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殺めたる運命の屍を晒す  作者: 葦元狐雪
7/12

 本棚の裏で息を潜めていた。ここは広い複雑な構造の家の中でも、なかんずく見つかりにくい場所だ。少々ほこりっぽいのが難点だが、整然と並べられた本の隙間から淡い陽のひかりの漏れる様は、古時計の針の刻む音とあいまって、自然なまどろみを誘う不思議な心地よさがあった。

 

 ......いくばくの時が過ぎ、いよいよ寝入りそうになったところ、本の一部がだしぬけに抜き取られ、ひとしお強い陽光と立ち替わりにキリの嬉しげな顔があらわれた。


「チタみっけ。先生が呼んでるよ、行こ」


「うん」


 チタは眠い目をこすりながら言った。


         ⁂


 植物園みたいな部屋、その中ほどにしつらえられた横長の机の前で、先生はなにやらむつかしそうな顔をして立っている。視線は机の上のある一点をためて離れない。惜しむらくもキリとチタの身長では、それが何であるのか判然としなかった。

 

 ややあって気づいた先生が、腰のまわりにくっ付く不満げな彼らに椅子を用意し、机上の糸につながれた小さな虹色の物体が飛行するのをみせた。果実の種くらいの大きさだ。糸の端は重し代わりの四角い木のブロックに結ばれている。蜜酒をかき混ぜるスプーンのような挙動で、白っぽい粉を一定の位置に落としている。いくつもの丸が交わる模様。紋章的に感じられた。


 よく見ると模様にわずかな乱れがある。実際の方位にそくして、西と東側にそれが際立っている。やや西側が勝るようだ。


「時の流れる方角を示しているんだよ」


 銀縁眼鏡を指で押し上げ、先生は解説した。

 飛翔している物体は『盤虫』という、ゴウンのみに生息する生き物だ。ふだん空中をただよっている。生態のほとんどがわからず、分泌物の描く模様で時の進路をあかしする以外まったく不明な稀有な存在である。しかし『世の理を識る者』とされ、路の先には今と異なる世界につながる場所があると云われている。それを発見することが先生の課題であり、至上命令だ。

 

「時はどんな流れ方をしているの?」


 キリが尋ねた。先生は一つの方向にまっすぐ進むと答えた。


「方角は不定期的に変わるけどね」


「すこしぐにゃっとしてるのは何で?」


 今度はチタがたずねた。


「どうしてだと思う?」


 先生は問い返す。

 チタとキリは顔を見合わせたあと、「今はこっち向きに進んでいるから!」と同時に西側を指さして言った。先生は彼らを大いに褒めた。その後すぐに盤虫の運動が不安定になり、ふらふらと力なく墜落して動かなくなった。ガラス玉の転がるような軽い音がむなしく響く。少年たちは死者を弔う心でじっとそれを見つめた。


 先生は引き出しから親指ほどの小瓶を二つ取り出すと、チタとキリにそれぞれ手渡して言った。


「盤虫を捕まえてきてほしいんだ。制限時間は午後六時まで。それが今日の課題、いいね?」


         ⁂


 三年前、チタは孤児であった。ある日おつかいから戻ると両親がいなくなっていた。どうせそのうち帰ってくるだろうと考え待ったが、三日経っても沙汰すらなかった。隣家は常に人の気配がないのでたのみようがない。


 料理の仕方さえわからないチタは、手当たり次第に食べ物を口にしては腹を壊した。市場をさまよった。手元のわずかなつり銭もすぐに尽きた。路ぼうに座りこみ、欠けた皿の上に硬貨の落とされるのを待ち続けた。


 もうだめかと思ったチタに差し出された花のような手——面を上げると少年のあどけない顔があった。キリだった。彼は「お家ないの?」とこと問う。ぎこちなくうなずく。


 するとキリは莞爾と笑い、「じゃあうちにおいでよ。きっと先生も歓迎してくれる」と言ってチタを森の近くにある先生の屋敷へ連れて行ったのである。以来、彼らは先生の見習い助手兼お手伝いとして生活をしている。

 

 キリは家出をして来たという。王子さまみたいな雰囲気の彼の生い立ちが気になったけれど、それをたずねるのは先生に禁止されていた。きっと良家の生まれなのだと思いなした。

 二人は三年の蜜月を過ごした。


         ⁂


 海風の香る街は鮮やかだった。塗りたてのうるしめいた家々の白壁が空の青さに映えている。

 乱立する枝木に巻かれた色とりどりの布切れが風に遊ぶ、右手に海のよく眺められる長いゆるやかな坂の途中に盤虫を見つけたのはキリだった。風然とたゆたう虹色の玉。遠い坂のいただきを目指しているようだ。

 

「追いかけよう。早くしないと、見失っちゃう」


 キリは言った。そして二人は飛龍育種家のおばさんや金持ちの老夫のやさしい眼差しを受けつつ駆けあがった。盤虫はすでに坂を下っている。登ってくる人々を避けながら急いで走る。が、不意にあらわれた燕尾服の老婆にぶつかって転げた。微動もしなかった老婆が手を差し伸べて、「おや、すまないね。怪我はないかい」と詫びた。んひひと笑う。赤い下げ髪が陽光にかがやく。


 痩せた手をとって、チタとキリは立ち上がり尻をはらった。そのとき彼らはおのおの小瓶の割れているのを知ったが、さして気に留めなかった。


「大丈夫。おばあちゃんこそ平気?」


 チタは安否を尋ねた。

 ああこのとおり平気さ、と老婆は目を細めて言った。


「追いかけっこでもしていたのかい」


「盤虫を追いかけてたんだ」


 とキリ。 


「へえ。捕まえるといい事があったりするのかねえ」


「ううん。先生に届けるんだ」


「先生?」


 老婆が訊いた。しかしかんばしる鳴き声にかき消された。そちらを見やると、波止場にふながかりした巨大な『貨物鯨』が荷下ろしをしている最中だ。沖仲仕たちがせっせと働いている。その奥、堆い荷物の影にひそむようにして立ち話をするごとき人影が二つあった。キリとチタは視力がとても優れているため、純白の鎧をした竜騎士と深緑色のぼろに全身をおおわれた者とを見いだすことができた。

 

「気になるかい」


 老婆の口が彼らのすぐ隣で言った。


「もっとよく見るんだ」


 おりしもそのとき、ぼろの者の黒い面輪が彼女らに向いた。けいけいと光る二個の目玉が闇に浮かぶ、肉食動物的細い瞳孔を視認するやチタはうずくまり、頭の割れんばかりの激しい頭痛にもだえた。キリは彼により添うた。脳裡に展開される網状の閃光からはじまり、不断に変換をくりかえす覚えない無数の映像、色、こえ。


 あまりに速い切りかわりに判別が追いつかない。だが、かろうじて知り得た一語を、チタは知らずしらずにつぶやいていた。


「ネコ」


 凶暴な炎の運動のイメージが擦過した。瞬間、身体は宙に浮き、すさまじい勢いで坂を下り始めた。老婆の脇に抱えられていた。キリは首を巡らして叫んだ。


「炎が追いかけてくる!」


 

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