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もう一度だけ君に会いたい

作者: くちなし

話はさくさくと進みます。

 血の色に変わってしまった一対の瞳が倒れた私を見下ろしてくる。振り下ろす直前で止まった剣と血濡れの私を虚ろな瞳が不思議そうに交互に見ていた。

 あぁ、そんなに心配そうな顔しなくても。私は平気だ。

 私は青白い頬に右手を伸ばした。あと少し届かない手が空を切る。

 なにも変わらない。彼は、間違いなく私の幼馴染みだ。

 不思議と自然にふふふと、笑みが漏れた。彼を見る。あぁやっぱり私は君が好きなのだ。さぁ、その剣を下ろせ。


 私が目を閉じてしばらくしても衝撃は訪れなかった。瞼を薄く開けると、見えない糸に操られていた綺麗な男は、私の幼馴染みだったはずの男が、急激に色を取り戻していた。何がきっかけだったのだろう。先程まで能面だった顔に、皺が寄っていた。

 彼はかたりと力が抜けたように私に跪いた。私は驚いた。もうそれは盛大に。だがそれ以上に、彼は目を見開き、驚いた顔をしていた。

 

 「なんで、なんで」

 「なんでって、なにが?」


 喉から出た音は思った以上に掠れていた。もう長くはないかもしれない。私は直感した。左腕を動かして腰に手を当てるとべとりとしたものが指の間を流れた。

 ぽたり。私の頬に水滴が落ちた。

 見上げると、人形だった男がどんどん人間に戻っている。目の縁に、恨めしいほどに長い睫毛に涙を貯めて。

 ここまで大変だったけど来てよかった。私はその泣き顔を見て心からそう思った。


 「なんで、ここに来たの?」


 子供のような聞き方だった。少なくとも、魔王と呼ばれる男がいう言葉ではなかった。


 「だって、いつだって君のことを見つけるって約束した」

 「そんなの、昔の。かくれんぼして遊んでたころの話で」

 「でも、約束した」


 今度こそ青白い頬に手を当てた。ひんやりと冷たい肌は彼と離れた年月を物語っていて、少し寂しい。愛すべきぷにぷにふかふかの頬は戻ってこないのだろうか。

 未だ途切れない涙を拭ってあげようと動かした手を上から握られる。私は大人しく、また頬に手を当てた。


 「甘えた」

 「うるさい」


 つんと、拗ねたような顔がかわいくてまた笑ってしまう。魔王なのに。


 「怪我、治さないと」

 「そうだね。君のも治さないと」


 彼らしい下手な話題の逸らし方だった。よく見ると彼もボロボロだ。私の剣の跡が、肌にも服にもある。


 「僕のはすぐ治るよ」


 ほらと彼が言うと、傷だらけでガーゼのように汚れていた服が豪奢な軍服に直った。軍に精通していない箱入りのお嬢様でも偉い人だと分かりそうな、肩章や襟章、飾緒。先程まで相手していた飾りの入った軍刀。すべてが新品のようにキラキラと輝いた。人間業ではない。科学では証明できない魔術に精通した、魔族の力。


 「本当に魔王様なんだね」

 「怖い?」

 「ううん。怖くない。だって、私は勇者だもん」


 私は囚われの王子様に会うために勇者になったのだから。




 魔族も人間も、種族は違えど残酷で保身的だ。

 そう思ったのはいつだっただろうか。


 魔王になって久しい彼も、昔は、私の幼馴染みとして生きていたころは、人間だった。小さな街で育った普通の庶民の娘と息子。互いの両親が共働きだったこともあって、私と彼はいつも一緒に遊び、学び、冒険をしていた。

 彼は幼い頃から美しかった。艶かな黒髪に青みがかった灰色の瞳。ぱっちりとした二重を彩る睫毛は長く、唇の色は桜色。すらっとしながらも、子供らしいふにふにした体つき。まさに、街で話題の美少女……いや、美少年だった。その隣で護衛のように近寄る人間を威嚇続けていたのが、冴えない小娘だった私だった。


 あの日も、私は彼の腕を引いて歩いていた。


 「嫌な予感がする」


 そう言う彼に気のせいだと言って。彼は幼い頃から出不精だったから。


 「今日はお偉いさんが来ているんだって」

 「お偉いさん?」

 「うん。中央の軍の偉い人が探し物をしてるってパン屋のおばさんが」


 私の言葉に、彼は思案顔になった。


 「帰ろう。嫌な予感がする」


 それから、どうなったのか。細かいことは覚えていない。たぶん、私にとって耐え難いほど嫌なことが起きたために、記憶を身体の奥底に沈ませて二度と思い出せないようにしてしまったのだろう。


 彼は軍の怖い人に連れていかれ、しばらくして新聞で魔王が誕生したと見た。

 新聞を読んだ誰もが怖いと言った。母も、父も。パン屋のおばさんも。彼の両親さえも。

 だけど、その中で私はなぜか魔王は彼だと確信をしていた。新聞を見てほっとしたのだ。よかったと。生きていたと。また会えると。


 それから、私は街を飛び出した。田舎娘でも時間はかかっても確実に魔王に会う方法を一つだけ知っていた。


 勇者募集! 剣に自信のあるものは是非正規軍へ入りませんか。特別手当てあります。一緒に国を守りましょう。


 私は首都につきすぐに軍に入隊した。田舎を駆けずり回って育ったせいか、体力は申し分なしだった。剣術は必死になって勉強し、訓練を重ねた。順調に階級をあげながら、影で魔王について調べた。昔の書籍を、言い伝えを、噂を。


 「魔王は元人間だ。そういう魔族との取り決めだから」


 だれだったか。私にそう言った人がいた。もう軍に入って数年が経っていた。

 その男の人は私と彼の関係を知っていたようだった。最後に見た男の人は、軍の偉い人だった男はひどく疲れた顔をしていた。


 「魔族と全面戦争にならないのはな、魔族が戦争を起こさない引き換えに人間から生け贄を貰い、それを傀儡にして国を保っているからなんだよ。人間は勝ち目の薄い戦争にピリピリする必要はないし、魔族は国内からも国外からも同胞を守ることができる。何かが起きてまず狙われるのは魔王だからね」


 男は去り際にこう、私の耳に吹き込んだ。


 「黒色の彼は、いい人形だろうな」


 私の確信は確証を得た。


 私はその後も順調に階級を上げ、姫騎士なんて言われるようになった。ちょっとした有名人になり、近衛にも入隊した。

 表面上、穏やかな日々が続いた。魔族の干渉もなく、国内は安定。人間の国同士の外交も恙無く、国民の誰もが現王の間は幸せだとそう思っていた。もちろん、勇者の存在も必要なかった。新魔王が誕生してそろそろ十年。わざわざ攻め込むのは国内の世論に反していた。

 私は魔王について調べつつ、今か今かと待ちわびた。勇者に選ばれる布石を打ちながら。国内が荒れるのを。今か今かと。きっと、不満が大きくなれば、その捌け口に魔王を使うと。この国の歴史の中でそれは常套手段だから。


 国政に力を持つとある貴族の不正が発覚した。

 

 安定が崩れるのは早かった。次々に噂が噂を呼び、人は不安を不満を増幅させた。


 「貴公を今代の勇者に任命する」

 「はっ。薄学非才の身でありますが、精一杯務めさせていただきます」


 そこからは、一人での旅となった。魔族との取り決めがあるのだろう。軍からの応援は物資のみで、移動中の不意の戦闘はほぼ一人で行った。といっても、魔族からの攻撃ではなく、国内の不穏分子からの攻撃だが。

 そんなこんなで、活躍を国から大々的にアピールされながら私は旅を続けた。国内を移動している間は、どこへいっても手厚くもてなされた。私が女であったのも話題作りの一環として役立ったのだろう。一躍ヒーロー、じゃない、ヒロインとなった。


 魔族領に入ったのは旅に出て数ヵ月が経ってからだった。流石に魔族領に入ると、遠慮なく魔族が襲ってくるようになった。パッと見は丸腰の女一人。カモだとでも言いたげに襲ってくる奴等を掃討するのは、魔術に慣れない最初の頃は手間取ったものだが、徐々に魔族を捕虜として捕まえて魔王の情報を聞き出せるまでになった。


 「魔王は人間に魔族の血を混ぜて作るのです。魔族の中では常識ですよ」

 「今代の魔王は融合率が高く、魔術に長けている」

 「魔王って高官が動かしているんだろ。意識はないも同然だって聞いたぜ」

 「来たばっかはかわいい少年だったんだけど、今じゃあもう立派な青年って感じで」

 「まぁ、魔王も不憫だよな。融合率が高そうだと拐われてきたんだろ」

 「あれは人形だろう。一度拝見したことがあるが、表情ひとつなく高官の話に頷くばかりだ」


 魔族は皆お喋りだった。喋らせたとも言うが、元々魔族というのは一枚岩ではないらしい。妙な力を持った種族も無力な人間と同じように内紛というものが存在するようだった。そして、皆、己の長であるはずの魔王に対して同情はあれど無関心に近かった。特に生死に関して無関心のようで、また新しいものが立てられるのかと言い放った奴さえいた。


 私はさらに数ヵ月かけて、彼が囚われた監獄、通称魔王城にたどり着いた。城と銘打つだけあって重厚な造りの建物は、警備というものが皆無だった。なぜなのかは、わかりたくない。小さな街は魔族の民が住んでいるために壊されては敵わないが、魔王だけのための城は命をはる価値に値しないということだろうか。……だとしたら、彼はなんて孤独なのだろう。


 私は魔王の私室だという部屋に入った。ノックひとつせず、バンと音を立てて。昔の彼ならはしたないと叱ったところだろうが、久々に見た彼はなにも言わずこちらを向いた。あぁ、間違いなく彼だ。私は密かに歓喜した。今から命懸けで戦うと言うのに。


 部屋の奥の机から私を見つめる魔族特有の赤色の瞳は虚ろで、視力がないかもかもわからない。私とは違う軍服を着させられた彼は、本当に人形のようだった。


 「私は、勇者アメーリア! 魔王ギルデニア! 貴殿を倒しに馳せ参じた! わが国民を苦しめたその行い悔い改めよ!」

 

 腰にある愛剣を抜いた。彼の首を目掛けて突撃する。彼が抜いた剣と私の剣がぶつかり、シャキンと音をたてた。剣をもつ腕に電撃が走る。魔術だ。剣に魔術を付帯させたのか。私は後ろに思いきり地面を蹴った。私と彼の距離が開く。私は口許に笑みを浮かべた。


 こうして、私と彼の戦いの火蓋が落とされた。





 「人間には、治癒魔術は負担が多すぎる」


 彼、ギルデニアが言った。彼は焦ったようだった。綺麗になった軍服を脱ぎ、肌着だけになる。意外と鍛えられて、と、なんか見てはいけないものを見た気がして私は顔を背けた。

 ビリビリ。服を破る音が鳴った。


 「ごめんね」


 彼の声ともに、私の服が捲られた。身体を捩ろうとして、傷口が痛み、我ながら女とは思えない唸り声をあげた。傷が深いそこに何かが当てられる。


 「いたい。しみる」

 「我慢して」


 私はされるがままになった。さっきまで死ぬかもと思っていたのが、不思議と生きれるかもと思えるようになっていた。身体がぽかぽかと温かくなり、布で傷口が塞がれ、くるくると白い紐で巻かれる。人に治療されるなんて何年ぶりだろう。彼の顔を見ると難しそうな顔していて、時に悲しそうな顔をしていた。


 「そういえば、部下はどうした」 

 「逃げた。稀代の魔王の僕でも相手があの姫騎士なら死ぬと思ったらしい。まさか姫騎士が僕のリアで、しかも僕の意識が回復するなんて思わないよね」

 「逃がしたのか」

 「逃げたんだよ」


 部下がいたらリアを殺しちゃったかもしれないから結果オーライだね。彼は笑った。寂しそうに。もしかしたら、長年こちらにいたのだ。種族から相容れない部下を少しは信頼していたのかもしれない。


 「これから、どうしようか」


 静かな城に私の声がぽつりと落ちた。魔王はピンピンしてるし、流石に手ぶらでは国に帰れない。私、後のことなんてなにも考えてなかったなと今になって思う。というより、一目見て、戦って、死ぬか殺すかするつもりでいたのだから、その後のことだって二通りしか考えていなかった。私が屍となり捨てられるか、彼が屍となり奉られるか。まさか、二人とも正気で生き残るなんて思いもしなかった。

 彼は黙ってもくもくと私の治療を続けている。いつの間にか腕も包帯が巻かれていた。


 「なぁ、君。私はな、君に会うためにここまでやって来たんだ。結婚も安定も投げ捨てて、だな。気づいたらもう齢も二十六だ。生き遅れなんてそんな甘い状態ですらない年だ。ようはおばさんだ。もう十になる子供がいたっておかしくない。さらに勇者だ、姫騎士だ言われたせいでこれからも人間とは結婚できそうにない。私は君のために女の幸せを捨てたようだ」


 私はなんとなくぼやいた。敵だった幼馴染みに優しくされて、そんな気分だった。

 彼の手がとまり、細められた赤色が私を射ぬく。

 

 「ねぇ、リア。それはプロポーズだと思っていいのかな」

 「ぷろ……っ!」

 抗議の声を出そうとして脇腹がザクリと痛んだ。


 「だって、それって僕のこと好きってことでしょ」

 「違う。こんなことになった原因の君のことなんて嫌いだって言ったんだ」

 「僕だって僕の警告を聞かなかったリアのことなんて嫌いだよ」

 

 うっと言葉につまった。こうなったそもそもの原因はたぶん、きっと、いや、絶対、私が彼の話を聞かなかったことなのだから。


 「うそ。好きだよ、リア。昔からずっと」


 ここで、私も。とかわいく答えられないのが、十年以上初恋を拗らせ続けた私の性だ。恋愛経験なんてゼロに近い。私は口を一文字に結んだまま、石像のように、遺体のように固まった。

 

 床に、といってもよくここで戦ったなと言いたいふかふかの絨毯の上に、寝転がっている私を彼の腕がひょいと持ち上げた。筋肉があり軽いとは言えない身体は俗に言うお姫様だっこ状態で、彼の綺麗な顔が間近にあった。顔に熱が集まる。ぼっという音が聞こえた気がした。隠せてない頬は年甲斐もなく真っ赤になっているだろう。


 「僕の身体には魔族の血が混ざってる。隠しきれないほどにね。僕は到底、人間の国には戻れない。そして、君も僕の屍を連れていかないと人間の国には戻れない。ならばさ、人間の国なんて捨てて、戻れない二人でまた冒険しようよ」


 彼は私を抱き上げたままどこかに移動し始めた。廊下を出て、無人の冷たい廊下を突き進む。


 「魔族って言うのは人間と比べて異種族に寛容でね。前にエルフやピクシーを見たことがあるんだ。彼らの棲み家は迷いの森にあってね、いろいろな種族が共存しているそうなんだ。もしかしたらそこなら僕たちも受け入れられるかもしれない。悪い話じゃないと思うけど、どうかな」

 「いいんじゃない」

 「じゃあ、まずは怪我を直さないと」


 彼の足が止まった先には、大きなベッドがあった。絨毯とは比べ物にならないほどふかふかのそこにゆっくり下ろされる。


 「治るまで僕が看病する。部下たちが様子を見に来るのはもう少し経ってからのはずだ。ちょっとずつ魔力を流せばリアならそれより早く治ると思う」

 「治ったら、一緒に冒険しよう。私、エルフに会いたい」

 「エルフは気さくでいい人たちだよ。リアのことだって気に入りそうだ。僕はアウラルネを見てみたい」

 「楽しみ、だわ」

 「そうだね。楽しみだ」


 彼の手が私の瞼を落とした。急激に眠気が襲ってくる。昔とは違うごつごつとした冷たい手が心地いい。ふわふわした意識の中で、頭を撫でられた。


 「ギル、だいすき」


 夢に囚われる寸前、暖かい何かが渇いた唇を掠めた。

 


 魔王城を訪れて数日後。

 私は薄暗い森の中を歩いていた。まだ日は高いというのに、生い茂った木々がその通り道を塞いでいる。

 ざく、ざく、と音を立てて歩く私の後ろに、黒髪の青年がついてくる。


 「アメーリア。まだ全快じゃないんだから無理しないで」


 過保護な彼は、私を不安そうに見ているのだろう。


 「無理なんてしてない」

 「してる。だってほら」


 彼が私の左脇腹をつついた。思わずいたっと声が出る。後ろを振り向くと、彼がほらみろとでも言いたげにこちらを見ていた。


 「ギルデニア!」


 何年かぶりに彼を呼ぶ。綺麗な顔が赤い目を細めてふわりと笑った。

ありがとうございました。

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