一話 童貞のまま三十歳になったので魔法を使ってみる
新作です。次話は本日夜に投稿します。
九月十六日は俺の誕生日だ。
今年で三十回目を迎える誕生日は、明日にまで迫っている。
明日というか、もうすぐそこだ。
現在の時刻は、夜の十一時五十九分。誕生日まで残り一分を切った。
俺が住んでいる賃貸アパートの部屋にてカウントダウンを始める。
「五十、四十九、四十八、四十七……」
独り言を呟く趣味なんてないが、今だけは特別だ。
折りたたみ式の丸テーブルに置いたデジタル時計を見つつ、小声で秒数を刻む。
一人しかいない部屋に自分の声が響くのは、なんとも言えない物悲しさがある。
だが、それも些細な問題。物悲しさどころか興奮を覚えている。
「三十、二十九、二十八、二十七」
最初は小声だったが、徐々に声が大きくなるのを自覚した。
心臓は早鐘を打ち、呼吸が荒くなる。先ほどまで飲んでいたビールが原因ではないはずだ。
ついに、ついに夢が叶おうとしている。長らく待ちわびた感涙の瞬間が訪れる。
これで落ち着けと言われても無理な相談だ。
「十、九、八、七!」
十秒を切った! さあ、ついにその瞬間が!
「四、三、二、一!」
ゼロ!
深夜零時だ! 九月十六日! 俺の三十歳の誕生日!
「三十歳おめでとう! おめでとう、俺! おめでとう、遊佐京侍!」
誕生日を祝ってくれる相手なんかだーれもいないんで、自分で自分を祝う。
遊佐京侍は三十歳になりました! おめでとう!
自分で自分を祝うなんて空し……くはない!
なぜならば! 俺は! 今日この時をもって!
見事魔法使いになれたからだっ!
年がいもなくハイテンションになるのも疲れるし、一旦冷静になろう。
深呼吸をして……よしオッケー。
さて。
俺は本日、三十歳になった。
よく言われているので知っている人も多いと思うが、男は三十歳まで童貞を貫けば魔法使いになるという伝承がある。
俺も童貞だ。産まれてこの方、女性と付き合った経験もなければ性行為をした経験もない。
純粋で清らかで澄み切った肉体なのだ。悪霊でもいれば、そいつを浄化してしまうであろうほどに神々しいのだ。
女性と付き合えなかったんじゃない。性行為ができなかったんじゃない。
あえて付き合わなかったし性行為もしなかったんだ。ここ重要。
全てはこの時この瞬間、魔法使いとなるために。
誰しも一度は夢想したことがあると思う。魔法が使えたら、と。
ゲームだのアニメだのマンガだの、創作物ではお馴染みの魔法という能力。
自由に空を飛んだり、火を発生させたり、不可視のバリアーを張ったり。
そんな不思議な力が自分にあれば、と。
もちろん、現実に魔法なんてあるわけがない。ある日突然、ふとしたきっかけで魔法の力に目覚めるなんてことはない。
現実では無理なら、別の場所ではどうか。異世界やゲームの世界とかな。
そんなことを考えている奴がいれば、俺が言ってやる。
現実と妄想の区別くらいつけろ!
異世界? ゲームの世界? 行けるわけないだろ。
非現実的過ぎてバカバカしくなる。魔法を使いたければ現実で使わないと。
現実に魔法なんてあるわけないという先の言葉と矛盾するようだが、ちゃんと魔法を使えるようになる手段は存在する。
三十歳まで童貞を貫くことだ。この俺のように。
無事に魔法使いとなれたし、さて何をしようか。
あれもこれもやってみたいと考えていたが、いざとなると思い浮かばない。
いきなり大魔法を使って、ミスると怖いってのもある。火を発生させてアパートを大火事にしたら取り返しがつかない。
空を飛ぶのも怖いな。窓からダイブする勇気はないし、部屋の中で浮こうにも加減を誤って天井に激突したらまずい。
火を発生させるのも空を飛ぶのも、外なら比較的安全だが悪目立ちする。
目立つのはちょっと困る。
目立ちたい、注目されたいという欲求はあるが、面倒事の方が多そうだ。
少なくとも、魔法を使って目立ってやろうという気はない。
しょうがないし、失敗しても被害がなさそうなやつにしておくか。
一円玉を丸テーブルの上に置き、動かしてみる。
いわゆる念動力ってやつだ。テレキネシス、サイコキネシスとも呼ばれるな。
デジタル時計やビールの空き缶もあるが、軽い物から始める方がいいだろう。
「俺の初魔法。あぁ、緊張する」
では、いざ!
「ぬん! ぬむん! ぬおんぬ!」
一円玉の上に両手をかざし、奇妙なかけ声と共に念じる。
が、一円玉はピクリとも動かない。
「ぐぬぬぬぬ……」
自然と手に力が入る。十本の指をわきわきと動かして、指先からパワーを送り込むイメージだ。
何分続けても結果は同じ。一円玉が動く気配はない。
どういうことだ? 俺は魔法使いになれたんじゃなかったのか?
まさか、三十歳まで童貞を貫けば魔法使いになれるという話は嘘?
嘘の情報に踊らされていたかもしれないと思うと、目の前が真っ暗になる。
「バカな。嘘なわけあるか」
誰しも一度は聞いたことがあるほど有名な伝承だぞ。
嘘偽りの情報が、ここまで拡散されているはずがない。
あれは真実だ。真実だと思いたい。思わなければ、俺はなんのために童貞を貫いたのか分からなくなってしまう。
何かを見落としているに違いないんだ。
「……あ! そういうことか!」
俺としたことが、重大な勘違いをしていた。
なるほど、なるほど。そりゃあ魔法を使えないに決まっている。
早とちりだった。実に簡単な話なんだよ。