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14・not死体



 水に飲まれるような、

 それとも泡に押し潰されるような。

 柔らかくも強い衝撃に瞑った目をそろりと開けると、視界に映ったのは、茶色のソファと広いテーブルだった。


「っ……?」


 何度か目蓋を瞬かせると段々と視界が明瞭になっていく。そこでようやく、その部屋の全体像が見えた。


 広い部屋だ。いくつも並べられたソファと机、その下に敷かれたカーペット。少し端の方には本棚やカウンターテーブルもある。茶色を中心に塗られた部屋には暖かみがあり、一目ではアンティーク調な趣味のカフェやバーにも見えたが、やや散らかった机上や飾りではないであろうレンガ造りの暖炉からは生活感が漂っている。


「……談話室……?」


 呟くと、四季がこくこくと頷いた。そして繋がったままだった深陽の手を引くと、部屋の奥にあった二つのドアの右側に案内した。


「こっち?」


 ここに来てようやく、深陽は本の中が『寮』で、そしてここは寮の談話室なのだろうと理解した。恐らく左右のドアは男女の別れ道、深陽が右に案内されたのならば、こちらは男子寮なのだろう。


 ドアの前で四季は深陽に長い紐のついた鍵を渡した。鍵には、『18』と刻まれている。


 ──18号室ってことか。

 ──四季さんは女の子のようだし、ここから先は一人で行けと……。


「……ありがとう。これからよろしく、四季さん」


 礼を言うと、彼女は笑って返し、談話室のカウンターの向こうへ歩いていった。


「……いくか」


 ドアを開く。

 中に入った先にあったのは、談話室と同じような部屋──恐らく、男子用の談話室──だった。しかし違うのは、部屋が円形であることと、高い天井と、それから壁中にある()だった。縦に三列、横に十列ほど、昆虫の巣のように規則正しく連なっている。高い位置にあるものには側に梯子が立て掛けてあり、よくよく見てみればその扉たちには一つ一つ番号が振られてあった。

 一番左上から『1』、そのまま右に向かって数が増え、端に到達すると次の段から『20』と始まっている。


「18……は、あそこか」


 変わった作りだなぁ、などと思いながら目線を巡らせれば、部屋はすぐに見付かった。一番上の端の方──つまり深陽が立っているドア付近だった。掛けられた梯子はどう見ても木製だったが、手で握って強度を確かめると、折れる様子どころかしなる様子も無く鉄のような固さだった。


 ただ困ったのはキャリーケースだ。流石に持ったまま登りきる自信は深陽には無い。仕方無くキャリーケースは置いて、ローブを羽織り、紙袋だけを持って梯子を上がった。


「うぐ……っ」


 壁の扉は、本当に、足場も何もなく、ただ壁に扉が張り付けてあるように設置されていた。片手で梯子に捕まり紙袋を下げた重みで震えるもう片方の手でドアノブに鍵を差し込み、引いた。


「いて、いつつつ」


 紙袋の持ち手が深陽の腕の皮を挟み込み痛みを与える。それに堪えて扉の内側に上がると、涼やかな風が流れてきていることに気付いた。


「……着いた……」


 落ちてしまわないように直ぐに紙袋を部屋の内側に引き摺り奥へ急ぐ。例え学校内でも、この島の内側であるということを考えると、キャリーケースを放置したままというのは気掛かりなのだ。


 室内は薄暗く、冷たく少しじめっとした雰囲気があった。大抵の人は不快に感じるそれが、しかし深陽にはどことなく居心地の良さがあった。その空気を吸い込んだとき思い浮かんだのは故郷日本の梅雨の風景。冷たさの向こうには草花の青臭くもどこか甘い匂いがして、脳裏に住み着いた懐かしさを思い起こす。


 ──ただ、この暗さはなんとかしないと。


 恐らくどこかに窓なり電気なりあるだろうと、深陽は紙袋をその場に置いて室内を手触りで進む。と、壁に這わせていた指が何かの出っ張りに触れた。指先に力を込めればチカチカと部屋が光り瞬く。


 ──良かった、これで、


 思いの外早く電気をつけられ部屋全体に視線を転じさせた深陽の思考が──停止する。


「──っ!?」


 危うく悲鳴を上げそうになる喉。

 明るさに眩んだ瞳が見開き。

 脳が、足に力を入れるという命令を拒否したせいで背中が壁に打ち付けられる。


 眼前にあったのは──人。

 人だった。

 しかしそれが通常の人の状態と違ったのは、床に伏し、ぴくりとも動かないこと。


 一人部屋だと思っていたこの薄暗い静かな部屋で、暗闇から光に転じた途端目の前に死体と寸分違わぬ人の姿があったら誰でも腰を抜かす。そして例に漏れず、深陽も腰が抜けてしまったのだ。


 しかし深陽は恐らくこの倒れている人が死体ではない可能性に気付くと、四つん這いのままにそれに駆け寄った。


「だっ大丈夫ですか!?」


 体を揺する。反応は無い。


「もしもし!」


 体を強く揺する。反応は無い。


「くっ……すみません、ちょっと失礼!」


 謝りつつ指に爪を立てる。反応は無い。


「そ、そんな……」


 ──まさか本当に死んで……!?


 深陽の耳に、ザッと血の気が下がる音が聞こえた。


 ──初日からこんなことになるなんて……!

 ──とにかく誰かを呼ばないと……!


 混乱を極めてぐるぐる回る視界の中、談話室の四季を呼んでこようと顔を上げた彼の目に──ふと、黒色が映る。


「……?」


 黒。そう、黒。


 黒い髪。

 黒い上着。

 それから首辺りから出てきている黒いゴムカバーをつけたドッグタグ。


 暫く深陽の脳が読み込みの時間を要する。


「………………アルファルドさん?」


 長引いたロード時間が終わって出たものは、編入試験の監視官だった男の名前だった。


 そして死んだと思われた男──アルファルドは。


「ぅるせー……ぇな……」


 と、理不尽な言葉と共に墓場から這い出るゾンビのようにゆっくりと身を起こした。

 海色の双貌が気怠気に──そして、どことなく虚ろに──深陽を捉える。


「よ、良かった、生きてて……」

「つーか確認するなら脈拍とかじゃねーのかよ……」

「……そうですね」


 言われてみて、初めて納得する。

 確かに意識レベルを知ることも大切だが、生死が不確定ならば普通脈や呼吸を見る。

 思っていたより自分がパニックになっていたのとを知り深陽が己を恥じた頃、目の前の男はようやく体を完全に深陽に向けた。


「……お前ミハルか?」

「はい、深陽です」


 今更?、と思いながらも頷く。


「あーなるほど、今日だったか。入学したの」

「はい……えっと、アルファルドさんはどうしてここに?」

「どうしてもなにもここは俺の部屋だっつの」


 「え」と溢しながら、深陽は改めて部屋を見回した。

 視線を引くのはあまり見かけない部屋に吊るされた薬草らしきものや謎の金属片だったが、他に、二つの机と二段ベッドがあった。

 つまり。


「二人部屋だったんですか」

「説明受けてねぇの?」

「……聞き逃してたかもしれません」


 深陽はそう思ったが、実際はケイトの説明のし忘れであった。


 ──先生と二人部屋なのか。

 ──編入してきたし、一緒の部屋になる人がいなかったのかもしれない。


 この男が自分が案内された部屋にいた理由を自己解釈していると、


「つかさ、さん付けとか敬語はもういいだろ」


 首を回しパキパキと音を立てるアルファルドがそう溜め息を吐いた。


「でも、先生ですし……」

「は?」

「え?」

「誰が先生だ?」

「アルファルドさんが……」

「はァー?」

「え、え?」


 「ナンセンスなこと言ってんなよ」と言われ、戸惑う深陽。


 目の前の青年は確かに若いが、どう見ても二十は越えている。高い背に大人びた顔。なにより、乱暴な言葉使いの中でも深陽よりも数年長く生きた知性がある。


 教員でないのなら──と考えたところで、

 深陽は、そう言えば彼が自分から監視官とは言っても教員を名乗ったことは無かったことを思い出した。


「ドーキューセーだっつの。勘弁しろよ、先公なんて面倒な仕事するか。あ、でも歳上だからそこは敬えよ」

「……歳上の……同級生」

「二十二な」

「なんと」

「あと荷物そんだけ?」

「いや、まだ下に……」


 生徒皆平等を掲げることから高校生以下は飛び級は出来ない日本で育った深陽に歳上の同級生が出来たのは、これが初めてであった。




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