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五話 魔法使いになれなかったので童貞を捨てようと思う

 俺と丸沢(まるさわ)は、約束通り飲みにきている。

 金曜の夜ということもあり客は多いが、なんとか個室に入れた。


「お仕事お疲れ様! 乾杯!」

「お疲れー」


 ハイテンションで生ビールのジョッキを掲げる丸沢と、至って普通の俺。

 ガチン、とジョッキを打ち合わせれば、丸沢は一気に飲み干した。

 すきっ腹にビールを一気かよ。相変わらずだ。

 俺は三分の一ほど飲んだ。酒にはそこそこ強い方だと自負しているが、丸沢には到底及ばない。


「こら、遊佐(ゆざ)! 全然飲んでないじゃないの!」

「酔っ払ってもいないうちから絡むなよ」

「杯を乾すと書いて乾杯。ほら、ぐぐぐーっといっちゃえ」

「バカ騒ぎする大学生じゃあるまいし、大人なんだから普通に飲もうぜ」


 丸沢に張り合って飲めば、あっさりと酔い潰れる。

 俺は俺のペースで飲ませてもらう。シーザーサラダを食べつつ、ビールをチビチビと。


「男のくせに、何をサラダなんて食べてるの」

「お前は女のくせに、なんだそのメニューは」


 丸沢がつまみとして食べているのは、もつ煮込み、餃子、豚キムチだ。

 いくら明日が土曜で会社が休みだからって、女なら口臭を気にしろ。

 俺の言葉など聞かずに、丸沢は店員を呼んで次の注文をする。


「生ビールと餃子で」


 どんだけ餃子を食いたいんだ。俺まで食いたくなってくるじゃないか。


「俺も生。あと焼き鳥と、餃子をもう一つ」

「フライドポテトも」


 各々、好きな物を注文して飲み食いする。

 もちろんタバコだって吸う。丸沢のペースは、言うまでもないな。


「いやあ、幸せだわ。この瞬間のために仕事をしてるね、あたし」

「同感だ」


 ペースの早さにはついていけないが、楽しいのは同意する。


「お酒はおいしいしタバコもおいしいし、言うことない。おまけに今日は金曜日。ありがとう、神様」

「丸沢は、いつから神様を信じるようになった?」

「アメリカかどっかにある言葉らしいよ。日本の花金に相当する言葉で、TGIFっての」

「聞いたことない」

「サンクス、ゴッド、イッツ、フライデー。頭文字を取ってTGIF」


 日本人丸出しの発音で、英単語を口にした。

 神様、金曜日をありがとう。

 なるほど、確かに花金だ。


「金曜日はいいが、酒とタバコには言及してないな」

「それはいいの。金曜日じゃなくても飲むし吸う」


 丸沢は二杯目のビールを飲み干し、ぷはあっと。

 でもって、タバコを吸い、ふううっと。

 人生楽しそうで結構だ。


「遊佐も吸ってみる?」

「吸ってるぞ」

「そんな子供の吸うタバコじゃなくて、これよこれ」


 子供はタバコを吸っちゃいけません、という突っ込みは置いておいて。

 俺は弱いタバコを吸っている。1ミリのプレミアムメンソールパープルだ。

 タバコに含まれるタールの量で、1ミリとか5ミリとかって言い方をする。タールが1ミリグラム含まれていたら1ミリ。そのまんまだ。

 丸沢は14ミリの有名なタバコだ。


「遠慮しとく。まともに吸えるとは思えないし」

「吸いやすいよ。タール量の割にまろやかだし、このタバコから吸い始める人も多いって言われてる。慣れたら他のタバコじゃ満足できなくなるよ」

「それ、普通に中毒だから。俺は1ミリで十分だ」

「遊佐って子供舌だよね。タバコもだし、コーヒーも甘いのが好きなんでしょ?」


 パープルとついている俺のタバコは、ブドウみたいな味がわずかにする。甘いと言えば甘いかもしれない。

 缶コーヒーだって、甘いやつを好んでいる。今日会社で飲んでいたのも甘い。


 一方の丸沢は、甘くないタバコにブラックコーヒーだ。

 俺とは似ているようで、趣味が結構違う。


「丸沢こそ、こっちを吸ってみるか? 結構いけるぞ」


 タバコを一本渡せば、丸沢は火をつけないままでフィルターを加え、吸い込んだ。


「甘いけど、おいしそうとは思えないかな。甘いのはデザートだけでいいよ」

「そうか」


 タバコを返してもらい、俺が吸う。

 間接キスだが、その程度であれこれ言うほどガキじゃない。

 丸沢も自分のタバコを吸い、二人して害の詰まった煙を吐く。


「店員から見れば、『何、あのカップル?』って思われてるかな?」

「俺たちがカップル? めっちゃ飲んで食って吸って、お似合いかもしれないが」

「実際は違っても、周りからは見えるでしょ。はみ出し者の愛煙家カップル」


 酒はまだしも、タバコはなあ。

 男女片方だけが吸っている場合は揉める原因になる。


 俺と同じチームにいる先輩の男性、小林さんって名前だが、この人は結婚を機に禁煙()()()()()

 禁煙を始めて二年もたつのに、俺がタバコを吸いに行くって言えばいまだに恨めしそうに見てくるほどだ。


 俺の上司である新田さんも、娘さんに嫌われるという理由で禁煙した。テレビで変な知識を得たらしく、家で吸うと「人殺しー」って言われたとか。

 タバコが害になるのは事実だし、自分で吸わなくても他人の吐く煙を吸い込むだけでまずい。副流煙ってやつだな。妻子の健康を考えるのであればやめて当然だ。


 それにしたって、もうちょい歩み寄ることはできなかったのかって思う。

 会社でだけ吸って家では吸わない。臭いも消臭剤で対応するとか。

 本人の健康問題や、タバコ代で家計を圧迫するとかって問題もあるから、どうであれやめる方がいいんだろうが。


「あたしさ、結婚するなら酒とタバコを許してくれる男がいい」

「限度があるだろ。丸沢はやり過ぎだ。せめて量を半分以下に減らさないと、許せるものも許せなくなる」

「遊佐くらいに?」

「そこがギリギリのラインだろうな。タバコは一日三箱、ビールだって500ミリ缶を四本も五本も軽く空けるような状況じゃ……お前、一ヶ月でどれだけ使う?」


 酒代とタバコ代で、給料の大半が吹っ飛んでいるんじゃないかと思う。


「えっと……ざっくり計算して」


 丸沢は右手をバッと広げた。


「五万? それで済むか?」

「ごめん、過少申告したかも。でも、十万はかかってないよ」

「嫁に行けないわけだ」


 誰がもらうんだよ、こんな女を。


「あたしのことはいいでしょ。今の生活が気に入ってるの。好きにお酒を飲めて、好きにタバコも吸えて。こんなの、結婚したらできなくなるし」

「できないだろうな。旦那が許すとは思えない」


 自分の給料だからって、いくらなんでも酷い。さっきも言ったが限度がある。


「あたしよりも、遊佐はどうなの?」

「俺? 結婚ってこと?」

「今年で三十でしょ? 大台に乗るじゃない」

「乗った、だな。誕生日は過ぎた」

「それはおめでとう。で、結婚は?」


 変な話題になったが、チャンスでもある。

 酔っ払っている今なら恥も捨てて言えそうだ。愚痴を聞いてもらおう。


「聞いてくれよ。すっげえ理不尽な出来事があったんだ」

「昼に言ってた愚痴?」

「そうなんだよ。実は……」


 俺は、丸沢に事情を話した。


 この前の日曜日でちょうど三十歳になったこと。

 三十歳まで童貞を貫いたこと。

 なのに、魔法使いになれなかったこと。


「ぶははははは! バカでしょ! 三十歳童貞で魔法使い! なれるわけないじゃない!」

「笑うなよ。これでも落ち込んだんだ。魔法使いになるために童貞を貫いたのに、全部パーだぞ。俺の青春を返せ!」

「素直に、彼女ができなかったって言えば? 言い訳ダサいよ」

「できなかったんじゃなく、作らなかったんだ」

「はいはい」


 こいつ、信じてないな。

 腹を抱えて大笑いしていた丸沢は、落ち着いた今でも肩を震わせている。

 薄情な奴だ。


「あー、笑ったわ。ナイスジョーク。それ、一生持ちネタにできるよ」

「するか。こんな話、恥ずかしくて酒の肴にもできない。丸沢も言いふらすなよ」

「さすがに言わないけどさ……にしても、童貞。三十歳にもなって童貞。ぷくく」

「童貞で悪いか!」

「悪いとは言わないけど、まさか遊佐が童貞とは思わなくて」


 丸沢は、俺の顔を覗き込むようにじーっと見てくる。


「イケメンではないにしろ、普通の顔だよね。女が苦手ってわけでもなさそうだし、普通に話せる。彼女の一人や二人は作れるでしょ」

「だから」

「はいはい、作らなかったのよね。で、どうするの?」

「どうするって?」

「これから先よ。四十歳、五十歳になるまで童貞を貫いて、今度こそ魔法使いになれるかチャレンジするの?」


 それは俺も考えた。

 三十歳では魔法使いになれなかった。

 では、四十歳なら? 五十歳なら? その時こそ、魔法使いになれる?

 この歳まで童貞だったんだ。残り十年や二十年、童貞のままでも耐えられなくはない。


「もしもの話になるが、魔法使いになれるって確証を持てているなら童貞を貫く。何十年でも我慢する。だが、常識的に考えて無理だろ」

「三十歳童貞の時点で、常識的に考えて無理よ」

「それを言うな。とにかく、魔法使いになれる可能性もないのに、童貞を貫く意味はない」


 魔法使いになる夢は叶わなかった。

 ならば、次の夢だ。


「俺は童貞を捨てる!」


 童貞を捨てて、大人の男になる。

 それこそが俺の夢。俺の願い。


「若くて可愛くて処女の女の子を彼女にして、童貞を捨ててやる! 脱童貞だ!」

「うっわあ……」


 俺の夢を聞いた丸沢は、ドン引きしていた。

 童貞を捨てたがることの何がダメだ?


「あたしがドン引きする理由が分からないって顔をしてるけど、童貞を捨てるのがダメって言いたいんじゃないよ。条件がダメなの。若くて可愛くて処女って……キモ。遊佐ってそういう男だったんだ」

「男としちゃ普通の感情だと思うぞ。年増よりも若い子。ブスよりも可愛い子。非処女よりも処女。当然だろ?」

「キモい」


 丸沢からは一刀両断にされてしまった。

 だが、なんと言われようと俺はやる。やってやる!

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