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16・夢



 ──時は戻り。


 

 アルファルドのことを、悪い人ではないな、と深陽は思っていた。


 見た目は優しい雰囲気とは言い難くそれに拍車をかけるように言葉使いは乱暴だが、彼は──仕事とはいえ──編入試験時に深陽を救ってくれた。


「他に荷物ねぇの?」

「はい……じゃなくて、うん。ないよ」

「少なくね?」

「そうか?」


 その上このように荷物を部屋に上げることまで手伝ってもらわれてしまっては、深陽は欠点を挙げることは出来ない。


 ──しかし、歳上の同級生か。


 改めて考えると、少しずつ現実味が帯びてくる。

 高校生以下は飛び級制度の無い日本だが、大学や専門学校はその限りではない。実際、深陽の母だって二十代半ばで看護の専門学校に通っていた。


 ──この学校、そう言えば『高校』じゃなくて『学院』だったな。

 ──多分、日本で言うところの大学と似ている。


 この学校の構造をなんとなく把握しながら、深陽はキャリーケースの中身を取り出す。元の高校で使用していたシャツとスラックス、カーディガン、普段着がいくつか。歯ブラシやタオルなどの日常品は使うときに出すことにした。


「アルファルド、タンスって……」


 それらを収納する場所を聞こうとして背後にいる彼の方を振り返ったとき、彼がジッとケースの中を見詰めていることに気付く。


「……アルファルド?」

「ん……ああ、タンスは机の足元。教科書用の引き出しはその隣。洗面用具は風呂に行ったときに教えてやる」

「ありがとう」


 なにか訝しむような視線だったが、アルファルドが特に何も訊いてこなかったため深陽も何も問わなかった。



 数十分後、一通りは整頓出来ただろうかと深陽はふぅと息を吐きながら額にかかっていた髪を手の甲で退けた。ふと上げた視界の先にいるアルファルドを見ると、ベッド柵に寄りかかりながら煙草を吸おうとしているところだった。

 バイト先のコンビニでは見なかった銘柄だな、と深陽が思っていると、その目がこちらを向きパチリと視線が合った。すると彼が少し口を曲げてシガレットをケースに戻そうとするものだから、


「気にしないよ、煙草」


 と声をかける。


 深陽は別にアルファルドに気を使って言ったわけではない。

 アルファルドは二十歳以上であったため法には触れていないし、元々この部屋の住人は彼だ。確かに同室が未成年ならば健康面から煙を吸わせるべきではないだろうが、部屋の天井には──どこか真新しい──換気扇が設置されていた。

 元々深陽はそこまでそういったことを気にするタチでもない。煙の臭いを気にしたこともあまりないし、煙草によって数年寿命が縮もうが平均寿命八十歳越えの国生まれの自分には丁度良いのではと思ったことがあるくらいだ。


 深陽の短く少ない言葉に、アルファルドは少し眉を寄せて、「あっそ」と煙草をライターで着火した。

 青白い煙が立ち上ぼり、天井に広がる前にファンのついた換気扇に吸い込まれていった。ふと、そこから溢れて漂ってきた香りに深陽は鼻をひくつかせた。


 ──ラベンダー?

 ──変わった匂いの煙草だな。


 試験の日はあまり気にならなかった彼の煙草だったが、彼が吸っていたのはバニラなどのスイーツ系ではなく花のような香りがして、海外のものだろうか──と深陽は頭の隅の方で考える。

 『隅の方で』というのは、主なことを別に考えていたからだ。


 ──思ったより、時間が空いたな。


 そう、思ったより荷物を片付ける時間が短く済み、暇が出来てしまったのだった。


 ──少し校内を探検……

 ──いや、やめておこう。

 

 探検は明日以降にして、今は勉強でもしようと腰を上げようとした深陽にふと煙草をふかす青年が目を向けた。


「なぁ」

「ん?」

「街に出んなら案内してやろうか?」


 アルファルドの長い指がシガレットを挟んだまま再び口元に運ばれ、深陽の返事を待つ。


 彼の誘いに、深陽は少し悩んだ。

 良いかもしれないと一瞬二つ返事をしかける。しかし──その口は、ひくりと動くと、閉ざされて「いや」と返した。


「ありがとう、でも大丈夫だ。少し、疲れたから」

「……ん。また誘うわ」

「うん」


 深陽の連れない返事にアルファルドは対して気にした様子もなくまた煙を吐き出す。


 こんなことを口にしては申し訳ないと深陽は思っているが、彼がこの誘いを断った理由は、ただ『気が乗らない』というだけのものだった。

 

 ──うれしいはずなのに。

 ──ワクワク、してるんだけどな。


 深陽の自分の精神の分析は間違っていなかった。本当に明日からの学校が楽しみで仕方無い──けれど、心のどこかが冬の日の窓のように冷たい。熱を持ったものがふとスッと冷めるような感覚が深陽の中に住み着いていた。


 ──やっぱり疲れているのかも。


 相手に気を使わせないように口から出た言い訳が実は当てはまっていた可能性を考えながら、深陽は先程引き出しに仕舞ったばかりの教科書を取り出して予習を始めた。


 結局その日は勉強以外は何もせず、


 夜になれば大人しく二段ベッドの下に体を納めた。



───



 酷い夢を見た。

 これが夢だと解ったのは、もうあの日(・・・)から何度も何度も見ているからだ。


 炎に焼かれる体が悲鳴を上げる。

 熱い。

 助けて。

 逃げたい。

 ──ごめんなさい。


 鼻につく焼けた木材と絵具の臭い。崩れるドア。舞い込んだ風に、炎はその身をさらに大きく踊らせた。


 ──違う。

 ──俺がやったんじゃない。


 炎が揺れた先に現れたのは紺色の制服を着用した男たちと、自分の家の玄関。


 恐ろしい顔をした彼ら──警察たちに手を引かれ連れ出されて、振り返った先の玄関には泣き出しそうな妹の顔があった。


「大丈夫だ、すぐに帰ってくるから」


 気休めにそう言うと、彼女はさらに大きな瞳に涙を溜めた。ああ、かける言葉を失敗してしまったなと彼は悔やんだけれど、そのときは、発したその言葉が真実だと疑わなかっていなかった。


 ──何も悪いことはしていない。

 ──俺は正しかった。

 ──俺は、正しい。


 言い聞かせる言葉に段々と自信が喪失していく。


 ──本当に正しかったのかな。


 それは彼の願望だった。

 ずっと正しく在った自分が誤っていたなど、信じたくなかったのだ。


 だって彼は、正しくあれば怒られなかった。

 正しくしていれば、良くしてくれた。

 可哀想な子供の顔をして大人にすり寄れば同情してくれた。

 そして彼を哀れむように、大人たちは母と妹も哀れんでくれた。


 だから彼は、いつも正しく在ったのだ。


 けれど。

 百の小さな正しさは、一の大きな過ちに勝ることは出来ない。


 結局彼の言葉を信じる者は家族以外にあり得なかった。どうして、なんで、子供のように止めどなく溢れる悲しみの矛先は──自らの左腕に向かった。

 

 ──こんなものが。

 ──こんなものが、あるから。


 感情任せに上腕の皮膚に爪を立てると指先は粘土のようにズブズブと沈んでいく。めり込んだ肉から滲んだ血が肘を伝い手のひらに流れて──その一滴が、地に落ちた。



───



「──っ!」


 ヒュウと喉が鳴る。


 起き上がらせた体が突然動かしたせいで嫌に軋んでいる。その悲鳴を無視して、深陽は目だけでキョロキョロと辺りを見回した。


 見慣れない壁。茶色のベッド柵。家のものより幾分か柔らかい毛布。少し離れて、二つ並んだ勉強机。

 

 燃えていない周囲。


「……夢…………」


 ──そうだ、あれは夢だ。


 震える指先を握り締めてそう言い聞かせる。


 ──夢の中じゃ夢だってわかるのに、起きたら起きたでなんで現実と混ざるんだ……。


 ふぅ、ふぅと何度か呼吸を整えて、額に滲む脂汗を手の甲で拭う。いくらかして時計の針が時間を刻む音が耳に入ってくる程度に落ち着いた頃に深陽はようやくベッドから抜け出した。


「……アルファルド?」


 同室の人間の存在を感じず上のベッドを覗き込むが姿はない。


 ──先に行ったのかな。


 壁のハンガーにかけてあったあの黒い上着がないことを確認してそう結論付けると、一つ大きく深呼吸をする。熱を持った頭が緩やかに冷やされていった。


 ──俺もいかないと。


 初日から遅刻は不味い──そう頭を切り替えて、深陽はハンガーからローブを手に取った。

 


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