1話 「死人が哂う」
この作品に、まともな主人公は居ません。始終血生臭いです。
大丈夫な方だけ、この先を読んでくださると幸いです。
――嗚呼、僕の願ったことはそんなに罪深いことだったのだろうか?
心臓を貫く剣が酷く冷たい。まるで氷で出来ているみたいだ。冷たい、つめたい……痛くはない、ただただ冷たい。
僕は咳き込む。跳ねるたびに、視界にパッと赤い飛沫が散る。でも、その赤も最初の頃よりは幾分褪せてしまった。いつか、かあさまが見せて下さった写真というものに似ている。色褪せて灰色に、世界が塗りつぶされていく。
――死ぬ、のだろうか。
僕を庇う様に覆いかぶさったかあさまは、赤く染まって、硬くなってしまった。僕と同じ、剣で貫かれて、真白いドレスを、赤く、赤く染めている。じくじくと、滲んでいたそれも、もう時を止めてしまったよう。
かあさまは、死んでしまったのだ。
僕はまた、咳き込む。ごぽっと嫌な音がした。痛くはない、けれど、ぐんと寒くなってきたような気がする。僕も、かあさまのようにもうじき、向こう側へと渡ってしまうのだろう。
(貴様さえ、居なければ)
パチッと、腹の底が熱くなる。火をつけられたように、そこだけが熱を帯びて、激しい衝動が、体を駆け巡る。嗚呼、そうだ、どうして、僕は、かあさまは殺されなくてはならなかったんだ。
僕が、何をしたというのか。僕はただ、ただただ、貴方に振り向いて欲しかっただけ。
――そう願うことすら、死に値する重罪だったというのか?
違う。違う違う。
どうして、死ななきゃならないんだ。僕も、かあさまも、何もしてない。
ねえ、どうして、どうして?
憎い、憎い……黒い感情が、じくじくと浸食していく。だが、もはや身体は石のよう、去りゆく影を見つめることしか叶わない。そんな僕を嘲笑うかのように、死が、僕を捕えて深い闇の底へと引きずり込んでいく。
暗い、寒い、誰も居ない、何の音もしない、永遠に続く、底なしの闇。
先に逝ったかあさまの姿は無い。かあさまが話してくださった、天使様も、それを統率される神様もどこにも居ない。ただ、ひたすらの闇、虚無。
――ダメだ、僕は。
まだ、死にたくない。戻らなきゃ。戻って、あいつを……あいつ“ら”を……!
「ぶっ殺してやる!」
そう叫んだ次の瞬間、全身に鈍い衝撃が襲い掛かる。どうやら、夢を見ていたようだ。寝ぼけて身じろぎしたところ、寝床にしていた木の枝から落下したらしい。
青年はバツが悪そうな表情を浮かべながら、服についた土や草を払いながらゆっくりと立ち上がる。
あたりはしんと静まり返り、深い闇が支配する。鬱蒼と茂ったこの森には、人の気配はもちろん、野生の動物の気配すらない。
ただ、死者の気配だけが、至る所から感知できる。
(チッ、めんどくせぇな)
さっきの叫びを聞いたのだろう、奴らは耳が酷く良い。
(まァ、そっちからご挨拶してくれんだったら、探す手間省けるがよ!)
ニィっと口元に弧を描いて、腰のベルトから、銀色の双銃を引き抜く。グリップに触れた手に鈍い痛みが走った。
「痛みは生きてる証ってなァ! へっ、出て来いよ。無様な抜け殻(ヴァンパイア)共!」
ご挨拶とばかりに、木々の合間の闇に弾丸を打ち込めば短い悲鳴が上がった。空気がさらに重々しいものに変質したのを全身で感じて、青年は笑みを深くする。憎悪の、そして殺意に満ちた眼差しが全身を貫いているのが分かる。
「バレバレっだっての!」
その視線の先へと、弾丸を放つ。短い悲鳴。二体目いっちょ上がりと。
「ふんふん、この銃さすがだなァ。飯のついでだったが、分捕っといて良かったぜ」
立て続けに二発。接近してくる気配に打ち込んで地面に接吻させる。
グリップを握る手からは、じくじくと血が滲み始めて、雪のように白い手袋が赤く染まっていくが、構わずに青年は、両手に銃を手にして撃ち込んでいく。
――やがて、全ての気配は動きを止めた。
両手の銃はそのままに、あたりをうろついてみれば、銀の弾丸を撃ち込まれた哀れな死者が転がっている。そのどれもが、憎しみの表情を浮かべ、こちらを睨んでいる。すでに、ここには居ない、あの冷たいばかりの虚無へと落とした筈なのに、こちらを睨んでくる。
「可哀想に」
乾いた笑みを浮かべて一言。それは、目の前の抜け殻へ言ったのか、それともあの日の己自身に向かって言ったのか、青年には分からない。
ただ、その眼差しを見ていると、無性に、胸が騒めく。すでに、動いていない筈の心臓が震え、熱を失ってしまったはずの腹の底が、溶岩のようにねっとりとした熱を帯びるような心地がした。
「俺は、お前たちとは……違え」
銀の銃を腰に仕舞い、赤く染まった両手を見る。そして両手を組んでみる――冷たい。
「お前たちとは、違う」
抜け殻に歯を突き立てて、吐き気を催す赤い血を飲み下す。やはり、冷たい。力なく滲み出るばかりで、泉が湧き出るように出てくることはない。
どれだけ否定しようとも、どれだけ拒もうと、頭では分かっていた。だが、青年は否定し続ける。
「俺は、お前たちとは違う。……吸血鬼なんかじゃねえ」
自分を、そして母を死に追いやった父親と同じ種族であるなど、受け入れるわけにはいかなった。
恨んで、堕ちて、たとえ吸血鬼になったおかげでこの世に戻ってこれたとしても、この青年の望みはただ一つ。
「吸血鬼を、滅ぼす。一人残らず、ぶっ殺す……。どんな手を使っても、この身がどうなろうと、俺がベイル・“セファレイエ”である限り」
――己の存在を否定し、目を背け続けるのならば、こちらも、背を向けよう。
与えられた父の名を捨て、青年は母の名を名乗る。
あの視線を乞うことはもう、無い。あの視線には死に値する価値などありはしなかった。
ただただ、振り向いてほしくて、握り続けた剣も握れなくなってしまった――母を、そして自分を貫く剣の冷たさを思い出す。何もできず、見ていることしかできなかった、あの悪夢のような時間を思い出して、気が狂いそうになる。
「狂いそうになる? ……って、ああ。何バカなこと言ってんだろうなぁ」
もうとっくの昔に狂ってたぜ。
壊れたように、にへらと哂い、同族の血を再び啜る。吐き気を催すのも構わず、貪り飲んだ。