39・学園祭の季節
翌日。
学園内『テトリス』西側。
前日、風呂上がりの柔軟にさえ堪えられなかった自分の筋肉を思い出しながら深陽は自警団『八剣』学園支部に向かっていた。
──まさか伸びをしただけで脇腹をつるとは。
──アルファルドに物凄く笑われてしまった。
「ま、じ、か、よ、お前、悶え、も、あっ、あはっはっは、げほ」と肩を震わせる青年の姿。その後つったときは反対側に伸ばすと治ると教えてくれたので結局彼は悪人ではないのだろうが──。
「それにしたってあんなに笑わなくても……いや、アルファルドからしたら笑うことか」
そんなに笑うのならアルファルドは出来るのかと批難したら、彼は若干恐ろしさを感じさせるほど柔らかい関節とスマートに鍛えられた腹筋を披露した。どや顔で。男としてこんなに情けない話があるだろうか。
──絶対に腹筋割ってやる。
──俺はムキムキになるぞ。
ぐっと拳を握り締め、深陽は廊下を進む。
コローナ島自警団『八剣』ボレアリス学院支部。
それが設置された場所は、ここコローナ・ボレアリス学院内テトリスの西側にある木骨石造りの建物だった。入る場所は内にも外にもあり、深陽は今内から入っているが、外からみると白い協会のような外観をしていた。
ただし、掲げるものはイエス・キリストの張り付けられた十字架ではなく八つの傷がついた剣であり、
信仰するものは唯一の神ではなく全ての者が平等であれる秩序で満たされた空間だ。
そんな団体の、そんな拠点。
「…………」
軽い素材で出来た内部入り口の扉を開くと、白いフローリングの上に絨毯が広がっていた。その先に、横向きに取り付けられた受付がある。
「すみません」
例の黒い軍服──崩落事故時に見たものとは少しデザインが違うが──を着用した女性が、ふわっと笑って「はい、どうされました?」と返す。
「九時から面接をお願いしていた錨です」
「錨様。少々お待ちください」
よく見るとやや耳が尖った形をしている受付嬢が手元の紙を捲る。魔界出身の人なのかな、と思っている間に「確認しました。進んで右の廊下を曲がった先の、手前から二番目の扉にお入りください」と案内された。
「ありがとうございます」
頭を下げると、また笑って返された。
深陽が去った後の受付。
並んで座る二人の耳の尖った女性は、互いの耳に唇を寄せ合った。
「どう思う?」
「気弱そう」
「平気かな?」
「イヴ副団長は平気よ」
「やっぱ問題はテーキ君よね」
「あの人新参者嫌いだもん」
「年下も嫌い」
「人界の魔法使いも嫌い」
「アルファルド君のときも酷かった」
「だから入らなかったの?」
「そうじゃない?」
「私、副団長に手を出したって聞いたわ」
「そうだったの?」
「わかんない、ウワサ」
「でも彼ならやりそう」
「あらもしかして?」
「ふふ、くすくす」
「くすくす」
噂好きの『銀竹耳女』、二人は今日も絶好調だった。
───
廊下を曲がった先、手前から二番目の扉。
コンコンとノックすると、中から若い女性の「どうぞ」という声が返ってくる。
「失礼します……」
開けた扉の向こうにあったのは、向い合わせで二つ並んだソファと、その間にある背の低い机。奥のソファにはイヴともう一人、老緑色の髪を一つに纏めたキツい印象の男性隊員が座っていた。
一瞬、あの崩落事故時に良くしてくれたイヴの姿に安心したかけたが、その表情が『保護対象』に向けるものではなく『選別対象』に向ける極めて冷静で客観的なものだったから、深陽は緩みかけた気を慌てて引き締めた。
──……高校面接のときと同じ顔だ。
「……錨深陽です。よろしくお願いします」
「ええ。どうぞかけて」
「失礼します」
手前側のソファに腰かけると、ゆっくり体が沈んだ。
その後は、志望動機とか、どのくらいの時間働けるかとか、当たり障りのないごく普通の質問をされ、それに、体を一緒に鍛えられることに魅力を感じたとか、放課後から他は授業の空きコマもありますとか、当たり障りのないごく普通の応答をしていたが、
──なんというか。
──視線が。
質問をするイヴの横で、深陽のことを穴が空くのではないかというほど見詰める青年の視線。
枕詞に熱いとつく意味ではない。どちらかと言うと氷点下の凍りつくような視線だ。
ちらり、と一瞬だけその視線を辿った。
ははぁ成る程、三白眼とはこういうものか。そんな感想が浮かぶ、半分目蓋の裏に消えた黒目。あまりにあからさますぎる威圧に深陽は思わず少し仰け反った。
──……変わった……圧迫面接だな……。
魔界だと一般的なのかなと思いながら、彼はそっ……と視線を逸らし面接に集中した。
十分後。
「それでは以上になります。合否は追って手紙を出します」
「はい。ありがとうございました」
面接の緊張というより斜め前から注がれまくったもはや殺意と言える視線に冷や汗で一杯になる頃、ようやく面接は終了した。
──無事に終わって良かった。
ソファの横に立ち一礼、扉の前までいき「失礼します」と言いまた一礼。
外に出て、ふぅと息を吐く。
「受かっていると良いなぁ」
面接の話によると、
働く時間はかなり自由が利き、人手は足りないが予算はあるためブラックになることも少なく、支部で所有している道場やジムは隊員であれば誰でも二十四時間使っていいことになっているらしい。
正直ここまで深陽の需要に答えるバイトは他にはあまりない。
あの大変目付きの悪い青年隊員のことは気になるが、出来たら受かっていてほしい。
そう思いながら扉からしばらく離れたところで、
「おい」
と、声をかけられた。
振り返った廊下の先にいたのは、例の目付きの悪い青年隊員だった。立ち上がっていると背は高くそれなりに体も厚く、バランス良く鍛えられた体だとわかる。
忘れ物でもしてしまっただろうかと「なんでしょうと」と問う。
「この後予定は」
「予定、ですか」
「日曜だ。どこかに出かけたりするだろう」
青年に言われるまで特に今日の予定があったわけではない深陽だったが、確かにたまの日曜日、どこかに行くのもいいだろうかと顎に指を当てた。
少し考えて、
「街を探索してみようかなと……」
「探索?」
「はい。いつもは友人が一緒なんですが、いつまでも頼りきりは申し訳無いので。特訓と言いますか」
「自動防御装置もありますし」と付け足した深陽に、青年はなにかニヤリと笑って「そうか、気を付けてな」と返した。
───
その後。
一人で街に繰り出したせいなのか、
それとも深陽の運が悪いだけなのか、
なにやら柄の悪い男たちの喧嘩に巻き込まれたりプテラノドンモドキに拐われかけたり車に轢かれかけたりしたが、無事寮に帰ってこれた深陽は今日一日あったことをアルファルドに話していた。
「コルドさんも普段はきっともっと冷静なひとなんだ。ただメキュリオさんの方が少し口が悪くて、でも二人仲が良いから不満をお互いに言い出せなかったみたいで」
「お前よく一日でそんな仲良くなれるな」
「ううん……困っている人を見るとどうにかせねばと思うというか……この対人能力を面接でも生かせれば良いんだけどな……」
「あ? 面接駄目だったんか?」
「圧迫面接だったんだ。初めてで少し戸惑った」
「アッパク……? ……あー、テーキ・ザーカリオか?」
聞き慣れない名前に、深陽は眉を小さく寄せた。
「テーキ?」
「緑頭にハシビロコウみてーな目付きの奴だよ。そいつのことだろ?」
ハシビロコウ。言われてすぐ、あの喧嘩を売るような三白眼が浮かんだ。
「多分、その人だ。一緒に面接してもらった」
「いやあいつは面接つーか、ただ新人が来るのが気に入らねーからビビらせて帰そうとしてるだけだろ」
「えっ」
「面接の後もちょっかい出して試すみてぇなことするし」
「ちょっかい……?」
「無理難題を唐突にぶつけてきたり。覚えねぇ?」
「…………確かに退出後に一言二言話しはしたけど……それ以外はなかったよ。何事もなく、今日も良い一日だった」
「ふうん?」
どうにも腑に落ちないという顔のアルファルド。それに、「いくらなんでもそんなことしないだろう」と苦笑した。
「まぁお前がそう言うならいいか。でよー、ミハル」
「なんだ」
「お前バイトもいいけど……」
言いながらごそごそと枕の下を漁り、アルファルドが出したのは一枚のポスターだった。
表紙には『遊魔祭開催!』とポップな字で書かれている。深陽が眼鏡なしで読めるということは、人界にも魔界にも考慮された全ての人に向けたものということだ。
「お祭りがあるのか?」
「おう」
「へえ、どこで」
「ここ」
「『ココ』?」
「こ、こ。学校」
ぽかん、と口を開く深陽。そんな彼に、アルファルドはふざけた口調で
「学園祭の季節でェす」
と言った。




