12・制服
犬が向かった先は赤褐色の塔の方だった。真っ直ぐ進むと、やや大きな入り口が扉を開けて待っているようだった。あそこだろうかと深陽が考えていると、薄暗いその中で誰かが横切る気配がした。例えあそこが事務局でなくとも、人がいるのなら場所を訊けるだろう。深陽は胸を撫で下ろし、入り口に足を踏み入れた。
「……こんにちわ」
開けた中は外から見た印象とは違い優しいオレンジ色の照明が壁やフローリングを照らしていた。誰かが居そうな気配はするが、姿は見えない。向かって左にもう一つ扉と窓口らしきもの、右側にはパネルで隔てられた先に向かい合ったソファとその間に設置された机があった。床は木製のように見えたが、深陽が踵をつけるとコンと金属音のようなものが鳴った。
──多分、ここで合ってるな。
安心感と共に犬にもう一度礼を言おうと外を振り返ったが、気付けば彼は案内するだけの存在かのように既に居なかった。
「イカリ・ミハル君?」
「ぅわっ!」
今の今まで顔を背けていた方向から声をかけられ心臓が跳ね上がると同時に──どことなく聞き覚えのあるそれに、深陽の中に小さな疑問が生じた。
「あ、ごめんなさい。驚かせちゃったね。制服取りに来たんでしょう?」
声の主は眼鏡をかけた小柄な女性だった。黒に銀の刺繍をされたマントを、右肩のみに羽織っている。
「えっと、はい。…………あの……」
「はい?」
柔らかいが鐘を打つようにハッキリと聞き取りやすい声だ。やはり知っている、と記憶を辿り、この学校関連の出来事を一つ一つ思い出した一番最後に、思い当たるものが。
──『大丈夫、大丈夫です。貴方にパンフレットを送ったのは他でもない我が校長なのですから。またお会いできる日を楽しみにしていますよ』。
脳裏に浮かんだのは子供をあやすようなその言葉と、あまりにもロックな保留音。
「……電話の……?」
「えっ」
確かめるように言う深陽に女性職員が眼鏡の奥の瞳を丸くする。
「よくわかりましたね!」
「綺麗な声でしたから……あのときは案内ありがとうございました」
「いーえー。貴方は丁寧なヒトですね」
背伸びをして深陽の頭──微妙に届かなく手の位置は頭というより額だが──を撫でる彼女の様子から、小柄で童顔であったが深陽よりやはり年上のようだった。そんな彼女は手を下ろすと「そこに座って待っててくださいね」とソファを指差し左手の扉に入っていった。
言われた通りにやたら座り心地の良いソファに座って待機していると、女性職員が両手に箱やら紙袋やらを抱えながら扉から出てきた。
「て、手伝いましょうか」
「だいじょぶだいじょぶです!」
彼女がよろけながらも運んだものは、ドッサリと机上に置かれた。大きいものが一つと小さいものが一つ、それから教科書が入っている紙袋が二つ。
そして彼女は深陽の反対側のソファに腰を下ろして、
「じゃあ説明しますね」
と姿勢を正した。吊られるように深陽も背を張り「はい」と返事をする。それににっこり笑った彼女が、紙袋から教科書と薄めの冊子をそれぞれ一冊ずつ出した。
「紙袋に入っているのは必修科目の教科書と学校の地図とかが乗ってる冊子です。前者は無くしても付属の本屋で買えますが、後者は難しい魔法がかかってて数が少ないので無くさないように注意してください」
「魔法が……?」
「ああ、別に破いたら爆発とかそういうことにはならないので安心してください! ただ、そうですね。今言った通り破けたりなんかすると、リアルタイムで情報を反映する魔法が狂ってしまったりするから、どうか気を付けて」
「はい」
「去年は教科書にコーヒー溢しちゃった子から角が四本も生えちゃってそりゃもう大変だったんですよー」
「つ、つの……!?」
「二年生の先輩だから演習のときにきっと会いますよ」
ふふふ、と含み笑いをする女性職員。出していた本を元の本と本の隙間に戻すと、「さてここからが大事」とまた笑った。
そして大きな箱と小さな箱を、深陽の前に寄せる。
「制服と生徒手帳。……といっても貴方の故郷とは少し違うと思うけど……」
まず開けられたのは小さい箱の方だ。
中にあったのは、蔦の絡まった冠が上蓋に彫られたハンターケースの懐中時計だった。鈍い金色をした本体を細い鎖が繋いでいる。
「……時計?」
生徒手帳と訊いていたのに反して出てきた見慣れないものに、浮かんだ疑問をそのまま口に出すと女性職員が「そう、この時計が生徒手帳」と答えた。
「中を開けてみてください」
彼女に言われるがまま鎖の繋がった部分──竜頭と呼ばれる──を押してみると、上蓋がカチッと音を立てて少し開いた。それを持ち上げてみれば、あったのは普通のアナログな時計版と、上蓋の裏側には深陽の名前と生年月日、それから学校名が刻まれていた。
──日本語だ。
使われている文字は、この島に来て初めて見る懐かしい母国語だった。
「日本語で通じるんですか?」
「ああ、それ見る人によって知ってる言語に変わるんです」
「……魔法ですか?」
「魔法ですとも」
そんなことまで、と驚く深陽に、女性職員は片眉を上げる。
「さてはミハル君、まだ魔法を信じてないでしょう?」
「い、いえ。この島に来て、不思議なことはたくさん体験したので」
「そう?」
「……なんていうか、……魔法は、あると思いますけど、俺がこの学校の生徒になる理由が……よくわからなくて」
──不可能を可能にしてしまうものを魔法と呼ぶのなら、
それが存在することは、十二年前のこの島の出現や、編入試験のあれやこれやを思い返せば──深陽が考えるよりもファンタジーではなくとも──存在することは納得できた。
ただ一つ彼がわからないのは、自らがこの島に喚ばれた理由だ。
どんな基準かは不明だが、誰でも編入届けが来るわけではないのだろう。ならば、自分はどんな基準に当てはまっているのか。これが幼い頃から幽霊が見えていたとか親が魔法使いだったなら話は早いが、今のところ深陽にそんな記憶は無い。
努力すれば扱える保証もない。力の限り勤勉でありたいとは思うけれど、もし全く上手く行かなかったらということを考えると、小さな不安はときに心臓を跳ね上がらせた。
顔を伏せた深陽に女性職員は微笑みかけた。一人息子を見るような、母親じみた表情だった。
「元から魔法使いだってわかってて呼ぶわけじゃないんですよ」
「え?」
「授業で習うと思うけど……元々この学校は、人界で魔法使いになってしまった子に力の扱いやルールを教える場所なんです。それが今の校長先生の作った魔法で、魔法を使う前から魔法を使える才能がある子を見付けられるようになったんです」
「えっと、じゃあ……」
「さっき角が生えちゃったって言った子は、二年生になってからようやく魔法が使えるようになりました。……焦るかもしれないし、もしかしたら学校にいるときは魔法を使うことはないかもしれない。でもそしたら、それはそれでラッキー! でも良いんですよ。魔法って、人界で思われているほど良いものでもないですから……」
苦笑いした彼女だったが──直後にハッとして自分の手で口を塞いだ。
「って、ごっごめんなさい! 新入生なのに! あのっ魔法楽しいですよ! 薬草学とか! サリー・ポッターは好きですか!? 箒……、にはあんまり乗りませんけど、乗ろうと思えば乗れますよ!」
慌てた様子を隠せずに手を大きく振って伝えようとする彼女に、深陽は眉を下げて笑う。
「楽しみです」
気遣うつもりはなく、ただ正直に出た言葉だった。
一度外れかけた道が再び戻り、人並みの青春を送れる準備の最中なのだ。──勿論不安はあるが、楽しみでないわけがない。
深陽のその言葉を聞くと、女性職員はピタリと動きを止めて、深陽の顔をまじまじと見ると、再び微笑んだ。
「そう言ってもらえると、嬉しいな」
乱れた髪を一撫でしてから、彼女は先程とは打って変わり再び落ち着いた様子で一番大きな箱の蓋に手をかけた。
「……魔法なんていう夢のようなものを現実に引き込むため。貴方がこの学校の生徒であれるように。そしてどうか、貴方の手助けになれるように、これはあります──ハッピーバスデー、小さな魔法使い」
嬉しそうな顔の女性職員が開いた箱の中にあったのは、
冬の夜空のような漆色のローブだった。
「……!」
ただの黒い布に見えなかったのは、随所に縫い付けられた青い刺繍と、背中部分に同じ青色の糸で描かれた冠を被った蛇の模様によるものだった。
深陽にとって、学校の制服と言えばブレザーか学ランだ。
確かにイギリスなどの学校ではローブに似た形の制服が用いられると聞いたことはあったが、実物を見るのも、ましてや自分が着ることになるのも初めてだ。
箱から出して広げて照明に照らして見れば、光を僅かに反射する素人目にもわかる上質な布地と寸分の狂いもない鮮やかな刺繍。──酷く純粋な魅力に、目が惹き付けられる。
「うん、少し大きそうですけど、袖が邪魔でしたらアームクリップで止めてください。あ、ローブの下は私服で良いすからね」
「……ありがとう、こざいます」
「いいえ。よし、あとは寮への案内ですね!」
パンと手を打った女性職員が立ち上がり、深陽もそれに続く。──ただし、新しい制服に目を奪われていた彼は直後にパネルと激突することになったのだった。




