最終話 魔法使いになれなかった俺から、魔法使いになった俺へ
三月十六日、土曜日。
一昨日はホワイトデーだったが、平日なので何もできなかった。
よって、二日遅れの今日、華恵とデートをする。春の陽気で暖かく、絶好のデート日和だ。
ケーキがおいしいって評判の店に入り、ホワイトデーのお返しにごちそうする。
俺の目の前には三つ、華恵の目の前には一つのケーキが置かれている。
俺が三つも食べるわけじゃない。一つが俺の分であり、残り二つは華恵の分だ。
こいつが、三つも食べると思われるのは恥ずかしいとか言い出しやがったせいで、こんな形になっている。俺に泥をかぶれとさ。
「彼女の願いを叶えてやるのは、彼氏の懐のでかさだからな。俺って格好いい」
「自分で言わなきゃ、もっと格好いいのに。次のやつちょうだい」
華恵は、食べ終わったケーキの皿を俺によこし、新しいケーキを持っていった。
「あたしさ、最近ちょっと食べ過ぎかなって思ってるのよね。タバコをやめて、今はニコチンパッチも貼ってないけど、そしたら食べる量が増えた気がして」
「そう思うなら三つも食うなよ」
「太らないようには気を付けてるし、まだ大丈夫。これでも、週に何度かジョギングしてるよ。タバコをやめてジョギングまで始めたせいで、両親には薄々勘付かれてるね。彼氏ができたって」
「挨拶とかしに行った方がいい?」
「さすがに早いでしょ」
俺と会話する間も、華恵はおいしそうにケーキを食べている。
「俺にも一口」
「いいよ。好きに取って」
「そうじゃなくて、あーんを所望」
「キモい。死ね」
悩むそぶりすら見せずに断られてしまった。
ケーキに舌鼓を打ちつつ、バカな話をする。
土曜日だから、店内は客で賑わっている。特にカップル客が多いのに、こんなバカな話をするのは俺たちくらいだろう。
華恵と付き合うようになってから三ヶ月弱。初体験を済ませてからは一ヶ月か。
いつまでたっても恋人らしくなれない。やりたいことはたくさんあるのに。
人目が気になるから食べさせてくれないってことなら分かるが、華恵は二人きりでもやってくれないんだ。
ぶっちゃけ、不満が溜まっている。溜まりまくりだ。
どうすれば華恵がデレてくれるのか知りたい。
「なあ、結婚って考えてる?」
「は? 頭でも打った?」
これだよ。恋人が結婚の二文字を出したのに、頭がおかしい人扱いされる。
「俺、自信喪失しそうだ」
「京侍が本気で結婚って言い出したかどうかなんて、見れば分かるし。どうせ冗談なんでしょ」
「本気のプロポーズならデレてくれる?」
早いかもしれないが、結構本気で考えている。華恵と結婚しようかって。
それほどまでには華恵が好きなのに、こいつときたら……
「デレる? ないない」
これだよ! ずっと弄ばれている気がする!
たったの三ヶ月で愛が冷めた? もう俺を好きじゃないのか?
仕方ない。恥ずかしいが最終手段だ。
「ちょっとスマホ使ってもいいか?」
「どうぞ」
幸せそうにケーキを口に運ぶ華恵の許可をもらい、スマホでメールを書く。長文を入力するためにメールにした。
普段はメッセージでやり取りしているから、メールを使うのは久々だ。パソコンのメールに慣れると、スマホは文字を打ち辛くて仕方ない。
即席で考えているせいで、まとまった文章にはなっていないが、こんなものか。
華恵に送信、と。
「華恵、メール送ったから読んでみて」
「メール? 直接話せばいいのに、なんで?」
「いいから」
華恵はメールを読み出す。結構長いから、二、三分はかかるだろう。
かなり恥ずかしい内容だが、華恵をデレさせるためだ。
「……何、これ?」
「手紙」
俺が書いたのは、手紙っぽい内容だ。
送った相手は華恵だが、手紙の宛先は俺自身になっている。
内容はこんな感じ。
『魔法使いになった俺へ
三十歳まで童貞を貫き、魔法使いになった俺。パラレルワールド(だっけ?)のどこかには存在するだろう。
今、何をしている? 些細なことに魔法を使って楽しんでるか?
違うんじゃないかな。俺の性格はよく知っている。こっちも俺だし。
最初は確かに、こっそりと魔法を使っていたかもしれない。
だが、やがてタガが外れ、調子に乗り出すんじゃないか?
わざわざ仕事をしなくても、金なんていくらでも稼げる。あくせく働くのがバカバカしくなって退職しているかもしれない。
ムカつく奴はぶっ飛ばせる。説教好きの変なおっさんや、人をストーカー呼ばわりする無礼な男をぶっ飛ばしているかもしれない。
女の子だって手に入る。ハーレム作ってご奉仕させたりしているかもしれない。
楽しいか? 楽しいよな、きっと。好きなように生きられるんだから。
否定はしない。好きに生きればいい。
だがな、魔法使いになれなかった俺は、童貞を捨てたぞ。
相手はあの丸沢だ。信じられるか? 俺たち付き合ってるんだぜ。華恵、京侍って呼び合う関係だ。
魔法使いになった俺。お前は、丸沢と付き合うか?
絶対に付き合わないわな。若くて可愛くて処女の女の子がより取り見取りだってのに、三十代で容姿もいまいちな女と付き合うわけがない。
魔法使いになった俺から見れば、魔法使いになれなかった俺は負け組だ。
でも、俺は今、幸せだ。
お前が手に入れた物は、俺では絶対に手に入れられない。
俺が手に入れた華恵は、お前では絶対に手に入れられない。
そんなことはない? 華恵を手に入れてやる?
無理無理。金や力があれば華恵もなびいてくれるかもしれないが、それで嬉しいか? お互いに愛情なんて持ってないのに?
愛する人とエッチする幸せは、お前じゃ絶対に手に入れられない。
魔法使いになって調子に乗るお前に、全力で自慢してやる。
俺は華恵が好きだ。なかなかデレてくれなくても、華恵が好きだ。
魔法使いになれなかった俺より』
バカだな。いやもう、マジでバカ。早くも後悔し始めている。
これで華恵がデレてくれて、「京侍、大好き! 今すぐ抱いて!」とかなってくれれば安いものだが、なるわけない。
「京侍って、墓穴掘るの好きだよね。黒歴史を量産して楽しい?」
やっぱりだよ! 分かっていたこととはいえ、完全にバカにされている!
「今すぐ消せ! 送らなきゃよかった!」
「もったいないし嫌。このメール、友達に拡散していい? 面白いネタはみんなで楽しまなきゃ」
「んなことしたら、クリスマスイブの時のセリフだって拡散するぞ!」
「ごめんって。怒らないでよ。ていうか、京侍が変なメール送るから悪いのに」
はあ……どうしてうまくできないんだろ。
恋人らしいイチャイチャした毎日を過ごしたい。そこまで贅沢な願いか?
華恵は常に余裕があるんだよな。俺だけが必死になっているように思える。
「面倒臭い彼氏。回りくどい真似して」
「ほっとけ」
「しょうがないなあ……あたしも京侍のこと好きだよ。これで満足?」
「満足した!」
すっげえ久しぶりに「好き」って言葉を聞いた! 満足した!
「い、いや、違う。こんなのだから、俺は舐められるんだ。俺がその程度で満足するとでも……」
「京侍、好き」
「でゅふ」
「うわあ……キモいし単純」
ダメだこりゃ。華恵には勝てない。
恋愛は、惚れた方が負けるんだ、勉強になった。
そうそう、勉強といえば。
「プロポーズじゃないが、ちょっと真面目に結婚について考えてみないか? 気が早過ぎて重い?」
「重くはないけど、なんで?」
「新田さんが、やけに結婚式を楽しみにしててさ。スピーチしたいんだと。新田さんのために結婚するわけじゃないが、祝福してもらえるに越したことはないよな」
恋愛は、周囲に祝福してもらえると嬉しい。一ヶ月前に学んだことだ。
今なら新田さんに祝福してもらえるし、先輩の小林さんも結婚式に呼べる。
「俺が異動になって、新しい上司が嫌味な奴になるかもしれない。独身だったら、部下が先に結婚すれば祝福してもらえないかもしれない。そうやって考えると、今がチャンスだなって。こんな理由で結婚って言い出すのも変だが」
「一般的ではないよね。ちょっと早いかなあ」
「俺も恋人の期間を楽しみたいし、早いとは思ってる。深く考えないで、こんな話もあったって程度でいいよ」
いきなり結婚にまで話が飛ぶのは性急だ。しばらくは恋人の時間を満喫したい。
変な話は終わったが、話題は尽きない。あっちこっちに発散し、楽しい時間を過ごした。
店を出て外をぶらつく。暖かいから歩いていて気持ちいい。
半年前、三十歳の誕生日を迎えた時は、こんな風になるとは思いもしなかった。
夕方近くになり、ぼちぼち帰る。
だが、今日はまだ終わらない。華恵が泊まってくれるのだ。
つまり! 夜はお楽しみの時間である!
もっとも、スケベな気持ちを表に出す愚はおかさない。
猿のように盛れば、華恵から「ついこの前まで童貞だっただけあるね」とかバカにされるに決まっているんだ! 俺のプライド的に許せん!
クールな遊佐京侍になって、華恵とコンビニへ。
……コンビニ? なんで?
頭がスケベな妄想で満たされたままでいたら、華恵は大瀬さんたちがいるコンビニに寄りやがった。
で、今日もタイミングよく、あるいはタイミング悪く、大瀬さんと三屋村さんがシフトに入っていると。
「京侍、京侍。これ見て。春限定のお菓子だってさ」
俺が恥ずかしがる気持ちなど知らず、華恵はお菓子を見てはしゃいでいる。
「可及的速やかに買い物を済ませてくれ。とっとと出たい」
「ゆっくり選ばせてよ。京侍は立ち読みでもしてて」
華恵は真剣な表情でお菓子を選んでいる。
ケーキを三つも食っておいて、まだ食う気かよ。ジョギングしているからって太るぞ。
言葉にすると機嫌を損ねそうだし、すると今晩のお楽しみもなくなってしまう。
大人しく立ち読みしておくか。
「お客様、立ち読みはご遠慮下さい」
「……今日は三屋村さんですか」
クリスマスイブの時は大瀬さんだったが、今日注意したのは三屋村さんだ。
似た者カップルめ。
「勘弁してください」
「さて、なんのことでしょうか? 私は……店長、続きはなんでしたっけ?」
そこまで再現しようとするのか。
話を振られた大瀬さんは苦笑している。店内には他のお客さんもいて、興味深げに俺たちを見ているし。
着物を着た気品のあるおばあさんが、華恵に話しかけているな。三屋村さんと加賀友禅だの京友禅だのって話していた人だ。
今日に限って、色んな人が集まっている。マジで勘弁して。
「遊佐さんには祝福してもらいましたし、お礼です」
「お礼になっていませんって。恥ずかしいです」
「でも、顔が緩んでいますよ。とても幸せそうに」
自覚はなかったが、緩んでいた? 幸せなのは事実だが。
……だよな。幸せなんだから、難しく考えなくてもいいや。
「きょ、京侍! 早く出よう!」
買い物袋を持った華恵が、顔を真っ赤にしていた。相当祝福されたんだな。
自業自得だ。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
「またお越しくださいませ。お幸せにー」
大瀬さんはいいが、三屋村さんは一言余計だ。
華恵が照れ隠しのように俺の背中を叩く。
「なんでああなるの!? あそこのコンビニ、変だよ!」
「知るか。寄ったのは華恵だろうが」
「イケメン店長さんの顔を見たかっただけなの! 目の保養だし!」
「彼氏の前でなんつうことを」
「うっさい! 京侍だって、しょっちゅうコンビニ女と会ってるんでしょ!」
「ははーん」
さては、三屋村さんに嫉妬したな。牽制でもしたくて、わざわざコンビニに立ち寄ったんだ。
可愛いところもあるじゃないか。
「何が『ははーん』よ! 童貞だったくせに!」
「もう童貞じゃないからな」
「うっさい、バカ!」
華恵が一人でどんどん歩いて行く。
俺のアパートに向かって。
帰ろうとしないあたり、やっぱり可愛い奴だ。普段からこうならいいのに。
この先、俺たちの関係がどうなるかは分からない。今は付き合い始めて日が浅いし、大ゲンカもしたことがないが、ずっとこのままってことはないだろう。
付き合い続ければ、ケンカの一つや二つはする。結婚したらしたで、問題も起きる。最悪は別れるかもしれない。
物語のように、末永く幸せに暮らしました、なんて綺麗な終わり方はしない。
一ヶ月前まで童貞だった俺は、まだまだ恋愛初心者で勉強中だ。含蓄のある恋愛観なんて言えやしないが。
全部ひっくるめての恋愛だって、柄にもなく思った。
なあ、魔法使いになった俺。
魔法使いになれなかった俺は、幸せだぞ。




