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23・ソリスト



 同室の友人が居ない間、深陽は明日の予習に勤しんでいた。

 といっても、世界史や英語はともかく、魔法系の教科書はなにやら専門用語が多い。昼間「面白そうって思ったやつにしねぇと後々キツイぜ」というアルファルドの助言通り気になるものを選択したが、それがまずかっただろうかと少し悔やむ。


 ──ん?


 ふと、深陽の目に一つの用語が留まった。


 ──『独奏者(ソリスト)』?


 他にある意味のよくわからない用語よりも耳に親しんだ発音だ。それは、中学生の頃の合唱コンクールで合唱部の少女が単独で任された役割と同じ名称で。


 ──多分同じ意味だよな……。『ソロ』部分の演奏を行う『ソリスト』。

 ──どうしてここだけ英語なんだ?


 なになに、とその下に続く説明を読む。


 『他者と共有することのできない稀少な魔法及びそれを使用する魔法使いのことを魔界では『点在する八柱(ヴィ・ガナ・ラグノゥイア)』と呼んだ。最近は人界出身の魔法使いが『独奏(ソロ)』と通称したため、発音のしやすさから、その魔法自体を『独奏(ソロ)』、魔法の使用者を『独奏者(ソリスト)』と呼ぶようになった』。


 ──へぇ。

 ──誰にも使えない、その人だけの魔法ってことか。

 ──『八柱』……ってことは八種類あるのかな。


 苦手な政治の予習から逃げ出すように──というより、事実逃げて──明日やるわけではない魔法創造学の教科書に目を滑らす深陽。


 ──……。

 ──そろそろ、現実に戻ろう……。


 創造学の教科書を閉じて世界政治の教科書を手に取る。


 ──暗記苦手なんだよな。政治に興味があるわけでもないし。

 ──でも必修……。


 ちらりと教科書を開く。

 興味の引かれない文字列。内なる深陽が『あっ駄目だ』と拒否反応を起こす。


 ──……や、やりたくない……!

 ──政治の先生、すみません……!

 ──俺には無理です……!


 深陽はまだ政治の授業を受ける前である。

 授業に着いていけてないわけでもなく。

 先生とソリが合わないわけでもなく。

 ただ教科書を一ページ開いてみただけで、意識レベルからこの有り様。


 そんな調子でペンを握り締めた手を震わしていると、ふと、廊下から何か音が聴こえた。


 ──?


「──アー……──アーアアー──…………」


 ──歌?


 不思議なものだった。壁や扉を最低一つは隔てているのに、すぐ近くで聞こえてくるようで、すぐにそれがなにかのメロディだと理解した。聞き耳を立てると、少女のような女性のような声が、徐々に言葉を乗せてくる。

 

「『大統領が──お出掛けに──……代わりの魔法使い、変身するわ──でも最後にはばれちゃって……──慌てて入れ換え、ごめんなさい』」


 透明感のある声だ。その歌が何度か繰り返され、終わったのは五分ほど経った頃だった。


「……大統領が入れ換わって……? 選挙の話か?」


 最近ニュースに流れた話題を記憶から掘り起こし、歌詞と照らし合わせてみる深陽。しかし新しい大統領が魔法使いだとか慌てて元に戻ったという話も聞かない。


 そもそも今のは一体、と眉を寄せたところで、

 部屋のドアが開きアルファルドが帰ってきた。


「アルファルド」

「よう。伝達聞いたな?」

「伝達、って……もしかして今の歌が?」

「おうさ。ありゃ(エリカ)が歌ってんだぜ」

「エリカ……?」

「あー、羊の角に咲いた花とおんなじ目の色した喋らねぇ奴だよ。昨日会ったろ?」


 アルファルドの説明に、深陽は四季のことを思い出す。アルファルドはエリカと呼んでいるのか、と納得し「ああ」と相槌を打った。


「今のは『明日の政治の授業が魔法技術演習と入れ換わる』っつー連絡だ。こーゆーのは校長が(エリカ)に伝えて、(エリカ)が俺らに伝える」

「なるほ…………えっ、政治が?」

「ん? ああ」

「無いってことか? 明日?」

「だからそうだっつーの」


 「話聞いてねーのかよ?」と呆れ気味で懐から煙草を取り出すアルファルド。

 それを見ながらも、深陽の眼球の奥で歓喜の蕾が目を出す。


 ──明日政治が無い。

 ──明日! 政治が無い!


 何度も言うが、深陽はまだ政治の授業を受ける前である。

 授業が退屈だったり難しすぎだったりするわけでもなく。

 先生が気に入らないわけでもなく。

 そういう話の前段階から、深陽は政治の授業に対して並々なら無い苦手意識があった。


 蕾は花開き、喜びを、幸福を桃色の花弁の色で表現する。

 予習しなくていいんだと小さくガッツポーズを取る深陽のことを、アルファルドは、ちょっと気味が悪いものを見る目で見詰めたのだった。



───



 夕方。

 深陽とアルファルドは早めの食事にしようと食堂に向かっていた。


 食堂での夕食は、明確に時間が決められているわけではない。上級生と下級生の間で先輩を優先する──という暗黙の掟も特に無い。生徒仲が良いこともあるだろうが、なんせこの食堂は三年前に『世界一広いフードコート』とギネスに登録されかけ、空港のコンコースかと言うほどに広く、争う理由が生まれないのだ。三桁単位で用意された机と椅子を囲みながら壁際には世界──あるいは魔界──から集結されたあらゆる飲食店の店舗(ブース)が並べられている。

 ラーメンや寿司など深陽が慣れ親しんだものから、ホットドッグやバーガー店などの欧米的なもの。

 そこに混ぜられて、魔界由来の謎の三色スープや食べ物かどうかも怪しい銀水じみたタレがかかった布(?)が並んでいる。


 昨日はラーメンを食べたことを思いながら深陽が座れそうな席を探していると、アルファルドが「あ」と小さく声を上げた。

 その視線の先にあったのはステーキ屋の店舗だ。店の前に立つ女性店員が『残り三食でーす!』と叫んでいる。


 そわわ、と上着のポケットに突っ込まれたアルファルドの右腕が落ち着かなそうにしている。


 そんな彼に、深陽は「席取っとくぞ」と声をかけた。


「あ?」

「残り三食だって」

「……なん……」

「いや、昨日もあの店だったから」


 微妙なアルファルドの反応に思い違いかと感じ、「好物なのかと思ったんだが……」と徐々に声が小さくなる。そんな彼に、アルファルドは整った顔を絶大に歪ませた。


「…………怖っ!!」

「えっ!?」

「察しが良すぎっつか……見すぎて怖いわ!! 女か!」

「ち、違、妹がよく似たようなことするから……!!」


 深陽の言うことは嘘では無かった。活発な性格の反面どこか遠慮がちな妹を、兄である深陽はよく彼女の意思を汲んでやりたいことや欲しいことを言葉にするのを促してやった。

 そのことを聞くと、アルファルドは深陽から若干の距離を取りつつも「あっそ……」と返した。若干の距離を。一歩。の隙間を。空けながらも。 


「……んじゃお言葉に甘えて」

「ああ」


 スススス、とアルファルドは深陽から逃げるようにステーキ屋のブースへ向かっていった。


 若干傷付きながらも、深陽は人との距離感とは難しいなぁと感じていた。


 ──いやしかし、確かにアルファルドは何も言ってなかったな。

 

 思い返してみれば、深陽にとっては自然とわかってしまったとはいえ、相手にとっては心を読まれたような感覚だったのかもしれない。


 ──……取り合えず席を探すか。


 一つ小さな溜め息を吐いて、辺りを見回す。


 その広さとこの時間帯故か、席はまだまだ空いてるところが多い。深陽は食べようと思っている牛丼店とアルファルドが今しがた向かったステーキ店の中間辺りの席を狙って二人以上座れる席を探すと、丁度近くに二人がけのものがあった。

 誰かに取られる前にとやや足早に近付き、財布を机上に置く。


 そこで深陽は、ちょっとしたミスに気付く。

 持っているものは財布のみ。さすがにこれで席を取っておくわけにはいかない。

 かといって何も置かずに離れてしまえば誰かに席を取られてしまうだろう。


 仕方無くアルファルドが戻ったら買いに行こうと席に着くと、顔を上げた向かいの席のさらに一つ隣の机に見知った少女の顔があった。


「……ニーナ?」


 一つにまとめた長い赤毛に、黒い瞳。

 教室でニーナと深陽に名乗った少女が、一人で、端末をいじりながら夕食と思われるドリアを食べていた。


 深陽の声にニーナは顔を上げ、ぎゅっと眉を寄せた。嫌そうな顔だ。


「……イカリ・ミハル」

「名前覚えててくれたのか」

「変な名前だしね」

「ああ、よく言われる」


 遠くない距離だ。喧騒の中でも、ほんの少し張れば声は充分届いた。


「それで、なに」


 ニーナが問う。その目は端末に向けられたままだ。


「なに、って?」

「呼びかけたのはなんか用があるからじゃないの」

「……あぁ……」


 そう言われて考えたが、深陽は特に彼女に用があるわけではなかった。

 ただ、教室で一番印象に残った子が偶々夕食時に取った席の近くにいて、それがなんとなく嬉しくて覚えたての名前で呼びかけた。それだけだった。


「……ごめん、用はないんだ」


 申し訳なさそうな顔で言う深陽に、ニーナはその瞳を深陽と合わせ不満そうにさらに眉をひそめた。


「なら話しかけないで」


 そう言われてしまえば深陽は黙るしかない。

 ぎゅっと口を閉じた深陽に、ニーナは目を逸らしてまた端末に指を滑らせた。


「よお、待たせたな」


 丁度そのとき、アルファルドがステーキ片手に戻ってきた。入れ換わる形で、深陽も夕食を取りに牛丼店に向かった。




 深陽が席に帰ってきたとき、既にニーナは食べ終えたのか隣の机には居らず、変わりに別の生徒が二人で座っていた。


「三種チーズ牛丼大盛り? お前結構食うな」

「成長期で。……な、アルファルド」

「ん?」


 微妙なところで律儀な性格なのか、アルファルドはステーキが冷めてしまうだろうに食べるのを待っていてくれていた。そんな彼に心の中で感謝しながら、深陽は「ニーナは、なんというか……」と口ごもる。


「あー、『海底の女』?」

「海底?」

「『ニーナ』って魔界(あっち)だと海の深くとかそういう意味なんだってよ。それにあの冷てぇ性格だろ。髪の色と正反対な皮肉も込めて、『海底の女』って陰で呼ばれてる。ナンセンスだよな」

「じゃあ、誰に対してもあんな感じなのか」

「ああ。だからまぁ、あいつの洗礼(・・)受けたんなら落ち込むな」

「……そうか」


 つんとしたニーナの顔を思い出す。ちらりと出入り口の方に視線を流したが、そこには目立つ赤毛は見えなかった。


「……あー……なんつーか、わりぃことは言わねーからあいつは止めといた方がいいぜ」


 と、ふとされた心当たりの無いアルファルドの忠告に首を傾げる。


「なにがだ?」

「あんな性格でも彼氏いるらしいから」

「はあ」

「はあ、ってお前」


 『彼氏』、というワードで、深陽は少し考えてようやく彼が何を言わんとしているのか理解した。


「そうじゃない。気になるのは確かだけど……、上手く言えないな。髪の色が目立つからか、目を引かれる」

「お前素面でそういうこと言う?」

「酒を飲んだことはない」

「うーーん噛み合わねぇ」


 投げ出したように上空を仰いだアルファルドが、はぁと溜め息を吐いてステーキを一切れ口に入れた。


「ま、なんにしたって女関係は気ぃつけた方がいいぜ」

「そうか」

「そうさ。俺が言うんなら間違いねぇ」


 変な説得力のあるアルファルドのアドバイスに頷きなから、深陽はようやく牛丼にスプーンを差し込んだ。


 


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