08.夏恋日和⑧
階段を下りて、人でごった返す道をどうにかすり抜けて歩きながら、千夏の姿を探す。この人だかりの中で、千夏の姿を探すのは容易ではない。それでも諦めたくはなくて、必死に探す。
伝えたい事がある。沢山沢山、勇気をもらったから。だから・・・。
「槙ちゃん。」
呼ばれると共に、腕を引かれ、槙は縁日の賑わいから引きずり出された。
「三田先輩!?」
屋台の裏側は、人が少なく、所々に買った物を食べている人の姿があるくらいで、押しつぶされかけていた槙はほっと息を吐く。
「・・・千夏先輩と一緒じゃないんですか?」
「・・・・・・。」
「三田先輩?」
「謝り、たくて。」
「え?」
「千夏くんがあなたの事妹だって思ってるって何度も言ったり、わざとあなたと同じ浴衣を着てきたこと。謝りたくて・・・。」
(やっぱり、わざとだったんだ。)
同じ浴衣を着て現れた梓。きっと、ファミレスで会った日、槙の買った浴衣を見ていたのだろう。同じ浴衣を着て、槙と張り合う為に。
「悔しかったの。だって、槙ちゃんは特別だから。」
「それは、妹みたいなものだから・・・。」
槙の言葉に、梓は首を横に振った。そうじゃないのだと、悲しそうに。
「きっとそんな風に思いこんでるだけ。双子の妹さんたちへの特別と混同してしまっているだけ。」
「どうして、そう思うんですか?」
「わかるよ。好きな人の事だもん。」
ずっと好きだったのだ。その瞳が見つめる先も、その視線の意味も、誰が特別かも。好きだからわかってしまう。自分に向けられる事のない想いを感じてしまう。
「私を見て欲しくて、あなたから奪いたくて。ずるいことした。・・・・・・ごめんなさい。」
「私も、ごめんなさい。」
「え?」
「自分の気持ちが実らない事、あなたのせいにして、逃げようとしました。だから、ごめんなさい。」
「・・・・・・槙ちゃんって、真っ直ぐで、一生懸命なんだね。」
そう言って、梓は涙目になりながら微笑んだ。
「千夏くんね、槙ちゃんを捜してるよ。」
「え?」
「槙ちゃんが男の子に連れて行かれちゃった後、すぐに追いかけて行ったの。きっとまだ、捜してるよ。」
「ありがとうございます!」
梓に勢いよくお辞儀をして、槙は再び縁日の中に駆けだした。
(千夏先輩。千夏先輩。千夏先輩。)
首をキョロキョロと回して、縁日の端から端まで行ったり来たり。人混みを動きまわったせいで汗はびっしょりだし、髪はボサボサだろうし、浴衣は着崩れしているし。何だかもう泣きそうになっていた。
「もう!何処にいるのよ!」
1人癇癪を起こしていたら、背後から“ドンッ”と、大きな弾ける音がした。振り仰げば、夜空に大輪の花が咲いていた。花火が始まってしまったのだ。
その時初めて、思い浮かんだ場所があった。
(まだ、捜していない場所があった・・・。)
再び花火に背を向けて、槙は縁日の出口へ向かった。見えてきた緋色橋を渡り、真っ直ぐに進む。背後で花火が咲く音が聞こえる。早く、早く、と気持ちが焦る。
(どうか、そこにいてくれますように。)
心で祈りながら、槙は真っ暗なビルの前まで来る。そこは、中学の時に廃ビルになってしまった場所。立ち入り禁止だが、一ヶ所だけ空いている場所があって、そこから屋上に続く階段に行くことが出来るのだ。なんとか入り込み、階段を一段一段上がっていく。
ここは2年前、千夏と2人で花火を見た場所だ。
中学2年生の時、皆で花火大会に行こうという話になった。けれど当日。槙は熱を出してしまい、花火大会に行けなくなってしまったのだ。千夏と見れると楽しみにしていた花火大会に行けず、落ち込んでいた槙の元に、千夏が尋ねてきた。
「先輩、花火大会は?」
花火大会に行っているはずの千夏の訪問に槙は瞳を瞬かせる。
「だって槙、楽しみにしてただろう?」
「そうですけど・・・。しょうがないです。熱出した私が悪いんですから。」
「うん。さすがにあの人だかりには行けないから、特別な所に連れてってやるよ。」
にやり、と悪戯っ子の様な笑みを浮かべる千夏に、槙は首を傾げる。そんな彼女にお構いなしに、千夏は槙にマスクをつけ、冷えピタを貼り付け、ブランケットを羽織らせると戸惑う槙を背中に背負う。
「え?せ、先輩!?」
「大きい声出すなよ。お前の親にばれるだろ。」
しー!と、言って槙を負ぶったまま、千夏はそーっと槙の部屋を出た。そして親に見つかることなく家を出て千夏が向かったのが、廃ビルになったそこだった。槙を背負ったまま、屋上まで上りきったと同時に、空に花火が上がった。
「わあ!」
夜空に咲いた大輪の花に、槙は感嘆の声を上げる。その後、千夏に背負われたまま、咲いては散る花火を槙は食い入るように見た。
結局その後、家を抜け出した事がばれ、槙も千夏も双方の両親から説教をくらった。でも、風邪を引いた槙の為に、家の近くで花火が見える場所を千夏が探してくれた事実が嬉しくて、槙にとっては、忘れられない大切な思い出となった。
その翌年は、槙たちが受験生だったこともあって、行くことが出来なかった。
そこは、2人だけが知る、特別な場所。だから、ここにいるような気がした。
屋上の扉を開ける。夜空を彩る花火が、屋上の中央で座って空を見上げている人を照らし出す。
「・・・・・・千夏先輩。」
声を掛けると、千夏がゆっくりと槙を振り返った。槙の姿を認識した千夏が驚いたように瞳を大きく見開く。そんな彼の隣に、槙は無言で歩み寄り座った。
「あいつは?」
「一緒じゃないです。」
「何で?」
「先輩こそ、他の皆さんと一緒じゃないんですか?」
「花火はここで見るって決めてんの。」
「1人で・・・?」
その問いかけに、千夏は答えなかった。こちらを見ようともしない千夏に、槙は手を伸ばし、腕を引く。
「槙?」
「私は、先輩と見たいです。」
ようやくこちらを見た千夏の瞳を真っ直ぐに見つめ、はっきりと想いを口にする。瞳を逸らしたくなるのを必死で堪え、震えそうになる声を唾を飲み込んで、耐える。
「私は、この花火を、千夏先輩と見たかった。・・・千夏先輩が、好きだから。」
互いに息をするのも忘れたかのように、じっと見つめ合う。
時間を動かしたのは、槙の頬に触れる千夏の手だった。大きな手が沢山泣いて赤くなっている目元に触れる。ひりひりするその場所に触れる優しい温もりが心地よかった。
「ずっと、考えてたんだ。俺にとって、槙はどんな存在なのかって。」
千夏にとって槙は、間違いなく特別だった。双子の友達で、嬉しい事を嬉しいと、悲しい事を悲しいと全身で表す、素直な少女。優しくしたくて、守ってやりたくて。その気持ちは、双子を思う気持ちと似ていた。家族に向ける特別な感情。
「でも、違うんだよな。・・・・・・あいつらと槙じゃ、違うんだ。」
不思議そうにしながらも自分の話に耳を傾ける槙に、千夏は優しく微笑んだ。
柚子が瑠偉と一緒にいたって、微笑ましく思うだけだった。杏子が臣と付き合うと知ったとき、驚きはしたが、祝福した。でも、槙がクラスメイトに笑顔を向けた時、千夏の胸を占めたのはモヤモヤとした気持ちだった。花火が上がる前に見た槙は、浴衣を着て、髪も整えて、雰囲気が全然違っていた。けれどそれが、自分の為ではない事が千夏はショックだった。
そして今、こうして槙に触れて、それを嬉しく思う自分がいる。つまりは、そういうことなのだ。
「俺が一緒に花火を見たいと思うのは、柚子や杏子でも、クラスの奴らでもなくて、今目の前にいる“槙”なんだ。」
こちらをじっと見ていた槙の瞳がゆるりと、見開かれる。驚きに染まったその瞳は、次第に潤みだし、溢れた滴が頬を伝い、千夏の手を濡らした。
「槙が好きだよ。」
くしゃり、と顔を歪め、ぼろぼろ、と涙を流す槙が愛しくて、千夏は衝動のまま、槙の唇に、自分の唇を重ねた。一瞬びくり、と震えた槙だったが、優しく頬を撫でてやると、肩の力を抜き、千夏に身を委ねた。
そっと唇を離し、瞳を見つめれば、涙で潤んだ瞳のまま、槙は幸せそうに微笑んだ。
「大好きです、千夏先輩。」
「俺もだよ。」
甘えるように額を合わせ、どちらからともなく唇を重ねた。
夜空には、2人を祝福するように、美しい花が幾重も咲き乱れていた。
この話で第一部終了です。
お付き合い頂きありがとうございます。
次回から、第二部が始まります。