31・結城汐里
評価、感想、ブックマークありがとうございます。
少し重い話になるかも?知れませんが、お付き合いいただければと思います。
数十分後、深陽は自警団が所有する救護車に運ばれた。
自立は出来たが、衛生班の人間に首を横に振られて担架に乗せられたのだ。
救護車は深陽の知っている救急車よりも横に広く、深陽は縦ではなく横に寝かせられた。一つカーテンを隔てたところにはアルファルドが同じように横に寝ているらしく、先程から「ルォ゛エ゛エエエ」という雄叫びのような彼の嘔吐声と「はい吐く! 出る限り吐く! 出なくなっても吐く!」という衛生員の声が聞こえる。換気のため窓は開けられていた。
車外まで聞こえそうな声量にアルファルドのことを心配してると、付き添っていた校長が、深陽の左手を取った。
「っ! あ、危ないですよ」
「……いや、どうにも熱くはないね」
先程よりも勢いは弱まっているようだが、左手は炎を携えたままだ。しかし、それは校長の鱗で埋め尽くされた大きな手に移ることなく、彼の言葉通り熱さや痛みも無いようだった。
校長は少し考えるような素振りをすると指を二本揃え深陽の前腕に這わせた。
「……『この鱗は彼の水魚の恩恵』。『災なる者は湖に落ち、今、果ての村の庭で花芽吹く』」
指が押し付けられるようにして肘から手の甲にかけて移動すると、指の軌の炎が焦げたような音を立て煙を出しながら消えていく。
「……魔法を強制停止させたよ。痛みはあるかな?」
「いえ……すみません」
「なんのなんの」
恐ろしげな顔で歯を見せて笑う校長。意図的に、深陽を安心させようとする心が見てとれた。
車内の煙が窓に吸い込まれていく。
直後、隣が静かになったと思うと、カーテンがシャッと開かれやつれた顔のアルファルドがスポーツ飲料の入ったペットボトルを片手に出てきた。
「おや。もう大丈夫なのかい?」
「大丈夫じゃねーよ……朝飯全部出たし喉痛ぇし頭痛ぇしくっせぇし頭いてぇし頭割れる」
「目は?」
「ぼやける」
あー、と気怠そうに目を擦るアルファルドに衛生員が「擦っちゃダメですよー」と言いながら校長に近付く。
「眼球に傷はついてませんでした。でも、しばらくは物が見え辛いと思います。応急処置に魔法はかけましたが、後でちゃんと人界由来の病院に行ってください」
「わかった。ノア団長によろしく伝えてくれ」
「ええ」
「なんで俺じゃなくて校長に言うんだよ」
「貴方だけですと病院に行かなそうですし」
子供のような対応をされたアルファルドが露骨に顔を歪める。
「それじゃあ、僕はこれで」
衛生員は、そう言って救護車から出ていった。
車内に残ったのは、深陽、アルファルド、校長のみとなる。
メーロンは校長の指示で先程学校に戻り、
イザベルは外でイヴとなにやら話している。
簡易ベッドに腰をかけた深陽の正面には付き添い人が座る用の椅子に腰かけた校長。アルファルドは、その二人のやや真ん中寄りの位置で壁に寄りかかった。
外の、自警団と事故の被害者の声だけが、暫く車内の空気を小さく震動させた。
「……この刺青は、魔法が発現したときから?」
沈黙を破り、そう切り出したのは校長だった。
「……」
鋭い獣の瞳に、深陽は少し言い淀む。
ずっと気付いていて、気付かないふりをしていたことを、口に出さなければいけない。その現状が深陽の背にのし掛かる。
「……生まれつきです」
「生まれつき?」
アルファルドが思わずといった風に反復する。それに、小さく首肯した。
「では、『発現』は?」
「多分……四ヶ月前です」
「というと、君が前の高校を退学になった理由と関係あるのかい?」
知っているんだな、と、深陽は口の端が少し歪むのを感じた。
それはそうだ、きっと自分のことを知ったとき、それは真っ先に一つの情報として出てきたはずだ。
錨深陽。十五歳。
東京都内で母と妹の三人暮らし。父は小学生の頃に他界した。
彼の最終学歴は『高校中退』。
理由は──学校の旧校舎を全焼させた放火騒ぎの、中心にいたから。
───
母と──存命の頃の──父が言うには、それは最初、少しサイズの大きなホクロのようなものだったという。
医師にも、「悪いものではない。成長に従って薄まっていく」と言われ、母と父は産まれたばかりの深陽を病院から家に連れて帰った。
普通の夫婦から、
普通に産まれた、
普通の子供。
しかしそのホクロは、薄まるどころか、徐々にサイズを広げていった。
やがてそれは形を変える。分裂し、かと思えばくっつき、やがて──深陽の左肩には、太陽を模したような模様が浮き上がった。
可笑しなその現象を、人の良い両親は気味悪がることなく、ただ深陽の身を案じ何度も病院に連れていった。しかしどの医師も、「身体に悪い影響はない」と首を捻りながら両親に伝えたという。
最後にその模様について病院に行った日は、深陽も覚えていた。彼が三つか四つの日だ。
白い壁に囲まれて、飾られたカレンダーの海の絵を、深陽は退屈を紛らわせようとじっと見ていた。プラプラと足を揺らす深陽を、医師は困った顔で見ていた。
そのとき医師が言ったことまでは覚えていないけど、小学生のときに飲み会から帰った父が内容を溢した。
医師は、善良で人の良い両親にこう言ったそうだ。
「子供に刺青なんて入れさせて」と。
当然と言えば当然だ。もっと曖昧で雲のような形をしていたのなら『巨大化したホクロに困ってる』で通っただろう。しかし、肩にあるのはどう見ても人為的に入れられたような形をした刺青だ。
恐らく医師からすれば、それが自分の正義だったのだ。子供に虐待紛いのことをする若い親に叱咤する自分の姿はさぞや勇ましく映っただろう。
でも違うのだ。
それは、産まれた頃から、深陽の肩にあった。
それは、外からではなく内から滲み出たものだった。
だが、それを、
太陽を模した形をしたそれを見て、誰が深陽たちの言葉を信じるだろう。
両親はその日を境に病院に行かなくなった。
医師に言われた言葉が堪えたこともあったのだろうが、二人の手が伸ばせる範囲で行けた病院はそこが最後だった。
小学生に上がった深陽は、その頃ようやく他の子供には肩に模様が無いことを知り、また、模様があることはあまりよくないことなのだと理解した。
友達は訊く。「なんでマジックで絵を書いてるの?」。
大人は訊く。「これ、お母さんにやられたの?」。
深陽が堪えられなかったのは後者だ。愛する両親を避難する大人の目が恐ろしかった。だから、「産まれたときからあったよ。シンダンショもあるよ」と親に教えられた通りに伝えた。
今思えば、それを心から信じた者は少なかったように思う。だって皆が信じたのなら、『錨さんちはヤクザ』だの『子供に刺青を入れるような親』だのといった噂は流れなかったはずだ。
正しさと間違いを分けるものは数でしかない。
例えば、空の色を、百人中九十九人が『青』と言えばそれは青だ。
ならば空を百人中九十九人が『赤』と言えば、それは赤になる。たった一人、空は青いと主張したとしても。
深陽は、一人、青だと叫んだ。
自分は正しいと。間違っているのはそっちだと、九十九人に向かって訴え続けた。帰ってきたのは異常者を見る目だ。深陽が属す社会において、正しいのは九十九人で、間違っていたのは深陽だった。
それでも──そのときは良かった。
深陽には、父がいたからだ。
深陽の父は強い人だった。
それはなにも、筋骨隆々だったとか、そういうことではない。どちらかと言えば痩せ型だったと記憶しているし、社会的地位が飛び抜けて高いわけではなかった。
ただ深陽の父は、人を懐柔させる術に先天的に長けた部分があった。人の良さそうな性格と筋の通った正しさのある感性。基本的になんでも小器用にこなすくせ、少し抜けたところのある、誰かが手を差し伸べたくなるような人だった。
だから本当に困ったときは父が来て、相手にゆっくりと説明すると、相手はコロリと態度を改める。彼は常に謙虚に接し、しかし自分の主張は通した。親類に対してもそうだった。
深陽の父は、そうして深陽の周囲のわだかまりをどうにかほどいてくれた。
だから大丈夫だった。
嫌な噂が飛び交う程度で済んでいた。
しかし。深陽の父は死んだ。
深陽が小学三年生のとき、交通事故だった。
病院で歯の欠けた父の死体を見たとき、深陽は、泣き崩れる母と状況を理解出来ていない妹に挟まれて、日常が崩壊することを予感していた。
母を慰める者も、妹を抱き締める者ももう居ない。
そして、深陽を護る者も。
父は──父は。
強い人だった。
強すぎて、彼が抜けた穴を補える人など、いないほどに。
深陽の予感の通り、その後の人生は苦しみが付きまとうものだった。
専業主婦だった母はパートと看護学校の両立でほとんど家に帰れず、幼い妹の面倒を見るのは深陽の役割になった。祖母が手伝ってくれていたが、彼女は彼女で夫の介護があり中々時間が作れなかった。
それだけならまだ良かった。
ぼろぼろと崩れていく生活を立て直そうとする一家を邪魔したのは──深陽の左肩だ。
陰口から始まり、机に雑な字で『イレズミ男』と落書きされるようになり、半袖を着れなくなり、中学に上がる頃には教師から眉を潜めた顔で見られるようになった。
なまじ深陽の雰囲気がどこにでもいそうな大人しい印象だったのも、その刺青を悪い意味で不気味に際立たせてしまったのかもしれない。
奇異な目で自分が見られることはいい。我慢できた。けれど、そのせいで妹まで「お前ん家ヤクザなんだろ」と言われていたことを知ったときは、さすがに堪えた。
だから深陽は、高校は同じ中学の生徒がいないだろう学校を選択した。
とは言えあまりに遠いと交通費の負担がかかる。だから、人気の無い、柄の良くない学校、という意味で選んだ。
どんな季節でも長袖を着て、三年間隠し通そうと決意して。
思惑通り、入学した幾倉高校には過去の深陽を知る者は居なかった。
ただ困ったのは中学までの経験から若干の人間不信に陥っていた深陽自身の心が作り出した無口さだ。挨拶されても上手く返すことが出来ず、遊びに誘われても足が前に出ない。
学校という社会に置いて最初の印象がいかに大事かは解っていたが、隠し事をしている後ろめたさとそれが露見したときの未来を想像すると、どうしても勇気が出なかった。
二週間程して、社会の中にさらに小さな社会が形成される。
そこから取り残された自分自身を見て、深陽はただ静かに、「終わったな」と感じていた。
昼食は人気の無い旧校舎で取り、グループ分けの話が出ると体調不良を装って然り気無くやはり旧校舎に逃げた。
けれど、そんな日々の中で、ただ一つささやかな幸せがあった。
それは、誰もやりたがらない美化委員会で委員長を務めていた、結城汐里との交流だった。




