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10・報告



───



 編入試験報告書。

 観察・記載者──


 試験日時──七月十八から十九日。

 試験会場──コローナ島北部。


 受験者名──イカリ・ミハル。

 備考──十五歳。日本人。母と妹の三人暮らし。東京都新宿区幾倉(いくくら)高校を四月に入学後、間も無く自主退学。


 試験結果

 総合評価B+。判断力、冷静さ、行動力において平均値を上回る。特に判断の早さと行動力に秀でているが、的確さは一歩及ばず、他人を見捨てられず自らの身の安全を確保しきれない点が有る。第三者による護衛を推奨する。

 異様に飲み込みが早く、思考を放棄しているのか本当に納得しているのかは不明。

 表情による感情表現に乏しくコミュニケーションに難がある可能性有り。しかし言葉は素直であり、協調性においては実際にクラスメイトと接触させなければ正確には計れないと考える。様子を見つつフォローを入れれば編入後の生活も困難ではない。

 

 魔法について

 試験中、本人は魔法については全くの無自覚と述べている。推測ではあるが、『発現』はまだではないかと思われる。

 身体面──日本人の平均身長・平均体重から逸脱した様子は無い。瞳の色はやや琥珀色寄りであること以外に、多少の体力の低下の他は目立つ外傷や肉体の変化の徴候は無し。

 心理面──何らかの恐怖症、PTSDの徴候無し。魔界の者との意思疏通も難なくこなす。大人しい・物分かりが良い印象を受ける。


 以上。



───



 コローナ島。

 コローナ・ボレアリス学院中央棟の廊下。


「おや……?」


 友人──アルファルドから昨日提出された報告書に目を通していた学院の校長は、記載者の欄にサインが抜けていることに気付いた。


「……今の時間なら寮にいるかな」


 長い長い髭を指で撫で、彼は縦長の瞳孔を持つ瞳を細めながら試験の様子を思い出す。


 ──ミハル君か。不思議な子だったな。

 ──自分と大きく異なる者を見ても、ほとんど取り乱さなかった。


 彼は下の階にある寮の方向に足を向ける。魔法で飛ぶ(・・)ことも出来たが、それをしないのは生徒に無闇に使ってはいけないと教える立場なのに気軽に使っては示しが付かないからだ。例え今が夏休み期間で、回りには生徒どころか教員すら居なかったとしても。

 そういったことから大きなサンダルで歩く中、A4サイズの報告書の一番下に書かれた編入予定の生徒の備考を読んで、生徒全ての親である校長は髭を撫でる手を止めた。


 ──『大人しくて物分かりが良い』……か。


 正しく客観的に考察された評価だ。注意深く深陽を観察していたアルファルド以外の者でもそう抱くだろう、どこにでもありそうな第一印象。


 ──大人に好かれる子の特徴だ。


「……ただの社交性なら良いんだけどねぇ」 


 一人ごちて、彼は廊下の窓の方に視線を向ける。

 清々しい青空のずっと先にあるのは海。それを越えたところにあるのは、小さな東の島国だ。


 今頃自宅に到着しているだろう少年を思って、彼は太陽の光に照らされる廊下を歩いていった。

 


───



 同時刻。

 日本・深陽のアパート。


 空港から帰り、昨日の出来事と暑さと荷物の多さによる疲労のあまりヨレヨレの足で、深陽はこのアパートにエレベーターが設置されないことと部屋を最上階の四階に決めた母のことを少しだけ恨みながら階段を上っていた。


「あつい……つかれた……」


 大袈裟に震える汗ばんだ手で鍵を差し込み玄関を開け、足で閉じるのを防ぎながらキャリーケースを中に押し込んだ。


 そしてなんとかドアを閉め。


「……ただいま」


 ほんの数日間の外出。

 けれど体感で一年は帰ってなかったような気分で、彼は帰宅の言葉を呟いた。


「おかーえりー」


 直ぐに返ってきた声は妹、夏野のものだった。時刻は既に夜の十九時。夏休みも活動している学校の部活を終えて帰ってきていたのだろう、と彼が推測していると、廊下の先にあるリビングの扉が開いて彼女がひょっこり顔を出した。


「手伝うー?」

「大丈夫。晩ご飯どうした?」

「お母さん今日遅くなるから、兄さんも遅くなるようなら二人でどっか食べてきなって」

「わかった。何食べたいか考えときな」

「もー決まってまーす!」


 深陽が大丈夫だと言うのに、夏野は玄関まで歩み寄ると着替えに加え教材が入ったキャリーケースを重たげに引っ張っていった。出来た妹のその姿に、深陽は苦笑って「ありがとう」とその後を追う。


 一つ扉を開けた先のリビングは数日前と変わらず居心地の良い生活臭に満ちた部屋で、まだ幼さの残る彼の胸に帰ってきたという安心感を伝えた。

 ソファにリュックを下ろし、財布を取り出し中を確認すると二人で外食するには少し心許ない金額しか入っていなかったため、テレビの乗ったサイドボードの引き出しから家用の財布を取り出し入っていた五千円を自分の財布に移す。


「いくか」

「え、もう? ちょっと休めば?」

「明日も部活だろ? 荷物の整理は帰ってきたらにするよ」

「んー……、わかった!」


 元気良く返事をして、夏野は一つ隣の部屋に引っ込んだ。部屋着から簡単な外出着に着替えようしているのだろうとそれを横目に見ていた深陽は台所に移動し冷蔵庫から麦茶を手に取る。


 ──しまった。麦茶のティーバッグがそろそろ無いんだった。


 行くときは買って帰ろうと覚えていたのにすっかり忘れていた失態に彼は思わず渋い顔をした。妹には悪いが帰りに寄り道をさせてもらおうと考えながらコップに麦茶を注ぎ、半分ほど満たされたところで麦茶を冷蔵庫に戻して、コップに口を付ける。

 一口飲めば、大麦の香り高いすっきりとした麦湯が夏の暑さで水分を奪われた口腔内と喉を潤す。弱火でじっくり煮られてしまった脳内まで冷やされるようで、ふぅと一息つくと、体内で燻っていた熱はたちまち消えていった。


「兄ちゃ……兄さーん、もう出れるよー!」

「……今いく」


 夏野の呼びかけに、深陽はコップを流しに置いて玄関へ向かった。




 夏野に近所のファミレスのドリアをねだられた深陽はそれに頷き夕食の場をそこに決めた。


 平日の夜、そこそこ賑わっているファミリーレストランのボックス席。

 嬉しそうな顔でミックスドリアを頬張る妹は、今年で中学二年生になる。

 最近どうやら大人っぽさに憧れているらしく、髪をのばして下ろしてみていたり、『兄ちゃん』呼びを『兄さん』にしていたり、観るテレビの番組がアニメからニュースに変わっていったりと目まぐるしい。それを可愛らしい背伸びだなぁと口に出してしまうと怒るので、深陽は口をキュッと結んで彼女の好きにさせていた。


「それで、合格っていつわかるの?」


 さも深陽が試験に合格することは当然のような問いかけに、深陽は「ああ」と相槌を打つ。この訊き方はなにも嫌味や威圧の意図はなく、単純に、自分の兄が編入試験に向けて懸命に勉強に励んでいた姿を見てのことだった。


「当日にもう発表はされたよ。合格だって」

「あ、そうなの? じゃあ寮に入るんだ?」

「うん。また案内のこととかは書類が届くって……入寮手続きと制服を渡すから学校開始の一日前に来ることになるとは言ってたな」


 ──帰り際、監視員のアルファルドは深陽を港まで送ってくれた。

 「監視員(この)アルバイトは時給制だからなるたけお前といた方が金が貰える」だの言っていたが、五秒に一度隕石落下並みの災害が起こる島で魔法使いの彼が側にいることは大変心強く、深陽は素直に彼に礼を言った。


 港までの道で彼が気紛れに話してくれたことは三つ。

 寮に入る手続きと制服についての説明のため、深陽が島に来るべき日は学校開始の前日だということ。

 暫く──もしくは運が悪ければ永遠に──帰れないだろうから家族とやり残したことがあったらやっておくこと。

 それから──島に魔法使いの学校があることは、本当に信頼できる人にしか喋ってはいけないこと。


 ──家族……くらいだな。


 『信頼できる者』と言われて浮かぶのは、母と妹くらいだ。それに一抹の悲しさを感じていると、その妹がなにやらこそこそと深陽に顔を近付けた。


「ん?」


 内緒話か、と深陽も耳を近付けると、少し上擦った彼女の声が「あのさっ」と切り出した。


「ゴーカク、おめでとう、なのと。あの、どうだったの? 本当に、魔法あったの?」


 もにょもにょと話す彼女の顔を見ると、自分とよく似た色の瞳が宝石を写し取ったように輝いている。

 ──大人っぽさに憧れ、髪をおろして兄の呼び名を変えてニュースを見始めても、内側はまだ幼い少女の域を抜け出していないのだろう。『魔法』なんていうお伽噺に胸を踊らせない子供はいない。


 そんな彼女に、兄はふっと笑う。そして、小さく身を乗り出した。


「試験が終わった後、アルファルドさんという先生とご飯を食べに行ったんだ」

「え? うん」

「あまり日本では見ない店だった。大きな樽が机代わりになってて、内装はバーに似ていたけれどメニューはつまみから腹に溜まるものまで豊富そうだった。俺たちが頼んだのはピザと飲み物。それで、不思議なことにな……?」


 深陽はやや演技がかったような仕草で机上のコップを指差し、先程の夏野と同じように彼女に顔を寄せて声のボリュームを落とした。


「机には、空のコップが二つあったんだ。最初は前にいたお客さんのものがそのままだったのかと思ったが……アルファルドさんと話している途中でふと気付くと、頼んだ飲み物が並々と注がれていて……」

「えぇっ!?」


 思わずといった風に声を上げた夏野がはっと口を自分の両手で塞ぐ。


「さらに何もないところからキャリーケースを出したりピザがいつまで経ってもホカホカのままだったり空から育毛剤が降ってきたり……」

「わぁすご……育毛剤?」

「育毛剤」

「そっか……でも兄さんには必要なくない?」

「まぁ当分はな……でも本当に降ってきたんだ」


 その後も、深陽の話をキラキラとした目で聞き入る妹の姿に、彼はこの嬉しそうな顔を見れただけであの島に行って良かったと思えた。

 ここ最近は彼女と楽しい話題を共有できることは中々無く、彼女は彼女で部活が忙しかったし、深陽は深陽で勉強と学校探しに忙しかった。そのため、どこのきょうだいにもありそうなこの一時が、深陽にとっては特別なものだった。


 そう、学校探しは終わった。

 決めることが出来た。

 喜ばしいことだ。少なくとも、ここから頑張ればもうドロップアウトの可能性は失せるだろう。

 だが──。


 ──寮に入ったら、母さんや夏野にしばらく会えない。

 ──二人で大丈夫かな。


 幼い頃に父が病で亡くなってから、母光子は自分たちを望む学校に進学させようとアルバイトをしながら看護学校に通い、今はもう病院内では中堅の立ち位置にいる。そんな母に代わってこの妹の世話や家事をやってきたのは深陽だった。──それは、小さかった妹が成長した今もあまり変わらない。


 自分が家を出た後、その穴を埋めることになるだろう母と妹の負担の大きさを思うと、深陽はどうにも心配になった。


「……兄さん?」


 話の途中で声がフェードアウトしてしまった深陽を、夏野は不思議そうな顔をして覗き込んだ。


「……夏野」

「はいはい?」

「なんというか……さっき言った通り俺は寮に入ってしまうから、家のことは夏野にかなり任せてしまうんだ」

「うんうん」

「……その、大丈夫か? 部活も忙しいだろう」


 深陽の問いに、夏野はふいにニヤッと笑った。

 悪戯を思い付いたような顔だ。


 そして彼女は一つ咳を払うと、なにやら姿勢を正した。


「我が兄にご報告がありまーす」

「ん? どうぞ?」

「彼氏が出来ましたー」

「そうか、おめ…………、……!!?」


 水が高いところから低いところに流れるが如く自然な流れで言われた重大発表に、深陽は目をかっぴらいた。


「なんっ……!?」


 色々な気持ちが混ざり合って出た変な声を押し込んで、深陽は、緊急会議を脳内で開く。


 ──何故このタイミングで発表!?

 ──いつの間に!?

 ──まだ早いのでは!

 ──いやしかし、中二ならばいてもおかしくないだろう。彼氏の一人や二人。

 ──一人や二人!? 二股!!?

 ──いやそうじゃない! 相手は誰か、それが問題だ!

 ──同じ運動系の部活の男子だろうか……!?

 ──どんな子だ!

 ──落ち着け! 夏野はちゃんと人柄を見る子だ! きっと大丈夫……!

 ──よし、そう、クールダウンしよう。

 ──今言うべき言葉はなんだ?

 ──根掘り葉掘り聞きたいことはあるが、こういった話題において兄の務めは相談されたときにのみ本領を発揮する。

 ──今がそのときでは?

 ──ええい黙れ! 余計なことを話すな! とにかく今は──!


 妹愛しさ故の探求心と抑制心と好奇心となんらかのショックが正面衝突を起こした結果。

 深陽はすっと顔を上げ。

 

「……おめでとう」


 と、なんてことのない無難すぎる言葉を発した。


 そして無理して落ち着いた代償のようにゴフッと噎せると、「いや」と首を横に振る。


「それが……どう話に繋がるんだ……?」

「いやーだからね。彼氏と一緒にいるとほら、なんとなく将来奥さんになったときのこととか妄想するじゃん?」

「ぬぐっ」


 『奥さん』という言葉のダイレクトアタックを受け流せない深陽。そんな兄を放って、夏野はジュースを一口含んでから続きを話す。


「で、私気付いたの。私って自分でお弁当も作れなければ部屋の掃除も苦手だし、いっつも家事とかは兄さん任せだったなって」

「……まだ中学生なんだから珍しくはないんじゃないか?」

「でも兄さんは小三のときからやってたよね」


 遮るような強い言葉に、理由なんて沢山並べることが出来たはずの深陽は思わず「それは……」と口ごもった。


「まぁ、とにかく思ったわけですよ。花の乙女がこのままじゃいかんなって。だからさ、兄さん」


 にこーっと歯を見せて人懐っこい笑みを浮かべた夏野は、はっきりと深陽と目を合わせた。


「家や、母さんのことはさ、私の花嫁修行の練習になるなって程度に気楽に考えててよ。心配しないで」

「……無理はしないか?」

「無理したがるような妹だと思う?」

「自分の限界をちゃんと把握している妹だと思う」

「でしょ?」


 うんうんと頷く夏野。その笑顔に無理をしているような様子は微塵も感じられない。


「……わかった。任せる」

「おうともさ」


 長年、共に家を支え続けてきた二人。

 主たる役割のバトンを渡された妹は、兄から見て一歩大人に近付いたようであった。



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