2・コローナ島
『コローナ島』とは、十二年前イタリアとリビアの間の地中海の丁度真ん中辺りに出現した島の名前である。
出現の直前に、あちらの地方にしては激しい地震があったため当初はそれが原因かと考えられたが、面白半分で見に行った海沿いに住むイタリア人男性数人の証言でその仮説は一変した。
曰く、『見えない壁』。
曰く、『見たこともない生き物』
曰く、『謎の白い柱』。
曰く、『怪物』。
曰く──『魔界』。
大慌てで息を切らして帰ってきた彼らの話を、当時他の人間は「おどかそうったってそうはいかないぞ」と笑ったらしい。彼らの話は、あまりにも信憑性が無かった。
しかし島を観察する内、皆その異様さに気付いた。
島から空に向かって伸びる一本の白い柱や、
たまに島から聞こえる謎の咆哮や、
望遠鏡で見ても陽炎のように定まらない島の陸上の気配を、
次第に不気味に感じていったのだ。
やがてその存在が各国のメディアに取り上げられ、事態の解明と収集にイタリア政府は腰を上げた。島の出現という未曾有の事件だったが、相応しいであろう部隊と何人かの学者を船に詰め込んで送り出した。
さて、帰ってきた彼らは、無傷だった。
なんとなくハラハラしながら待っていた海沿いに住む住人やテレビの向こうの人がホッと肩をおろした瞬間、青い顔をした隊員が五枚の紙を持って帰ってきたことをメディアに伝えた。
見たこともない字で書かれた、その島からの手紙。
それが専門家によって翻訳されたのは一ヶ月後。
何故こんなにも早かったかというと、一枚は本文で、あと四枚はご丁寧にも解説のための絵を交えた語彙表だったからだそうだ。
手紙の内容はこうだ。
『我々は島に繋がる『糸』を辿ってこの星に辿り着いた知的生命体だ。
我々は貴方たちに危害を加えるつもりはない。
我々はこの島の外には出ない。
しかし、我々は貴方たちとは違う。
我々は貴方たちの命を無意識の内に奪ってしまうかもしれない。
我々は貴方たちの安全のため、安全が保障されるまで貴方とは関わらない方が良いと提案するが、
それをそちらが放棄し、例えばこの島に勝手に来てしまったら、
貴方たちの命を保証することはできない』。
その後、いくつかの国や団体やその他の馬鹿たちが島に近付き、上陸を試みた。
しかしそのほとんどが戻ってくることは無く、
戻ってこれたとしても、重大な障害を抱えてくることがほとんどだった。
例えば足が右左反対にくっついていたり。
内臓の一つが手のひらに移動していたり。
障害が軽いときはただハゲただけなんてときもあったが、それが理由で島に近付く者はぐんと減った。
それから十二年。島にはその冠のような形から『コローナ島』と名付けられ、『地球上で最も謎と危険の多い場所』として世界中に知られている。
───
夕方。深陽の自宅。
仕事から帰宅した母に、深陽は例の学院について相談していた。
「登校初日に死ぬんじゃないかって思うんだ」
「……そうねぇ……」
深陽の前に机を挟んで座る母・錨光子は悩まし気に頬に手を当てる。
「でも深陽、前の学校のこともあるし、母さんも頑張って探してみたけど中々ねぇ」
「だよね。やっぱ通信かな……」
「うーん、そうは言うけれど、出来ればちゃんと通いたいんでしょう? 私も学校でお友だち作ったり行事を頑張ったりすることって大事だと思うの。あちらからお誘いがあるのならそれはとっても素敵だけれど……」
パンフレットに載った学校名を見て、光子はまた小さく唸る。
「……六年制で、卒業すれば経歴に短大までは書けて、さらに進学で大学、就職率も進学率も高い方だし、寮も近くにあって、敷地も広くて部活も充実してて、学費が変に高いわけでもない。……むしろちょっと安い」
確認するように指を折りながら口に出す彼女に深陽が頷く。
「どうしてあの島に建てたのかしら……?」
「あの島に住んでる人用なんじゃないかな。それが生徒不足で俺に誘いがあった、とか」
「なるほどねぇ……」
うーん、と光子はまた唸る。
と、玄関の方でドアが開く音がした。
「ただいまー」
続いて明るい少女の声が聞こえ、廊下をトットッとやや早く歩く音がして、深陽と光子のいるリビングの扉が開かれた。
「……あれ、取り込み中?」
帰宅した少女──深陽の妹は、兄と母の真剣な様子にドアの外側に引っ込もうとした。それに深陽が、「おかえり夏野」と言いながら手招きし部屋に入っても平気だと示すと、彼女はホッとしたように中に入ってきた。
「ただいま兄さん。あ、ちょっとお母さん、また鍵開けっぱなしだったよ」
「でも、もうなっちゃん帰ってくると思ってたから……」
「まぁた適当なこと言っちゃって」
夏野は呆れたように溜め息を吐くと、ソファに鞄を置いて、台所に歩を進めた。冷蔵庫をバカンと開く音がする。おそらく麦茶でも飲むのだろう。
「で、なんの話してるの?」
麦茶が入ったコップ片手に夏野が戻ってくる。外は暑かったのだろう、長い茶髪を平時とは違いポニーテールに纏めていた。
「あぁ、編入届けが来て」
「えっほんと? やったじゃん」
「それがねぇ、あのコローナ島の学校からなのよ」
「コローナ島? ……ちょっと見して?」
夏野はそう言って、テーブルにコップを置いてパンフレットをパラパラ捲る。と、真ん中あたりのページで、訝しげに眉を潜めて捲る指を止めた。──やっぱりそこだよなぁ、と深陽は自分の額を押さえる。
「……なんか科目変じゃない?」
「ええ?」
夏野に言われ、光子が覗き込む。深陽はそれを苦笑いしてしばし見守った。
「……魔法生物学」
「魔法呪文学」
「魔法……?」
「まほう……」
「うん、そう、それなんだ」
深陽は電話が終わった後、受付嬢の言葉が気がかりになりパンフレットをよくよく読んだ。すると、そこかしこに書かれる『魔法』という単語。お伽噺の産物であるそれが、何故書いてあるのか。
例えばなにか──科学の延長線上にあるものとか──の別名ならば納得できたが、ネットで調べる限り今現在の科学はその域には達していないようだった。だとしたら意味は一つ。本当に『魔法』を習う学校ということになってしまう。
あちらから学校に招待してくれたのは、本当に手放しで喜びたいことだ。
ただ、地球上でナンバーワンと言われる危険地帯コローナ島にあることと、編入先が『魔法学校』であることが深陽を戸惑わせた。だから家族に相談しようとしたのだ。
だがしかし、ならば何故深陽はもっと早くに光子に魔法学校かもしれないと伝えなかったのか。
それは──
「まぁ、素敵!」
光子がパンと手を合わせる。
「魔法、魔法学校なのね! この学校は! そう、魔法ってやっぱりあるのね!」
──深陽の母・光子は、
しっかりしているにはしているし、詐欺に引っかかるとか、そういうことはなかったけれど。
ただ少し、天然の入った、ポワポワしたところのある人だった。
この学校が魔法学校と知れば、「素敵ね!」と笑って編入試験の代金を直ぐ様振り込みにいく予感が深陽にはあったのだ。
そしてそれは見事的中している。
「深陽、受けてらっしゃいな。お金はちゃんと入金しとくから」
「いやでも、母さん。コローナ島だよ? それに魔法って……」
にこにこと笑う光子をどうにか止められないかと、深陽は親愛なる妹に視線を流した。
妹はそれを受け止めると、麦茶を一口含んでから、少し唸る。
「でもさー兄さん、他に入れる学校見つかったわけじゃないんでしょ?」
「あ、ああ」
「ここでドロップアウトしたら辛いと思うよ。……決めんのは兄さんだけど、試験受けてみて、話聞くだけでもしてみたら?」
妹の言うことは最もだ。
高校一年生。入学して即行で退学になった深陽を、退学の理由も含めて受け入れてくれる学校など中々見付からなかった。
迷ったり、選り好みしている場合ではないのはわかっている。
深陽だって、この編入届けが普通の学校だったならば、北海道だろうが沖縄だろうが行くつもりだった。
けれど、
この学校はあまりにも異質だ。
「深陽」
眉をしかめて顔を伏せた深陽に、光子が「顔上げて」と笑う。
「私は、幸運だと思うわ。だって魔法学校からの招待状だなんて、普通は届かないもの。少し困難でも、ちょっとくらい危険でも、行く価値は絶対にあるわ。……でもそれは勿論、貴方が決めること。モチベーションは大切だから」
少女のように輝く母の瞳に、その夢を見るような言葉に、深陽は、なるほどと納得した。
イレギュラーな、普通ではない学校。
このまま学校に長い期間通えなければ、それは自分の将来に多大なダメージを与えるだろう。それは避けるべきだ。
けれど、学校に通うか否か、それは自分で決める。他人に行動を委ねた途端、それは破滅に繋がることを、彼は理解していた。
だから、妹の言う通り。
一先ずは編入試験を受け、向こうの学校がどんなところなのか。
コローナ島で安全は確保出来るのか。
それを見極めなければ。
「……試験、受けてくるよ」
深陽は二人の家族にそう言うと、ここ最近来ていなかった制服をクローゼットから出してこようと腰を上げた。