36・検証実験
三日後、土曜日。
コローナ・ボレアリス学院内、室内修練場。
学内医療センターの医師に「『じゃあ次に長座体前屈してみて』」と指示された深陽は体を前に倒すも、その指先がちっとも爪先に届いていないのをアルファルドに見られ、「え、お前ふざけてる?」とコメントされていた。
「いや違う。これが本当に俺の全力なんだ」
「んな馬鹿な……どれちょっと背中を押して、」
「いたたたたたたたたアルファルドアルファルドっ! アルファルドいたたアルファルド!」
「ええぇー……」
無理に背中を押され大腿筋が泣き叫ぶ。本人は決して大袈裟なわけではないのだが、涙目一歩手前の深陽の反応にアルファルドはちょっと引いた。
「お前それさ……ジジババが足の爪切るときの反応じゃねぇの……?」
「ひ、酷いことを言う……」
「だってよぉ、まさかそこまでたぁ……」
心底呆れたように後頭部を掻くアルファルド。
何故こんなことをしているのか、話は深陽とアルファルドが巻き込まれた例の崩落事故直後のときに遡る。
学校に帰ろうとした際深陽が体の不調を訴えたものだから、アルファルドは頭を強く打ったんじゃないかとか背骨を痛めたんじゃないかとか、らしくもなく慌てて衛生班を呼びつけたところ、伝えられた診断はこうだ。
「筋肉痛ですね」
「は?」
「筋肉痛です。物凄いレベルの。身体強化の魔法にしては珍しいですけど……まぁ、原因は日頃の運動不足ですねー。アドレナリンどはどは出てたのが切れて体が『ちょっとぉ! 急に激しい運動しないでよん!』って言ってる状態です」
何故か途中でオネェ口調になった衛生班員は「落ち着いたら体力作りした方が良いですよ。関節の可動域が十代とは思えぬ狭さです」と呆れ半分に微笑んだ。
そんなわけで。
三日後の本日、独奏者深陽は自分の魔法をがどんなものなのか調査するついでに、単純な体力も計測しているのだった。
円形の修練場、天井は高く薄く結界が張られているという壁は打ちっぱなしのコンクリートだ。モニター越しに見ている校長と数人の調査員、そして医師が壁上部に取り付けられた音響機器から「『短距離と走り幅跳びは結構良いんだけど持久力酷いね』」「『白筋タイプか』」「『それにしても体が硬い』」「『私の百二年生きてるけど腕が背中に回らない十五歳初めて見た』」「『岩のよう』」「『あっやべマイク切ってない』」となどと話しているのが聞こえる。アルファルドが笑いを堪えて震えていた。
「『えー、んんっ。じゃあ次に、『太陽のトライバル』の検証実験に入る』」
「……はい」
今日から柔軟を始めよう──そう強く決意しつつ、深陽は姿勢を正した。
「『開始の合図から五秒後に詠唱を開始してくれ。アルファルドは魔力の流れ
を見るのと、出来たら独奏の発動条件を探ってみてほしい』」
「りょーかい」
「『何か質問は?』」
「あの……さっき渡されたこのリストバンドって……?」
「『ああ、バイタル計るのに必要なだけだから気にしないで。違和感ある?』」
「いえ、ちょっと気になって。あとは大丈夫です」
「『よし。……午前十時二分──検証開始』」
いち、に、さん、し、ご──。
深陽は心の中でゆっくり五つ数え、Yシャツから半袖に衣替えして刺青の露出した左腕を前へ伸ばした。
「──『この左腕は火花の化身』」
───
同時刻。モニタールーム。
角度の違うモニターが三つ並んだ部屋で、校長と医師、そして数人の調査員が見守る中、画面に映る少年の左腕に赤い炎が出現した。
「詠唱開始。『太陽のトライバル』発動しましす」
「──ベーカー偏差上昇。魔法領域形成されます。範囲被験者左腕の上腕を中心に周囲一メートルほど。特性『熱』、『光』、『不規則的形状』、通常の火炎系魔法と同一。暴走傾向無し。……身体への影響確認願います」
「交感神経優位。副腎髄質に反応あり。闘争と逃走反応開始されました」
「アドレナリンとノルアドレナリン、共に数値上昇。瞳孔収縮、気管拡張確認。体温37.1度ですが錨深陽は正常値内です。心拍数はー……プラス12回/分、合計値98回/分。呼吸数は正常ですがやや不規則かと。血圧118の69」
「視床下部に反応あり。ホルモン促進刺激ホルモン放出されます」
「下垂体後葉に被刺激反応確認されました。抗利尿ホルモン分泌、細動脈の収縮あり」
「抗利尿ホルモン? 浸透圧受容器に反応は……ああ、ストレス状態なのか?」
「アセスメントは後にしよう。血圧は?」
「心拍数、呼吸数、体温と共に上昇傾向。現在上が120下が68です」
「待った、副腎皮質にも反応あります。球状帯……アルドステロンですね。分泌されてます」
「アンジオンテンシンⅡかな。体内で出血してる様子はあるかい?」
「鮮血反応は出てません」
「脱水は?」
「それも」
「身体感覚にストレスをかけます。リストバンドから針での穿孔まで、三、二、一…………、痛覚異常確認、痛みに対する反応ほぼありません」
「バイタル定期報告。血圧129の70、呼吸数71回/分、心拍数102回/分、体温、は、と……うわぁ、38.4度」
つらつらとモニターの数字を報告していた調査員全員がその報告に苦い顔をした。
「ヤバイな」
「このまま上がったら熱で内臓やられるんでねぇの」
「巻きでいこう」
「了解。対象者への質疑に移行します」
調査員の一人がマイクのスイッチを入れ、「ミハル君、体調の変化はあるか」と問う。
「『いえ、特には』」
「……些細なことでも良い。緊張してるとか、変な感じがするとか、顔が暑いとか、なんとなく落ち着かないとか」
「『ええと……緊張は、あまり。アルファルドが直ぐそこにいるので。他は何も無いです。大丈夫です』」
「そうか、わかった」
スイッチを切る。
深陽に対しては精神の変動因子にならないように淡々と話していた調査員は、少し焦ったように額に汗を滲ませ、校長の方を向いた。
「──校長、検証中止にしますか」
バイタルの変動も、ホルモンの分泌も、ヒトが魔法使用時にはよくあることだ。
魔法を使うことへの緊張。異常現象への畏怖。それが脳を刺激するから。
しかし深陽の場合、それがあまりにも急速で値が大きすぎる。例え現在彼が無意識に緊張状態にあったとしても、魔法の使用は二回目な上、学院の校長自ら見守り、側に暴走したら止める力を持った同級生もいる。正確な値を計るためかける言葉や態度も気を使った。そんな状況ならば、そこまで精神的に負担はかかっていないはずなのだ。
にもかかわらず交感神経が働き続け、過活性と言えるほどに体が反応を起こしているのは、
通常人間に備わっている機能を誘発させる原因が、魔法側にあるということだ。
そういうものは人界にある薬では落ち着かせることができない。調査員はその危険性を理解した上で、校長に中止を求めた。
しかし校長は、調査員の言葉に頷かない。
静かな目でグラフを見詰め、他の調査員も「校長、これ以上は」と言ったところで、ふと口を開いた。
「……血圧の上昇が止まった」
「え?」
「ほら。体温も心拍もこれ以上は上がってない。グラフが横這いだ。詠唱は全て済んでいるのかい?」
「え、っと、はい。ですが、ミハル君の話によると最後の一文があるとか……そこまで言ってしまうと恐らく崩落事故時の放出型超攻撃魔法が発動するかと……」
「なるほど。──検証終了。ミハル、魔法の発動を停止出来るかな?」
「『……どうやってやるんでしょう……?』」
モニターの向こうの少年は、特に気分が優れない様子もなく、少し困ったようにそう訊いた。
それに「アルファルド、頼むよ」と返すと深陽の後ろに控えていた青年が怠そうに歩き出す。それを確認してから、校長は調査員と医師に向き直った。
「……あの炎は、使用者の肉体を傷付けてないんだね?」
「……そうです」
「室内の温度は?」
「上昇しました。プラス3℃です」
「攻撃性の火炎魔法」
「推測ですがそうなります」
「どうも、不自然だねぇ」と校長が首を捻る。
魔界で言う火炎魔法とは、熱性の超物理的な力を持つ魔法のことを指す。
炎という特性上、感覚麻痺の魔法を併用しなければ使用者にも熱さを感じさせるし、身体防御の魔法無しでは当然火傷も負う。小さなものを発生させるだけならば一般家庭の調理にも使われるが、攻撃性のある大火力となると途端に使用者は減る。
──『炎』。
──エネルギーがそういった形を取ったというだけで、本質はもっと別のものなんだろうか。
調査員に取ったデータを保存しておくように伝えると、校長はモニター室を出た。
───
同時刻。室内修練場。
自分の左腕で赤々と燃える炎に、深陽はそっと右手をかざしてみた。
──……熱くない。
──火傷もしない。
単純に不思議だな、と思っていると、その炎に深陽の背後からニュッと突っ込まれた手があった。
「アッッチ!!」
「うわっ! アルファルド!?」
手をびらびらとさせて熱を逃がそうとする手の主──アルファルド。
「っかしーな、校長んときは平気だったよな?」
「そっ、うだけど、だからって突っ込むやつがあるか!」
手を取ろうとして、伸ばした手がゴウゴウと燃えてて慌てて引っ込める。もどかしさが手中に渦巻き、深陽は「早く消し方を教えてくれ……」と呻いた。
「ん。あー、まず目を瞑れ」
「目?」
「おう」
言われた通り暗闇を下ろすと、下方、僅かに橙の色が目蓋の裏に透けているのを感じた。
「したら、頭ん中に、そーだな……蝋燭が良い。蝋燭を思い描け。火がついたやつ」
ろうそく。深陽の心の中で、蝋を固めた白い棒状のものに火が着けられた。
「お前は今、それを手に持って暗いトンネルを抜けた。外は明るい。蝋燭はもうお役目御免だ、長く小さく息を吐いて、火を吹き消せ」
想像の世界で、唇を尖らせふぅと息を吹いた。蝋に乗った楕円形の灯火が揺れ、くぐもった音を立てて消える。
「──、」
仄明るい橙色が暗闇に溶けたのがわかった。
目蓋を持ち上げると、左腕の炎はすっかり無くなっている。
「……消えた」
「今の、全部の魔法に繋がるイメージになるだろーから覚えとけ。最初はまあ時間かけても良いけどよ、練習して意識しなくても出来るようになれよ」
アルファルドの言葉に頷きつつ腕を色々な角度にして見ていると、修練場の鉄扉が開かれた。
立っていたのはゆったりとした服に鱗が敷き詰められた肉体を包んだワニ男──校長だった。水の中に住む生き物と似た体を持っているからだろうか、彼は温度の上がった室内に一瞬顔をしかめる。
「あついねぇ」
「そりゃあんだけ燃えればな。やっぱ火炎系魔法だったか?」
「どうだろう。九割はそんな感じだけど、燃やすものを選択しているのと、身体機能が上昇するわりにその後の副作用が大きいのが気になるね。その……ミハル君の体力が無さすぎるからかも知れないけど……」
「だってよ。お前廃用症候群になる前にどうにかした方がいいぜ」
「具体的に言ってくれると大変助かる」
「筋トレと柔軟とランニング」
「わかった。今日からやる」
こっくり神妙な顔で頷く深陽。
こうして、調査は終了した。




