1-1.
雑に振り下ろされる剣筋を莉桜は冷静に見定める。ただ力任せに、刀を振るう腕の動きや柄を握る手の位置すらもまるでなっていない無様な剣筋だと、莉桜は上体を傾けて自分の喉笛へと迫ってきた切っ先を避けながら苛立ちを募らせた。なっていない。まるでなっていない。振るえばどうとでもなると思っている子どもの剣捌きだ。
刀を扱うこの男に、剣術の嗜みがないことは一目瞭然である。莉桜は募る苛立ちを吐き出すように舌打ちをした。自分の喉を掻っ切ることに失敗した男は口汚く莉桜を罵りながら、さらにまた無様な動きで刀を振るいはじめる。横薙ぎの刃が莉桜の肩へと向けられた。しかし所詮、この男の動きは児戯と変わるところがない。自分の構える刀でもって打ち返すこともできたが、刀の扱いも知らぬ、ただ刃の持つ切れ味だけに頼っているだけの輩と打ち合わせる刃を莉桜は持ち合わせてはいなかった。
とん、と半歩も後ろへ退けば容易く刃を躱すことが出来る。またも莉桜を斬りつけることに失敗した男は、憤怒の形相で彼女を睨みつけていた。血流も怒りで沸騰しているのだろう。額やこめかみには青筋が膨れ上がり、顔は赤黒く変色までしている。
そんな形相で怒りを向けたいのはこちらだと、莉桜は内心で呆れ返った。
「……こ、ンの、くそアマぁ……っ。さっきからちょこちょこ逃げ回りやがって!!」
男が刀を振り上げる。
狙いの正確性もなく怒りの衝動に任せただけの振り下ろしだ。
「貴様程度の刀に逃げるわけがあるか」
見当違いな男の言葉に思わず反論の声が出る。その声音は名にある桜の通りに甘く美しい響きをしていたが、その声を称賛するものは誰もいない。
「貴様と刃を交えたとあっては、家の恥だ」
右足を軸にして、半身を翻し乱雑に振り下ろされた刀を躱す。何度も何度も空気ばかり斬らされてこの刀も不憫だな、と莉桜は男の扱う刀に対して同情の念を抱いた。莉桜は刀を逆手に持ち替える。切っ先ではなく、柄を男の手首へと叩きつければその衝撃に耐えきれずに男は獲物の柄を握る手を離してしまった。がちゃん、と音を立てて刀が土の上へと転がる。
間を置かずに莉桜は次に男の膝裏へ蹴りを叩き込んだ。腿やふくらはぎと違って鍛えられる筋肉を持たない関節部への打撃に男は膝を崩して、あの出鱈目な剣捌きと同様に無様な姿勢で顔から地面へ倒れ込む。
起き上がろうと土を掻く指を、革靴の底で踏みしめた。
「ぎぃあッ」
醜く野太い悲鳴を耳障りに思いつつ、莉桜は手にしていた刀を手早く鞘に納めた。抜刀こそしたが、やはり刃を交わすことはなかったな、と思い返しつつ莉桜はうつ伏せに横たわる男の上に跨る。踏みつけた指の痛みに震える男の腕を取り、脇で絞めて腕を固めた。
「これから二度、その無様な手で刀を振るえると思うな」
「……っ、や、やめ……!」
さすがにこれから自分の身に何が起こるのか察しがついたのか、先ほどまでの赤黒く紅潮した顔を一転させ、男は青ざめた表情で哀願の声を発した。
男の声を無視し、莉桜は極めた腕に力を込める。
関節の可動以上の力と方向へ莉桜は容赦なく男の肩を捩じり上げた。ごき、という人体の中から響く重い音と共に男から野太い絶叫が上がる。関節の外れる感触を得た莉桜は、ぱ、と男の腕を放り投げた。ぼたりと力なく男の左腕は地面に落ち、口の端から零れた唾液と目からこぼす涙で土を濡らした男は、痛みと衝撃で身体を小刻みに震わせながら言葉にならない呻きを繰り返している。
抵抗の意志は、すっかり削がれたようだ。
まったく気概のない、とまた呆れの吐息が莉桜の唇から漏れる。この程度の技量と気概で盗賊稼業とやらが務まるのだからまったくお気楽なことだ。
「ヴァジム。もういいぞ」
近場の茂みへと莉桜は声をかける。がさりと大きく葉と小枝を揺らしながら茂みの中から姿を現したのは、莉桜が叩きのめした盗賊の男よりも立派な上背と固い筋肉を纏った身体を持つ偉丈夫であった。
青い瞳にぼさぼさの栗毛。鼻が高く彫りの深いその顔立ちは、明らかに異国人であることを示していた。この国が外へ開かれて三十余年と経つが、まだまだ異国人は珍しい。人の出入りが多い街を歩けば一人か二人くらいは見かけることが出来るくらいだろう。ただその大半は異国の説教師であろうが。
しかしこのヴァジムという男はまかり間違っても説教師などという聖職者などではない。頬や腕など肌の見える部分には幾条もの傷痕が走っており、この頑強な体躯の見目も相まって歴戦の猛者という印象を誰しもに与える。
莉桜もヴァジムを初めて目にした時はそう思ったものだ。
だが、人間見た目どおりではないことを莉桜はこの男を通してよぉく理解している。
浅黒い肌に反して澄み切った空を思わせる瞳を厭わしそうに細めて、ヴァジムは莉桜に対して文句のありたそうな視線を投げた。そしてその目から読み取れる感情のままにヴァジムは口にする。
「……相変わらずえげつねぇお嬢さんだな、お前は」
「えげつない?」
ヴァジムの声に、莉桜はぴくりと片眉を上げる。
「男は問答無用で斬り捨て女子供に金品を掻っ攫う盗賊ごときと並べて、武の誉れ高き入嵩西家に連なるこのわたしを指してえげつないとはどういう意味だ貴様ッ!?」
「そういう輩は下種って言うんだよ。お嬢さんのえげつなさとは比べる次元が違う」
「下らん屁理屈は結構だ。無駄口を並べる暇があればこいつらをとっとと縛り上げろ。貴様の数少ない取り柄のひとつだろう」
「人を緊縛趣味があるみたいな言い方すんなっ」
「黙って働け」
苛々とヴァジムに命を下す莉桜に彼はまだ文句を言いたげであったが、彼女が鯉口を斬るとぴたりと口を引き結び、地面に伏している三人ほどの男たちを器用に縄で縛りつけていった。まったく素直に最初からそう働けばいいものを。
最後に肩関節を捻じ曲げた男を含め、地面に伏している男たちはこの街道を拠点とする盗賊であった。ヴァジムの姿を見て一瞬だけ怯んだが、数の理はあると踏んだのか卑しい下心を隠さず金品と莉桜の身柄を寄越せと刀をちらつかせながら脅してきたのである。女の身である自分まで狙われたのは、女衒に売り飛ばす金のためか。あるいは自分たちで囲いモノを慰めるためか。どちらの理由であれ莉桜には知ったことではないし、低俗な盗賊どもの要求に応える気など端からありはしない。
なので、一人ずつ潰していくことにしたのだ。
どうせ今までも数と獲物の力で押し切ってきたのだろう。盗賊たちのいずれからも、自分たちが優位に立っているという勝手な虚妄が見え、その虚妄を抱いたまま首を飛ばすことが出来るほどに隙がありすぎていた。多少なりと腕に覚えがあるものなら、こんな無様な隙を見せたりはしない。
莉桜はまず一人の懐に素早く入り込み、肘鉄を鳩尾に叩き込み地べたに這いつくばらせた。次に二人目を足払いで体勢を崩し、鞘ではじめに顎を、次いで側頭部を殴打して昏倒させる。そして最後の三人目は、この通りの有り様だ。
こういった時にヴァジムは盾としても役立たぬ邪魔な木偶の坊であるので、早々に茂みへと莉桜は盗賊と相対する前に追いやっている。彼が先ほどああして出てきたのはそういうわけであった。
ヴァジムが盗賊たちを縛り上げている間に、莉桜は地の上に放り投げだされた哀れな刀たちを丁寧に抱え上げた。土ぼこりを袖で拭い、鞘に納める。
「なんだお嬢、戦利品にでもするつもりかい」
莫迦なことをほざいたヴァジムの脇腹を、莉桜は自身の刀の鞘で突き刺す。
「っうぐぇ!!」
「ほざけ。わたしの刀は生涯、この斬水一振りだけだ」
そもそも刀を戦利品扱いにするなど、刀に対して非礼にもほどがある。これだから異国人というものはいけ好かないのだ。武人が命を預け、誇りと魂の形である刀剣をただの戦道具としか連中は捉えようとしない。
莉桜が刀を拾いあげたのは、この下種な盗賊たちの手から刀を救い上げるためだ。あんな剣術のイロハも知らぬ輩などに振るわれては、この刀たちが哀れに過ぎる。しかるべき武具屋に預けるか、あるいは焼いて鋼に戻し新たな刀身として生まれ変わらせてやるのが刀にとっても幸いであろうと莉桜には思えたのだ。
己の失言で脇を突かれたヴァジムは小声で何やらぶつぶつと呟いている。よくは聞き取れないが、どうせ莉桜に対する見当違いな文句でも吐き捨てているのだろう。手はちゃんと動かしているので、莉桜はヴァジムの声を無視することにした。
ややして、終わったぞ、とヴァジムから声が上がる。見遣れば盗賊たちはそれぞれ後ろ手で拘束され、なおかつ互いの身体とを結び合うように縄を巻かれていた。一応の確認に、縄へ指をかけてみる。弓にかけた弦のように、ぴん、と縄は結ばれており、解こうと身を捩っても縄が解けることはないだろう。
「ふむ。相変わらず縄縛りだけは得意だな貴様は」
「だから人を緊縛趣味があるかのような言い方はやめろ」
「余計な時間を取られた。さっさと行くぞ」
ヴァジムの抗議に耳を貸すことなく、莉桜は街道を先に進む。この街道を抜ければ、夕刻に入る前には一つ目の目的地である八島へと辿り着けるはずだ。
足早に進む莉桜の背を、ヴァジムが慌てて追いかけてくる。
「おいお嬢さん。連中をあのままにしておく気か? 警察に突き出すから縄でふんじばったんじゃねぇのかよ」
「街道にはまだ人が通る。私たちの後にやって来た誰かが代わりに警察へ送り出してくれるだろうさ。縄で縛ったのは逃げ出さないようにするためだけだ」
盗賊に仲間を見捨てない気骨があれば、あの男たちを助けに来るかもしれない。いるならばの話だが。あの三人だけで徒党を組んでいたのか、もしくは一定の人数を抱える盗賊連中の下っ端か――あんな稚拙な技量で組織の中核が担えるとは到底思えない――どうかは莉桜の知るところではない。
それでも盗賊を名乗るならず者を捕まえたとあれば、治安維持の貢献として何がしか褒章は与えられるものだ。莉桜が盗賊を討ち取ったと警察に申し出れば、実家の入嵩西家に礼状の一枚でも送られるかもしれない。
だが、だからこそ、莉桜は盗賊を捨て置くのだ。
「あんな低俗な輩程度を打ち倒したところで、何ら家の誉れにもなりはしない」
盗賊を捕まえた功績など、幾らでもくれてやる。目を瞠るほどの手練れと相対し、それに打ち勝ったのならば莉桜は喜んでその功績を受けるだろう。だがあの盗賊は違う。刀を交えるのも厭わしいほどに、軟弱な輩だった。
そんな連中から得られる功績に、一体どんな誉れがあるというのか。
「……充分に家の名を上げられる功績だと思うんだがね」
「足元にうろつく虫を踏み潰してそれを貴様は誇れるのか?」
莉桜にとってあの盗賊たちは、そういう次元の存在だ。
ヴァジムは呆気にとられたようにも見える、何とも表現に困る微妙な表情に顔を歪ませた。その表情の意図するところは莉桜にはさっぱり読めない。しかし読めなくともヴァジムの考えることなど取るに足らぬことであろうから、莉桜は深く問い詰めることをしなかった。
彼女の返した言葉にヴァジムはしばらく黙っていた。ややして何を思ったのか、ぽつりと一言つぶやく。
「お嬢さんの家は本当に大した家だよな」
「当然だ」
何をいまさら、とヴァジムの声に頷いて見せれば何故だかこの異国人は呆れ返るかのように深い溜め息をついたのだった。訳が分からない。
訳が分からない、といえばどうして自分はこんな役にも立たない図体ばかりが無駄に大きい異国人と共に行動をせねばならないのか、と莉桜は何度目になるか判らない疑問を胸に投げかけた。
経緯は知っている。
しかしどうしてこんな男を自分の側に置く羽目になったのか莉桜は未だに納得がいかない。これから向かう八島は母から課せられた義務を果たす最初の土地となる。莉桜が自らの足で赴かなければならない土地はまだ他に二つあるがいずれも自分一人で充分な旅路だ。女の一人旅は危険というが、それは世間一般の婦女子に対する言葉である。武の誉れ高き入嵩西家の直系である莉桜には当てはまらない言葉であった。寧ろ己の武の技量を高めるいい好機だ。
先ほどのように盗賊に出くわそうと、脅威になるとは思えない。盗賊というのは物々しい印象が世間にあれど、所詮は社会からあぶれたならず者の集団である。襲撃を受けたとしても返り討ちにしてやれる自信は十二分にあった。
なのにどうして、
「(……こんな男がわたしの護衛なんだ……!)」
ヴァジムなど護衛という名の、ただの足手まといでしかない。
大体、護衛などというもの自体がいらぬ世話なのだ。それもこれも父が余計なことを言わなければ、と莉桜は今も呪わずにはいられない。
2015.9.9本文を分割。読みやすい文字数を考え、1話5,000字前後とすることにいたしました。