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28・地の下

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 コローナ・ボレアリス学院。十五階の螺旋階段下。


 目的地に着いたメーロンとイザベルは、荒くなった息を落ち着けながら幅広の手摺に置かれた本を見詰めていた。


「……これが?」


 やや厚みがあること以外、何の変鉄もない本を差して問うたメーロンに、イザベルは頷く。


 広い広い中央塔の片隅。外観だけは大層立派な螺旋階段は、あまり生徒に使われている様子は無い。そんなところに隠されるように設置された本は、ステンドガラス製の窓からの輝きを受けてちかちかと紅色の表紙の色彩を僅かに変化させていた。


 メーロンは本の最後のページを開く。記された貸出し履歴を見ると、最後に『アルファルド』『錨深陽』とあった。これは、今まで魔力を使って(・・・・・・)この本を通った者を示すものだ。


「……ミハルの名前がある……あの子は、魔法が発現してないんじゃ……」


 授業時、発現していないと挙手していた深陽の姿を思い起こす──嘘を吐くような人物には見えなかったし、嘘を吐く必要も無いはずだ。しかし履歴欄には、確かに深陽の名が刻まれている。


 混乱する思考を落ち着かせるように前髪をくしゃりと手で掴むメーロン。

 憎々しいほどに弱い肉体がただの小走りにさえ付いてこれなかったのか、呼吸を荒くする形で悲鳴を上げているのが苛立たしかった。


「メーロン先生、落ち着いてください。二人の行き先、わかりますか」

「……!」


 背後からかけられたイザベルの言葉にハッとし、前髪から手を離してそれを本の上にかざす。


「『この花弁は一族の赤き未来』」


 魔力菅に蓄えられた魔力が腕を伝い、手のひらに集束する。それを静かに本へ写し、問うように呪文を唱える。


「『足跡を踏め。足音を辿れ。九つの光の梯子が宝を照らすだろう』──」


 壁に反射した声が響き終わりかざした手を退けると、本が風も無いにも関わらずバラララ、と捲れた。やがて開かれたページで、今度は綴られた文字のいくつかが宙に浮き、一つの言葉を作り出した。

 

 ──『コローナ島・東の繁華街』と。


「っ!」

「外……!?」


 行くはずがない──否、行けるはずのない場所を記され、二人の眉が厳しくしかめられた。深刻さを増した事態にイザベルが「メーロン先生……!」と判断を求める。


「イザベル、『八剣(やつるぎ)』に連絡を」

「はい!」

「僕は校長に──」

「──私?」


 「このことを伝えに行く」と続けようとしたメーロンの言葉を遮って降ってきたのは、地を震わすように低い慣れ親しんだ声だった。


「校長、」


 螺旋階段の上部。二人を見下ろしながら降りてきたのは、長いローブを揺らす校長の姿だった。僅かに首を傾けている様子を、メーロンは校長が事情が飲み込めていないときにする癖だということを知っていた。


「メーロン先生がアルファルドを探していたと生徒に聞いたのだけど……どうかしたのかい?」


 案の定、校長は不可解そうな声色でそう聞いた。


「校長、アルファルドとミハルが学校の外に」

「外? ……君の授業を?」

「サボタージュではありません。この本を通った際……恐らく意図的ではない形で外に転移させられました」


 メーロンの報告に校長は獰猛さを携えた眼を細め、いっそ上品なほどにするすると階段を降りきる。そして、手摺に置かれた本にその鋭い爪をコツ、と当てた。


「…………」


 「校長先生?」イザベルが静かに本を見詰める校長に声をかける。


「……可笑しいね」

「え?」

「私は、こんなところに本を設置した覚えは無いよ」


 緑と、銀と灰。

 校長の言葉に三色の瞳がステンドグラスの光を飲み込むほどに見開かれたとき。


 遠くで、地鳴りの音が響いた。



───

 


 コローナ島・繁華街。



 は、と息を吐き出して、深陽は覚醒した。


「……っう、ゲホッゴホッッ……!!」


 同時に、喉が痛んでいて反射的に咳き込む。砂利にまみれたような感触をどうにかしようと唾を飲み込もうとしても、その意思を嫌な咳が上書きする。仰向けの体。起こそうとしても何かに引っかかったように動けない。それに加え、手足や腹、頭、背中、どこに意識を向けてもズキズキと痛む。


「いっ、……て……」


 ようやく咳が収まった頃に出た言葉は、体が全力で叫ぶことを代弁したものだった。


「ここは……?」


 目の前に広がっているのは圧迫するような暗闇だった。何も見えず、何も聞こえない。鼻につく土埃混じりの焦げた空気は最悪と言っていいほど不快だ。


 一体なにが起こったのか、と混乱しつつある思考を巡らせる。


 ──たしか、街にいて……。

 ──地面が…………割れた?


 手繰り寄せた記憶は酷く曖昧だが、この暗闇と膜が張ったように音の通らない空間から、恐らく地上ではないのだろうと推測した。


 物凄く突然な地盤沈下か、それとも陥没か。

 地震によって地がずれた際に亀裂が入ったのか。

 あるいは、もっと魔法が関わっている深陽には想像のつかない災害か。


 どれにせよ、状況は良くない。


 ──そうだ、アルファルドは。


 一緒にいた友人の姿を探そうと回りが見えないとわかってて思わず視線を転じさせたが、まだしばらく目が慣れる様子は無いとわかると深く息を吐き出して周囲の気配を探る。

 しばらくすると、いくつかの呼吸音が聞こえてきた。

 それから呻き声。カラカラと小粒の石が転がり崩れる音。

 正確な数はわからないが、深陽の他にも何人か巻き込まれたようだ。その中にアルファルドもいるのかもしれない。


 ──あの繁華街、人が多かったしな……。

 ──早くどうにかしないと危ない。


 逸る気持ちを抑え、次に深陽は仰向けの体を動かせないか試した。

 腹や肩、特に右足に強い圧迫感がある。恐らく崩れてきた岩や建物の瓦礫が乗っかっているのだろう。試しに足を動かせば、貫くような激痛が体を痺れさせた。が、同時に、圧迫感がわずかにずれた。


 ──これなら。

 

 深陽はまた深く息を吐くと、唇を噛み締めて右足を動かした。


「っう、ぐぅ……!」


 ブチ、と唇が切れる音がした。額に脂汗が滲む。眩暈が眼前を支配して黒を黒で混ぜたが、しかし痛みが増せば増すだけ圧迫感は解放されていく。

 数十秒かけて、足を障害物から引き抜いた。

 止まっていた血が流れ出すとジリジリと痛みを訴える。その調子で腹のものを退かせば、体は随分と楽になった。


 そしていざ身を起こそうとする。が、体自体は動くのに、何かが引っかかって再び背中と地面がくっつく。

 どうやら、ローブが何かに挟まってしまっているようだった。

 何度か引っ張ってみるが、取れる気配は無い。


「……」


 仕方なく腕を引き抜き、ローブをその場に置いて、深陽は体位を変えた。


 ゆっくり膝立ちになってみると、半ばあたりで頭をぶつけた。手探りで前に進む。縦には狭いが、横にはしばらく続いているような感じだ。

 恐らくこの奇跡的な生存は、ローブの『死』の回避の効果だろう。でなければ、すぐ頭上のところで偶々空間が空くなんてこと、よほどの豪運の持ち主でないと成し得ないことだ。深陽は置いていってしまったローブのことを申し訳なく思いながら、四つん這いで道なき道を進んでいった。


 掠れた声で「アルファルド」と名前を呼ぶ。

 暗闇の先からまた暗闇が覗き、

 硝子混じりの地面に手と膝をついて進むせいでいくつも細かい切り傷が出来る。

 それでも深陽は、埃をくっつけて痛みを訴える喉を使う。


 早く見付けて、判断を仰がなければならなかったのだ。


 深陽は無力だ。

 今の彼にはこの状況を打破出来る知識も力も無いし、ついでにそれを悔やむ時間も存在しない。こうしている間にも、誰かが瓦礫に挟まれて呻いている筈だ。

 だから早くアルファルドを発見し無事を確認しあったら、あの優秀な彼に自分に出来ることを教えてほしかった。

 それは依存や従属に近い思考回路ではなく、深陽の中で最も合理的な判断だった。


 もう一度名前を呼ぼうと、息を吸った、そのとき。


「──?」


 ──変な、臭いがする。


 嗅神経が埃に混ざって漂う臭いの情報を神経インパルスで伝達する。しかしそれは少しすればふっと消え、感じなくなる。


 ──勘違い?


 確かめようと首を伸ばして鼻をひくつかせようとしたとき、前方に動かした耳が低い呻吟を拾った。


「……ッソ…………、……い……」

「……! アルファルド!」


 聞き覚えのある声のした方へ手を伸ばすと、肘の関節が伸びきる前に阻まれた。ぼこぼこの岩壁のようなものが、深陽と相手の間にあるようだった。


「……! ミハルか……!」

「ああ。アルファルド、怪我は」

「あー、満身創痍。こりゃ病院でセクシーなナースに看病されなきゃ駄目だな」

「なんと……。脱出したら病院の先生に頼んでみよう」

「お前ほんと冗談通じねぇな……」


 深陽は、ナースの色気云々でアルファルドの回復具合が変化するとは──精神的に関わるとは思ったが──信じていなかったが、彼が今、魔法が使えないような状況であるのは理解した。もしアルファルドが軽傷であれば、これだけ意識がはっきりしている彼はとっくにこの場の打開策を見付けているはずだからだ。


「……魔法、使えそうにないか」

「……そうだな。……お前の方は?」

「大した怪我は無い。ただ、外に繋がる出口が見付からない」


 ごめん、と言いながら、深陽は壁を押してみた。びくともしないが、どこかに隙間があるらしく声は届く。指の腹で引っ掻いてみるが削れる気配は無い。拳を打ち付けてみても、鈍い痛みが手に広がるだけ。


「アルファルド、そっちに何か使えそうなものないか」

「使えそうなもん?」

「スコップ? みたいな……」

「……」

「……アルファルド?」

「……お前、あんまこっち来んな」

「え?」


 間の抜けた声を出してゲホ、と一つ咳を払った。


「どうしてだ?」

「……あの繁華街、隣に工場があんだ。多分そこが崩れたんだろな」

「……?」

「気付かねぇか。臭ぇんだよ(・・・・・)。目と肌に染みてさっきから気分が最悪なとこ見るに、多分毒性のあるガスが漏れてる」


 アルファルドの言葉に、喉が震えた。

 先程の腐った卵のような臭い──閾値の低い嗅覚がもう慣れてあまり感じなくなったが、この壁を隔てた先に、それがある。


「──ならっ尚更早く……!」

「まぁ聞けよ。俺らが授業に来ねぇこと、メーロン先生なら疑問に思うはずだ。それにこんだけ酷ぇ崩落なら自警団がすぐ駆け付ける。今下手に動くより、外からの救助を待った方が良い」

「……それは、どのくらい時間がかかる」

「到着すんのは五分もかかんねぇだろうよ。……でもなぁ、避難誘導と救助を同時にってんだとちっとは時間がかかるかも知れねぇ。早くて三十分。この場所が深かったらもっとかかる」

「ガスの様子は?」

「空気より重いっぽいから、今俺のいるとこの下のとこに溜まってるんじゃねえかな。……あ、」

「どうした?」

「喉も痛くなってきた」


 アルファルドの報告のような言葉に、深陽は口をつぐんだ。


「……はぁ」


 一つ、溜め息。

 例えばここでこの頭上に穴を空けられる力があったとして、

 えいと殴ってみても、恐らく崩れてきた瓦礫で再び危険な目に遭うだろう。

 横のこの壁を崩せる力があったとしてアルファルドと一緒になれても、

 そこからどう動けばいいのかはわからない。


 近くに金属製のものもないため、音を出して外に居場所を伝えることも出来ない。喉は嗄れ、掠れた小さな声では届かないだろう。それをやるくらいなら静かにして体力を温存する方が懸命だ。


「……っ」


 無力だ。

 友人が危険な状況にあるのに──深陽には何も出来なかった。


 

 それからどれくらい経ったか。ただじっと踞った。

 背中と尻に固い破片が突き刺さる。青あざになるだろうなと、遠くで思っていた。

 目は暗闇に慣れたが、だからと言って光が見付かるわけではない。自分の呼吸音だけがその場を支配している中で、救助の声が聞こえることを願っていた。そんなとき。


「ミハル」


 隣から、久々に声がかかった。

 アルファルドだ。だがそれは、たった一言だけでもわかるほど、なんとなくふわついている。


「なんだ?」

「お前、前の学校、退学になったんだっけ?」

「え……あ、ああ」


 珍しい質問だった。

 アルファルドはこれまで、深陽に前の学校のことを訊いたことなどほとんどない。精々、「日本人の女ってあんま大和撫子感無いってマジ?」と冗談混じりに言ったくらいだ。

 訝しみながらも次の言葉を待つ。


「なんで退学んなったんだっけ?」

「……その……」

「あー、放火? だっけ?」


 ──心臓に、剥き出しのナイフが突き立てられたようだった。


 何故、どうして、と渦巻く疑問が思考を掻き乱し口を塞がせる。

 違う、と否定したかった。

 けれど出来ない。

 

「……あ? ……違ぇ。悪ぃ。なんか、」

「……?」

「…………っ!」


 手足が冷える中、隣でくぐもった唸り声の後びちゃびちゃと泥水が落とされたような音がした。

 ──吐瀉音だ。  


「アルファルド……!?」


 ゲェ、と再びえずく声。


 普段と違う言動。

 意識が朦朧としているような発言。

 嘔吐。


 このときになって、深陽はようやくアルファルドが非常に不味い状態になっていることに気付いた。


「アルファルド!」


 抱えていた膝をほどいて膝立ちになったとき──ぐらりと視界が傾く。


「な、」


 慌てて地面についた手に鈍い感触がする。が、痛みが無い(・・・・・)。硝子と尖った瓦礫が混ざったそこに勢いよく手をぶつけたのに、そんなはずない。けれど、深陽の脳は痛覚をキャッチしていない。


「は、は、は……」


 危機感が視界を染め上げる。

 いつの間にか吹き出していた汗が顎を伝って手の甲に落ちた。自分の状態がわからない。

 何故、舌を出して呼吸をしている?

 何故、体が震えている?

 何故、あーあーと声を出している? 

 わからない。わからないが、段々と、思考がぼやけてきて、慣れたはずの景色がまた徐々に端から黒色になっていく。


「……ぁ、」


 信仰していないはずの神になにかを祈って、

 深陽は抗いがたい脱力感に身を任せた。






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