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舐め終わるまで

 その飴を見つけたのは、夜のコンビニだった。

 終電を逃し、雨に濡れたまま立ち寄った店内は、妙に明るく、妙に静かだった。

 レジ前の小さな棚に、見覚えのない飴が並んでいる。

 透明な袋に、真っ赤な飴玉がひとつずつ入っていた。

『最後まで舐めてください』

 値札の横に、そう書かれた手書きの札が添えられていた。

 冗談めいているのに、字はやけに丁寧で、角が揃っている。

「……なにそれ」

 思わず声が漏れた。

 店員はレジの奥で雑誌をめくっているが、こちらを見ない。

「これ、何味ですか?」

 問いかけると、店員はゆっくり顔を上げた。

「……さあ」

「さあ?」

「味は、人によります」

 それだけ言って、店員はまた視線を雑誌に落とした。

 それ以上聞くのは、なぜかためらわれた。

 疲れていたせいかもしれない。

 私はその飴を一袋、買った。


 家に戻り、濡れたコートを脱ぎ、電気もつけずにソファに沈む。

 袋を開けると、甘い匂いがふわりと広がった。

「……普通の飴、だよね」

 赤い飴玉を口に含む。

 最初は、味がしなかった。

 砂糖の甘さも、果物の酸味もない。

 ただ、舌の上に冷たい塊があるだけ。

「ハズレか……」

 そう思った瞬間、じわり、と味が滲んだ。


 ――鉄の味。


 舌が一瞬、びくりと跳ねる。

 だが、すぐにそれは甘さに変わった。

 濃く、重い甘さ。舌に絡みつくような、不快なほどの甘さ。

 喉の奥がきゅっと締まる。

「……気のせい、だよね」

 飴を噛み砕こうとして、思いとどまる。

 値札の言葉が脳裏に浮かんだ。


『最後まで舐めてください』


 なぜか、破ってはいけない気がした。


 テレビをつけると、ニュースが流れていた。

 行方不明者の速報。

 画面に映った顔を見て、息が止まる。

「……嘘」

 昨日まで、同じ職場にいた同僚だった。

 その瞬間、飴の味が変わった。

 さっきより、はっきりとした味。

 思い出す。

 同僚が飲み会でこぼした赤ワインの匂い。

 笑い声。

 最後に見た、背中。

「……なんで」

 舌の上で、飴がゆっくり溶けていく。

 味は、記憶に寄り添うように変化していった。

 子どものころ、転んで膝をすりむいたときの味。

 泣きながら飲んだ、甘いシロップの味。

 誰かの血の味。

「やめて……」

 吐き出そうとしても、顎が動かない。

 舌が、飴を離さない。

 スマートフォンが震えた。

 知らない番号。

 出たくなかったが手が勝手に動く。

「……もしもし」

『舐めていますね』

 低い声だった。

 コンビニの店員の声に、よく似ている。

「……何の話ですか」

『最後まで舐めないと、思い出せませんよ』

「何を……」

『あなたが見なかったものです』

 電話が切れる。

 同時に、頭の奥で何かが弾けた。


 思い出す。

 あの夜。

 同僚と別れたあと、駅の裏道で見た影。

 倒れていた誰か。

 助けを求める声。

 ――無視した。

「……違う」

 飴の甘さが、急に強くなる。

 喉が焼けるように痛い。

 鏡に映った自分の口元が、赤く染まっている。

 唇ではない。

 舌だ。

「やだ……」

 飴はもう、小さくなっていた。

 最後の欠片が、歯の裏に貼りつく。

 その瞬間、玄関のチャイムが鳴った。

「……誰」

 ドアの向こうで、声がする。

「お届け物です」

 覗き穴から見えたのは、コンビニの店員だった。

 手には、赤い飴の袋。

「……まだ、ありますよ」

 逃げようとした。

 けれど、体が動かない。


 口の中で、最後の甘さが消えた。


 ――同時に、音がした。


 喉の奥で、何かが“噛み砕かれる”音。



 次の日。

 ニュースは、新たな行方不明者を報じていた。

 コンビニの棚には、今日も赤い飴が並んでいる。

 値札の横には、変わらない文字。


『最後まで舐めてください』


 袋の中で、飴玉がひとつ、増えていた。

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