21・マヤクと吐血
生徒を無理矢理退け、
時にぶつかり、
時にぶつかられ、
時に妨害しながら、
時に妨害されながら、
二人は塔六階の教室に辿り着いた。
壁に取り付けられたプレートには『The third laboratory』──『第三実験室』と書かれていた。
──実験室が教室なのか……?
深陽が息を切らしながら些細な疑問を抱いている間に、アルファルドは木製のドアを開け放った。
中にいた生徒は、たった一人。彼もまた大きく息を切らし、古めかしい椅子に背を預けていた。
「間に合った……!!」
アルファルドが拳を握りしめてガッツポーズをする。
「早かったな」
そんな彼に前方の黒板にいた教師が声をかけた。
2m以上はある高い背丈に、顔も首もそして恐らく服の下もであろう包帯巻きの姿。唯一露出しているのは、右目だけだった。深陽にはその教師に見覚えがある。始業式の際、前に出なかったアルファルドをせっついた人だ。
彼は「またお前かアルファルド」と包帯の口元部分をモゴモゴさせながらこちらに近付く。
「そりゃ、一週間食費が浮くとなりゃな。早く食堂券くれよ」
「そう急ぐな、ホラ」
教師はそう言って懐から取り出した三人にチケットを渡した。
「ありがとうございます」
「お前は……編入生の」
「錨深陽です。よろしくお願いします」
「ああ。私はエンシエンだ。出来るだけ面白い授業をするから、是非取ってくれ」
教師──エンシエンは「是非」ともう一度言うと、黒板側に帰る。
直後、後ろに続いていた悲しき運命にある生徒たちが希望に瞳を輝かせながら教室に到着し、
既に食堂券が配られたと知るや否や深陽たちを恨めしそうに睨み付けながらも、体験授業に参加すべく席に着いた。
そして。
「ところで、アルファルド」
「あんだ」
「もう一度この授業の名前を訊いていいか」
「ああ? 『マヤク学』だよ」
「…………」
深陽が一つの懸念を抱えながらも、授業は開始された。
実験室の構造は、三つの幅広の机にいくつか椅子が並べてあって、前方に広い黒板、後方や壁に馴染みのあるビーカーや試験管、それからランプや小さな鍋が並べられていた。
中央の机に着いた深陽が、アルファルドに小声でこの授業の名前が『魔法植物・薬草調合学』略して『魔薬学』だと教えてもらったのは、授業が開始されてから数分後のことだった。
「じゃあ、危ない薬とかそういうことではないんだな?」
「ったりめーだろ、いくらコローナでもここぁ学校だぜ」
ホッと息を吐く深陽。
──なんだ、俺の早とちりか。
胸を撫で下ろし、再び実験のオリエンテーションをしているエンシエンの手元を見る。
白い粉でも用意したらどうしようかと思った、と深陽が冗談を考えたそのとき。
エンシエンが水の満たされたビーカーに、白い粉をサラサラ~ッと入れだした。
「これが、ふぅー……ヤドリギガメの甲羅を、ふぅー……ん……磨り潰したもの……」
──あ、そ、そうだよな。
──びっくりした。コカイン的なあれかと……。
──考えすぎだな。
──…………なんで息が荒いんだろう……?
次に彼が取り出したのはなにやら毒々しい桃色をした花だ。それもビーカーに入れるのかと思った途端──彼はそれを、包帯の巻かれた自分の鼻先にガッと押し付けた。
「すぅーっっすぅ~!! っ……はぁ……、はぁ……! この花は、リッカツルに咲くもの……! とてもいい匂いっ……」
「アルファルド、もう一度訊いてもいいか。この授業は……」
「安心しろ、変なお野菜とかは使ってねぇ。ただあの先生が実験中におったてちまう変態なだけだ」
「そ、そうか……」
知的な色をしていたはずの右目が血走る姿に微かに恐れを覚える深陽。
「とてもいい匂い! いいっ匂い! だけど……っっレモンの匂いが混ざってるときはぁ…………! 寄生虫がいるから使ってはいけっなっいッ……!!」
──あ、ちゃんと説明してくれるのか……。
エンシエンの途切れ途切れで聞き取り辛い話をノートに取りながら、
そんなこんなで、魔薬学の体験授業を過ごした。
三十分後。
「はぁ、はぁ……えー……、以上で体験授業を終了する」
若干よれた包帯を直しながら、エンシエンはそう言って教室を出ていった。
「どうする? 選択以外も必修の方の体験授業もやってんぜ」
「……そうだな。行ってみたい」
「うし」
他の生徒が「終わったし遊びいこーぜー」と話す中、二人は『魔法技術演習』を受けるべく、授業場所である外へ向かった。
『中央塔』と『テトリス』の間にある中庭は、魔法の実技やスポーツに使うグラウンドが三つある。その内一番入り口に近い場所で、『魔法技術演習』は行われている。
いくつかの本を経由してそこに辿り着いた深陽とアルファルド。サッカー場ほどの広さのそこには、ローブに鹿の刺繍がされた二年生と柔和な顔の教師、それから二人と同じ一年生が既に揃って集まっていた。
遅刻か、と小走りになる二人に、教師が笑いかける。
「や、アルファルド。君たちで最後かな?」
「っすかね。もうすぐ鐘も鳴りますし」
アルファルドがそう答えた途端に鐘が鳴る。どうやら、深陽とたちで最後らしい。教師はアルファルドと軽口を二三個叩くと、ミハルに向き直った。
「はじめましてミハル。僕はメーロン・キス。来てくれて嬉しいよ」
「錨深陽です。よろしくお願いします」
「うんうん」
ニコニコと笑う教師は、やや痩せている印象の細い顔立ちに、左頬に桜に似た花の模様があった。
「あ、これかい? 僕魔界出身なんだけどね、うちの一族って最初に産まれた子供のほっぺに出た花模様の花弁の数だけ兄弟が産まれるんだ。普通は多くても三枚なんだけど僕んとこは見ての通り五枚だから五人も産まれて」
「……生まれつきなんですか?」
「そうさ、下の弟にも出るんだけどその子は四枚で──」
自然なコミュニケーションのようにも無駄話のようにも思える会話の最中、メーロンの言葉が止まった。
首を傾げる深陽に、メーロンは、緑色の瞳を見開いてじっと顔を見詰めてくる。
「……ミハル、君は……」
「せんせ」
何か言いかけたメーロンに、アルファルドが遮るように声をかける。
「授業始めようぜ。皆待ってっしさ」
なんとなくわざとらしい笑顔で彼が顎で指した方には、こちらを伺う生徒たちの姿があった。
「……そうだね。じゃあ二人共、こっちに」
メーロンはそう言って深陽から視線を逸らし、二人を案内した。
彼の後ろに続きながら、深陽がアルファルドに耳打ちする。
「優しそうな先生だな」
魔薬学の教師のインパクトが強かっただけにそういった感想が出た。小学校の担任の先生を思い出す、といったことを続けた深陽に、
「あー……でも、あの人はあの人でクセがちょっと……」
とアルファルドが後頭部を掻いた。
クセとは、と改めてメーロンを見た深陽だったが、特に包帯がぐるぐる巻きなわけでも姿形が人間と離れているわけでもない。他の一年生の横に並びながら観察を続けても、どう見ても普通の優しそうな教師だ。
「それじゃあ皆、今日は二年生と二級魔法の演習をしてみるよ!」
開始された授業も至って普通だ。
「じゃあヴァレンチノこちらに──」
一体クセとはなんなのか、と深陽が眉を小さく寄せた、そのとき。
「──ゴハァッッ!」
突如、メーロンのその形の良い口から、赤い塊が飛び出た。
赤い塊というか──血だ。血に違いなかった。それはビチチッと水揚げされた魚が暴れるような音を立ててグラウンドに叩きつけられ、顔を驚愕の色に染める生徒たちのローブの裾に僅かに跳ねる。
──吐血!?
一秒も満たぬ間に発生した緊急事態。深陽が動けないでいると、二年生が「先生!」「メーロン先生!! お薬は!!」とメーロンに駆け寄る。
メーロンはそんな生徒たちに口から胸元を真っ赤に染め上げながら「ははは大丈夫だ、お昼を食べ過ぎて胃がびっくりしちゃったかな」などと言っているがどう見ても大丈夫ではない。何故ならまだ昼食の時間ではないし、彼の膝は震え、痩せ気味の顔がどんどん青白くなっていくからだ。どちらかと言うと早急に救急車を呼ぶ必要がある。
「一年生ごめん! 先生ちょっと体調悪そうだから授業は中止で!」
「ヴァレンチノ何を言っているんだい、僕は大丈ヴッッ!!!」
再び吐血するメーロン。
それを慣れたように中央塔の方──保健室だろう──へ引き摺っていく二年生たちを止める者は、誰一人いなかった。
そして彼らの姿が見えなくなり数秒して、誰かが「……戻るか」と呟いたことで、一年生はほどけるように解散した。
「メーロン先生は、持病がちっとな。吐血キャラっつーか……今日は特に悪かったみてーだけど」
「吐血キャラ……」
「多分度々あぁだけど、まあ血液感染する病気じゃねーから」
──問題はそこじゃない気がする。
他の一年生と同じように塔へ戻りながら、深陽は脳裏に焼き付いたメーロンの青い顔を思い浮かべた。
その後は適当に気になる選択授業を受け、貰ったチケットでこれまたやたら広い食堂で昼食を摂り、午後には寮に戻った。




