十七話 失恋の傷は思った以上に深くて辛い
大瀬さんが怪我をしたと知り、何度かコンビニに行ったが会えなかった。
三屋村さんとも会えておらず、一度電話では話したものの無事な姿は確認できていない。
電話をした日から一週間近くが経過し、十月十九日の金曜日の夜。
ようやく三屋村さんに会うことができた。事件前と変わらない様子で、コンビニのバイトに入っていた。
事件のことは近所でも知られているらしく、今は客と思しきおばあさんと話している。
「店長さんが無事でよかったよ。店長さんはいけめんだからねえ。あの人目当てで通っているようなもんだ」
おい、ばあちゃん……
「いけめん」じゃねえよ。年甲斐もなく、何を言っているんだか。
「店長さんの声が聞きたいねえ。次はいつ仕事にくるんだい?」
「もう復帰していますよ。たまたまタイミングが合わなくて見かけないだけだと思います」
「もう? 大怪我したんだろう?」
「言うほど大怪我でもありませんよ。次のシフトは、明日の朝六時からですし、ぜひいらっしゃってください。店長も喜ぶと思います」
「じゃあ、化粧してこようかねえ。加賀友禅の着物も着て」
うん、何も言うまい。いくつになっても女性は女性ということだ。
着物には詳しくないが、加賀友禅って高級ブランドじゃなかったか? コンビニに気軽に着てくる物じゃない気がする。
「着物といえば京友禅が思い浮かぶんですけど」
「若いのに、京友禅を知っているのかい?」
「私、来年の一月が成人式なので、着物を着たいんです。こういう時でもないと着る機会がありませんし、せっかくなのでいいやつをって思いまして。友達が、京友禅が高級ブランドだって言ってました。私の名前にも京の文字が入っているので、ちょうどいいんじゃないかって。私の名前、キョウコなんです」
下の名前は初めて知った。三屋村キョウコさんなのか。
京の字が入っているってことは、京子かな。
古い響きに聞こえるが逆にいい。美人だから、なんでも似合うって意見もある。
俺の名前と似ているのも嬉しいな。京侍と京子。名前だけならお似合いだ。
「着物は高いからねえ。いいやつだと百万円以上するよ」
「百万!? バイト代、足りないよお……」
学生のバイト代で、ホイホイ買える物じゃないわな。レンタルなら話も変わってくるが、どちらにせよ着物は高い。
俺がプレゼント……はないな。百万とはいかなくても、安くて数万円はする。家族でも恋人でもない男が贈る物じゃない。
三屋村さんだって、怖くて受け取れないと思う。
着物談義が終わったところで、おばあさんは帰って行った。
ようやく俺が話せる。おばあさんの話し相手が終わったばかりで悪いが、俺にも付き合ってもらおう。
「こんばんは」
「こんばんは、遊佐さん。お待たせしてしまいましたか?」
レジを待っていたかどうかって意味だ。
俺が並べば会話の邪魔になると思って、店内をうろついていたが、かえって気遣わせてしまったかな。
「待っていたとも言えますね。レジではなく、三屋村さんと話すのを。店長さん、お仕事に復帰されているんですか?」
「してますよ。外見上は健康そのものです。包帯も巻いていませんし、絆創膏だって貼っていません。何も知らない人から見れば怪我人だとは思わないでしょうね」
「何もないんですか? 骨折ですよね?」
「ひびですから。激しい運動さえしなければ、痛みもないって言ってました。数日おきに病院へ行くのが面倒臭いって文句を言えるんですし、本当に平気です」
「安心しました」
大瀬さんに直接会ったわけじゃないが、三屋村さんが嘘をつくとも思えないし、事実だろう。
大瀬さんは平気。では、三屋村さんは?
「三屋村さんはどうです? ストーカーに付きまとわれていたんですよね?」
「ストーカーというほどではない気もしますけど、あの人なら逮捕されましたし大丈夫だと思います」
「逮捕でも、重い罪には問われないのでは? 社会に出てきた時、また何かされたら……不安がらせたいわけではないのですが」
「そこまで心配しても仕方ないですよ。日常生活すら送れなくなっちゃいます」
呑気なのか大物なのか、判断に困る。
ビクビク脅えているよりはいいかもしれない。
俺が恋人になって守ってあげますよ、なんてセリフは言えないし、それよりも聞いておかないといけないことがある。大瀬さんとの関係を。
これも、直接的に「付き合ってますか?」とは聞けないから、少し遠回しに。
「大瀬さんが守ってくれますかね。頼りになる恋人ですし」
十分に直球だったかな。しかし、俺にできる精一杯だ。
聞くのが怖い。声が震えたりどもったりしないよう注意したが、うまくできたか自信がない。
果たして、三屋村さんの答えは。
「でも、あんまり危険な真似はして欲しくないんですけど。私を守るために怪我をされたら、嬉しいよりも悲しい気持ちの方が大きいです。店長はケンカが強いわけじゃないですし、仮に強くても無節操に暴力をふるう人じゃありません。だから怪我をしちゃって」
否定しない、か。「恋人? 違いますよ」って返答を期待したんだが。
少ししてから、三屋村さんは俺の発言の意味に気付いたみたいだ。
「あれ? 私と店長の関係……」
「見ていれば分かりますって。三屋村さん、大瀬さんに甘えるような言動をしていましたし、ただの店長とアルバイトの関係じゃなさそうでした。そこで、大瀬さんが三屋村さんを守ったんですから、きっと付き合ってるんだろうなって」
「わ、私、そんなに分かりやすかったですか? 恥ずかしい……」
照れている三屋村さんを見ていると……胸が痛くなる。
まずいな。自分で思っていた以上に、三屋村さんが好きになっていたみたいだ。
「内緒にしてくださいね。アルバイトの学生に手を出したと知られたら、店長が困ります。迷惑をかけたくないんです。他の人にも内緒にしているので、遊佐さんもお願いします」
「言いふらしたりはしませんよ。でも……」
「でも!?」
「すみません。一人、伝えたい相手がいまして。私の飲み友達に」
丸沢には相談に乗ってもらっていたから、伝えないわけにもいかない。
どう説明すれば、三屋村さんは許してくれるかな。まさか、俺が三屋村さんを好きで、丸沢に相談していたとは言えないし。
「お、お一人だけですか? 他の人には言いません?」
「言いません。約束します」
「そのお一人も、誰か一人に話すってなって、どんどん広まったりは?」
「あいつには、誰にも言わないように言い聞かせます」
「……じゃあ、その人にだけ伝えてください」
「私は助かりますけど、いいんですか?」
事情を聞かれても困るが、簡単に許してくれた理由が不明だ。
「遊佐さんのことですし、事情があるのだと思います。それに……ちょっとだけ、みんなに知ってもらいたい気持ちもありまして」
なるほどね。秘密の関係もいいが、堂々と付き合って祝福してもらいたい気持ちもあるのか。複雑な心境ってところだ。
俺も複雑だな。三屋村さんに信用はしてもらえても、恋人にはなれない。
ああ……辛い。
「では、友人に伝えます。それと……大瀬さんとお幸せに。って、結婚するわけでもないのに変な言い方ですかね」
「ありがとうございます。そうやって言っていただけると嬉しいです。内緒にしてもらうだけではなく、祝福までしてもらえるなんて」
「本当に好きなんですね。今の三屋村さん、普段以上に綺麗な顔をしています」
「え、えへへ……ああ、ダメです。顔が戻りません」
べた惚れってこういうことかもな。心から幸せそうに笑っている。
これはちょっと、マジでやばいかも。
「じゃあ、俺はこれで」
「は、はい。ありがとうございました。またお越しくださいませ」
定型通りの挨拶をしてくれた三屋村さんに見送られてコンビニを出る。
早く出ないと、三屋村さんの前で泣きそうだったから。
情けないことこの上ないが、限界なんだ。
外に出て、夜空を仰いで涙が落ちないようにする。
失恋なんて、たいしたことないと高をくくっていた。俺は、恋人を作り童貞を捨てたいと思っているわけで、とどのつまりは性欲の権化だと。
三屋村さんのことも、若くて美人だから気になっている。童貞を捨てるお相手になってもらいたいと思っている。
それだけであり、恋人がいるとすればキッパリ諦められると思っていた。
諦めて、次の相手を探す。若くて可愛くて処女の女性を。
どうやら、簡単に気持ちを切り替えることはできないようだ。
「……初めてだな。こうまで辛い経験は」
俺は失恋した経験がない。
それは、モテモテでフラれなかったからじゃない。
勝負しなかったからだ。そもそも女性と付き合おうとせず、関係を深めようともしない。自分が傷つかない道を選んでいた。
魔法使いになるために童貞を貫くってのも、もしかしたら逃げの言い訳だったかもしれない。付き合えないんじゃなくて、付き合わないんだって。
女性を好きになった経験はある。だが、遠くから眺めているだけだった。
やがてその人は、俺以外の誰かと付き合うか、もしくは何も起きないまま卒業などで関係が途切れるか。
自分から行動しなかったんだし、当然の結果だ。知らないうちに相手が俺のことを好きになっていて告白されるなんて、そんな都合のいい結末にはならない。
これを失恋とは言わないだろう。
勝負しない人間は負けもしない。常勝無敗ならぬ、無勝無敗ってところか。
三十年も生きてきてこれだ。情けない。
今回初めて、女性と付き合おうと考えた。童貞を捨てるためという不純な動機ではあったが、三屋村さんを恋人にしようとした。
結果が失恋。
本来なら、中高生くらいの年齢には経験しているであろうことを、俺は三十歳になってようやく経験した。
「せめて、告白したかったな。今の俺じゃ、勝負の舞台にすら立てていない」
一人で空回りしていただけだ。
これを失恋とは認めない人もいると思う。好きの一言すら口にしていないのだから。
かといって、今さら告白することはできない。俺は満足するが、三屋村さんは困るだけだ。
いや、これも所詮は逃げの理由かもな。困らせたくないのではなくて、俺がこれ以上傷つきたくないって。
恋愛は難しい。
そんな当たり前の事実を、この歳になって理解した。
「じゃあ、俺はこれで」
というセリフがありますが、誤字ではありません。
主人公は「私」という一人称すら使い忘れるほど動揺しているとお考えください。




