四話 ヤケ酒に付き合ってくれる相手がいるってありがたい
九月十九日、水曜日。
昨日は体調不良を理由に会社を休んでしまい、四連休になった。
これ以上は休めないし、今日はちゃんと出社する。
俺より先に出社していた上司がいたので、朝の挨拶と休んだ件の謝罪をする。
「おはようございます。昨日はすみませんでした」
「おはよう。体調はどうだ?」
「昨日休ませてもらったおかげで、なんとか」
「無理はするなよ。遊佐が休むなんて珍しいからな。先週は急に涼しくなったり暑さが戻ったり、気温が安定しなかったから体調も崩しやすい」
「そこまで柔ではないつもりでしたけど、実際に休みましたし何も言えませんね」
風邪ではなく精神的な不調だけどな。
本当に申し訳ない。上司は真面目に心配してくれているのに、俺ときたら。
「今日は残業せずに早く帰れ。ぶり返して何日も休まれると余計に困る」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
心配してもらえばもらうほど、罪悪感で心が痛くなる。
上司との挨拶が終われば、自席に着いてパソコンを起動した。
まずはメールをチェックし、それから仕事だ。気分的にはまだまだ立ち直ったとは言えないが、仕事ができるほどにはなっている。
というか、何かをしている方が気がまぎれていい。
俺はIT企業に勤めており、つまりは延々とデスクワークになる。
ディスプレイとにらめっこしながらキーボードを叩き続ける。
今やっている仕事は、とある企業から受注したシステムの開発で、一部分を俺が担当し仕様書を書いている。
上司を筆頭に、先輩や後輩もいて、少人数のチームだ。
時折雑談はするものの、まだ気分が沈んでいるせいで普段通りとはいかない。
一日中、黙々と仕事をこなした俺は、定時になって即座に帰らせてもらった。
木曜日も同様に仕事を行い、金曜日の午後。
「タバコ吸ってきます」
「お、久しぶりだな。風邪だったから自重してたのか?」
「そんなところですね」
まさか、魔法使いになれなかったせいで休んだとは言えず、風邪だったと思われている。
上司にタバコを吸いに行く旨を伝え、会社の喫煙所に向かう。
途中、自販機で缶コーヒーも購入し、少し休憩だ。
煙の充満する不健康な小部屋では、他の喫煙者たちもタバコ休憩をしている。
缶コーヒーのプルタブを開け、一口飲む。
次いでタバコを取り出し、火をつけて煙を肺に送り込む。
「ふううう」
口や鼻から煙を吐き出せば、気分が落ち着く。
タバコはいいね。リラックスにはもってこいだ。
あっという間に一本吸い切り、もう一本。
「おーい」
そこで声をかけられた。
「丸沢か」
相手は丸沢華恵。俺の同期である女性社員だ。
同期だが、大学卒業後に就職した俺とは違って、丸沢は大学院の修士課程を卒業している。要するに、俺の二歳上だ。
三十二歳。立派なおばさんだな。
華恵なんて名前のくせに、華々しい顔立ちはしていない。失礼ながら、どちらかといえばブスになる。
とはいえ、愛嬌のあるタイプだし性格も明るいから、意外と好かれているが。
「なんか久しぶりじゃない? 禁煙でもしてた?」
「ちょっと風邪気味だったから、タバコはやめてたんだ。吸うのは四日ぶりくらいだな」
「四日!? 信じらんない!」
丸沢は、俺以上のチェーンスモーカーだ。一日に三箱は吸っているらしい。
この数字がいかにおかしいかは、計算してみれば明らかだ。
一日は二十四時間。睡眠に八時間使うとして、残りは十六時間だ。
十六時間で三箱、六十本も吸うんだぞ。一時間に四本弱の計算になる。
喫煙所にも一時間に一回はきているし、俺も毎日のように顔を合わせていた。
最近はご無沙汰だったが、丸沢からすれば四日もタバコを吸わないのはあり得ないことなんだろう。
丸沢も俺と同じように缶コーヒーを持っている。タバコを吸いつつコーヒーを飲み、至福の表情だ。
「あ゛あ゛……いいわあ」
「きったねえ声だな」
女にあるまじき声を出す丸沢に、つい突っ込んでしまった。
歳を取れば下品になるのかね。女を捨てているな。
「うっさいよ。タバコはあたしの生きがいなの」
「タバコだけか?」
「お酒も。この二つがない生活なんて考えられない」
チェーンスモーカーにして大酒飲み。
他人事ながら、体は平気なのかどうか心配になる。
あまり男女差別になるセリフは言いたくないが、男とは違って女は妊娠と出産があるんだ。
丸沢は独身だし、これから彼氏を作って結婚もするだろう。
妊娠すれば、酒とタバコを我慢できるのかどうか。
丸沢の眼前にタバコのケースを突き出し、裏面に書かれている文字を指差してやる。
『妊娠中の喫煙は、胎児の発育障害や早産の原因の一つとなります』
という文字が大きめに書かれている。
さらにその下には、一回り小さい文字で追加の情報も。
『疫学的な推計によると、タバコを吸う妊婦は、吸わない妊婦に比べ、低出生体重の危険性が約二倍、早産の危険性が約三倍高くなります』
大きなお世話としか言えない俺の行動に、丸沢は渋い顔になった。
「知ってるって。親からもしょっちゅう言われてる」
「でも吸うんだな」
「だってあたし、妊娠してないし」
そういう問題じゃないが、これ以上言っても無駄だ。禁煙する奴じゃない。
同期入社して、何年もの付き合いになるんだ。こいつの性格はよく知っている。
「まあ、俺だって喫煙者だし、口うるさく言える資格はないか」
「そゆこと。世の中の嫌われ者同士、仲よくしよう」
喫煙者は肩身が狭いからな。同じ喫煙者からまで、とやかく言われたくない。
「ところで遊佐。今日は残業?」
「多少な。七時には帰れると思う」
「じゃあさ、飲みに行かない? 金曜だし」
俺と丸沢の関係は、ただの同期じゃない。
かといって、色っぽい関係でもない。
飲み友達だ。お互いにタバコを吸うし酒も好きだし、二人でよく飲みに行っている。
酒好き、タバコ好きは他にもいるが、どっちも好きって奴は意外と少ない。
好きだとしても、たしなむ程度だったりする。
ガッツリ飲むぞ、吸うぞ、って時は、気兼ねしなくていい相手がいてくれて重宝している。
飲みにか。最近は酒も飲んでいなかったし、ちょうどいい。
そうだ。この際だし、丸沢に愚痴でも聞いてもらおう。
「飲みに行くのはいいが、個室のある店にしないか?」
「おんやあ? あたしと個室で二人きり、ナニをしたいのかなあ?」
「ハッ」
「うわっ、ムカつく」
自惚れた発言をする丸沢を鼻で笑ってやった。
魔法使いになれなかった今、童貞を貫き通す意味もない。
女性とエッチしたいかって話ならしたいが、丸沢は勘弁だ。
記念すべき初体験がタバコ臭を漂わせる女性とか、想像したくない。
童貞の妄想になるが、女性っていい匂いがするものじゃないのか?
何が悲しくてタバコ臭い丸沢を選ぶんだよ。
こいつのことは好きだ。ただし、飲み友達として。異性として見るには欠点が多過ぎる。
「自分を行い振り返ってみろ。酒は底なしで飲むわ、タバコはガンガン吸うわ、男に好かれる魅力があるとでも?」
「まあ、ないね」
自覚はあるのか。いいのか悪いのかは知らんが。
たしなむ程度ならともかく、丸沢は底なしだからタチが悪い。
それでも、美人だったりスタイルがよかったりすれば、あるいは男も引っかかるかもしれないが、そっち方面でもたいした魅力はないときている。
「個室がいいのは、単に愚痴りたい気分だからだ。他人の耳目を気にしてたら愚痴りにくい」
「ヤケ酒ってこと?」
「まあな」
「しょうがない、付き合ってあげるか」
女としての魅力は別にして、いい奴なのは確かなんだよ。
ヤケ酒に付き合ってくれるありがたい友人だ。変に奢られようともせず、割り勘で済むのも助かる。
好感の持てる性格をしているんだから、趣味である酒とタバコを多少なりとも自重すれば、彼氏もできるだろうに。
これこそ、大きなお世話だな。