17・ひそひそ
初日は始業式だけと聞いていたため、深陽はリュックに財布とスマホと提出課題のみを入れて部屋を出た。
18号室のドアを開けると、他の部屋のドアからも数人の男子生徒がちらほらと出てきている。どうやら昨日深陽が部屋から出ない内に来ていたらしい。
「……へ……せい……?」
「にほんじん……」
見慣れない生徒に気付いたのか、梯子を降りる深陽の姿にそんな声が小さく囁かれる。
床に足を付けて辺りを見回すと男子生徒は男子生徒でも深陽が知る姿ではない者も多くいた。尻尾のある者、目が一つの者、蛙のような顔の者、そもそも動物のように四足歩行の者。魔界出身であろう彼らに、深陽はあちらからの学生もいたのか、と少し驚いた。
その内の一人。ちらちらとこちらを伺っていた大きな牙を持った生徒に、「おはよう」と声をかける。
生徒はやや目を見張って驚いていたようだったが、深陽のその自然な挨拶に気圧されるように「おはよ……」と返した。
「……編入生ってキミ?」
「ああ。深陽だ、よろしく」
「ボク、アイル。……ね、キミのいる18号室ってさ……」
「──アイル!」
アイルと名乗った生徒が深陽に何かを訊こうとしたとき、その背後から話をわざと遮るように声がかけられた。深陽が見てみると、声の主は、アイルと同じように大きく発達した犬歯と大きな図体を持った男子生徒だった。その生徒はアイルに向かって首を横に振ると手招きをして彼を呼び寄せた。
「あ……えっと、ごめん。行かなきゃ」
「え? そ、そうか」
タタ、とカーペットの上を小走りして巨漢の元へ行くアイル。その後ろ姿を、深陽は黙って見送った。
──せっかく声をかけたのになぁ。
残念に思い肩を落としたが、深陽はすぐさまハッとして顔を上げる。
──いやいや。
──おはようと挨拶出来たんだぞ。
──滑り出しは順調だ。
思考をプラス方向に持っていくと自然と背は伸び視界もなんだか広くなる。──どうにも回りからヒソヒソされながらも、深陽は男子談話室から出て総合談話室に入った。
本の中にあるはずなのに不思議なことに、総合談話室の窓からは朝の光が降り注いでいた。起床時間から三十分、もう男子生徒も女子生徒も制服を着用して続々と出てきている。
──さて、出るにはどうすればいいのか。
昨日のことを思い出す。
ここに『来る』ときは本を通ってきた。となると出るときも本を使うような気がするが、なにせ魔法学校だ。誤ってしまうと元来た道を辿って戻ればいいというわけにはいかないかもしれない。
安全策を取って誰かに訊いてみようと再び辺りをキョロキョロと見回した深陽の視界に、カウンターに立つ黒髪の青年の姿が入る。
──アルファルド?
てっきり先に行ったと思っていた人物がなにやら二つのパン片手に立つ姿に、目をパチパチとさせる。と、その視線に気付いたのか、眠た気に半分閉じた碧い目が深陽の方を向いた。
「よぉ」
「……おはよう」
「三十分遅れだぜ。お前案外寝起きわりぃな」
昨日と変わらぬ乱雑な言葉に頷きつつ近付くと、彼の手にあるパンが編入試験のときに食べたハンバーガー(仮)だということに気付く。
「それ……」
「朝飯。懐中時計ありゃどこで買っても朝の一回分はタダんなるから覚えとけ。夕飯は中央塔三階の食堂で出るけど、昼だけ自分でどうにかしな」
アルファルドはそう言ってハンバーガー(仮)の片方を深陽に手渡す。
随分と面倒見の良い人だな──そう思いながら「ありがとう」と言うと、「ん」と素っ気なく返ってきた。
「ところでこれ、なんて名前なんだ?」「ハアングァヴァ」「そのままだな……」などと会話をしながら、カウンターでアルファルドの用意したカフェオレを飲みながらムシムシとハアングァヴァを食べていると、深陽の耳に、またもやヒソヒソ声が届いた。
──……編入生ってそんな珍しいのかな。
なんとなく違和感を感じる深陽。然り気無く視線だけ斜め後ろに転じさせると、周りの生徒たちの瞳の先にあったのは、深陽ともう一人──アルファルド。そう考えてみると、どちらかと言うと深陽というよりはアルファルドの方に多くの視線が注がれていた。
「……その、アルファルド」
「……んだよ?」
話の途中で声を潜めると、アルファルドはハアングァヴァを口に入れながら吊られたように声を潜めた。
「単刀直入に訊くんだが、ヒソヒソ話される覚えはあるか?」
「単刀直入だなぁお前……」
素直すぎる質問に、彼はやや呆れたように返した。深陽が大人しく回答を待っていると、んー、と言葉を濁し、口腔内に残っていたものをカフェオレで流し込んでから、今度は食べるためでなく話すために再び口を開いた。
「ちょーっと、女関係で?」
ニィと口の端をやや吊り上げた悪い顔で何か含ませたように言うアルファルド。
「二股がばれたとかそういうことか?」
それに対し深陽は追撃するようにそう訊いた。面食らったようなアルファルドを他所に、更に「お付き合いは真剣にした方が良い」と万人に余計なお世話だと言われそうなコメントを付け加える。
「いや……」
「あ、すまない。妹に彼氏が出来たと聞いたばかりで。今その手の話題に些かナイーブなんだ」
きちんと相手の話を聞かなかったこと──暈したのはアルファルドだが──に申し訳ない、と謝る深陽。
「真面目っつーか、なんかズレてんだよなぁ……」
「なにか言ったか」
「んでもねぇよ。食ったらいくぞ」
はぁ~と溜め息を吐いてから残ったバンズの欠片を口に放り込むアルファルド。
自分は食べ終わったのにカウンターに肘を着いて深陽を待つ姿に、彼が護衛役だと知らぬ深陽は、やはり面倒見が良いなぁとハアングァヴァにかぶりついた。




