15・校長とアルファルド
時はやや遡り、約一月前の編入試験後。
コローナ・ボレアリス学院内。
編入生の試験を監督した男の報告書にサインが抜けていることに気付いた学院長は、長い髭を撫で付けながら寮まで来ていた。
しかし男子寮の談話室の前まで来ていざ扉を開こうとすると、中からなにやら音が聞こえてきた。
──さては、またテレビゲームでもやってるな。
校長は半ば呆れながら、一応ドアをノックする。
「アルファルド君、入るよ」
「アッ!? こうちょ……ちっちょっと待て!」
中でバタバタと鳥が暴れるようなけたたましい音がする。
夏期休暇中は男子談話室がもはや彼の部屋同然になっているため気紛れにノックをしたが、ただゲームをやっていただけならこの反応は可笑しい。そう訝しんだ校長は、「入るよ?」と声をかけドアを開いた。
男子寮の談話室。
いくつかの本棚とテーブルとソファ、それから大型のテレビが設置された部屋の中心に、不自然に立ち上がった青年──アルファルドが一人。
そんな彼が、妙に口角を上げた口を開いた。
「よ、よぉ! なんだよここに来るなんて珍しいな!」
「……報告書にサインが抜けてたよ」
「え? あ、あぁまじ? そっかー悪かったな、ペン~、ペンはどっこかなー」
──分かりやすすぎる。
──酒を飲んでいたことがばれた子供でも、もう少し上手く隠すだろうに……。
机の上にあるものをソファの下を覗いて探すアルファルドの後ろ姿を視界の端に捉えつつ、校長は部屋を見渡す。入室前に何か聞こえたということならばまず疑うべきは、当然テレビだった。校長はスタスタとテーブルに歩み寄ると、リモコンを手に取り、電源を付け、再生ボタンを押した。
再生された録画は──動物特集を扱ったバラエティ番組だった。
──いやいや。
ここはもう少し『ばれたら気まずかっただろうな』と思わせるようなものをフェイクにすればいいのに、と校長は重ねて呆れた。振り返った先の当の本人は下手くそな口笛を吹いている。というわけで、校長はリモコンを操作し、『録画』ではなく『DVD』を再生した。
「あ」
後方から聞こえる間抜けな声。
映し出されたのは、
ゆらぬら揺れる肌色。
乱れた下着。
そして校長の耳に届くは、荒い息遣いと餅を壁に張り付けては剥がすような馬鹿げた粘着音。
アダルトビデオに思われたそれだが、どうも違う。撮り方が素人目に見ても雑で、焦点はブレブレ、アングルは最悪、ついでにどこかに映るはずの男優は見当たらない。
とどのつまりそれは──ハメ撮り映像であったのだ。
「……アルファルド君」
ピーピーヒュールルルピーと下手くそな口笛は続いている。
ワニのように恐ろし気な顔をした学院長がアルファルドの方を振り返り、縦長の瞳孔をさらに細くして。
「──オーバードーズは止めなさいと言ったはずだ」
と、叱った。
「──……」
アルファルドは、口角を更に引き上げる。
その口が「なんのことだよ?」と動く前に、校長はリモコンの電池カバーを開け中から一本の煙草を取り出した。
「二重フェイクは良かったけど、抜いた電池をソファの下に隠すくらいなら自分のポケットに入れておいた方がまだバレないだろう」
校長の言葉に、笑っていた青年の口角がつまらなそうに下がる。一本しか電池の入っていないリモコンでテレビを消した校長が、黙り込んだ彼に一歩近付いた。
「……いつからだい?」
「別に。今日だけ、試験の監視で疲れて、もう一本くらいって思っただけさ」
「……ビルを丸々一つ『消去』したそうだね。それは疲れるだろう」
「そうしなきゃガキが死んでたからな。守れっつったのはアンタだぜ」
自分は悪くないと駄々を捏ねる子供のような態度であったが、アルファルドの主張は間違ってはいなかった。
試験を受ける生徒の立会人は、彼らが誤って死んでしまわないよう守る役割を担う。軽度の怪我ならばこの島の危険性を理解してもらうため必要の範囲内だが、機能障害に至るほどの負傷の恐れがある場合は立会人が驚異から保護しなければならない。それが、アルファルドが校長直々に任された仕事だ。
だからアルファルドは、受験者に降り注ぐビル丸々、文字通り消し去ったのだ。それが最短で、最速で、最善の方法だった。──例えその魔法が後々にアルファルドの精神を蝕むようなものだったとしても、それが仕事を全うする上で必要なことだったのだ。
アルファルドの言うことは正しかった。
──けれど。
「──私は、自分の病は自分でコントロールしろとも言ったよ」
校長もまた、正しさをぶつけた。
それは彼らが出会ったばかりのころにした約束だった。
「アルファルド、私が死んだ後のことを考えてもらわないとね、私は困るんだよ。君が心配でオチオチ死んでられない」
「死んだ後のこと考えるなんてナンセンスだろうがよ。それともなんだ、あんたの世界じゃゾンビでもいるのか?」
「いるにはいるけど、……って話を逸らさない。あのね、私の生徒第一号が薬物中毒で死んだなんてことになったらスキャンダルもいいところだろう?」
「五年も入学させとかないで良く言う」
ハ、と鼻で笑ったアルファルド。その態度は自分に完全に非は無いと主張していて、校長はその反抗的な瞳に「ほう」と喉を鳴らす。
「……今回は私も悪かったと思っていたんだけどね。そんな態度では、罰を与えざるを得ないな」
「……あ?」
「君が望むから一人部屋にしてたけど、そうだね、やはり相部屋にしようか。いくら君でも隣に誰かいるのにモクモクと煙をふかすほど厚かましくはないだろう」
「は、いや、」
「そうと決まれば『七色花』に知らせないと。彼を案内するのは彼女だし……」
校長の言葉の意味を飲み込みきれず目を白黒させているアルファルドをよそに、校長は指先で空中に文字を書くと、
「『この鱗は彼の水魚の恩恵』」
書き上げたそれにフッと息を吹きかけた。
「あぁっ!?」
思わずと言った風に手を伸ばすアルファルド。その指先を掠めて飛んでいった文字群は、『編入生は18号室へ。アルファルドと相部屋』と隊列を組んでいる。
ドアの隙間から吸い込まれるように外に出ていったそれを唖然と見送って、アルファルドは、今度は口角をひくひくとひきつらせて校長に掴みかかった。
「取り消せやてめぇ……!!」
「無理だよ、もう届いてる頃だ」
ピラピラと手を挙げて降参のポーズをする校長。ふざけているようなその姿に、アルファルドの声が「こんなくっだんねぇことに魔法使いやがって!」と上擦る。しかし、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら校長の分厚いローブを揺さぶる手を、ふと校長は「ん?」と上から押さえつける。
「くだらない?」
低いわけでも、妙に落ち着いていたわけでもない、普通の声だった。誰が聞いても、その流れで出てきても不自然では無い言葉だった。だが──アルファルドの動きは、それをきっかけにピタリと止まった。彼には、彼だけには分かったのだ。その声の──色が変わったことに。
「魔法は、くだらないか否か関係なく、使うべきか使わざるかで扱うものだ。アルファルド、君の健康はねぇ、短縮詠唱ほどの価値があるんだよ。そこのところわかってもらはないと」
「困るなぁ」と気弱そうに笑うワニ顔。
何かを言い返そうとしたアルファルドの口がむぐ、と籠る。
そうしてしばらくその仕草を繰り返してから、彼はアクアブルーの双眸をギッと校長に向けた。
「今更『花』に取り消すのも悪ぃから承諾してやるけどよ……アンタ一個勘違いしてるよ。俺はガキがいようが吸うときは吸うしやりたいようにやるからな」
「はいはい」
「つーか二人部屋にすんならベッドと机増やしやがれ」
「はいはい」
「………………、換気扇もな」
「はいはい」
アルファルドの要望に含み笑いをしながら校長は適当な返事をする。それにまた怒られる前に、彼は一つ咳払いをした。
「まぁ、どうせ相部屋なんだ。君が報告書に書いた護衛役も君にしよう」
ついで、といった言葉にアルファルドの口がまたモッゴモゴと物言いたげに動いたが、やがて彼はそれをやめると、わざとらしく長い長い溜め息を吐き出した。




