11・レッツゴ魔法学校
そうして、コローナ島に帰ってからの深陽は怒濤の夏休みを過ごした。
まず問題となったのは大量の課題だ。数学に英語に世界史。世界史はほとんど暗記のみなためなんとかなりそうだったが、入学からほとんど授業を受けていない数学と英語は深陽一人では理解し難い部分が多かった。そのためまた別の参考書を買い、それでもわからない部分は光子や高校受験の際に世話になった塾の講師に訊いて回った。
課題提出の期限は十月までと言われていたが、入学後のドタバタを危惧した深陽は夏休み明けの提出を目指していた。一月分圧縮されたノルマページ数は恐ろしい数だったが、これが終わった日に学校が始まると思えばそこまで苦ではなかった。
次に大変だったのは入寮の準備だ。使いそうな参考書や生活用具は一通り揃えておくようにと届けられた書類にあったため服やら食器やら収納ボックスなんかを纏めるのが大変だった。特に服は深陽が家にあるのでいいと言うのに対し夏野が「兄さんこういうときに買わないといつまでもおんなじの着てるでしょ!」と深陽をショッピングモールに連れ出したおかげで彼は半日を着せ替え人形として過ごした。
お陰でその日の内に諸々も買い揃えることが出来たため結果的に感謝しているのだが、女子というのは本当に服に関しての買い物が長いと実感した日だった。
最後に行ったのは部屋の掃除であった。日本を飛び立ち再びコローナ島へ向かう前日、彼は十五年と少しを過ごした自分の部屋を整理整頓した。元々そこまで物が多くなく、また着替えなどの必要そうなものを既に寮に送ったため室内は寂しい雰囲気になっていたが、少しシミのある壁や幼い頃の落書きがそのままの机上を改めて見直すと、少し、胸に詰まるものがあった。
そんな夏休みを経て、
ついに出立の日はやってきた。
九月一日。編入試験の日と同じように玄関でキャリーケースを手にリュックを背にした深陽は、今生の別れのような顔で見送る妹といつも通りのニコニコ顔の母に送り出され、「手紙を送るから」と家を出た。
今日から登校する学生が多いのか電車や駅内は込み合っており、そして空港内もいつも通り混雑していた。キャリーケースを握る手にしっかり力を入れて、深陽は飛行機に乗り込んだ。
窓際の席。隣に座る初老の男性が浅い眠りの内にこちらに寄りかかってしまっているのをそのままにし、彼は小さくなっていく日本列島に見送られる。──次に戻るのは年末だろうか、そう考えながら、彼もまた少しの間眠りに落ちた。
ミラノに到着すると、例の男性が寄りかかってしまってことを申し訳なさそうに謝ったが、深陽はそれに「いえ」と首を横に振った。ここからまた電車で移動し、ようやく辿り着いたヴェネツィア。一度行ったことがあるため今度は迷うことも無く乗る電車もすぐにわかったが、やはり言葉が通じないのは不便なもので、次に来るときはスケッチブックを持っていって絵で書き伝えてみようと思った。
「…………長かった」
特に飛行機が。そう溢して、彼は客船ターミナルまでの道中を行く。
夏休みが終わりキャリーケースをゴロゴロしている者は目に見えて減っていた。そんな中一人でゴロゴロ、ただひたすらゴロゴロ、船場を目指してゴロゴロ。手に伝わる振動に痒ささえ感じてきたところで、ようやくターミナルに到着する。
──赤色の船、だったな。
目を凝らすが、連日の勉強に使いすぎた目はしょぼつく。海に反射された光のせいで伝わってくる風景が正しいものなのかどうか怪しいためもう少し近くにいくかと歩を進めると、その足を阻害する柔らかなモノがあった。
視線を下に落とす。
「……出たな」
「ブヒュンッ」
もはや風邪をひいているのではないかと思わせる鳴き声を発すのは、灰色の毛並みを持った犬──編入試験の日、深陽の胸ポケットのペンを盗んだ中型犬だった。深陽はまた胸にささっているペンをさっと手で隠す。
「また会えて嬉しいけど、今日も急いでてな。そこを通してくれるとありがたい」
「ヒュン……」
犬を相手に道を譲ってくれるよう真剣に話す深陽を見てか、犬は足元から退いた。が、今度は深陽のスラックスを甘噛みして引っ張り出す。
「ブシュッ」
「……仕方ないな」
口からスラックスを離す様子は無く、深陽は一つ溜め息を吐いて犬の引っ張る方向に足を進めた。
海に沿って、
誰も阻む者のいない道を、ゴロゴロと音を立てて歩く。
犬は深陽が遅れていると感じると立ち止まっては振り返り、深陽が追い付くとまたチャッチャッと爪音と共に進んだ。賢い犬だ。そう考えながら犬が座った場所に──赤色の船が停泊していた。
深陽はなんだかデジャヴを感じて、編入試験の日を思い出す。
あの日も、ペンを奪ったこの犬を追いかけた先に自分が探していた船があった。
「……君はもしかして、案内役だったのか?」
「ヒュン」
肯定なのか否定なのかわからない返事に、深陽は「そうか、ありがとう」と頷いて、犬を一撫でした。
船内に顔を覗かせて声をかけると日に焼けた肌を晒す海の男、サックが編入試験の日と変わらぬ笑顔で深陽を迎えた。
船は間も無く出航し、
そして魔法の力によってすぐさま島に到着した。
最早この不可思議非科学的現象に一々驚いていたら心が持たないため、犬のことや船の瞬間移動のことは学校で勉強しようと深陽は強く心に決めていたのだ。
島の様子は相変わらず戦々恐々で、混乱と混沌と活気を混ぜて練ったものを塗りたくったような街であったが、今度は目指すべき場所がはっきりしている。深陽は細心の注意を払いながらも、例の塔を目指した。
街を抜けると、しばらく静かな場所が続く。
風景はビルや建物から緑が徐々に増え、雑木林を抜けてようやく辿り着いたそこには、幅の広い橋があって、その先へいくと一本の赤褐色の塔が見えた。
それを囲むように下手にブロックを積み重ねたように凸凹と重なって建てられた建物群があり、側の正門前までいくと塔と建物群の間には芝生が敷かれ、ベンチや噴水、子供の遊び場のようものがある。それと、これらをさらに囲んで植えられた緑。奥の方には今までは見なかった森さえ見える。
それが、『糸』を除く建築物の中でこの島で一等高い塔を建てたと言われるイヴァラ・キルキヌス現校長が創立した『コローナ・ボレアリス学院』の外観だった。
その第一印象は、
「──大きすぎる」
の一言に尽きた。
書類にはまず『事務局』という場所に向かえという指示があった。
しかしその事務局がいったいどこなのか。
──主要になる場所ならやっぱりあの塔のどこかだろうか。
──いや、入り口から近いあのテトリスみたいな建物のどこかか……?
塔を囲む建物群──その『C』の形のように一ヶ所だけ開いた道からとりあえず塔に向かって恐る恐る歩く。
塔は『C』内の丁度中央にあるが、塔の大きさからか遠近感が狂い目測よりもかなり遠く感じられた
開校日が明日であるため生徒らしき者の姿は見えない。その代わりに羽の生えた蛇が飛んでいたり足の生えた魚が歩いていたりしているが、どれも言葉は通じそうにない。──これは探すのに時間がかかりそうだと深陽が思ったとき、足元に、またフワフワとした感触が触れた。
──……。
もはや、確認するまでもない。もう三度目になるのだから正体はわかっている。だがしかし、本来、彼はイタリアにいるはずなのだ。なのに何故コローナ島に。その疑問を解決すべく、深陽はそっと足元に視線を落とした。
「お前、イタリアにいたはずじゃ……」
「ヒュンッ!」
そこにいたのはやはり灰色の毛をした一体の中型犬だった。
いつの間にか船にのっていたのだろうかと考えたところで、深陽は首を捻った。イタリアの船場にいた犬は真っ直ぐ長い毛をしていたが、この犬はくるくると巻かれた短い癖毛だ。よく似てはいるが違う犬に思えた。
「フシュン」
犬は深陽の先を少し歩くと、振り返ってそう鳴いた。
「もしかして、事務局の場所がわかるのか?」
「ヒュ」
「ありがとう」
これもまた肯定なのか否定なのか不明な鳴き声に礼を言って、深陽は犬の後を着いていった。




