25・その分岐点
生徒達が中央塔に戻った後の中庭で、メーロンは自分の分身と向かい合っていた。
「「『この花は一族の赤き未来』」」
二人がそう同時に唱えると、
一つの肉体がもう片方に吸い込まれ、元のただ一人の『メーロン』がそこに立っていた。
ぐ、ぱ、と何度か確認するように手のひらを開いたり握ったりして、自分の意思通りスムーズに動くことに納得すると、彼も自分の研究室に戻ろうと一歩踏み出した。
と、
その瞳に、チカリと何かがぶつかった。
「っ?」
思わず閉じた目蓋をそろりと開くと、チカチカと何かが反射している。おや、と小さく驚きながらその何かを地面から拾い上げた。
「……誰か忘れていったのかな」
彼の手の内に収まったのは濃紺色の球体。
先程授業で使った『小型魔力タンク』だ。
──しかたない、『寮の番人』に言伝てを頼もうか。
そう溜め息を吐いたところで──メーロンはふと、その石をもう一度視界に入れた。
生徒達に説明した通り、この石は使えば使うほど色が濁り、最後は光を反射しなくなる。
この授業では生徒達は動作確認のため最低二度は使っている。
なのに、石は少しも濁ること無く、沈みかけた太陽の光を痛いほどに反射している。
つまり。
──あの中の誰か、
──自分の魔力で毒の鎧を纏った子がいる。
魔力の受け皿を体内に保持し貯蔵しているにも関わらず、それを外に放出するまでに至ってない魔法使いを俗に『魔法が発現していない』と表現する。
魔界では病の一つに数えられるが、人界でそれが発生している魔法使いは多い。
だが、それはあくまで自己申告制。
──誰か既に、魔法を自力で使っていた?
──……それとも発現していることに気付いていないのか……。
──しかし、発現した瞬間がわからない子なんて……。
発現した際は明らかに不可解な現象が起こるため、普通なら自覚があるはずなのだ。
メーロンはしばらく眉を寄せ思い悩んだが、宙に文を描くと、息を吹きかけてそれを送った。宛先は校長──それにアルファルド。
「……一体、誰が?」
疑問を乗せた小さな呟きは、誰に届くこともなく空に吸い込まれていった。
───
中央塔男子寮・18号室。
「──あれ?」
涼やかな湿り気のある室内でローブを脱いだとき、深陽は思わず小さな声を上げた。
内ポケットに入れたはずの球体の感触がない。
まさか、とポケットに手を入れると、その指が思いの外深く刺さりもう一段階驚きが増す。携帯端末が入るほどの大きさのポケットの底に、穴が開いていた。それもかなり大きな。
──落と……、
──落とした!?
買ったばかりの新品の制服。何かに引っ掻けたのか縫い目がほどけたのかわからないが、それにさっそく穴が空いたこともショックだったが、教師に貰った大切な石を言われた側から無くしてしまった自分の失態に、頭の痛い思いがした。
「なん、どうした」
背後で上着を脱いでベッドに放っていたアルファルドがローブを中途半端に肩にかけたまま固まった深陽に声をかけた。ラフなTシャツ姿で深陽の手元を覗き込むと、可笑しそうにフッと鼻で笑う。
「穴? お前ついてねぇなぁ、それ一昨日受け取ったばっかだろ?」
「あの青い石を落としたみたいで……」
「メーロンせんせ生徒に甘ぇから正直に言やぁくれると思うぜ。……あーでも今日は会議あるか……、明日だな」
肩を落とす深陽に「次から気ぃつけりゃいいだろ」とポジティブな言葉を続けるアルファルド。苦い顔をしつつもそれに頷き、ハンガーにローブをかけた。ついてないなぁ、と彼に言われた通りの言葉をそのまま舌の上でだけ復唱し、沈んだ気分を上向かせようと一度大きく息を吸い込んだ。
──確か、明日も演習があったな。
──そのときに言おう。
本来水曜日の時間割りは、
一限:魔法創造学
二限:魔法創造学
三限:魔法技術演習
四限:魔法技術演習
となって、昼で終わりになっている。
これが今日の政治の授業と四限が入れ代わり、明日は四限が政治に変更されている。
よって演習は一限しかないが、授業後に話す時間くらいはあるだろう。なんて言って謝ろうかと深陽が考えていると、背後で、カタタと物が小さく揺れる音がした。
「……?」
アルファルドがなにかやっているのだろうかと振り返る。
しかし、彼もまた深陽と同じように不思議そうな顔をして音の発生している方に目を向けていた。
その先にあるのは、部屋のドアだ。
蝶番が擦れているのか、それともドアノブが揺れているのか、小さく音を立て続けるそれを見ていると、ドアの隙間からするりと何かが部屋に入ってきた。
淡い黄金色をした、小さななにかたちの集合体。それが綴られた文字だということがわかったのは、それを見たアルファルドが「あ、俺宛てか?」とさも手紙でも受け取るように、浮かんでいるそれに指で触れたからだ。
「手、紙?」
「おう。メーロン先生からだ」
にわかに信じられない光景だが、そんな魔法でもあるのだろう。読もうとしても何語か理解する以前に何故か文字群に靄がかかるところから、宛先の人以外には読めない魔法にかかっていることが推測できた。
「……」
しばしそれに目を走らせたアルファルドだったが、ふとその伏せた睫毛を驚いたように上げたかと思うと、二つの蒼色が深陽を射る。
──穏和か剣呑かで言えば、後者の眼差しだった。
「……?」
彼は視線を戻して、連なった文字を再び追う。
深陽は、その場から動けなかった。
バレたのではないかと思ったのだ。
誰かが、見ていて、
知って、
彼に伝えた。
何のためにも何もない。──拡がるのは、いつだって一瞬だった。
「ミハル」
アルファルドが呟くように名を読んだ。
出会ったときと変わらない──低く掠れた、しかしどこかよく通る声。
なんだ、と返したいのに言葉は喉を過ぎず、だからと言って聞こえないふりも出来ない。何かを訊こうとしている予感が深陽の喉を締め付けて、視線をアルファルドに縛り付ける。
そんな深陽の様子を感じ取ってか、
アルファルドは返答がないまま再び口を開いた。
「──お前明日、四限の政治んときに校長んとこ来いってよ」
「……え?」
「良かったな、また政治が潰れたぜ。まぁどっかで振り替えだろーけど」
アルファルドはそれだけ言うと、一つ欠伸をしてドアの方へ歩を進めた。
「ま、待ってくれ」
思わず口からそう出る。高価そうな靴がコツ、と音を立てて止まった。
「あ?」
「……それだけか?」
「なにが」
「いや……」
停止を求めて中途半端に浮いた左手の手のひらに、汗が滲むのを感じる。振り返った素っ気ない蒼眼は、黒い前髪の向こうで真っ直ぐに深陽を捉えていた。
「お前がなんもねぇっつーなら、なんもねーんだろうよ」
彼はそれだけ言い放って、部屋から出た。
重い扉が閉まる音がして室内に静寂が満ちる。
伸ばした左腕。まだ暑い季節だというのにカーディガンで包まれたそれ。酷く不快に感じて、深陽はギュウと拳を握り締めた。
───
男子談話室の床に靴底を着けたアルファルドは、ズボンのポケットから煙草のケースを取り出すとシガレットに火を着けた。
生徒のほとんどは遊びにいったり早目の入浴や夕食に向かって談話室には居ない中、カウンターに向かいながらただ一言、
「……ナンセンスだぁな」
と、くぐもった口癖を、シガレットと唇の隙間から煙と共に吐き出した。




