27・意図しない転移
瞬きの後に広がる光景は中庭で、アルファルドは「いつの間に」から始まる困惑を深陽にぶつける──
──はずだった。
目に飛び込んできたのは芝生でもメーロンの姿でもない。
「ハァングァヴァ新作だよー! 今はうちの屋台だけ! 売り切れない内に買った買った!」
「あっぶねーな、ぶつかってくんなよ!」
「お前がよろけたんだろ!」
「やべ、バス逃した」
「次の何時?」
あったのは、何百にも重なって反響する喧騒と近代的なビル、アスファルト。百鬼夜行のごとく列を成す人でない者たちが作り出す活気。
「──外?」
学校外、という意味で深陽が呟いた。
「……」
「行き先を間違えた……?」と続ける深陽の横で、アルファルドは嫌な予感が脳を満たすのを感じていた。
学校にある『本』は、学校内しか移動しない。『本』による転移は、その距離がページ数によって決まっているからだ。距離が長ければ長いほどページ数は多く必要で、外までとなるとその厚みはおよそ人が手で抱えるほどではなくなる。だから生徒は、本をいくつか『経由』して移動を行うのだ。
あの階段下にあった本は確かに他のものよりも厚みがある。アルファルドの言った『近道』とはそういう意味だ。
だが、だからと言って。
──学校外、繁華街の真ん中は、どう考えても距離が長すぎる。
──ミハルの『自己提示』に反応した?
──いや、違ぇ。
──そんなもん、時期がくれば魔法使いは誰だって『自己提示』が出来るようになる。それが決まった法則に反する話なんざ聞いたことねえ。
──だとしたら。
飲んだ息が喉を伝ったとき、
遠くで、学校の鐘が授業の開始を合図した。
───
同時刻。
コローナ・ボレアリス学院・中庭。
チャイムが鳴っても一向に現れる気配の無い二人の生徒に、メーロンは「困ったなぁ」と眉を寄せ後頭部を掻いた。
──アルファルドはともかく、ミハルは真面目そうだからサボりなんてことはないと思うけど……。
──もしかして迷った?
──いやいや。アルファルドがいてそんなことは……。
その内来る、と授業を開始してしまうことは簡単だ。
しかしここは魔法学校。学校にかけられたなんらかの術式に巻き込まれたり、校内を歩いていた魔法生物を怒らせて追いかけられたりなんて事件も何度かあった。
慎重だ、と称されるメーロンの性格。それと自分の直感を信じることは、虚弱なこの身をいつも守ってきた。
だからメーロンは、この瞬間もまたそれに従った。
「……『この花弁は一族の赤き未来』」
一言、二羅──メーロンはそう唱えると、身を二つに分かち、片方で授業を、もう片方で二人を探しにいくことにした。
「頼んだよ」
「そっちこそ」
二人のメーロンはそれぞれにそう言い、一人は生徒の前に出て、一人は塔の方へ向かった。
昨日よりは静かにしてくれている生徒たちを尻目に塔内に入り、大抵いつも生徒が使って出てくる本を見に行ったがそこに二人の姿はない。
前の時間が弟のフラゴラが行っている魔法創造学と知っていた彼は、教室を見に行ってみようと本を通って十五階の教室まで上がった。
──居ない。
三限が休校なのだろう生徒たちが廊下をキョロキョロと見渡しながら歩くメーロンに「あれー、メーロン先生だぁ」「授業はー?」と声をかけてくる。
「ねぇ、君たちアルファルドを見なかったかな?」
「アルファルド? って、あの一年の?」
「見てないよー。サボりじゃないの?」
「う、うーん……」
直ぐに自主休講の疑惑をかけられてしまうアルファルドの印象に苦笑しつつも、メーロンは頭の中でそれを否定する。
アルファルドは確かに真面目な生徒とは言い難い。周囲が求めても、自分に必要だと思うもの以外をぶっつりと切り捨てるところがあるからだ。
しかし彼は──魔法に対しては意外と思うほど真摯な面がある。それに、なによりメーロンは生徒に無断で欠席されるような態度で授業を行った覚えは無かった。
生徒たちと別れ再び廊下を歩き出す。近くに、もう一つ置いてある本を目指し曲がり角を曲がったとき──眼前を金糸が遮り、それがドッと胸を打った。
「あっ、」
「あたっ!」
衝撃で一瞬瞑ってしまった目を開けると、そこには毛玉とも言えるボサボサの金髪の生徒が倒れていた。急いでいたため無意識に早足になっていたせいだろう、結構な勢いでぶつかってしまったようだった。
「ご、ごめん、大丈夫かい?」
「いやいやこちらこそ……、あれ、メーロン先生?」
顔を上げ、メーロンが差し出した手を取ったのはイザベルだった。野暮な黒渕眼鏡の向こうでふわふわ笑いながら「先生が慌ててるなんて珍しいですねぇ」なんてのんびりと話す彼女は、先程話した生徒と同じく三限の授業が無い四年生だ。
立ち上がった彼女が相変わらずシワの目立つローブを叩きながら「どうかしたんですか?」と訊く。
「一年生……アルファルドとミハルが授業に来なくて。探しているんだけど、見かけなかったかな?」
「うーん、……今のところ蛇のローブの子は見てないですよ」
「……そう、か。ありがとう」
「あ、でも」
背を向けかけたメーロンに、イザベルが思い出したように声を上げる。
「螺旋階段は行ってみましたか?」
「螺旋階段?」
「あそこ、手摺のところに本が置いてあるんですよ。夏前にアッ君と見かけて、『穴場見付けちゃったね~』ってことがあったから、もしかしたらあそこを使ったのかも……」
「……案内してもらっても?」
「もちろん」
ローブを翻したイザベルに続くようにメーロンが足を早めた。
「……『直感』ですか?」
四年間。学校に在籍していた分メーロンと付き合いの長いイザベルが、彼の真剣な目付きを盗み見ながら苦笑して訊いた。
「ああ。笑うかい?」
「いいえ。魔法使いの直感より鋭いものなんて、女の勘くらいでしょう?」
冗談混じりに口角を上げたイザベルは、背を押されるように歩くスピードを上げた。
───
コローナ島・繁華街。
遠くにビルが見える。黒くて高くて、太陽の光を反射するそれは、深陽が編入試験の日に倒れてきたものとよく似ていた。
──似ている、というか。
──建っている位置と言い……同じもののような。
しかしこんなに早く再建するのだろうかと深陽が首を捻ったとき、アルファルドが深陽の肩を叩いた。
「ミハル、学校に戻んぞ」
「あ……、そうだな」
そう言う友人は何か険しい顔をしていた。
ようやく慣れてきた『本を通る』という行為。それが失敗して、深陽たちは校外にいる。
学校との位置関係を探ろうと辺りを見回していると件のビルを見付け、ぼんやりしてしまったから、この友人はそれに怒ってこんな表情をしているのだろうか──深陽はそう思いながら、やけに足早なアルファルドの背を追った。
「……アルファルド」
「んだよ」
感情を探る意味も込めて呼んだ名前に対して返ってきた声に含まれていたのは、怒気ではなく、どちらかというと焦燥に近かった。
──なにか、不味いことが起こっているのか?
魔法、という深陽にはなにもかもが初めての法則。受け入れられるようになっただけで、深陽はまだその法則の正誤は理解していなかった。
アルファルドはこの繁華街に飛ばされてからどうにも様子が可笑しい。表情には汗が滲みそうで、声も早口だ。
「……あの本、学校外に繋がることがあるのか?」
深陽が問うと、人混みを無理矢理掻き分けていたアルファルドが少しスピードを落とした。そして、
「ねぇよ」
とだけ短く答え、ポケットから煙草のケースを取り出した。
普段口数が多い方のアルファルドのそれに、これは相当だ、と深陽は察する。
──なにか、
──嫌な感じがする。
カチ、とアルファルドがライターでシガレットに着火しようとする音を聞く中で、自分の心臓部分に手のひらを当てる。普段より多く血液を送り出している体の要のせいか、耳にザーザーと血が流れる音が五月蝿い。それにカチカチカチカチと途切れないライターの音と周囲の喧騒が混ざって、脳が、揺さぶられる。
「くそっ」
アルファルドが悪態を吐いてポケットにライターを締まった。オイルが切れていたらしい。
そのとき、擦れ違った筋肉質な男性と肩がぶつかり、ふらりと体が揺れた。同時にバランスを取ろうと動かしたために視界に入った──自分の左手。
──『この左腕は』、
意に反した転移をしたことで話題が流れていったが、あのとき──本に手を乗せたとき──確かに深陽は自分の口で自己提示をした。
誰に教えられたわけでもないのに。まるで呼吸をするように、眠気に身を任せる瞬間のように、あれはごく自然に身の内から生まれた言葉だった。
きっと喜ばしいことのはずだった。
教師と教科書の言う『発現』ができていない深陽にとって、あの自己提示は深陽が一歩魔法使いに近付いた証だったのだろう。
けれど──。
『左腕』というキーワードが、深陽の表情を曇らせた。
──『左腕』。
──『火花』。
退学理由である事件とそのキーワードが繋がり、嫌な記憶が深陽の首を絞めているような感触がした。
「……っ」
それを振り払いたくて首を左右に振る。ぱさぱさと揺れた短く切り揃えた前髪の向こうにやや小さくなったアルファルドの背中を確認すると、深陽は小さく駆け出す。
た、と鳴ったローファーとアスファルトがぶつかる音。
それに紛れて、
ふと、鋭い音が耳に届いた。
「──?」
小さな小さなそれだったが、確かに人が蠢くときに発する騒音の合間を縫って聞こえたのだ。
バシ、
パツ、
と。
聞きなれない不気味な音が、耳奥を侵す。
初めは、アルファルドがまたライターを着けようとしているのかと思った。
けれど音は前方からでは無く、もっと低く深いところで鳴っている。断続的で不規則で大小異なって、何度も何度も────何度も。
バキッ、と、
何か決定的な不快音が神経に突き刺さった。
「──アルファルドっ、」
浅黒い靄のような不安が、喉奥から競り上がり、悲鳴のように友人の名を呼んだ。それに答え振り返った彼は、眉を寄せて深陽を見て──次の瞬間、破れるように大きく眼を開いた。
「離れろ!!」
伸ばされた手。
揺れるドッグタグ。
ひゅぅと鳴った自分自身の呼吸音と地がひび割れる音が混ざって、
深陽の体は地面の亀裂に吸い込まれていった。




