11.初恋日和③
クラスのお伽噺喫茶もある程度形になり、その日の作業は午前中で切り上げとなった。
「およ?槙は?」
帰り支度を整え、自分に歩み寄りつつ友人の姿を探す柚子に、杏子は呆れたようにため息を吐く。
「さっき、兄さんに呼ばれて帰ったでしょう?」
「あ~。そっか、そっか。あの2人、付き合ってんだもんね。」
柚子たちの兄、千夏と槙は今年の夏から付き合いだしたが、未だ部活に打ち込む時間のほうが多い為、槙は柚子たちと過ごす時間の方が多かった。すっかり忘れていたが、夏の大会が終わり、文化祭準備が中心になっている今は、部活よりも槙を優先できる時なのだろう。
「そっか~。文化祭もきっとちぃ兄と回るんだろうなぁ。」
「私は臣くんと回るので。」
「・・・・・・純真な臣くんと腹黒い杏子が何で付き合っているんだろうね。」
「失礼ね。」
「こらこら、君のお姉さんでしょ。」
窘めるような声に振り向けば、何処かに行っていたらしい臣が教室に入ってくる所だった。
「おかえり、臣くん。」
「何処行っていたの?」
「足りない材料の買い出し。もうすぐで全員分の衣装が終わるから、あとは持ち帰りで。」
「相変わらず器用だねぇ。」
何やら色々入っていそうな紙袋を手にする臣に、柚子は感心したように彼を見る。
結局クラスの衣装の1/3は臣が作ったのだ。恐るべき、乙女男子。
「あたし、嫁にするなら臣くんみたいな人がいいな。」
「お嫁さんなんだ。」
苦笑いを浮かべる臣に首を傾げれば、隣から脳天チョップをくらう。
「人の彼氏口説かないでもらえます?」
「あたし、杏子が嫁だったら絶対DV受ける気がする。だから臣くんにあげるね。」
にっこり笑って失礼な事を言う柚子に杏子はもう一発脳天チョップを入れてやろうかと思い構える。と、その時、廊下からこちらにやってくる人物を見て、動きを止めた。
「あれ!?失礼な事言ったのに、脳天チョップがない!」
「柚子ちゃん、分かって言ってるんだね。」
「コミュニケーションだよ、臣くん。」
「そんな失礼なコミュニケーションいりません。さて、臣くん、私たちも帰りましょうか。」
ふふっ、と何やら嬉しそうな彼女に、臣は瞳を瞬かせつつ、笑顔で頷いた。
「臣くん、衣装作り手伝うので、家に行きましょう。」
「うん、そうだね。」
ごく自然に手を繋ぎ、一気にラブラブカップルへと変身した2人に、柚子は砂糖を吐きそうになりながら、「さっさと帰れ、バカップル。」と言って、手で追い払うような仕草をする。
「何だ、お前らまだ残ってたのか?」
杏子と臣が出て行こうとしたところで、今度は音弥が教室に顔を出した。
「あら、先生。私と臣くんはもう帰りますよ。」
それではさようなら、と微笑み、ちらり、と教室に残る柚子に悪戯っ子のような笑みを向けてきた杏子に、柚子はうっと言葉を飲み込みつつ、頬を赤く染める。
(あいつ、絶対辻利先生が来ること分かってた。)
先ほどの脳天チョップがなかった理由を悟り、柚子はため息をつく。杏子の上機嫌の理由を知らない音弥は心底不思議そうに首を傾げていた。
「杏子、ご機嫌じゃなかったか?」
からり、と音弥が喋る度に彼のくわえる飴が歯に当たって軽やかな音を立てる。彼の口内を転がる飴を意識して、音がなる度に柚子の鼓動がどきり、と跳ねる。
「辻利先生は、どうしてここに?」
「教室にもう、生徒がいないか確認。」
「真面目だね。」
「俺は品行方正なんだよ。」
「品行方正の人は飴舐めなが歩かないよ。」
他の先生に怒られないの?と尋ねれば、最初の頃はよく言われていたらしいが、最近は諦めたのか、誰も何も言わないのだと言う。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
他愛もない会話が途切れ、穏やかな沈黙が流れる。窓から入り込む風が夏とは違う匂いを運んでくる。
「夏が終わっちゃうね。今年の夏は楽しかったな。」
「花火・・・。」
「え?」
「夏祭りの花火。見たんだろ?」
「うん。瑠偉と杏子と臣くん、それから成り行きで高倉くんと。」
そうして夏祭りの夜の事を話す。どんなものを食べた、とか、花火がどんなに綺麗だったかとか、千夏と槙の事とか。指折りその夜の出来事を話す柚子は、音弥が近づいてくる事に気付いていなかった。
「そうそう。花火の後に、金魚すくいしたんだよ。瑠偉と勝負をして・・・。」
不意に唇に押しつけられたそれに、柚子は言葉を紡げなくなる。驚き、目を瞬かせ、唇にそれを押しつけてきた人を見上げる。その表情は何やら不機嫌そうに眉を寄せ、じっと柚子を見つめていた。まるで口内に押し入ろうとするかのように押しつけられるそれは、先ほどまで彼が口にしていた飴だった。
「お、と・・・。」
名前を呼ぼうと僅かに開けた口から飴が入り込み、やはり言葉を紡げない。飴を口に入れた後も、音弥は変わらず棒を持ったままだった。それをころころ、と指先で転がす。それに合わせ、柚子の口内で飴が転がる。
「んん・・・。」
思わず漏れ出た声は甘く響き、かあぁ、と柚子の頬が赤く染まる。その声にはっと我に返った様に、音弥が飴の棒から手を離した。
「あの・・・、音くん?」
思わず、昔の呼び方で彼を呼ぶ。彼は居心地悪そうに視線を彷徨わせた後、柚子の頭をぽんぽん、と叩くように撫でた。
「文化祭準備、頑張ったご褒美。」
「それは、どうもありがとう?」
いつもと違う音弥の雰囲気を察してか、戸惑うような声色の柚子に、音弥は苦笑いを浮かべる。
「もう、取られるなよ、それ。」
「え?」
「何でもない。」
そう言って音弥は柚子に背を向け、「早く帰るように。」と、言い含めて教室を出て行った。その背中が見えなくなると同時に、柚子はその場に、ずるずると座り込む。くわえていたそれを口から出し、まじまじと見つめる。
瑠偉に飴を取られた時には感じなかった火照りが全身を駆け巡り、目眩がしそうだった。恥ずかしいのに、嬉しくて。真っ赤な顔は、きっと隠しようがないだろう。
戯れのようなやり取りが、柚子の心を甘く締め付けた。