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33・選択と責任



 それからの記憶は無かった。


 気が付けば辺りは炎に包まれ(・・・・・)、薄い酸素の中で床に伏しながらぼんやりと目を開けていた。

 

 ──どうして、こんなことに……。


 炎に焼かれる体が悲鳴を上げる。


 ──熱い。

 ──助けて。

 ──逃げたい。

 ──ごめんなさい。


 眼前にはぐったりとした汐里と男の姿があった。けれど助ける気は起きない。


 春風が撫でた頬を上塗りするように炎に舐められると、何度も何度も昔のことを思い出した。

 肩の模様。暖かい家。親類の溜め息。父の死。母の涙。妹の苦悩。机の落書き。奪われた教科書。トイレの外のからかう声。見て見ぬふりをするトモダチ。『ヤクザの家の子』。『不良』。『イレズミ男』。


 過去の記憶が、「ほら、こんな世界大嫌いだろ? やめちゃおうぜ?」と誘うようだった。それに思わず頷いてしまいそうになる。きっと、この先生きてても、同じようなことが何度もある。それはなにもこの肩に腰を下ろす刺青だけの問題ではない。

 人というのは──自分と違う部分がある同種を差別し指を差すことで安心感を手にするモノだということを、深陽は薄々理解していた。

 だから例えば、深陽が治療によって刺青を消したとしても、また別の違う部分に目を付けられたら同じような苦痛が始まる。そういう予感がしていた。


 そんな場所でこれから先、

 どうやって息をすればいいのか。


 そんな疑問が、深陽の気力を燃やして、灰にしてしまった。


 鼻につく焼けた木材と絵具の臭い。崩れるドア。舞い込んだ風に、炎はその身をさらに大きく踊らせた。


 大丈夫か、と誰かが叫んでいる。ドカドカと煩い足音。それに眉をひそめて歯を食い縛る間も無く、深陽の意識は再び沈んでいった。




 その後運ばれた病院で、深陽は警察の事情聴取を受けると共に旧校舎で何があったのか話された。

 進路のことで話(・・・・・・・)があると呼び出されていた結城汐里と、呼び出した政治科教師飯田晋一(いいだしんいち)。そして、たまたまそこに居合わせた深陽。飯田の頭の傷は火災で焼け落ちた天井によるもの。

 そういうことになっているらしかった。

 二人がそんな理由であの場にいたとは信じなかったし、教師をイーゼルで殴ったことも正直に言いたかった。けれど深陽よりも先に聴取されたという汐里が偽の真実(それ)を否定しなかったことを考えると、口出し出来なかった。


 それよりも、もっと大きな問題があった。

 あの火事だ。


 発生源は深陽たちがいた美術室からで、炎はあらかじめ油でも撒かれていたかのように一瞬の内に旧校舎全体を赤色に染めたらしい。

 教師と、

 真面目な女子生徒と、

 肩に刺青を入れたクラスに一人馴染めていない男子生徒。


 放火として疑われたのは深陽だった。

 

 証拠はほとんど無かった。ライターやマッチや油もどこにもない。ただ一つ、たった一つ──三人の中で、深陽だけが火傷をちっとも負ってないという事実が横たわっていた。


 警察に疑惑の眼差しを向けられながら、証拠不十分で唇を噛む彼らに「火を放った覚えはない」と本当のことを告げながらも、深陽は頭の片隅で燃え盛る炎を思い出していた。

 左肩に刻まれた太陽の模様。

 感情の昂りと共に燃えた旧校舎。

 自分だけ焼けも焦げもしなかった事実。


 無関係なわけがない(・・・・・・・・・)と、本当はわかっていた。


 後日学校に呼び出された深陽は、校長に自主退学をしてくれと頭を下げられた。

 教師と汐里の件を口封じにするためだったのか、刺青のことを知って面倒に思ったのか、深陽が放火したと思ったのか、理由はわからない。そのとき深陽の真実を求める気力は、灰の底にあった。




 結局火災事件は『原因不明』で『旧校舎に放置していたコピー機から出火したのではないかと思われる』ということになったらしい。


 そこに正しさなど微塵もない。けれど深陽は、その間違いに救われた。

 この事件が深陽による放火だと決定されていたら、恐らく彼の人生はそこで終わっていただろう。学校が時校の存続を思って真実を求めなかったことで──深陽は家に帰れたのだ。


 今まで『正しさ』を目指してきた深陽にとって、それは酷い屈辱だった。

 

 自分の信念に従い真実を追っていたとしたら、深陽は放火犯として少年院にでも入れられただろう。

 しかし信念を折って虚実を受け止めてみれば、退学処分になり、家族も自分も苦しめた。


 なんなんだ、と拳に壁を叩き付けたかった。

 どっちを選択しても地獄。けれどあのとき、あの教師の悪事を見逃すことは深陽の正しさに反した。どう足掻こうが、例え過去に戻ろうが、深陽が深陽として生きた限り、結局はいつかあのような二択に辿り着いたのだろう。


 だから(・・・)


 深陽は、この結果を正しいものとした。

 放火は、自分のせいではない。間違ってない。自分は何も関係ない。尊敬する先輩を助けて、悪漢をやっつけて、運良く火事から助かった。それでいい。間違ってない。学校も仕方が無かった、誰かが責任を取らなければいけない。間違ってない。そもそも先天的な肩の模様を火災と結びつけるなんて馬鹿馬鹿しい。間違ってない。間違ってない。──間違ってない。


 矛盾した事実と思いが思考を鈍らせて、深陽は学校を去り家に帰った。

 玄関先で自分を抱き締める妹と「怖かったね」と頭を撫でる母。廊下の先の仄暗い闇が、琥珀色の瞳を重たげな色に変えた。



 コローナ・ボレアリス学院から招待状が届いたのは、それから二ヶ月後のことだった。



───



 九月現在。

 コローナ島北部、東繁華街。


 深陽の話はたったの十分で終わった。


 産まれたときから刺青はあったことと、

 それから悪質な嫌がらせが続いたことと、

 それでも平穏を目指して入った高校であった出来事。

 そして、火災事件について。


「今日の……あの炎を見るに、やっぱり、旧校舎を燃やしたのは俺だと思います」


 俯き気味だった深陽が顔を上げる。


 後悔と苦痛に濡れた少年は、それでも長年の逃亡生活に終止符を打たれ拘束された悪人のように、どこか肩の荷が降りたように苦く笑っていた。


「おれがやりました」


 救護車に取り付けられた窓から、夏の生温い風が舞い込んで、カーテンを揺らした。処置され包帯を巻かれた手の甲が風にさえ反応してじわりと痛む。


「──ミハル君」


 校長の眼光が深陽を捉えて、静かな声で名前を呼んだ。そして、「はい」と返事をする深陽に向かい、


「君は、裁きを受けるべきだ」


 そうはっきりと告げた。


「校長」


 咎めるようにアルファルドが何かを言おうとしたのを、校長は縦長の瞳孔で一瞥することで制した。


「現在、君の故郷……人界において、超常的な力を持つ魔法使いを裁く術は無い。それでもこの島の存在によって、いずれ君の力は万人にわかるように証明され、そしてその力を使って行ったことは善と悪に分けられる。そのとき、君が教師に重傷を負わせたことも、旧校舎を燃やしたことも明るみに出るだろう」


 「そして裁かれる。裁かれるべきだから」──とう言うと、深陽は静かに頷いた。

 解っていると、その罰を甘んじて受けようと、そういう顔で。

 それを見て、校長は僅かに表情を歪めた。仄かに動いた頬によって鱗が光の反射角度を曲げる。


「……それとも、……ここだけの話にでもしようか」

「……?」

「裁かれると罰を受けるはイコールではない。今君が話したような状況であれば、正直に話したところで大した罪にはならないだろう。むしろ、世間からすれば教師の方が責める対象じゃあないか」


 試すような目だった。

 どういうつもりかと問うように眉を潜めると、校長は再び横長の口を開けて鋭い牙を露出させた。


「私はね、ミハル君。告白すると魔法使い以外の人間はそこまで大事ではないんだ。九十九人の人界の者よりも、たった一人の君を助けてやりたい。…………罪を受け入れても受け入れなくても罰の程度が変わらないのなら、黙っていれば良いと──そうは思わないかい?」

 

 本気なのか冗談なのか。深陽はアルファルドに視線を投げるが、彼から補足の言葉は無かった。


 少し視線を床に落として、

 やがて深陽は苦く笑った。


「……叶うことなら、やり直したい、です。逃げたい。……責められたくもないです」


 「なら」と紡ぐ校長の言葉を「でもそれは」と遮る。


「きっと、叶わない。……一度の人生、一度の選択、一度の決断。全て自分がしました。他の誰でもない自分の意志で。俺はずっと、自由に、決められたんです」


 父の戸惑いを知っている。


「狭い場所だったけど、」


 母の悲しみを知っている。


「限られた選択だったけれど、」


 妹の苦しみを知っている。


「難しくて嫌になることばかりだったけど、」


 普通の家族の中に混ざり込んでしまった深陽(じぶん)という異物のせいで、彼らを苦しめた。


 それでも。


「おれ、が……俺が……俺が、決めたんです。だから、それを放り出して逃げることは、もう出来ない」


 肩の模様が無ければと、もっと父のように強く主張すれば良かったと、泣いて帰ってきた妹に今ならマシな言葉をかけられたのにと、あのとき旧校舎に行かなければ、三階に上がらなければ、見てみぬふりをすれば、イーゼルを手に取らなければ──そうやって後悔しなかったと言えば嘘になる。

 夢に出てきたあの荒野。例えばあんな世界に行って、一人で生きることが出来たら──?


 そうは思うけど。

 けれど、深陽は、自分の意思で選択してきたのだ。


 正しさを求めて、自分勝手に自由だった。

 この苦痛がその代償だと言うのなら、深陽はそれを受けなければならない。ここで逃げたら自分の選択は嘘になる。その選択は間違いだったということになる。

 あの火事の件から逃げて一瞬楽になった気がしたけれど、ずっと後ろめたかった。苦しかった。辛かった。

 だから、逃げるのはもう嫌だった。


「罰を受けるときがいずれ来るのなら、ちゃんと裁判所に行きます」


 精一杯の冗談のつもりで、深陽はそう締め括る。


 この世界は無愛想で、不思議なことはあっても都合の良いことは存在しない。

 無聊な日々に突然テロリストが責めてきたり、

 嫌いなクラスメイトの頭に隕石が落ちてきたり、

 自分だけ透明人間になれるようになったり、

 よくわからないバトルロワイヤルが勃発したり、

 辛くなったときにトラックに轢かれて異世界に行けたりもしない。

 そこにあるのは現実。そしてその憎々しい現実を変えるためにある自由なる選択とそれに伴う責任だ。

 逃げることはできなくても、立ち向かうことは出来る。


 深陽は憎々しい現実に自分の正しさを片手に立ち向かった。

 だから後は、責任を取るだけだ。


 深陽の答えに校長は、ただ「そうか」とだけ言って、子を持つ父親のような気配を漂わせ微笑んだ。




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