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絆が丘クインテット、再結成!③

 鉄板の上では、食べ頃になったもんじゃ焼きがふつふつと小さな泡を作っていた。できたてのいい香りが漂っている。それを囲むようにして理沙、匡、萌、千可は、それぞれのイヤホンから聞こえる音楽に聴き入っていた。

 真っ先に曲のファイルを開き、そして聞き終わった理沙は、即座にもう一度再生を始めた。イヤホンを外さないままで、集を見る。


「……『愛の挨拶』? エルガーの」

「そ。いいでしょ? ベタで」


 ニッと笑う集は、得意げだった。


「いや、やっぱりすごいわあ。集センセイ!」


 曲を聴き終わったらしい千可が、ワイヤレスイヤホンを外しながら歓声をあげる。そして、集の肩を思い切り叩いた。

「『愛の挨拶』って、ホントいい曲だね。ふんわり知ってる程度だったけど、結婚式にピッタリじゃん。集のオススメに乗っかっておいてよかったわあ。木管五重奏に編曲すると、こんな風になるんだ」

「だから! いちいち距離が近いんだよ!」


 心底嫌そうに肩を払った集が、ひと呼吸の間を置いた後で、居住まいを正した。


「……感想は?」

「え?」

「曲の感想」


 気のせいだろうか、集はやや緊張した面持ちになっている。千可は笑顔のままで、軽く首を傾げた。


「んー……よくわかんないけど、とにかく良かったのよ! やっぱり天才だね、集センセイは」


 目を大きく見開いた集は、そのまま手元のパソコンに覆い被さるようにして突っ伏した。やがて小さく、そして長いため息が聞こえてくる。その背中は息を吐き出しているのに、なにかを堪えているようにも見えた。

 二人の様子をぼんやり見ていた理沙の胸には、引っかかるものがあった。確かに、この曲は間違いなく『愛の挨拶』だ。でも……なぜだろう、うっすらと漂う違和感が拭えない。

 ふと、視線を感じて理沙が横を見ると、萌と目が合った。その瞳が、きらきらと輝いている。何か言いたげなその顔を見て、理沙は曲が流れたままのイヤホンを外した。その瞬間、萌が興奮した様子で小さく叫んだ。


「ラフマニノフのピアノ協奏曲!」

「それ!」


 萌が曲名を言い終わる寸前、待ちきれないと言わんばかりに集が吠えた。


「そう! それ! それが聞きたかったわけ。やっと正解の反応が出たわ。あぶねー、誰もわからなかったらどうしようかと思った」

「え。ラフマのPコンが、なに?」


 キョトンとした千可がそう言うと、集が信じられないといった面持ちで彼女を見た。

 一連のやりとりですべてが繋がった理沙は、手元のアプリで再生箇所を指定して、千可に自分のイヤホンを渡した。


「ラフマニノフのピアノ協奏曲の、二楽章」


 千可は、訳がわからないといった様子で頬を軽く膨らませた。理沙からイヤホンを受け取り、自分の耳にはめる。しばらく音楽に合わせて身体を揺らしていたが、やがて、何を見るでもなかった彼女の視線が、はっきりと焦点を結ぶのがわかった。


「……これ、クラリネットソロ?」


 萌が、笑顔で何度も頷く。その向かいで、やれやれといった様子の集がもう一度、深いため息を吐いた。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番。演奏会ごとにメンバーが入れ替わってしまう宿命を持つ大学オーケストラにおいて、唯一、この五人が一緒に演奏に参加した曲だった。当時、この曲でクラリネットの首席を務めていた千可は、二楽章のクラリネットソロを担当したのだ。


「ただ編曲するだけじゃ、おもしろくないでしょ。俺たち五人が集まった意味を一応、考えてみたわけ。愛の挨拶の原曲も、ラフマのPコンの二楽章も、どっちもホ長調だから。ソロを対旋律オブリガートみたいなイメージで組み込んだらいいんじゃないかと思ったの。花嫁に見せ場があった方がいいでしょ、結婚式なんだし」


 そこまで一気に言ったところで、集はプイ、と顔を背けてしまう。そして、ぼそぼそと呟くような声で、こう続けた。


「……それに、すごくよかったんだ。あのときのクラリネットソロは」


 長年作曲を趣味にしてきた集らしい、粋なサプライズだった。


「……集うぅ! そんな風に思っててくれたなら、もっと早く言ってよ!」


 感極まってハグでもしかねない様子の千可に、今度は触られまい! とばかりに集が両手を宙に突き出して牽制する。


「わかった、感動したのはよーくわかった! ありがとう、もう、充分!」


 二人の賑やかなやりとりを見て、萌が目を細めた。


「よかったね、千可ちゃん」

「いやー、集が彼女にしか曲を書いてなかった頃を思い返すと、シンプルに感動ですよねー。コントラバスでしたっけ? あの、小柄で大人しくて可愛い子」

「おい、蒸し返すなよ! そういうことは」

「だって事実じゃん」

「あの!」


 視線が、割って入った声の主へと一斉に集まる。やや気圧されたように視線を彷徨わせながら、匡がゆっくり口を開いた。


「確かに、良い編曲であることに異論はないんだけどさ……これ、『今の』俺たちに、できる?」


 そう言うと、匡は千可に向き直った。


「千可ちゃん、結婚式っていつなんだっけ」

「あ……十一月、ですけど」

「ってことは、あと半年弱か」


 指折り数える匡を、集が黙って見つめている。


「シンプルな譜面だと思うけど、その分、音程ピッチがちゃんと取れてないと、印象悪くなりそうで。結婚式の余興だと思うと、もうちょっと……完成度とか、聴きやすさとかを重視した方が良いのかなって。例えば、ポップスの曲にするとか。そもそも理沙以外は、楽器にブランクがあるっていう前提で考えたら」

「できるよ」


 静かなそのひと言に、皆の視線が今度は理沙へと集まる。


「大丈夫だよ。できるよ」


 まっすぐで、力みのない瞳。鼓舞しようとけしかけているわけでも、ムキになって強がりを言っているわけでも、どちらでもなさそうだ。

 ただただ、自分が口にしたことを信じている。そんな声音だった。


「予定、もう組んじゃわない? 練習日決めちゃおうよ」


 そう言ってさっさと自分の手帳をめくり出す理沙を見て、千可と集、匡もスマホを操作し始めた。少し遅れて、萌が鞄から出した手帳を開く。


「まあ、みんなそれぞれ忙しいだろうから……二週に一回くらいのペースで集まれたら上出来なんじゃない?」


 理沙の発言を受けて、全員がギョッとしたように彼女を見た。突き刺さるような視線に気付いた理沙の眉間に、ギュッと皺が寄る。


「……何? 私、何か変なこと言った?」

「いやいやいや、理沙サン! 私たちもう学生じゃないんだから。その頻度は……ちょっと。ねえ?」


 引きつった笑いを浮かべながら、千可が助けを求めるように萌を見る。


「そ、そうだね……結婚式の準備でこれから忙しくなるだろうし、主賓の千可ちゃんがやれるペースで集まるのがいいんじゃないかな?」


 千可が、必死にコクコクと頷いた。理沙は、訳がわからないといった様子で首をひねる。


「別に良くないですか? 千可抜きで練習する日があるなら、それはそれで。充分練習になりますよ、四人いるんだから」

「だからさ、みんなそんなに暇じゃないって言ってんの。相変わらず察し悪いな」


 呆れるような集の物言いに、理沙の鋭い視線が飛ぶ。集はそれを無視するように、口いっぱいにもんじゃ焼きを頬張った。


「ブランクがあって大変とか言うなら、むしろしっかり準備をすべきでしょ? 暇とか暇じゃないとか、そんな話してない。時間なんていくらでも作れるじゃない、半年もあるんだから」

「いやいやいや。俺たち、あの頃とは違うんだよ。無尽蔵の時間なんて存在しないの。みんなに『それぞれの生活』があるわけ。まあ、あの頃だってあったわけなんだけど、その辺は理解してくれない人も多かったんでね」

「は?」

「じゃあ、じゃあ!」


 一触即発……という空気の中に、匡が慌てて割って入った。


「個人練習を各々めちゃくちゃ頑張ることにして、集まりの回数は最小限にする、っていうのはどうかな? それなら、それぞれのペースでやれると思うから」


 しばらく、気まずい沈黙が漂った。やがて、不満げな様子の理沙が口を開く。


「……わかった。じゃあ、集まって練習するのは月一回にして、後は個人練で各々対処するってことで」

「それでもだいぶ多いけどね」

「集くん」


 ぶつぶつ言う集に、萌が諭すように声をかける。


「……わかった、わかったよ。相変わらず真面目なんだから、皆さん」


 集が、観念したようにぼやく。鉄板の上のもんじゃ焼きが、香ばしい匂いを放っている。食べ頃を過ぎようとしているのに、しばらく、誰も手を付けようとしなかった。



 帰宅した理沙は一人、ダイニングで作業をしていた。集からもらった楽譜のデータを印刷し、マスキングテープでつなげていく。

 いろいろな色柄があるけれど、理沙は白いマスキングテープが好きだ。視覚的な潔さがいい。カラフルな方が可愛いのだろうけれど、楽譜を見たときに気が散ってしまう。理沙には、それが許せなかった。


「お、早速製本?」


 お風呂から上がった匡が、タオルで頭を拭きながら部屋に入ってくる。匡の顔を見た後、理沙ははっきりと目を逸らした。気まずい沈黙の中、匡のパジャマの肩に、髪から雫が滑り落ちる。二人を照らす蛍光灯が、冷たく光っていた。

 やがて、理沙は手元をごそごそと探り始めた。紙をかき集め、トントン、と揃える。


「印刷しておいたよ、匡の分も」


 そう言いながら理沙は、机の上の楽譜を匡の方に滑らせた。その視線は、机に落ちたままだ。


「……ありがとう。時間作って製本するよ」


 何も起きていないかのように、匡は譜面を受け取った。


「明日、早いからもう寝るね。おやすみ」


 何かを言うべきなのはわかっているのに、何を言ったらいいかがわからない。匡が静かに閉じたドアを、理沙は少し遅れて見つめた。

 寝室を分けておいて良かった――そう思うことが、増えた。これで、とりあえず朝まで顔を合わせずに済む。

 先ほど貼ったばかりのマスキングテープを、理沙は無意識に撫でていた。少しだけ端に皺が寄ってしまっていることに、彼女はそこで初めて気が付いた。

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