二十九話 お菓子会社の策略に乗っかるのもいい
華恵と付き合うようになったが、相変わらず童貞のままだ。
俺がヘタレなせいである。
俺がエッチしたいって言えば、華恵は拒否しないと思う。意外とムッツリだし。
だが、童貞の妄想的には、なんでもない日に初体験ってのがちょっと。
せっかくなら特別な日がいい。どちらかの誕生日とか、クリスマスとか。
とはいえ、俺の誕生日は九月だし半年以上先。華恵の誕生日はもう少し早いが、それでも六月だ。
六月まで待つ気はない。十二月に付き合い出して、六月までエッチなしだと、俺の方が愛想を尽かされそうだ。
で、いいイベントがある。
二月十四日、バレンタインデー。
今日は二月一日なので、二週間ほど先だ。ここで誘ってみようかなって。
問題があるとすれば、バレンタインデーが木曜日なことだ。翌日は金曜日で仕事があるため、のんびり楽しめない。
しかしだ! 社会人はある権利を持っている!
「華恵、二週間後に有給取れないか? 十五日」
「十五日……金曜日? 取れると思うけど、なんかあるの?」
「ほ、ほら、あれだよあれ」
今は金曜日の夜ということもあり、華恵と二人居酒屋で飲んでいるが、いざ切り出そうとすると恥ずかしい。
華恵が全部察してくれれば楽だが、自分の口で伝えるべきでもあるし。
ド直球にはせず、迂遠な言い方で。
「バレンタインデーは、チョコレートを期待してもいいんだよな?」
「そんなイベントもあったっけ。お菓子会社の策略にまんまとはまってるね」
「夢のない言い方をするなよ。策略だろうとなんだろうと構わないじゃないか。期待していいよな? できれば手作り」
「手作りを期待されても困るけど。というか、あんなの市販のチョコを湯煎して溶かして、改めて固めてるだけだし、手作りって言える?」
「マジで夢ねえな」
こいつに期待した俺がバカなのかもしれない。手作りチョコが欲しいのに。
この際、手作りじゃなくてもいいし高価なチョコじゃなくてもいいや。
「極論、百円の板チョコでもいい。十円や二十円の駄菓子でもいい。とにかくチョコレートください!」
「どれだけ欲しいの。ここで拒否したら、あたしが悪者みたいじゃない」
「バレンタインデーなんて、義理チョコしかもらったことないんだよ。本命チョコをどうか俺に! 恵まれない男に愛の手を!」
「駄菓子だと義理にならない?」
「華恵の愛情がこもっていればOKだ」
「京侍って、ちょいちょいキザだよね」
さほどキザではないと思う。どちらかというと、華恵の方がキザだ。
「クリスマスイブの時、雪の魔法がなくてもとっくに……」
「言うな! あれは、童貞へのリップサービス!」
ほほう。ひょっとして、華恵の弱みを握ったか?
あまりネタにすると機嫌を損ねそうだが、たまに使ってやろう。
「まったく……分かった、あげる」
「サンキュー。期待してるよ」
チョコレートはもらえることになった。
しかし、これは本題ではない。チョコレートもチョコレートで大切だが、もっと大切なことがある。
「ち、ちなみにさ、会社で渡すのはよくないよな? 会社は仕事をすべき場所であり、恋人たちの空間ではない。うむ、俺って真面目」
「どこで渡せって?」
「俺のアパートで……バレンタインデーの翌日は有給を取るし、泊まっても……」
「いいよ。仕事帰りにお邪魔するね」
華恵はあっさり承諾してくれた。拍子抜けするほどあっさりと。
態度は至って普通だし、緊張している様子も照れている様子もない。
俺なんか、死ぬほど緊張したっていうのに。
まさか、意味に気付いていない? ちゃんと言葉にしなきゃダメか?
いくらなんでも、ここまで言って気付かないわけはないと思いたいが。
念のため、はっきり伝えておけば誤解もされない。
どういう風に? エッチさせて? 童貞捨てさせて?
今まで何度も言ってきたし、同じようにすればいいだけだ。
勇気を出せ。いつだったかの会話じゃないが、勇者とは勇気ある者だ。俺も勇者になるんだ。
いやでも、キスの時は、わざわざ聞くなって……
どうすりゃいいんだよ!
「なんか、また変な妄想してるでしょ」
「シテナイヨ」
「片言になってるじゃない。まあ、童貞だからこうなるか。好意的に解釈すると、可愛げがあるとも言えるし」
く、屈辱だ。弄ばれている気がする。
これが恋愛経験の差か。
「あのさ、変態的な妄想してるなら、あたしはやらないからね」
「ダメなの!?」
恋人が一晩一緒にいて、エッチなし?
がっつき過ぎたかもしれない。付き合うようになってから二ヶ月未満でエッチは早かったか。
段階を踏むにしても、デートは何度かしたしキスもしたし、あとは何がある?
恋愛のABC? 誰か教えて!
「……華恵、恥を承知で聞くぞ。俺はどうすればいい? いかんせん、恋愛経験がないからさっぱり分からん」
「普通でいいの。変態的な行為はなし」
「その普通が分からないんだよ」
「あたしの口から言わせようとするのが変態だね。頼りない童貞のために教えてあげるけど、『チョコレートの代わりにあたしを食べて』とかはなし。自分にリボン巻いて『あたしがプレゼント』とかもなし」
「はい? 俺、そこまでは……」
「へ?」
俺たちの間に変な空気が流れた。騒がしい居酒屋なのに、ここだけ無音になる。
華恵の顔が徐々に赤くなっていく。
誤魔化すようにビールを飲み干し、カバンをごそごそと探り。
タバコのケースを俺に投げつけた。
「なんでタバコ持ってるんだよ。禁煙は?」
「空箱! こういう時のために持ち歩いてるの!」
俺の頭に当たって落ちたタバコのケースを拾い上げ、中を開けるが、確かに一本も入っていなかった。
「お前、バカだろ。あとムッツリ。自分にリボン巻くとか、エロいマンガじゃあるまいし現実で要求するかよ」
「うっさい! 遊佐が悪い!」
「遊佐に戻ってるぞ。動揺し過ぎだ」
でも安心した。華恵の考える変態的な行為は、まさしく変態なわけだ。
裏を返せば、恋人同士が普通に愛し合う分には問題ないと。
そう受け取っていいよな?
「バレンタインデーのチョコレート、よろしくな。楽しみにしてるから」
「あぅあぁぃ……」
意味不明な言葉を漏らす華恵が立ち直るには、しばらく時間が必要だった。
バレンタインデーに童貞を捨てる。華恵もほぼOKしてくれたようなものだ。
童貞を捨てる、か。
いまいち実感が湧かないな。
もちろん嬉しくは思う。楽しみでもある。
だが、何かが変わるか? 多分、変わらないだろうな。
終わってみれば、こんなものかとなりそうだ。
初めてでうまくできるかどうか心配だが、なんとかなると楽観的に考えている。
相手が華恵なのも楽観的になれる理由だ。
童貞臭丸出しの俺が失敗しても、文句を言いつつ受け入れてくれると思う。なんだかんだ、優しい奴だし。
きたる日に向けて準備もした。クリスマスイブではしなかったが、ベッドのシーツを取り替えたりなんだりと。
二月十三日、水曜日。バレンタインデーの前日になった。
今週に入ってから、仕事中でもそわそわしっぱなしだ。そのせいで、今も上司の新田さんに注意されている。
「最近の遊佐はおかしいぞ。仕事中にぼけっとしているし、集中力がない」
「すみません。自分でも自覚しています」
「明後日、休暇を取るんだろ? 旅行にでも行くのか? 休暇を取るなとは言わないし、旅行にも行けばいい。たまにはリフレッシュも必要だからな。だが、勤務時間中は仕事に集中しろ。やることをやってから休め」
「はい」
おっしゃる通りです。返す言葉もありません。
ストーカーのおっさんに説教された時とは違って、今回は明らかに俺が悪い。反省しよう。
反省の気持ちが伝わったのかどうかは分からないが、新田さんのお説教は終わった。くどくどと続けないから助かる。
その優しさに甘え過ぎるのはダメだし、しっかりしよう。
お説教を終えた新田さんは、不意にニヤリと笑った。
「で、誰と旅行に行くんだ? 恋人か?」
「いや、それは……」
「咎めようってわけじゃない。遊佐のプライベートに深く突っ込む気もないが、俺には一つ夢があってな。部下の結婚式に出席し、スピーチをしたいんだ」
スピーチをしたいって変わっているな。嫌がる人が多そうなのに。
新田さんがスピーチをした経験がないのも意外だし。
「したことないんですか?」
「それがないんだ。小林が結婚したのは俺のチームに異動する前だったし、他の人も俺の直属の部下じゃなかったり身内だけで式を済ませたり、不思議と機会に恵まれない。だから遊佐に期待しているわけだ」
「スピーチをしたいってのも珍しいですよね。恥ずかしくありません? 失敗したらどうしようって不安になったり」
「俺は憧れるぞ。『遊佐は俺が育てた!』って言いたい。遊佐が号泣するような超感動的なスピーチを披露し、万雷の拍手を浴びるとかな」
「俺が恥ずかしいのでやめてください。するなら普通に」
華恵と付き合い始めたばかりでは、結婚までは考えていない。
仮に結婚するなら新田さんは当然式に呼ぶし、スピーチも頼むが、あれこれ暴露されるのは困る。
「その口ぶりからすると、予定がないわけでもなさそうだな。今のうちにスピーチの言葉を考えておくか」
「まあ……相手は一応いますが」
「いいことだぞ。ははははっ」
お説教だったはずが変な話になり、新田さんは豪快に笑った。
辛気臭くならないところに性格が出ている。
そして、俺も一つ勉強になった。
嬉しいんだ。周囲に祝福してもらえると嬉しい。
三屋村さんが、大瀬さんとの関係を俺に教えてくれた時も、知ってもらいたい気持ちがあるって言っていた。それと似たようなものだ。
友人や知人に知ってもらいたい。祝福してもらいたい。そうすれば、ますます幸せになれる。
恋愛は、当事者だけではできないんだなって。
三十歳になって初めて知った。




