れ、幸せな日々を過ごす。我が世の春だな。
現実では何もできないわけだし、だからこそ読んでいて空しい。モテない三十路の童貞の僻みとも言える。
好き勝手に生きる主人公を見て、彼女が欲しい、童貞を捨てたいという気持ちが募った。あー、情けない。
文庫本をカバンにしまい、気分を変えて喫煙室の中をぐるりと見渡す。
女性客も何人かいる。男連れも、一人の人も。
ナンパすれば、お持ち帰りできるか? できもしないことを考える。
世の中の男って、どうやって恋人を作っているのか疑問だ。
学校の友人や会社の同僚? 婚活?
にっちもさっちもいかなくなれば、俺も婚活するか。童貞の三十路男に需要があればいいが。
っと、そろそろ時間だな。行こう。
時間を潰していた喫茶店から、丸沢と飲むための店に移動する。
有意義なのかどうかよく分からない休日だった。