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34・勇気



 静まった車内に三人分の呼吸音だけが間を埋める。


 そのとき、後方の扉を誰かが外から控え目にノックした。


「ミハル君、いる?」


 イザベルの声だ。壁に寄りかかっていたアルファルドが背を離しドアを開けた。舞い込んだ風が車内の空気を緩く入れ換える中、ひょっこりと金色の毛玉が中を覗き込む。


「お話し中?」

「んにゃ、今終わった」

「そっか。ミハル君ちょっと借りていいかな」


 そう言われ、深陽は校長に視線を送ると「行っておいで」と告げられた。頷き、外に出る。



 残ったアルファルドと校長はパタリと閉まる扉を見送る。

 

 と。


「言いたいことがあるなら自分の口から言いなさい」


 校長が徐にそう切り出した。ぴく、とアルファルドの肩が揺れる。


「……んだよ」

「いやなに、普段油でも塗ったように回る口が随分大人しいから」

「……あ、いつを、励ますのは、お門違いってもんだろ」

「おや、君はそういうつもりなのかい?」


 校長の言う通りらしくなくしどろもどろな話し方をするアルファルドが、反抗期の少年のような顔で校長を睨む。


「その何でもお見通しって感じ頭に来るから止めろ」

「ふふ。そう思うならやっぱり図星なのか」

「だァからぁー……」


 反論しようとして、アルファルドは口を閉ざし、ち、と舌を打った。


「出る」

「はいはい。病院行くんだよ」

「うるせ」


 苛々したように体の向きを変えて、ドアノブに手をかけた彼は少し考えるように視線を落とすと、それをそのままもう一度校長に向けた。


「……あんたさ」

「うん?」

「『魔法使い以外はどうでもいい』ってあれ、本気か」


 碧眼と獣の目がぶつかる。


 校長はその問いを肯定しなかったが、否定もしなかった。ただ黙って、厳粛な視線を「さあ、どう思う」と問うようにそこに据えている。


「……どっちでもいいけどよ」


 アルファルドはそれだけ返して車内を出ていった。



 上着のポケットを探り、潰れた煙草ケースを取り出して火を着ける。くゆる紫煙が宙に漂ったかと思えば、直ぐに風に拐われて消えていった。


 ──『太陽のトライバル』。

 ──数百年魔界から姿を消していた独奏(ソロ)、か。


 未だややふらつく足を進めて、アルファルドは前に目を向けた。直ぐ近くにある大穴のいくらか手前にキープアウトを示す黄色の線が引かれている。相変わらず仕事が早いな、とどうでもいい感想を持った。


「…………はぁ」


 溜め息を吐くと一緒に煙草の煙が出た。また吸って、吐いて、吸ってを繰り返すと、脳が酸素が薄いと訴えてボンヤリしてきた。それに了承して、シガレットを一度指に挟むことで唇から離した。


 ──……あるはずのない『本』による長距離の移動。

 ──動きを止めるように人口密度の高い転移先。

 ──タイミングを謀ったような崩壊事故。

 ──俺の()を潰すことを目的にしたような毒ガス。

 ──『錨深陽』。


 まるで深陽の力を引きずり出すために起こった事件のようだと、超火力によって空けられた虚を見ながら思う。

 脱力した右腕の指先から、ポロリとシガレットが荒れた地面に落ちた。


 ──人為的、だな。


 静かな確信を持って、彼は目を細めた。


 恐らく校長も同じことを思ったはずだ。この事件は、理由は不明だが深陽の独奏(ソロ)を引き出すために誰かによって起こされた可能性が高いと。

 問題はその『誰か』だ。

 本のことや時間割り、アルファルドの能力を知っていたことを考えれば──恐らく内部からの犯行、ということになる。──なってしまう。


 なら誰が、と。

 そこまで至って、アルファルドは首を横に振った。


 ──やめだ。

 ──ナンセンス過ぎる。


 シガレットを靴底で踏み潰して、着けたばかりの火を消した。


 身内を疑うことを恐れるているわけではない。

 ただなんとなく、今これ以上考えることは、アルファルドの深い部分が拒絶した。


 ──深陽(あいつ)のお綺麗な言葉に感化されたか。


 自嘲するように笑いながら、琥珀色の真っ直ぐな目を思い出す。せっかく校長が逃げ道を用意したというのに、ちょっと体を傾ければその道に転がり込めたのに、それをしなかった少年。間抜けなほどに真摯にしか生きられない人間がいることは知っている。けれど実際に目の前にすると、浮かんだ感想は馬鹿(ナンセンス)だなぁ、という呆れだった。


 ──せっかく外と隔絶されたこの島に逃げてこれたのに、

 ──あいつ多分、もうこれからここを逃げ場だって思わずに過ごすんだろうな。


 穿孔の淵に沿って視線を流せば、少し先に深陽の姿があった。イヴから黒いローブを手渡されている。恐らく、穴の深くで発見されたのだろう。


 あのローブを──この学院の生徒として受け入れられたとき、深陽は島の外という現実から逃れることが出来たはずだった。

 でもそれは違う。この島は異世界ではない。深陽の現実とは、海と空で繋がっているのだ。──今回の事件はきっと、それを深陽に知らしめるものになってしまっただろう。


 アルファルドはそれを幸福か不幸かに分けることは出来ない。それは深陽ただ一人だけが決められることだ。

 ただ、何か、彼を肯定するような言葉をかけたいとだけ思った。


 流れる風の先、真っ昼間の太陽の下、歪んだ地面の上。深陽はイザベルとイヴが去ると、疲れたような様子で瓦礫に腰を下ろした。

 それを見て、アルファルドはその背中に向かって歩を進める。

 直ぐ近くまで行くと、黒い刺青が露出した腕の中には少しボロボロになってしまったローブが抱えられていたのが見える。その顔は、真っ直ぐに、一瞬も逸らすこと無く虚に向けられている。


「ミハル」


 声をかけると、焦げ茶の短髪がてっぺんのつむじを中心にくるりと回った。見上げられた目が眩しそうに細まる。


「アルファルド」

「制服見付かったのか」

「ああ、イヴさんが。ほら、内ポケットに穴が空いてる。間違いなく俺のだ」


 高く昇っている太陽に目を向けさせたままなのは悪いかと思って深陽の横にヤンキー座りをすると、低い瓦礫に座っていた彼と丁度同じくらいの視線の高さになった。

 

 目の前にある巨大な縦の洞。

 これがたった一人の人間によって一瞬の内に空けられたものだということを、人界の者は誰も信じないだろう。

 けれど、校長が言っていた通り、事実はいずれ認められる。それは過去の偉人の発言が戯言だと相手にされなかったのが、現代になって証明されていったことを考えれば自然なことだ。要は、時間の問題なのだ。


「……学校戻んねぇの」

「……少し、自分がやったことを見詰めてた」

「そりゃ、……今日のか。……それとも、半年前のか」

「どちらも」


 深陽の左手が抱えるローブを握る力を強くした。

 その仕草に、脳裏に校長の「言いたいことがあるなら自分の口から言いなさい」という気に食わない言葉が過る。


 ──…………。

  

 舌の根の方で、またチ、と音を鳴らした。


「……あー……の、よぉ」


 アルファルドの声の小ささに、深陽が不思議そうな表情を晒した。無防備な子供のようなそれに、もごつく口が更に固くなる。


 ふうと息を吐き出して。

 アルファルドは、一度閉じた目蓋を持ち上げた。

 

「俺はよ、ミハル」


 「うん」という返事。

 相変わらず素直なそれに、少し笑いが込み上げた。


「……お前のしたこと、正しいとか間違ってっとかは、よくわかんねぇわ。俺は、自分が気に入らねぇもんはぶっ潰して、気持ちいいことは大事にすればいいやって感じで生きてきたから」


 あまりに極端で本能的な意見だということは一応自覚してる。けれど深陽は、大抵苦い顔をされるこの言葉さえ、真剣な目をして耳を傾けていた。

 そういうところは、本当に深陽の美徳だと、アルファルドは認めている。


「なぁ、でも……お前のその『正しさ』が、例え未完成で不安定なものだったとしても──それを振りかざすのは勇気がいることだったろーな、とも、思うんだわ」


 ゆうき。なんてチープでチンケな言葉。子供向け番組の常套句じみたそれが口から出て、アルファルドは眉を寄せた。

 けれど彼は、それだけは、伝えたかったのだ。


 旧校舎、誰もいない仄暗い橙色に侵された場所で、

 自分の尊敬する先輩を助けようとしたその行為。

 きっと正しいことだった。善か悪かで問えば、多くの者は善と答えるだろう。だから深陽だって見てみぬふりをしなかった。

 けれど、善を執行することの不安はあったはずだ。平和ボケの国日本生まれ日本育ちならば、暴力によって自分の正しさを押し通すことにも酷い抵抗があっただろう。それでも深陽は決断した。傷害の罪に問われる可能性があったとしても、助けるべきだと、正しさを求めた。


 十五歳の少年が必死に選択した正しさを、誰か一人は肯定しなければならないのではないかという思いに駆られて。

 単純に「よくやった! そんな糞ロリコン野郎はぶっ倒しちまえ!」と言ってやりたくて。

 アルファルドは、拙い語彙の幅の中で、深陽に伝えたのだ。


 どんな反応が返ってくるのか想像がつかなくて、アルファルドはしばし深陽の顔を見られなかった。深陽からの情報をシャットアウトしたために瞳が色を読むのことも無い。ただ焦げた虚の内側を見詰めていると、


「──ありがとう」


 とだけ返ってきた。


 いつも通りの平坦な声。

 嬉しかったのか、困っていたのか、それとも怒っていたのか、感情表現に乏しい深陽からはよくわからない。けれどなんとなく憑き物が落ちたような軽やかな(いろ)は、僅かに明るさを携えていた。


 それに、フ、と笑みが溢れる。


「……よしっ、いい加減もう帰ろうぜ。いつまでもここにいちゃあ自警団の迷惑だろうしよ」


 そう言って勢いよく立ち上がったアルファルドは痺れた足を解すようにトントンと爪先を地面に軽く打ち付けた。それに深陽も「そうだな」と瓦礫から腰を上げようとして──


 ──上がらなかった。


「は?」

「……え」


 再びちょっと浮かした尻が、ぺたんと瓦礫に乗り直す。


「……そんな帰りたくねぇの?」

「ち、違う! そうじゃなくて、」


 深陽が訝し気な顔で今度は手を瓦礫について力を込めるが、腰は浮かず、地面に乗っている足底がズリズリッと力無く砂利の上を滑っていった。


「……ミハル……お前……」

「……アルファルド」

「な、なんだよ……」

「……肩と腰を中心に関節に痛みがあり、筋肉痛のような感覚と、……その、ついでに言うと、実は、左手小指が動き辛くて、……なんていうか、……あの………………」


 非常に申し訳なさそうな顔で、瓦礫についた手をぶるぶる震わせながら、深陽はたっぷり間を置いて、


「立てない……」


 と呟いた。



 九月。夏の気配が色濃く残るコローナ島の晴れやかな空に、アルファルドの「衛生サァーーーッン!!!」という大声が響いた。




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